モンスターバース:キングギドラの逆襲 作:よよよーよ・だーだだ
接触から十日後。
マディソンはサムとSNSでメッセージをやり取りする関係を築いていた。最初はポッキーの感想から始まって、日本の深夜アニメの話、古いSF小説の話、好きな音楽の話。サムは思ったより饒舌だった。というより、話し相手がいなかった、という事実が会話の隙間から滲み出ていた。
「今度、家、来てみる?」
そう誘ってきたのはサム本人だった。
「お母さん、いないんだ、明日の午後。父さんも仕事。いつも誰かいるんだけど、明日だけ、数時間、一人になる」
マディソンは画面を見つめて、指の止まった自分に気づいた。
向こうから招いてきた。予想より早い。予想より、簡単だった。
「うん、行く」
そう打ち返した。
ブロディ家のマンションは、新界地区の外れ、二十二階建ての中層階。モナーク管理の集合住宅区画は、外観こそ普通の香港のマンションだが、エレベーターホールにモナークの紋章が彫られたプレートがあり、各階の廊下には監視カメラが三十メートルごとに設置されていた。
マディソンは、胸ポケットではなくパーカーの内側、インナーの下にスマートフォンを固定していた。通信は完全にオフ。機内モードの上から、電波遮断ポーチに入れて、さらにその上から服。配信はしない。録音だけする。
玄関のインターホンを押す前に、彼女は一度、深呼吸した。
ドアが開いた。
「マディさん、いらっしゃい」
サムは、空港で会った時よりも少しだけ表情が柔らかかった。招き入れられたリビングは、家具が少なかった。三人家族にしては明らかに物がない。壁に写真が一枚もない。テレビは小さく、本棚にはモナーク提携校の教科書と、数冊の文庫本だけ。
「お茶、飲む?」
「ありがと」
サムがキッチンに立った隙に、マディソンは部屋を見回した。写真がない理由は、多分セキュリティだ。家族写真はモナーク管理下では撮影・保管が制限されている。もともとのブロディ家のリビングには、多分、もっと色々なものがあったはずだ。今は、個人の痕跡を削った生活がそこにあった。
「紅茶でいい?コーヒーないんだ」
「紅茶好き」
サムが向かいに座った。マグカップが二つ、テーブルに置かれる。
マディソンはパーカーの胸のあたりに、さりげなく手を当てた。録音開始のショートカット。電波遮断ポーチの中のスマートフォンは、機内モードのまま、アプリだけが動いている。
「サム、この前、聞きたいことあるって言ってたよね」
「うん」
サムは少しだけ顔を伏せた。
「マディさんの、あの……配信、ちょっと見ました。母さんとか父さんに知られたら、怒られるやつかもしれないけど」
「見てくれたんだ」
「うん。その……ボストンの話、してたよね。マディさんの、弟さんのこと」
マディソンは、マグカップを両手で包み込んだ。温度を感じた。
「聞いてくれる?」
「うん」
彼女は、配信で何百回も話してきた話を、もう一度した。二〇一四年、サンフランシスコ。弟アンドリュー。二〇一九年、ボストン。母エマ。三つ首の影。ほどけた手。モナークが機材を優先した、という真偽未確定の告発。
話しながら、マディソンは自分の声の調子を観察していた。配信の声ではなかった。もう少し、低かった。
話し終わった後、サムは少し黙ってから、言った。
「……大変、でしたね」
ありふれた言葉だった。でも、その言葉に含まれた重さは、配信のコメント欄の「泣けた」「応援してます」とは違っていた。
「サム」
マディソンはマグカップを置いた。
「私、モナークの内部を、ちゃんと明らかにしたいの。弟の死が、避けられたものだったのか。そうじゃなかったのか。それだけ。でも、モナークは何も出さない」
「うん」
「お父さん──フォードさんは、十二年、モナークの中にいる。色んなこと、知ってるはず」
サムの肩が、わずかに硬くなった。
「お父さんが持ってる情報、ほんの少しでいいの。書類のコピーじゃなくていい。メモでもいい。どの部署がどの情報を握ってるか、その地図だけでも」
「マディさん」
「サム、お願い。私たち、友達でしょ」
友達。その単語を使った瞬間、マディソンは自分の中の何かが軋むのを感じた。でも止めなかった。
サムは、長いこと、マグカップの中を見つめていた。やがて、顔を上げた時、その表情は空港で会った時よりも、ずっと大人びていた。
「マディさん、僕の家族、どう見えます?」
「え」
「この部屋、物がないでしょう。写真も、ないでしょう。母さんは半年に一回しかお祖母ちゃんに会えない。父さんは毎日、解体作業から帰ってきて、ご飯食べて、寝る。会話、ほとんどない。──でもね、マディさん」
サムは、マグカップを両手で握った。
「僕は、これでも、家族が好きなんです。母さんも、父さんも。三人で夕飯食べられるだけで、嬉しい。マディさんが言ってるのは、それを、全部、壊すことです」
「壊すんじゃない、サム、自由にするの」
「同じことじゃないですか」
静かな声だった。怒っていなかった。だからこそ、マディソンの喉が詰まった。
「父さんがモナークの情報を流したら、どうなります?契約違反で、契約解除されて、多分、もっと悪い扱いを受ける。母さんも、僕も、巻き込まれる。マディさんの言う『自由』の後に、僕たちの家族はない」
「……サム」
「マディさんの悲しみは、本物だと思います。だから、配信、見ました。でも、僕の家族を壊して、マディさんの悲しみが、終わるんですか」
マディソンは、マグカップを見つめた。紅茶の水面が揺れていた。自分の指が震えているのだ、と気づいた。
「……分かってない」
呟きが口から出た。
「え?」
「サムは、分かってない」
彼女は顔を上げた。視界が、少しだけ歪んでいた。
「私は怪獣のせいで弟と母を失った。誰も失ってないサムに、この悲しみは分からない」
言った瞬間、部屋の空気が変わった。
サムの顔から、表情が消えた。
「……マディさん」
「サムの家族は、全員生きてる。生きてる家族を守りたいって、贅沢でしょう。私には、守るべき家族、もういないの。それを、サムは、分かってない」
「帰ってください」
サムは立ち上がった。少年の声ではなかった。
「帰って」
「サム──」
「帰ってください、今すぐ」
マディソンもゆっくり立ち上がった。パーカーの胸のあたりで、録音アプリが、この全部を、拾っていた。
玄関を出る前、振り返らなかった。振り返らないのが正解だ、と、自分に言い聞かせた。でも、正解、という言葉が、もう自分の中で何を意味しているのか、分からなくなっていた。
三日後、東京。
モナーク極東支部、地下格納庫の隣接区画。新城浩二は、私物のノートPCでニュースアプリをスクロールしていた。部下の結城が隣でコーヒーを淹れている。
画面に、ある配信サムネイルが流れてきた。
【独占音源】モナーク契約職員の家族が激白!「私たちの家族はモナークに壊された」
配信者名、マディソン・ラッセル。
新城は指を止めた。サムネイルをタップした。
配信は五分ほどのダイジェスト編集だった。マディソンの声で「協力者の方から、直接、証言をいただきました」というナレーションが入り、そこから音声が流れた。音声は加工されていたが、片方はマディソン自身、もう片方は少年の声。
新城は、最後まで聞いた。
聞き終わった時、彼の手からマウスが離れていた。
「……結城」
「はい」
「このラッセルって子、うちの案件に関係あるか」
「サンフランシスコとボストン事件の被害者家族です。モナーク広報が何度か取材を断ってる、はずです」
「連絡先、取れるか」
「一応、広報経由で」
「取ってくれ」
新城の声は、いつもより低かった。結城は、師範が怒っている時の声を、道場で何度か聞いたことがある。あの声に近かった。
二日後、東京都内、モナーク関連施設の一室。
マディソンは、呼び出された、というより、来ないと配信機材を押収すると広報から通告されて、渋々来ていた。
向かいに座っていたのは、白髪混じりの男一人と、痩せた若い男一人。
「新城、と言います。モナーク極東・航空機動部隊、少佐。隣は結城。同じく、副操縦士」
マディソンは黙って頷いた。
新城はタブレットを出し、あの配信のダイジェストを再生した。最後まで流した。流し終わった後、彼は静かに言った。
「君の配信、全部聞いた。前から気になってはいた。──が、今回のは、違う」
「違うって、何が」
マディソンは顎を上げた。配信の時の声に、戻っていた。
「録音したのは、相手の許可を得てたか」
「答える義務は」
「許可を得てない、ってことだな」
新城は頷いた。
「それと、もう一つ。配信の中で、『協力者』という言い方をしている。音声の相手は、自分が協力者だと知ってたか」
「……」
「知らなかった、ってことだな」
新城はタブレットを閉じた。
「プライバシーの侵害、無許可録音の公開、それから、事実上の協力強制だ。相手は、自分が配信の素材にされるとも知らずに話していた。そして、公開された音源の中で、『協力者』という括りを一方的に与えられた。これは、君が思ってるよりずっと重い」
「私は、真実を──」
マディソンが口を開きかけた時、新城は手のひらを軽く上げた。大声ではなかった。それなのに、マディソンは言葉を飲み込んだ。
「真実のために他人を道具にしていいってのは、一番楽な言い訳だ。一番楽で、一番、取り返しがつかない」
新城は一度、息を吐いた。
「君のことは、知ってる。サンフランシスコの、そしてボストン事件の遺族だ。弟さんとお母さんを亡くした。それは本当に、気の毒だと思う」
マディソンは、視線を落とした。
「だが、君の悲しみは、他人の家族を壊していい理由にはならない。力業にも、踏み越えちゃならん一線はある。君は、今、越えた」
沈黙。
マディソンは何か言い返そうとして、言葉が出なかった。結城が、静かに紙コップの水を彼女の前に置いた。
新城は立ち上がった。
「今日、公開停止を要請した。配信プラットフォーム側は応じる方向だ。相手の家族にも、モナークから謝罪の用意がある。──君にも、二つ、選択肢を残す」
彼はマディソンを見下ろした。
「一つ。配信を全部やめて、ボストン事件の被害者支援プログラムに繋ぐ。カウンセリングも、法的な情報開示の手続きも、俺の権限で手配できる」
「もう一つは」
「ボストンの真相を、本当に知りたいなら、俺たちの現場に来い。配信機材は置いてこい。スマホも、SNSもだ。代わりに、俺が知っている限りのモナーク内部情報を、君に見せる。ただし、それを外に出すかどうかは、全部見終わった後で、もう一度考えろ」
マディソンは顔を上げた。
「……なんで、そこまで」
「弟さんと同じ歳くらいの子が、道場に、いる」
新城は、それだけ言って、部屋を出た。
同じ週、東京・大田区、蒲田の外れ。
古い武道館の板の間で、新城は袴姿で正面に立っていた。向かって並ぶのは、結城、そして十六歳のアメリカ人少年──ハンク・マーロウの孫、ダニー・マーロウ。他に数人の門下生。
新城は、竹刀ではなく木刀を握っていた。
「──始め」
彼の声が、普段の朴訥な響きと、少しだけ違った。稽古場の空気に合わせて、ほんのわずかに、古い響きに寄っている。
ダニーが正面から打ち込んできた。新城は半身で受け流し、次の瞬間には少年の背後に回り込んでいた。
「遅い」
短く言って、もう一度、正面に戻す。
「もう一度」
ダニーが打ち込む。新城が受け流す。
三度目、四度目と繰り返すうちに、少年の木刀が、少しずつ、まっすぐ振れるようになってきた。新城は、その瞬間を見逃さずに、声を上げた。
「チェスト」
一度だけ、掛け声が出た。それは日常会話の新城からは、決して出ない声だった。
ダニーの木刀が、新城の木刀を、初めて押し返した。
「よし」
新城は木刀を下ろし、元の朴訥な声に戻って言った。
「今のが、形になった時の動きだ。覚えとけ」
少年が息を切らしながら頷く。結城が道場の端から、師範の背中を見ていた。
稽古の後、道場の縁側で、新城は結城に湯呑みを渡しながら言った。
「あのラッセルって子な」
「はい」
「道場に連れてきたい、とは思ってる。が、無理だろうな、今は」
「ですね」
「でも、いつか来たら、座らせろ。竹刀は持たせなくていい。座って、呼吸だけさせろ」
結城は黙って頷いた。
縁側の先で、夕方の光が、蒲田の屋根を赤く染めていた。