蘭阜市再開発計画   作:えいどら

13 / 14
FILE2-5:知将

 深夜。

 

 森に囲まれた白い建物は、夜霧の中でぼんやり浮かんでいた。

 

 窓は少ない。

 看板もない。

 

 一見すれば、地方にあるただの古いオフィスビルだった。

 

 だが近づけば分かる。

 

 異様に静かだ。

 

 虫の声すら遠い。

 

 ろこは喉を鳴らしながら、建物の中を歩いていた。

 

 白い壁。

 灰色の床。

 無機質な蛍光灯。

 

 どこにでもありそうな内装。

 

 けれど、その所々に飾られた派手な絵画が妙に浮いている。

 

 金色の額縁。

 抽象画。

 高そうな壺。

 

 まるで“金の匂い”だけを無理やり貼り付けたみたいな空間だった。

 

(怖い怖い怖い怖い……)

 

 ろこは心の中で連呼しながら歩く。

 

 廊下の先。

 

 半開きの一室へ辿り着く。

 

 ろこはゆっくり中を覗いた。

 

 部屋の中には机とソファ。

 

 だがそれ以外は驚くほど何もない。

 

 広い空間だけが妙に空虚だった。

 

「……」

 

 ろこは慎重に足を踏み入れる。

 

 周囲を見回す。

 

 机へ近づこうとした、その瞬間。

 

 ――ガッ。

 

「っ!?」

 

 突然、背後から口を塞がれた。

 

 同時に、冷たい金属が首筋へ押し当てられる。

 

 銃。

 

 ろこの全身が凍りつく。

 

 背後の男は無言だった。

 

 黒服。

 息だけが荒い。

 

 男は片手でろこを拘束したまま、ポケットや脇、腰回りを素早く探る。

 

 機材。

 盗聴器。

 カメラ。

 

 だが、何も出てこない。

 

 男は一瞬動きを止めた。

 

 そして、小声で呟く。

 

「……配信してないのか……」

 

 ろこは恐怖で声も出ない。

 

 男は銃を押し当てたまま、ろこの背を押した。

 

 ろこは震える足で、廊下へ連れ出されていく。

 

 白い蛍光灯の光だけが、長い廊下を静かに照らしていた。

 

 地下へ続く階段は、異様に長く感じた。

 

 ろこは銃を突きつけられたまま、震える足で一段ずつ降りていく。

 

 湿った空気。

 古いコンクリートの匂い。

 どこか遠くで、水滴の落ちる音。

 

(やばい……やばいってこれ……)

 

 頭の中で警報が鳴り続ける。

 

 男は一言も喋らない。

 

 ただ無言で背中を押し、地下の奥へ進ませる。

 

 やがて。

 

 重い鉄扉の前で立ち止まった。

 

 男が鍵束を取り出す。

 

 金属音。

 

 ガチャ、という嫌な音と共に扉が開く。

 

 ろこは思わず息を呑んだ。

 

 中は薄暗い。

 

 コンクリートの部屋。

 

 中央には、血のついたパイプ椅子。

 

 壁際には、鉄格子で区切られた区画。

 

 さらに奥には、分厚い鉄扉がもう一枚。

 

「……っ」

 

 ろこの胃がひっくり返りそうになる。

 

(なにここ……)

 

 頭が真っ白になる。

 

(え、待って、待って待って待って……)

 

 身体が震える。

 

 足が動かない。

 

 叫びたかった。

 

 でも声が出ない。

 

 男は何も言わない。

 

 押し込むでもなく、命令するでもなく、ただ後ろに立っている。

 

 ろこはその沈黙が逆に怖かった。

 

 何が起きるのか分からない。

 

 何をされるのかも分からない。

 

 時間感覚がおかしくなる。

 

 心臓だけが暴れるように鳴っていた。

 

 ――その時。

 

 ふと、違和感。

 

 ろこは無意識に、恐る恐る振り返る。

 

 そして。

 

「……え」

 

 男が倒れていた。

 

 首から血を流し、白い床を赤く染めている。

 

 その横。

 

 家長むぎが立っていた。

 

 静かに。

 

 まるで、そこにいるのが当然みたいに。

 

 むぎは周囲を見回しながら、小さく呟く。

 

「本当にあったわ……」

 

 一拍。

 

「あの子が欲しがってたのってここのことかぁ……」

 

 ろこの全身から、一気に力が抜けた。

 

「あ……」

 

 助かった。

 

 そう思った瞬間、逆に身体が壊れたみたいに震え始める。

 

 呼吸がうまくできない。

 

「っ、は……っ、は……!」

 

 過呼吸。

 

 涙が滲む。

 

 何が怖いのか、自分でも分からなかった。

 

 死ぬと思った恐怖。

 助かった安堵。

 そして――

 

 ろこの視線が、むぎの手元へ落ちる。

 

 血がべったり付着したナイフ。

 

「……っ」

 

 ぞわり、と背筋が粟立った。

 

 むぎは、過呼吸気味のろこを静かに見下ろした。

 

 血のついたナイフを片手に持ったまま。

 

「……始めるよ」

 

 ろこは肩を震わせながら顔を上げる。

 

 むぎは無表情のまま答える。

 

「……お仕事」

 

 一拍。

 

「お互いのね」

 

 そう言って、むぎはろこのスマホを差し出した。

 

 ろこは「あっ……ああ……」と、今になってようやく自分の役割を思い出したような顔になる。

 

 震える手でスマホを受け取る。

 

 その瞬間。

 

 気づけば、むぎの姿はもうなかった。

 

「……え?」

 

 ろこは反射的に周囲を見回す。

 

 だが、地下室には静寂しか残っていない。

 

 血。

 鉄格子。

 重い扉。

 

 そして、倒れた男。

 

「っ……」

 

 吐き気が込み上げる。

 

 ろこは唇を噛み、震える手でスマホを構えた。

 

 カシャ。

 

 フラッシュが白い壁を照らす。

 

 また一枚。

 

 また一枚。

 

 見るだけで頭がおかしくなりそうな光景。

 

 床に染み付いた血痕。

 壁の傷。

 拘束具。

 

 ろこは必死にシャッターを切る。

 

 鉄格子へ近づく。

 

 だが錠は閉まっていた。

 

「……さすがにここは無理か……」

 

 小さく呟く。

 

 だが振り返るだけで、室内の悍ましい様子が視界へ飛び込んでくる。

 

「っ……」

 

 胃が軋む。

 

 それでも、ろこはスマホを下ろさなかった。

 

 辛そうに顔を歪めながら、震える声で言う。

 

「こんなの……」

 

 喉が詰まる。

 

「ここで何人もの人を傷つけてたんなら……」

 

 スマホを握る手に力が入る。

 

「許せない……!」

 

 ろこは吐き気を堪えながら、なおも写真を撮り続けた。

 

 

 

 

 

 まだ空も白み始めていない時間帯。

 藤岡組本部は、不気味なほど静まり返っていた。

 

 広間の奥。

 

 藤岡梶谷はソファへ深く腰掛け、スマホ画面を睨みつけている。

 

「あのジジイ……」

 

 低い舌打ち。

 

「何も音沙汰ねえじゃねえか……」

 

 皺だらけの指でスマホを叩く。

 

「やっぱりボケちまったか……」

 

 吐き捨てるように言うと、藤岡は重そうに立ち上がる。

 

 羽織を掴み、そのまま外へ向かおうとした。

 

 ――その時。

 

 スマホが震える。

 

 藤岡は足を止めた。

 

 画面を見る。

 

 そして、わずかに眉をひそめる。

 

「……なんだお前か……」

 

 期待していた相手ではない。

 

 だが、普段から信頼している子分からの着信だった。

 

 藤岡は通話へ出る。

 

「どうした」

 

 しかし。

 

『親父……』

 

 受話器の向こうの声が、妙だった。

 

 震えている。

 

『こりゃあ……』

 

 一拍。

 

『地獄ですぜ……』

 

 藤岡の表情が変わる。

 

「……何?」

 

 受話器の向こうでは、ざわつく音。

 

 誰かの呻き声。

 遠くで怒鳴る声。

 

 そして、息を呑むような沈黙。

 

「どうした!」

 

 藤岡が怒鳴る。

 

「何があった!」

 

 だが返事がない。

 

 代わりに、荒い呼吸音だけが聞こえる。

 

 藤岡は舌打ちすると、そのまま玄関へ向かおうとした。

 

 だが。

 

『親父……』

 

 再び、子分の声。

 

 今度は、ひどく弱々しい。

 

『今は来ないでください……』

 

 震えていた。

 

 

 

 

 

 事務所裏口。

 

 湿った夜風の中、青焼は短くなった煙草を地面へ落とし、靴底で踏み潰した。

 

 苛立ちを落ち着かせるための一本だった。

 

 吐き捨てながら、裏口の扉を開ける。

 

 そして。

 

 青焼の足が止まった。

 

「――……は?」

 

 床一面に広がる血。

 

 倒れた黒服達。

 

 壁へ飛び散った赤黒い染み。

 

 事務所だった場所は、もはや惨劇の跡地だった。

 

 静かすぎる。

 

 誰も喋らない。

 

 誰も動かない。

 

 青焼は言葉を失ったまま、一歩後ずさる。

 

 その先。

 

 廊下の奥に、むぎが立っていた。

 

 白い服へ血飛沫が点々と付着している。

 

 その手には銃。

 

 冷酷なほど無表情だった。

 

 青焼は反射的に腰へ手を伸ばしかける。

 

 だが、間に合わない。

 

 むぎは何も言わない。

 

 ただ静かに、銃口を向ける。

 

 ――パン。

 

 乾いた銃声。

 

 青焼の頭が揺れ、そのまま崩れ落ちた。

 

 即死だった。血がゆっくり床へ広がっていく。

 

 再び静寂。

 

 裏口近くの物陰から、スーツ姿の大男が見ていた。

 

「…………」

 

 スマホを握ったまま、完全に言葉を失っている。

 

 むぎはゆっくり視線を向けた。

 

 大男の肩がぴくりと震える。

 

「……おじさんも遊ぶ?」

 

 無邪気みたいな声だった。

 

 だが、大男の額には冷や汗が浮かんでいる。

 

「いや……結構……」

 

 苦笑い。

 

 本気で断っていた。

 

 むぎは「ふぅん……」とだけ返す。

 

 特に残念そうでもない。

 

 そのまま銃を下ろし、何事もなかったみたいに外へ歩いていった。

 

 

 

 夜明け前。

 

 東の空がわずかに白み始めた頃。

 藤岡梶谷は人気のない路地裏で、一人スマホを握っていた。

 

 額には脂汗。

 

 呼吸も浅い。

 

 組との連絡は途絶えたまま、現場へ向かった人間も戻らない。

 

 その時。

 

 スマホが震えた。

 

 藤岡は反射的に画面を見る。

 

 そして即座に通話へ出た。

 

「ジジイ! どうなってやがる……!」

 

 焦りを隠せない声だった。

 

 だが。

 

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、低く加工された声。

 

『言っておくが』

 

 感情の薄い声音。

 

『僕はまともに反社会勢力とは取引しない』

 

 藤岡の表情が強張る。

 

『僕を出し抜こうとするのは勝手だが』

 

 一拍。

 

『それ相応のケジメはつけてもらう』

 

 沈黙。

 

 藤岡はしばらく何も言わなかった。

 

 ただ、夜明け前の空をぼんやり見上げている。

 

 やがて。

 

 深く、長いため息。

 

「……わかったよ」

 

 力の抜けた声だった。

 

「ご苦労だったな」

 

 そのまま通話を切る。

 

 スマホが手から滑り落ちそうになる。

 

 藤岡は壁へ背中を預けるようにして、その場へ崩れ落ちた。

 

 遠くで鳥が鳴き始める。

 

 夜が終わろうとしていた。

 

 

 

 

 窓の外では風が木々を揺らしていた。

 

 北小路ヒスイの部屋だけが、まだ明かりを灯している。

 

 サンゴは椅子へ腰掛けたまま、静かにスマホを下ろした。

 

 先ほどの通話は終わっている。

 

「……」

 

 眼鏡の奥の瞳は冷たい。

 

 普段の飄々とした空気はどこにもない。

 

 スマホ画面を見つめる横顔には、妙な静けさがあった。

 

「君のしようとしてることなんて……」

 

 ぽつり。

 

「手に取るように分かる」

 

 その声音は低い。

 

 ヒスイはベッドの上で胡坐をかきながら、その姿を見ていた。

 

 藤岡は、表向きは天下無双に地下の探索を頼みつつも、部下に鏑木ろこや天下無双の護衛をさせて、その情報を二人よりも早く得るつもりだった。

 

 早く情報を得れば、その情報を天下無双から買い取る必要もない。

 

 地下の秘密さえ解れば、それで伊馬輪組の暴走を食い止め、さらに組そのものを十分に揺さぶることができる。

 

 古いやり方だが、間違ってはいない。ヒスイは改めてサンゴを見る。

 

 冷酷な顔、感情の見えない瞳。

 

(でも実際には……)

 

 喉が鳴る。

 

(こいつ自身がわざと監視されやすい環境下で仕事をして、藤岡組を巻き込みつつ、伊馬輪組を間接的に滅ぼした……)

 

 それは偶然じゃない。少なくとも、ヒスイにはそう見えなかった。

 

(サンゴ……)

 

 ヒスイの表情が引きつる。

 

(こいつ……)

 

(こんなんだったか……!?)

 

 本気で驚いていた。

 

 サンゴはそんな視線に気づいていないのか、気づいていて無視しているのか。

 

 静かにスマホを机へ置く。

 

 そして。

 

「……どうしたの?」

 

 いつもの調子で首を傾げた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。