蘭阜市再開発計画   作:えいどら

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FILE2-3:入社試験

 旧蘭阜市。

 再開発から取り残されたような古い街並みには、夕方の薄暗い光が沈み始めていた。

 

 閉店した商店。

 ひび割れた歩道。

 遠くで電車の通過音だけが響く。

 

 ろこは待ち合わせ場所の古びたバス停前で、落ち着かなさそうに辺りを見回していた。

 

「いや……確かに割と気になるけど……」

 

 手をポケットへ突っ込みながら、小さくぼやく。

 

「流石に何の後ろ盾も無いし……」

 

 その時だった。

 

 細い路地の向こうから、二人組が歩いてくる。

 

 栞葉。

 そして、その隣を歩く桃髪の眼鏡の少女――サンゴ。

 

 サンゴはろこの姿を見ると、少し距離を空けた位置で立ち止まり、静かに口を開いた。

 

「……二人からご指名が入ってるのは君かい?」

 

 ろこは怪訝そうに眉をひそめる。

 

 目の前にいるのは、どう見ても学生だった。

 

「……子供?」

 

 一拍。

 

「ちょっと、馬鹿にしすぎでしょ……」

 

 かなり露骨に疑っている。

 

 サンゴは特に気にした様子もなく、ふっと目を閉じて視線を逸らした。

 

「いくらもらってたの」

 

「は?」

 

「前の仕事」

 

 淡々としている。

 

「そこらの新聞社が払ってるくらいなら、全然払えるけどね」

 

 ろこは思わず栞葉を見る。

 

「……そんなお金、どこから出てるの」

 

 完全に不審者を見る目だった。

 

 栞葉は平然としている。

 

「この子、探偵なのよ」

 

「探偵?」

 

「警察にも協力してくれて、結構頭も良くて……」

 

 ろこは「ふーん……」と気の抜けた返事をした。

 

 そして改めてサンゴを見る。

 

 桃色の髪。

 眼鏡。

 妙に落ち着いた雰囲気。

 

「なんか黒ずくめの人達に薬飲まされてそう」

 

 冗談半分の声だった。

 

 ろこは腕を組みながら、目の前のサンゴを胡散臭そうに見ていた。

 

 サンゴはそんな視線を気にする様子もなく、小さく肩をすくめる。

 

「……まあ嫌なら良いけど」

 

 淡々とした声。

 

「僕も暇じゃ無いし」

 

 そう言って、バッグから薄型のタブレットを取り出した。

 

 数回操作し、画面をろこの方へ向ける。

 

「君……この間派手にやらかしたでしょ」

 

 ろこの顔が引きつる。

 

「言い方ァ!」

 

 だがサンゴは構わず続ける。

 

「君みたいに、隠されてる情報を白日の下に晒そうとする人がいるなら、逆に隠されてる情報を増やしたい人達もいる」

 

 画面には、暴力団関連の資料。

 企業名。

 人名。

 いくつもの関係図。

 

「指定暴力団の伊馬輪組」

 

 サンゴは静かに説明する。

 

「知っての通り、警視庁は今は“暴力団追放”を掲げている」

 

 ろこは画面を見ながら、少しずつ表情を硬くしていく。

 

「でも……伊馬輪組はそれに異を唱えていて、彼らは暴力団が再び社会で暗躍できるように下準備を進めている」

 

 そこでサンゴはタブレットを引き戻した。

 

「特に彼ら……君のこと必死になって探してるみたいだからね」

 

 空気が一段冷える。

 

 ろこの顔から、少し笑いが消えた。

 

「……は?」

 

 栞葉が即座に口を挟む。

 

「ちょっと待って」

 

 サンゴを止めるように一歩前へ出た。

 

「それ……まずくない?」

 

 珍しく少し真面目な声だった。

 

「流石に警察に……」

 

 だがサンゴは首を横に振る。

 

「警察はまだ使わない方がいい」

 

「なんで」

 

「警察内部は今、伊馬輪組とどうなっているか分からないからね」

 

 その言葉に、栞葉も黙る。

 

 サンゴは視線をろこへ戻した。

 

「逆に伊馬輪組が報道陣の様子を伺っているここ数日……数十時間が勝負なんだ」

 

 古い街の風が吹き抜ける。

 

 遠くで犬の鳴き声。

 

 サンゴは静かに眼鏡を押し上げた。

 

「これが入社試験ってことで」

 

 ろこは数秒、何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 夜の雑踏。

 

 繁華街のネオンが雨上がりの路面へ滲み、人混みの中を黒服の男達が駆け足で抜けていく。

 

 誰も彼らを気に留めない。

 

 サラリーマン。

 酔っ払い。

 観光客。

 

 黒服達は、その流れへ自然に紛れ込むように移動していた。

 

 低い声。

 

 男達は大通りを離れ、徐々に人気の少ない住宅地へ入っていく。

 

 街灯の数も減る。

 

 マンション群が並ぶ静かな区域。

 

 彼らは周囲を確認しながら歩幅を落とし、一般人へ怪しまれないよう自然に散開した。

 

 そして、一角の古びたマンション前へ辿り着く。

 

 黒服の一人が階段へ足を掛けた、その瞬間――

 

 スマホの着信音。

 

「……っ」

 

 男は舌打ち混じりに電話へ出る。

 

「はい――」

 

『おい!!』

 

 怒鳴り声が鼓膜を叩いた。

 

『誰がカタギに手つけていいっつったぁ!!』

 

 周囲の黒服達が一斉に動きを止める。

 

 電話の相手は、明らかに組の上の人間だった。

 

 男は焦ったように声を潜める。

 

「で、でも親父……青焼の叔父貴が……」

 

『知るか!!』

 

 即座に怒声。

 

 電話越しに何か物を叩く音まで聞こえる。

 

『今は余計なことすんじゃねぇ!!』

 

 男は完全に萎縮していた。

 

「……っ」

 

 数秒の沈黙。

 

 それから電話の向こうで、大きな舌打ち。

 

『とにかく帰ってこい!』

 

 その怒鳴り声と共に、通話が切断された。

 

 男はしばらくスマホを握ったまま立ち尽くす。

 

 藤岡組本部。

 夜の料亭を思わせる和風の広間には、線香と酒の匂いが薄く漂っていた。

 

 金箔の屏風。

 黒塗りの柱。

 庭園へ続く障子越しに、水の流れる音が静かに響いている。

 

 その部屋の中央で、藤岡梶谷は重々しく座っていた。

 

 年老いた獅子のような男だった。

 鋭さを失ったわけではない。

 だが、その目には長い時代を生き抜いた者だけが持つ疲労がある。

 

 向かいには、スーツ姿の男。

 

 髪をワックスで固めたオールバック。

 眼光は獣のように鋭く、身体には隠しきれない暴力の気配が滲んでいた。

 

 青焼。

 

 部屋には緊張が満ちている。

 

 藤岡は湯呑みを静かに置き、低い声で言った。

 

「ヤクザってのは、国の力には逆らえねえ」

 

 青焼は黙って聞いている。

 

「お上がダメと言えばダメなんじゃ」

 

 その言葉は諭すようでもあり、言い聞かせるようでもあった。

 

 だが青焼は、ゆっくり首を横に振る。

 

「兄さん……」

 

 低い声。

 

「それはアンタが昔の人間だからだ」

 

 藤岡の眉が僅かに動く。

 

 青焼は構わず続けた。

 

「ここまで国にコケにされちゃ、ヤクザはもうガキのおままごとと変わらねえ」

 

 その声音には苛立ちが滲んでいた。

 

 拳を握る。

 

「こんなんで何が極道です?」

 

 空気が張り詰める。

 

 障子の向こうで風が鳴った。

 

 そして――

 

「青焼ぁ!」

 

 藤岡の怒声が部屋を震わせた。

 

 一喝。

 

 老いた声とは思えない迫力だった。

 

 青焼はそこで口を閉じる。

 

 数秒、睨み合うような沈黙。

 

 やがて青焼は鼻で笑い、踵を返した。

 

 去り際。

 

 障子へ手を掛けたまま、振り返らずに言う。

 

「女は殺らせてもらいますよ」

 

 藤岡の目が細くなる。

 

 青焼はゆっくり顔だけを向けた。

 

「このまま土足で踏み荒らされたもんじゃ、ケジメがつかないんでね」

 

 その目には、怒りと殺意が宿っていた。

 

 藤岡は何も答えない。

 

 ただ、静かに青焼を睨み返している。

 

 青焼は舌打ち混じりに笑うと、そのまま部屋を出ていった。

 

 障子が閉まる音だけが、広間へ重く残った。

 

 

 

 翌日。

 まだ朝靄の残る旧蘭阜市の喫茶店。

 

 窓際の席で、ろこは紙コップのコーヒーを両手で持ちながら、ひどく嫌そうな顔をしていた。

 

 その向かいで、サンゴはタブレットを操作している。

 

「伊馬輪組は明日の午前5時から午後1時、組長の伊馬輪青焼が会合に出る時間だけもぬけの空になる」

 

 画面には地図と簡単な見取り図。

 

「その時間に君は、外辺りを回って伊馬輪組が動けないようになる情報を洗いざらい拾ってきてほしい」

 

 ろこは乾いた笑いを漏らした。

 

「言ってること、だいぶヤバくない……?」

 

 サンゴは特に気にした様子もない。

 

 むしろ少し楽しそうですらあった。

 

「配信してもいいよ」

 

「は?」

 

「その方が目の前で撃ち殺されたりしないだろうからね」

 

 ろこの顔が引きつる。

 

「えっ」

 

 一拍。

 

「組事務所に押し入るってこと……?」

 

 サンゴはその反応を見て、小さく首を傾げた。

 

「人ん家、人ん家覗くだけだよ!」

 

 サンゴは椅子へもたれたまま、ろこの顔を覗き込むようにして続けた。

 

「あー……でもなぁ」

 

 妙に穏やかな口調。

 

「僕……暴力団とか許せないからなぁ」

 

 眼鏡の奥の目だけが、少し冷えていた。

 

「そこが組事務所? とかだったら、この前のお姉さんに取材してほしいなぁ……」

 

 ろこは嫌な予感しかしない顔になる。

 

 サンゴはそこでふっと笑った。

 

「ね?」

 

 喫茶店の隅。

 朝の客もまばらな店内で、サンゴはタブレットを閉じると、隣席へ軽く視線を向けた。

 

「じゃ、よろしくね」

 

 その声に応じるように、スーツ姿の大男が軽く頭を下げる。

 

「どうも」

 

 低く落ち着いた声だった。

 

 ろこは露骨に警戒した顔になる。

 

「……誰?」

 

 男を見る目が完全に“そういう人”を見る目だった。

 

 サンゴは平然としている。

 

「その辺のおじさん」

 

「絶対違うでしょ」

 

「ボディーガードくらいつけようかなって」

 

 ろこはますます嫌そうな顔をした。

 

「いやもう普通に怖いんだけど……」

 

 その時だった。

 

「でも、流石に男性だと色々と煩わしくないですか?」

 

 後ろから声。

 

 ろこが振り返る。そこには、制服姿のむぎが立っていた。

 

「あ、どうも〜」

 

 大男はむぎを見ると、少し困ったように眉を下げた。

 

「嫌……しかし……」

 

 言葉を選ぶように続ける。

 

「流石に華奢な女性だけでは危険ではありませんか?」

 

 むぎは「うーん」と首を傾げる。

 

 その横で、サンゴは少しだけ黙った。

 

 眼鏡の奥の目が伏せられる。

 

 一瞬だけ。

 

 まるで、誰にも気づかれないように覚悟を決めるみたいな顔だった。

 

 それから小さく頷く。

 

「わかった」

 

 大男は少し驚いた顔をする。

 

 サンゴは椅子から立ち上がり、大男の方へ少しだけ身を寄せ、小声で囁いた。

 

「おじさんは遠くから見ててよ」

 

 その声音は穏やかだった。

 

「危なくなったら……ね?」

 

 大男は数秒黙ったあと、小さく息を吐く。

 

「……承知しました」

 

 そう言って、静かに席を立った。

 

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