モンスターバース:キングギドラの逆襲 作:よよよーよ・だーだだ
東京湾の上空、高度三千メートル。
結晶タイタンの三本の首が、ラドンを追っていた。
ラドンは、背にモスラを乗せたまま、タイタンの周回軌道を外れるように飛んだ。引力光線が追ってくる。一射、二射、三射。ラドンは火山育ちの反射神経で、光条の軌道を読んで翼をたたみ、滑落するように回避した。背中のモスラが揺れた。落ちなかった。六本の脚が、ラドンの背の甲殻を掴んでいた。
タイタンの中央の首が、ゴジラに向き直った。
ゴジラは、まだ重力場の中にいた。背鰭の発光が、また増幅を試みた。また、乱れた。重力場が放射熱線の収束を歪める。ゴジラの咆哮が上がった。怒りではなかった。あれは、試みることを止めない意志の音だった。
その咆哮が、東京湾を渡り、代々木公園まで届いた。
コンサートのステージでは、まだ、歌が続いていた。
世界中から中継が続いていた。マディソンが配信をしていないこの瞬間に、四十七カ国の歌声が、東京湾のモスラの卵に向かって流れ続けていた。歌姫が倒れなかった。合唱隊が逃げなかった。ステージのテントが破れても、機材が吹き飛んでも、歌い続けていた。
マディソンは、屋根の上から、そのステージを見ていた。
ゴジラの咆哮が聞こえた。
スマートフォンをポケットから出して、配信アプリを開いた。
カメラを自分に向けない。ステージに向けない。東京湾の方向に向けた。三本の首が見える方向に。
ライブ配信のボタンを押した。
コメントが流れ始めた。視聴者数が跳ね上がった。でも今、彼女はコメントを読んでいなかった。カメラを向けたまま、ただ、見ていた。
「見てて」
誰かに言った。視聴者に、かもしれない。アンドリューに、かもしれない。
「ちゃんと見てて。ここから目を離さないで」
ラドンが、タイタンの真上に出た。
背のモスラが、脚の一本を持ち上げた。口内の紡糸器官が、開いた。
翼を持たない守護者の、最後の手段。
絹糸が、空中に放たれた。
直径三センチ、引張強度は鋼鉄の数倍。それが、束になって、タイタンの三本の首に絡みついた。一本、二本、三本。首と首の間に絡まり、互いを縛り付けた。三本の首が別々に動こうとした瞬間、糸が締まった。
タイタンが、初めて、正面を向けなくなった。
三本の首が互いを向き、絡み合い、引力光線の照準が乱れた。タイタンの巨体が、空中でバランスを失い、落下し始めた。
海面に向かって。
東京湾の岸壁に半壊した状態で打ち上げられていた、MOGERAの脱出艇。
その内部で、計器類が、一つずつ、再起動していた。
補助電源。生命維持システム。通信システム。
新城浩二が、目を開けた。天井のハッチに、ひびが入っていた。外から光が漏れている。
「……何分、経った」
隣の副操縦士が、計器を確認した。
「脱出艇分離から、十八分」
「MOGERAの本体は」
「……電源、入ってます。被弾前に非常用電源への切り替えが完了していたみたいで」
新城は上体を起こした。肩に鈍い痛みがあった。肋骨に一本か二本、ひびが入っているかもしれない。構わなかった。
コントロールパネルを引き寄せた。
MOGERAの本体との通信回線を繋いだ。応答があった。
「生きてる」
新城は脱出艇のハッチを開けた。
上空で、タイタンが落下し始めていた。
新城はそれを見た。首が絡まっている。モスラの糸だ、と判断するのに一秒もかからなかった。
MOGERAの本体が、岸壁の向こうに横たわっていた。
胸部が陥没している。両腕の増設砲塔が、ない。背部のメーサーブレード格納庫が、焼けている。全武装、機能不全。
ただ、脚が、動いた。
新城は通信に叫んだ。
「MOGERAのクルー、誰か動けるか」
「三番席、動けます」
「五番席、動けます」
「俺も、なんとか」
「パイルバンカー、残ってるか」
「……胸部の衝撃杭、二基、生きてます。ショックアンカー、予備が一基」
新城は、岸壁を駆け出していた。肋骨のひびなど、今は感じなかった。
MOGERAの頭部ハッチまで、岸壁の段差を飛び越えて登り、コクピットに滑り込んだ。副操縦士が後に続いた。
「非常用電源、全力」
「了解」
「脚部だけで動く。武器はパイルバンカーとショックアンカーだけ。それで十分だ」
MOGERAが、立ち上がった。
両膝をつき、片手を地面について、ゆっくりと、立ち上がった。損傷した装甲が軋み、折れた骨格がきしんだ。それでも、立った。
空から、タイタンが落ちてきた。
新城は、MOGERAを正面に向けた。
「行くぞ」
タイタンが東京湾の埋立地に激突した瞬間、MOGERAが飛びかかった。
四十トンの金属が、結晶の外骨格に覆われた巨体に叩きつけられた。パイルバンカーが、タイタンの背中に打ち込まれた。一発、二発。衝撃杭が結晶を砕き、外骨格の下の本体に食い込んだ。
タイタンが、もがいた。
三本の首が、別々の方向に引っ張り合った。モスラの糸が、首と首の間で、さらに食い込んだ。
新城はMOGERAをタイタンの上に押しつけ続けた。
「ショックアンカー、打て」
「了解」
タイタンの胴体に、最後のショックアンカーが打ち込まれた。アンカーが展開し、内部から固定杭が放射状に広がって、タイタンの外骨格に絡みついた。MOGERAとタイタンが、物理的に接続された。
逃がさない。タイタンの三本の首のうち、一本が後方に向いた。
背中の刺列が、光を帯びた。
「来ます、背中の刺から──」
「分かってる」
新城は、脱出レバーを見た。
一回使った、もう一回使えるか。非常用電源のままでは、射出圧力が規定値の六十パーセントしか出ない。それでも、使えるか使えないかで言えば、使えるはずだった。
「クルー、全員、脱出準備」
「新城さん、あなたは」
「俺が最後だ。一番席から順に、今すぐ」
副操縦士が、サブコクピットの射出シーケンスを起動した。クルーが順に、個別脱出艇に移る。
背中の刺列の光が、強くなった。
「新城さん、早く」
「まだ」
新城はMOGERAのシステムを確認した。パイルバンカー、打ち切り。ショックアンカー、展開済み。固定解除は手動でないとできない。自動では解除されない。
つまり、引き金を引く者がいなければ、MOGERAはタイタンを掴んだまま離れない。
「新城さん!」
「副操縦士、先に出ろ」
「でも」
「先に出ろ」
副操縦士の脱出艇が、射出された。
コクピットに、新城一人が残った。
背中の刺列から、引力光線が収束した。
白い光が、MOGERAの背部から、胴体を貫いた。
装甲が裂けた。内部フレームが引きちぎられた。動力炉のケーシングに、ひびが入った。
新城は、固定解除のトリガーを引いた。
ショックアンカーが、解除された。
MOGERAとタイタンの接続が、切れた。
その瞬間、新城はコクピットの脱出レバーを引いた。射出圧力、規定値の六十パーセント。コクピット兼脱出艇が、頭部から上方へ、辛うじて飛び出した。爆発の余波に追いかけられながら、低い弾道で東京湾の上空を飛んだ。
MOGERAが、爆散した。
爆風の中を、脱出艇は飛んだ。
新城は計器を見ていなかった。コクピットの小窓から、上空を見ていた。
東京湾の上空で、ゴジラが立ち上がっていた。
重力場が、消えていた。タイタンが地面に抑えられ、三本の首の動きが封じられた瞬間に、重力場の制御が乱れた。ゴジラが、その隙を見逃さなかった。
背鰭が、今まで見たことのない発光をしていた。
新城には怪獣学の知識はなかったが、それが普通ではない何かだということは分かった。背鰭の光が、ゴジラの体表に沿って広がっていた。皮膚の下から、何かが溢れ出してくるように。
光は、ゴジラの輪郭を越えて、外側に広がった。
三百メートル。
ゴジラの形をした、光のオーラが、東京の上空に立った。
代々木公園のステージで、歌い続けていた歌姫が、それを見上げて、歌を止めた。
止めたのではなかった。声が出なくなった。
でも、合唱隊の声は続いていた。世界中のサテライト会場から、声は続いていた。
その歌声が、オーラのゴジラに向かって流れていくのが、見えるようだった。
ゴジラの尾が、動いた。
尾の先端から、背鰭がせり上がり始めた。根元に向かって、一枚ずつ、一枚ずつ、順番に光が増幅していった。尾から胴へ、胴から肩へ、肩から首へ、首から顎へ。
光の波が、ゴジラの全身を、尾先から頭頂まで、駆け上がった。
顎の下で光が収束し、口元に七つの円環が現れた。同心円ではなく、それぞれが独立した光輪。七つが、重なり合って、口の前で回転していた。
口が、開いた。
炎が、のぞいた。
最初はオレンジ色の、鈍い炎だった。それが、秒単位で、色が変わった。赤から橙へ、橙から白へ、白から青白へ。炎が炎でなくなった。加速した。形が変わった。線になった。
青白い光の柱が、ゴジラの口から伸びた。
放射熱線。
それは今まで見てきたどの熱線とも違った。幅が違った。速度が違った。温度が、大気をそのまま燃やしながら進んでいた。光条の周囲に、大気が電離して紫色のコロナが走った。
それが、地面に縫い止められた結晶タイタンを、捉えた。
マディソンは、スマートフォンを空に向けたまま、目を瞑れなかった。
光が、東京を照らした。夜ではなかった。昼だった。それでも、その光は、昼の太陽より明るかった。結晶タイタンの輪郭が、光の中で溶けていった。
結晶が、蒸発した。首が、蒸発した。胴が、蒸発した。
咆哮がなかった。叫びがなかった。それだけの温度の中では、音を出す間もなかった。
光が、収束した。
東京湾の埋立地に、焦げた大地だけが残った。
しばらく、誰も動かなかった。
ゴジラが、立っていた。
オーラが、静かに消えていった。背鰭の光が、通常の青白に戻っていった。
コングが、立ち上がった。
シーモが、首の締め付けから解放されて、海面に浮いていた。
翼を失ったモスラが、ラドンの背の上に乗ったまま、ゆっくりと高度を下げていた。
東京湾の岸壁に、複数の脱出艇が着地していた。
新城の脱出艇も、その中の一つだった。
ハッチが開いた。新城浩二が、肋骨を押さえながら、這い出てきた。副操縦士が駆け寄った。他のクルーも、それぞれの脱出艇から出てきた。全員の顔を、新城は一人ずつ確認した。
「全員いるか」
「はい」
「全員います」
「怪我は」
「打撲、骨折、軽度の火傷──全員、歩けます」
新城は頷いた。
それから、MOGERAがあった場所を見た。
爆散した金属片が、東京湾の埋立地に散乱していた。
「……ご苦労さん」
機材に向かって言うのは、おかしいかもしれなかった。でも、新城にとって、ガルーダも、しらさぎも、MOGERAも、道具ではあったが、戦った相棒でもあった。最後まで、動いた。最後まで、離さなかった。
それで、十分だった。
東京湾の浅瀬で、異変が起きた。
産み落とされた卵が、脈動を強めていた。
膜の内側で、光が生まれた。それはギドラの黄金色でも、バトラの血のような赤でもなかった。
白と金の、穏やかな光だった。
膜が、内側から割れた。
小さな翼が、顔を出した。
まだ幼い、羽毛のような鱗粉に覆われた、小さなモスラが、東京湾の浅瀬に立った。
産声を上げた。
音ではなかった。周波数だった。マディソンの胸の奥に、直接届いた。
それは、恐怖の周波数ではなかった。
怒りでもなかった。
ただ、生まれた、という事実の音だった。
ゴジラが、新しいモスラを見た。
コングが、見た。
シーモが、見た。
ラドンが、背に乗せたモスラを見た。翼を失った古いモスラが、幼い新しいモスラを、複眼で見つめていた。
ゴジラが、咆哮した。
コングが、応えた。
二つの声が、東京の焼け野原に重なり、空に昇った。
マディソンは、スマートフォンのカメラを、浅瀬の幼いモスラに向けていた。
配信の視聴者数が、画面の端に表示されていた。
同時視聴:12,847,203人
彼女はその数字を、一秒だけ見て、それからカメラから目を離した。視聴者に向けて何か言う言葉を探したが、配信の時の声が出てこなかった。
代わりに出てきたのは、普通の声だった。
「……生まれた」
それだけだった。
でも、それで、十分な気がした。
焼け野原の東京に、風が吹いた。
新しいモスラの鱗粉が、風に乗って散った。白と金の粉が、焦げた大地の上を流れた。
新城が、その粉を見上げた。
結城が、隣に来た。
「新城さん」
「ん」
「次の機体、また作りますか」
「作るだろうな」
新城は空を見た。
「俺たちがやらなければ、誰がやる」
「……ですね」
結城は、空を見た。
ラドンの背の上のモスラが、幼いモスラの方へ、ゆっくりと降りていった。