モンスターバース:キングギドラの逆襲   作:よよよーよ・だーだだ

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8、やめて、と言った声の先

 警備車両の屋根の上で、マディソンは膝をついていた。

 立てなかった。

 足が動かないのではなかった。膝が折れた、という感覚もなかった。気づいたら、膝をついていた。スマートフォンは右手に握ったまま、画面は黒いままだった。配信アプリは起動していなかった。

 東京湾の方向で、雷光が走り続けていた。

 三本の首が、それぞれ別の獲物を向いていた。

 ゴジラは、まだ地面に押し付けられていた。背鰭が光の増幅を繰り返し、繰り返し、試みていた。重力場の歪みの中で、熱線の収束が乱れるたびに、また試みる。止まらなかった。止まる、という選択が、あの生物には存在しないのかもしれなかった。

 コングが、壁面から這い出てきた。

 肩の装甲が砕け、血が滲んでいた。それでも、アックスを拾い直した。片手で持ち上げ、結晶タイタンの方を向いた。引力光線で飛ばされた方向と、真逆の方向に向き直ったという事実が、マディソンには信じられなかった。どうして、向き直れるのか。

 シーモは、タイタンの首に絞められたまま、電磁パルスを放ち続けていた。

 効かなかった。クリスタルが、全部、弾いていた。それでも放ち続けていた。

 

 翼を失ったモスラが、東京湾の浅瀬を這っていた。

 あの巨体が、翼なしに移動できる構造をしていることを、マディソンは知らなかった。生物学的にどうなっているかは分からない。ただ、モスラは、六本の脚を海底の泥に沈めながら、少しずつ、少しずつ、タイタンの方へ向かっていた。

 

「何で」

 

 マディソンの口から、声が出た。

 配信の声でも、素の声でも、どちらでもない声だった。

 

「何で、まだ、動くの」

 

 誰かに聞いていた。ゴジラに。コングに。モスラに。シーモに。全員に。

 答えは来なかった。彼らは彼女の声を聞いていない。聞こえていない。ただ、戦っていた。

 

 

 

 マディソンは、屋根の上に座り込んだ。

 スマートフォンを膝の上に置いた。

 十二年間、彼女がやってきたことを、一度だけ、全部、思い出した。

 サンフランシスコの後に弟のアンドリューが死んで、ボストンで母エマが死んで、彼女だけが生き残って、父マークは生きていたが、父は別の場所にいたから、彼女が守れなかったわけでも彼女が見捨てたわけでもなかった、でもそれが逆に、どうしようもない孤独になった。

 

 最初の一年、何も、できなかった。

 二年目から、怒りが来た。

 

 怒りは、動力になった。モナークを調べた。タイタン事件の情報を集めた。配信を始めた。最初は百人の視聴者だったのが、千人になり、一万人になった。「被害者の声」として拡散された。スーパーチャットが入った。広告収益が入った。取材のための航空券が買えた。香港に来た。

 何かをしている間は、止まれた。

 止まると、地下駐車場の柱の裏に戻った。アンドリューの「姉ちゃん、こわい」に戻った。「大丈夫」と言った自分の声に戻った。

 だから、止まらなかった。

 フォードを調べた。サムに接触した。お菓子をシェアした。ブロディ家を訪問した。録音した。「誰も失ってないサムにこの悲しみは分からない」と言い放った。音源を編集して、「協力者とこんな話をした」と配信した。

 新城に叱責された。「真実のために他人を道具にしていいってのは、一番楽な言い訳だ」と言われた。

 言い訳。

 マディソンは、その言葉を、腹の中で転がした。

 

 言い訳、か。

 彼女はサムに言った。「私は怪獣のせいで弟と母を失った」と。

 それは、事実だった。

 「誰も失ってないサムにこの悲しみは分からない」とも言った。

 それも、事実だった。

 

 でも、今、目の前にいる存在たちは。

 

 ゴジラは何を失ったのか、マディソンには分からなかった。コングが何を失ったかは、多少なりとも聞いていた。一族を失い、故郷を失い、最後の同族だった父親を失った。シーモは生まれた時から孤独だったと、モナークの公開資料に書いてあった。モスラは今この瞬間、翼を失った。

 彼らは全員、何かを失っていた。

 そして、向き直っていた。

 彼らは失ったものを、他者を傷つける理由に、使っていなかった。

 その事実が、マディソンの胸の中で、静かに、ものすごく静かに、炸裂した。

 

 「私は被害者だ」と、彼女は十二年間、言い続けてきた。

 事実だった。

 「だから、真実を追う権利がある」とも言い続けた。

 それも、事実だった。

 でも。

 ブロディ家の、物のないリビング。写真の一枚もない白い壁。「三人で夕飯食べられるだけで、嬉しい」と言ったサムの顔。その平穏を、自分は壊しに行った。被害者だから、という理由で。

 新城が言った言葉が、今になって胸に刺さった。

 

「君の悲しみは、他人の家族を壊していい理由にはならない」

 

 マディソンは、目を閉じた。

 母エマのことを、思った。エマ・ラッセルは、タイタンたちと人類が共存できると信じて、モナークの内部から動いた人間だった。その方法は間違っていた。間違った方法を選んだのは、事実だった。でも。

 母が動いたのは、世界を救いたかったからだった。

 自分が動いているのは、何のためか。

 「世界を救うため」と配信では言ってきた。でも今この瞬間、屋根の上で膝を抱えている自分が、本当に思っていることは。

 報復心、だ。

 怪獣に。モナークに。「分からない」と言い続ける世界に。自分だけが取り残されて、十二年間、誰にも届かなかった怒りを、どこかにぶつけたかっただけだ。

 弟や母は、助けてもらえなかった。

 だから、誰かが助けてくれなかったことへの怒りを、誰かに向け続けた。

 でも、今、目の前で、誰かのために向き直っている者たちがいた。

 失った者たちが。傷ついた者たちが。それでも、誰かを守ろうとして、動き続けていた。

 

 

 

 マディソンは、目を開けた。

 視界が、歪んでいた。涙ではなかった。涙が出るほど、まだ、何かが溶けていなかった。ただ、視界の解像度が、少し、変わっていた。

 東京湾の方向を、もう一度、見た。

 ゴジラが、まだ試みていた。

 コングが、まだ立っていた。

 モスラが、まだ這っていた。

 マディソンは、スマートフォンを手に取った。

 配信アプリではなく、メッセージアプリを開いた。

 サムの名前を探した。

 最後のメッセージ、送信日時、十日前。マディソンが送った、ブロディ家訪問の前日の「明日、よろしくね」という文字。それっきり、会話が止まっている。

 彼女は、メッセージ入力欄に指を置いた。

 何を打てばいいか、分からなかった。

 「ごめん」という二文字が、浮かんだ。

 打てなかった。打っていいのか、分からなかった。それとも、「ごめん」という言葉が、また自分のために使う言葉になってしまう気がした。謝罪という行為で、また自分が楽になろうとしているだけではないか。

 指を、入力欄から離した。

 スマートフォンを、ポケットにしまった。

 今は、まだ、打てない。

 でも、いつか、打つ。

 その「いつか」が、初めて、彼女の中に生まれた。

 

 

 

 上空の雲の中で、ラドンは、まだ止まっていた。

 熱を帯びた翼を、折り畳んだまま。

 眼下で、コングがまた吹き飛ばされた。

 東京湾の浅瀬で、モスラが翼のない身体で、それでも脚を動かしていた。

 ラドンは、それを見ていた。

 今まで長く生きてきた。溶岩の中で眠り、大気圏をなぞるように飛び、タイタンたちの勢力図の中を生き残ってきた。生き残るために必要なことは、強い者に従うことだった。それが自分の生存戦略だった。

 ギドラが現れた時、ラドンはギドラに従った。

 ゴジラがギドラを倒した時、ラドンはゴジラに従った。

 従う。それだけで、生き残れた。

 でも。

 モスラが、翼のない身体で、這っていた。

 あの守護者は、誰かに従って動いているのではなかった。守るべきものがあるから、動いていた。産み落とした卵がある。新しい命がある。それを守るために、翼を失っても、這っていた。

 ラドンは、自分の翼を、見た。

 革のように黒く、広げれば翼端から翼端まで百五十メートル。火山の熱を受けて赤く灼けた翼膜。これで飛べば、嵐が起きる。これで押せば、大型艦船が転覆する。

 この翼で、あの守護者を、運べる。

 思った瞬間に、ラドンは雲を出た。

 誰かに従ったのではなかった。誰かの命令を受けたのでもなかった。ただ、自分がそう決めた。

 降下した。

 東京湾の浅瀬に向かって、翼をたたんで急降下した。速度が乗り、大気が翼の前縁で焼ける。その熱が、ラドンには、むしろ心地よかった。

 

 

 

 マディソンが、音に気づいた。

 雷鳴とは違う、別の轟音が来た。

 上空から、巨大な影が落ちてきた。

 翼を広げて急制動をかけた影が、東京湾の浅瀬に着地した。泥と海水が、爆風のように周囲に散った。

 ラドン。

 その巨体が、モスラの前に、しゃがんだ。

 しゃがんだ、という表現が正しいのか分からない。あの大きさの生物が、身体を低くして、翼を広げて、地面に伏せた。

 モスラが、ラドンを見た。

 ラドンは、動かなかった。

 モスラが、ゆっくりと、ラドンの背中に乗った。翼を失った身体で、六本の脚を使って、ラドンの背の上に乗った。

 ラドンが、立ち上がった。

 翼を広げた。

 飛んだ。

 マディソンは、その光景を見ていた。

 屋根の上から、立ち上がって、見ていた。

 いつの間にか、立っていた。

 膝が、動いていた。

 翼を失った守護者を背に乗せたラドンが、東京の空へ上昇していくのを見た。その翼の風が、代々木公園のステージのテントを揺らし、マディソンの髪を揺らした。

 彼女は、その風の中で、一つのことを思った。

 十二年間、止まれなかった。

 止まると、地下駐車場の柱の裏に戻るから。

 でも今、初めて、止まれた気がした。

 止まって、立っていた。

 それは、逃げるのをやめた、ということではなかった。アンドリューへの悲しみが消えたわけでも、エマへの怒りが解決したわけでもなかった。

 ただ、自分の悲しみを盾にして他者を傷つけることを、もうしたくない、と思った。

 それだけだった。

 それだけの、変化だった。

 でも、それは、六年間で最初の、前向きの変化だった。

 遠く、東京湾の上空で、三本の首が、ラドンの方を向いた。

 結晶タイタンの体勢が、わずかに、揺らいだ。

 

 マディソンには、それが見えた。

 

 

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