モンスターバース:キングギドラの逆襲 作:よよよーよ・だーだだ
配信を切った後、マディソンはホテルに戻る前に、機龍街の北側に回り込んだ。
正面の鉄条網は警備員が固めているが、北側は工事用の仮設フェンスが連なるだけで、ところどころ隙間がある。彼女はキャップの庇を深く下ろし、スマートフォンを胸ポケットに忍ばせたまま、フェンスの内側が見える角度から動画を撮り続けた。配信は切っている。録画だけ。後でサムネイル用の切り抜きを作るためだ。
「……お疲れさま、って感じだな」
呟きが口をついて出た。
視界の先、作業員用の休憩エリアで、さっき目が合いかけた男がベンチに座っていた。四十代半ば、薄い金髪、肩の線が内側に落ちている。同僚に何か言われても、乾いた笑いを一瞬返すだけで、すぐまた俯く。紙コップを両手で持ったまま、飲むでもなく、置くでもなく、ただ温度を感じているだけのような手つき。
その顔に、マディソンは見覚えがあった。
正確には、顔そのものではない。あの疲労の質に見覚えがあった。二〇一九年、ボストンの地下シェルターで、母エマが最後の電話を切る前に見せた顔。あれに似ている。持久戦の末期にある人間の顔。
彼女はスマートフォンのカメラを拡大した。胸の認証カードの番号が、ぼんやりと写る。後で画像解析にかければ、名前まで割れる。
ホテルに戻るタクシーの中で、マディソンは画像解析サービスに認証カードの写真を投げた。十五分後、結果が返ってきた。
BRODY, Ford W.
Monarch Technical Division / Contract Employee
Clearance Level: Restricted-3
Registered: 2014-07-22
登録日、二〇一四年七月二十二日。
マディソンはベッドの上で、ノートPCを開いてその名前を検索にかけた。モナークの公開データベースには当然何も出ない。だが、彼女には別のルートがある。陰謀論系インフルエンサーのネットワーク、内部告発を集めたダークウェブのアーカイブ、モナーク退職者が作った匿名フォーラム。それらを横断検索すると、断片的な情報が繋がり始めた。
二〇一四年、サンフランシスコMUTO事件。米海軍、フォード・ブロディ大尉。MUTO核爆弾処理作戦に参加。事件後、海軍除隊。以降、公的な記録から完全に消失。
「……十二年」
マディソンはベッドに仰向けに倒れた。天井を見つめながら、声に出して呟いた。
「十二年、黙らされてる」
モナーク契約職員の家族構成も、内部告発アーカイブには出ていた。
妻、エル・ブロディ。看護師資格保有、現在は専業主婦。モナーク支給の集合住宅に居住。息子、サミュエル・ブロディ、十七歳。モナーク提携校に通学中。家族三人、モナーク管理下の生活圏外への移動はほぼゼロ。
ゼロ。
マディソンは起き上がり、ノートPCに向き直った。
「これ、使える」
声に出した瞬間、彼女は自分の声に違和感を覚えた。誰かの、どこかの誰かの、よく知っている声に似ていた。
配信の時の自分の声だ。視聴者に向かって「モナークは許せない」「真実を追う」と語る時の、少しだけ高く、少しだけ芝居がかった、あの声。
──でも、今は誰も見ていない。
マディソンは一度、目を閉じた。それから、ノートPCに向かって、今度は落ち着いた声で言った。
「フォード・ブロディは、十二年分のモナーク内部情報を持ってる。彼が一度でも口を開けば、モナークの情報統制は終わる」
目を開けた時、彼女の瞳には、柵越しに見たフォードの疲労の顔はもう映っていなかった。
映っていたのは、ボストン事件の真相にたどり着く最短ルートだった。
翌日、正午。香港国際空港、第二ターミナル到着ロビー。
マディソンはコンビニエンスストアの前のベンチに座っていた。キャップを被り直し、胸のピンマイクは外している。配信機材一式は、バックパックの底。今日の彼女は、ただの私服の二十代に見えた。
正面の電光掲示板、ロサンゼルス発キャセイパシフィック886便、到着済み。
モナーク管理下にあるブロディ家は、年に二回だけ、外部地域への移動が許可されている。エル・ブロディは、ロサンゼルス在住の実母の介護のため、半年に一度だけ飛行機で会いに行く。息子のサムは、高校の春休みに合わせて同行。今年もそうだった。
彼らの帰国便は、今着いた。
データは、内部告発アーカイブを徹底的に洗えば、ここまで取れる。
十分ほど経って、入国審査のゲートから、母と息子が現れた。エル・ブロディは四十代後半、疲れた横顔。息子のサミュエルは、十七歳。母親より少し背が高くなり始めた年頃の、まだ線の細い少年。黒縁の眼鏡、地味なパーカー、手にはスマートフォンではなく文庫本を持っている。
マディソンはベンチから立ち上がり、コンビニエンスストアに入った。
母子がコンビニの前を通るタイミングを計算して、彼女はちょうど会計を済ませ、レジ袋を両手に抱えた状態でドアから出た。
「あっ──」
わざとらしくない程度のよろめき。袋が傾いで、中のチョコレート菓子が三袋、床に落ちた。
「ごめんなさい、すみません」
膝をついてそれを拾う。一袋、二袋。三袋目に手を伸ばした時、少年の手が同じ袋に触れた。
「あ、どうぞ」
サミュエル・ブロディは、少し慌てた様子で袋を差し出した。
マディソンは顔を上げて、にこりと笑った。
「ありがとう。うわ、めっちゃ親切。感動」
「いえ、全然」
少年は目を合わせずに、一歩下がった。奥で母親が振り返っている。マディソンは立ち上がって、レジ袋の中身を一瞥し、わざと大きく溜息をついた。
「買いすぎたかも、これ。一人で食べきれないや」
彼女は袋の中から一番派手な色のポッキー(桜味・数量限定)を取り出し、少年の方に差し出した。
「よかったら。お詫びと言っちゃ何だけど」
「あ、いえ、そんな」
「空港のお菓子って、旅のお土産にもなるし。日本のやつ、ここ香港限定で売ってるの知ってた?」
少年が一瞬、箱の表面を見た。桜の絵柄、日本語のパッケージ、「香港限定」のシール。
目の動きで、マディソンは読み取った。
(この子、こういうの、多分あんまり貰ったことないんだ)
「……いいんですか」
「どうぞどうぞ。私、他にも山ほど買ったから」
少年は箱を受け取り、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「マディ、って呼んで。マディソン」
「……サム、です」
奥で母親が、こちらを警戒している視線を、マディソンは背中で感じた。
(お母さん、鋭いな)
でも、母親は近寄ってはこなかった。その距離感も、マディソンには読めていた。モナーク管理下の家族は、他人と深く関わることを避ける訓練を、長年かけて身につけている。息子が初対面の人間と三十秒以上話すのを、止めに入るのは不自然だと判断したのだろう。
「じゃあね、サム。旅、気をつけて」
マディソンは軽く手を振って、背を向けた。振り返らない。振り返らないのが正解だ。
タクシーに乗り込んでから、マディソンはポッキーの箱のバーコードの写真を撮った。同じものを、同じ時間、同じ空港で買った記録が彼女のレシートと照合できる。後でサムに「覚えてる?あの時の」と言える材料になる。接触の再現性を確保するための基礎作業。
窓の外を流れる香港の高架道路を見ながら、彼女はもう一度、配信の時の声で言ってみた。
「完璧。絵に描いたような接触成功」
そして、その声を、自分で止めた。
夜、ホテルの部屋。
マディソンはベッドの端に座って、さっきと同じポッキーの箱を見つめていた。自分用に買った、桜味、香港限定。サムに渡したのと、同じ箱。
箱の背面の原材料表示を、何の目的もなく読んだ。「小麦粉、砂糖、ココアバター、全粉乳……」読み終えて、また表面に戻した。
彼女は箱を開け、一本取り出し、そのまま齧った。
甘い。桜のフレーバーは、控えめで、作り物の優しさがある。
(この子、こういうの、多分あんまり貰ったことない)
空港で自分が読み取った、サムの目の動き。
あれを読み取った時、自分は少しだけ嬉しかった。その事実に、マディソンは今、気づいていた。嬉しかった。何が嬉しかったのか。
「弟のような存在」を前にしたからだ。
そう考えて、彼女は菓子を齧る手を止めた。
弟のアンドリュー。二〇一四年、サンフランシスコ。あの夜、地下駐車場の柱の裏で、マディソンは弟の手を握っていた。五歳だった。彼は姉の手を強く握って、「姉ちゃん、こわい」と言った。マディソンは「大丈夫」と言った。大丈夫じゃなかった。三つ首の影が天井を割り、瓦礫が落ちてきて、彼女の手から弟の手がほどけた。
あれから十二年。アンドリューは、もう年を取らない。
サムは十七歳。マディソンが一度も見ることのなかった、アンドリューの十七歳。
彼女は箱をベッドに置いた。
(何、やってるんだろ、私)
声には出さずに、自分に問いかけた。
(あの子を利用するために、接触した。私はそれを計画して、成功した。成功して、嬉しかった。でも、今嬉しいのは、計画の成功なのか、あの子に会えたことなのか、どっち?)
答えは出なかった。
両方、かもしれない。あるいは、片方が片方の皮を被っているのかもしれない。
マディソンはスマートフォンを取り出し、配信のメモアプリを開いた。そこには、次の配信のための台本ドラフトが書かれている。
> 次回配信予定タイトル案:
> 「モナークの沈黙を破る!接触成功した『ある人物の家族』からの証言(予告)」
そのタイトルを、彼女はじっと見た。削除ボタンを押しかけて、押さなかった。
下書きのまま閉じて、スマートフォンを伏せた。
ベッドの上のポッキーの箱を、ベッドサイドの引き出しにしまった。見えないところに。
窓の外、香港の夜景が、赤と青のネオンで発光していた。
「……おやすみ、サム」
誰に言ったのでもない声で、マディソンは呟いた。
弟に言ったのか、サムに言ったのか、明日の自分を殺すために言ったのか、自分でも分からなかった。