蘭阜市再開発計画   作:えいどら

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FILE1-2:ハッピートリガー

 錆びた鉄の匂いが、夜気に混じって漂っていた。

 

 むぎは、ひとりで廃工場の敷地に足を踏み入れる。

 手にした銃は、無駄のない動きで身体に沿わせられ、歩調は一定だった。呼吸は落ち着いていて、視線だけが静かに周囲を測っている。

 

 割れたコンクリート。

 半分崩れたシャッター。

 闇に沈んだ入口。

 

 ——来る。

 

 そう判断した瞬間、影が動いた。

 

 前方から現れた敵が構えを取るより早く、むぎは引き金を引く。

 乾いた発砲音が連続して響き、敵は声を上げる暇もなく倒れ伏した。

 

 迷いはない。

 動作は速く、正確で、余計な力が一切ない。

 

 次。

 横。

 背後。

 

 向かい来る敵を、むぎは次々に撃ち抜いていく。

 弾道は無駄なく、急所だけを確実に捉えていた。

 

 Σの兵士。

 碧星院高校に籍を置く工作員たち。

 彼らは「ハッピートリガー」と呼ばれる存在だった。

 

 その名の通り、異常なほどの機動力。

 身体を低く保ち、跳ね、転がり、弾丸の軌道から外れる。

 ほとんど当たらない。普通なら、そう評価される戦いぶりだ。

 

 だが——

 

 むぎもまた、その呼び名に恥じない。

 

 一歩踏み出し、撃つ。

 跳躍の着地点を読み、撃つ。

 動線を潰し、回避先ごと撃つ。

 

 弾は、ことごとく命中した。

 

 敵の動きが速ければ速いほど、むぎの判断は研ぎ澄まされていく。

 射撃は反射に近く、思考は極端に冷えていた。

 

 工場の入口へ向かう通路には、次々と倒れた敵が転がっている。

 音が消え、残るのは、わずかな反響と火薬の匂いだけ。

 

 その光景を——

 

 少し離れた、誰にも見つからない影の奥から、ひとりの女子生徒が見ていた。

 

 柱の陰。

 崩れた機材の裏。

 

 震える手で口元を押さえ、息を殺しながら、目だけで追っている。

 

「あかん……」

 

 声にならない嗚咽が、喉の奥から漏れた。

 

 信じられない、というより、受け止めきれない。

 あまりにも淡々と。

 あまりにも正確に。

 

 人が倒れていく。

 

 その中心にいるのが、家長むぎだという事実が、女子生徒の胸を強く締め付けていた。

 

 涙が滲み、視界が揺れる。

 それでも目を逸らせず、ただ、その背中を見続けていた。

 

 廃工場の入口に、むぎは辿り着く。

 銃口を下げることなく、静かに、次の空間へと踏み込んでいく。

 

 その足取りは、迷いなく、確実だった。

 

 息をひそめ、柱の陰に身を潜めながら、女子生徒はその光景を見つめていた。

 

 誰にも見つからない場所。

 そう信じていた。

 けれど——

 

「……っ!」

 

 気配。

 呼吸が止まりそうになる。

 

 振り返るよりも先に、目の前にライフルの銃口があった。

 迷いのない動きで構えられている。引き金にかかる指。

 

「——うわっ! 危なっ!」

 

 声を上げるよりも早く、彼女は反射的に身をひねって銃口をよける。

 

 狙撃の間合いなど関係なく、間合いを詰めた。

 

 次の瞬間、全身のバネを利かせて敵の懐に踏み込み、

「んッ!」と短く息を吐きながら、鋭い肘をみぞおちに叩き込む。

 

「ぐっ……!」

 

 敵がうめくと同時に、彼女は腰のホルスターから即座にテーザー銃を抜き、

 間髪入れずに至近距離から敵の胸部に撃ち込んだ。

 

 ビリビリという衝撃音とともに、敵の身体が硬直し、崩れ落ちる。

 

「……はー……マジありえんて……!」

 

 息を切らせながらも、無駄口は叩く。

 声はかすれ、鼓動は早い。それでも身体はちゃんと動いていた。

 

 すぐさま足音を最小限に抑えつつ、足早にその場を後にする。

 

 中央、むぎのいた場所は避けるように通り過ぎ、さらに奥の柱へ。

 廃工場の、灯りの届かない一角。

 

 そこから見えたのは——

 

 まるで“処理”されたように整然と倒れている、数多の死体。

 その中心に、銃を手に立ち尽くす家長むぎの姿。

 

「……っ」

 

 息を飲んだ。

 

 その静けさが、かえって何よりも怖かった。

 

 弾道の痕跡。倒れ方。焦げた匂い。

 血の広がり。動かない手足。

 誰も呻かず、もはや苦しんでもいない。

 

 全部が、終わっている。

 

 中央に立つその少女は、ただ銃を構えたまま、呼吸も見せない。

 

 女子生徒の手は、気づけば震えていた。

 

 廃工場の出口。

 重たい鉄の扉を押し開け、家長むぎは静かに外へと出た。

 

 夜風が吹き抜ける。

 冷えた空気を一度、深く吸って、ゆっくりと吐き出す。

 その息には硝煙と血の残り香が混じっていた。

 

 そのとき——

 

「……むぎちゃん……」

 

 か細い声が、前方から響いた。

 

 むぎはすぐに気づいたが、そのまま無言で歩き出そうとする。

 

 声の主は、柱の影から恐る恐る姿を現した女子生徒。

 震える足取りで、一歩、また一歩と近づいてくる。

 

「もう……やめなよ……」

 

 その声は、まるで言葉の形を保てないかのように掠れていた。

 それでも、どうにか口を動かして続ける。

 

「優しい……むぎちゃんに、戻ってよ……」

 

 むぎの背中は、何も答えないまま前へと歩いていく。

 

 だが次の一言が、その足を止めさせた。

 

「……もしかして……“騎士”が、怖いの……?」

 

 その瞬間。

 

「……っ」

 

 女子生徒は、息を呑んだ。

 

 むぎが、まるで重力に逆らうようにピタリと動きを止め、首だけをゆっくりと振り返る。

 

 そして、歩み寄ってくる。

 

 足音は静かだった。

 けれど、視線が冷たい刃のように一直線に突き刺さってくる。

 

 女子生徒が身を引こうとしたその瞬間——

 

「っ……!」

 

 むぎの手が、鋭く胸ぐらを掴んでいた。

 

 その表情には、笑みも戸惑いもなかった。

 ただ、確かな怒気だけがこめられていた。

 

「……言葉、選んで話しな?」

 

 低く、抑えた声音。

 感情を抑えているのではない。むしろ、寸前までせり上がった怒りを、必要最低限の強度に留めている。

 

 睨みつけられた女子生徒の瞳が揺れる。

 

「私のことは……別にいいけど」

 

 むぎは顔を近づけ、静かに、けれど決定的な口調で言い放った。

 

「——リリちゃんのこと、悪く言ったら……許さないよ」

 

 声は震えていなかった。

 

 それがかえって、何よりも重かった。

 夜の工場跡に、風の音すら止んだかのような沈黙が落ちた。

 

 胸ぐらを掴まれたまま、女子生徒の喉がひくりと鳴る。

 

 目の縁に涙が溜まり、今にも零れ落ちそうになりながらも、逃げない。

 震える唇を噛みしめ、どうにか言葉を押し出す。

 

「……私、むぎちゃんのこと、忘れないから……」

 

 声は掠れている。

 それでも、はっきりと届いた。

 

「サクヤ先輩のことも……」

 

 沈黙が落ちる。

 

 夜風が二人の間をすり抜け、血と硝煙の匂いを遠くへ運んでいく。

 

 むぎは、ゆっくりと手を下ろしたかと思うと、今度は女子生徒の両肩を掴んだ。

 

 真正面から、逃げ場を塞ぐように。

 

「……川口さんは、子供のままだよ」

 

 声は低く、冷たい。

 

 責めるというより、切り捨てるような響き。

 

「もう、いい加減にしなよ」

 

 吐き捨てるような言い方だった。

 

 優しさも、慰めもない。

 ただ、現実を突きつけるだけの言葉。

 

 女子生徒の肩が震える。

 涙が、ついに一筋こぼれ落ちる。

 

 むぎは、その様子を数秒見つめていた。

 

 それから、ふっと視線を外す。

 

「……もう行くね」

 

 小さく、ほとんど独り言のように呟く。

 

 手を離し、背を向ける。

 

 そのまま振り返らず、夜の闇へと歩き出す。

 

 足音は静かで、迷いがない。

 

 取り残された女子生徒は、肩を押さえたまま、ただその背中が遠ざかるのを見つめていた。

 

 廃工場を離れ、しばらく無言で歩いたあと。

 

 むぎは待機していたワゴン車の後部座席に乗り込み、そのままシートにもたれかかった。

 

「……マジで怠い……」

 

 天井を見上げたまま、ぼそりと呟く。

 

 指先にはまだ微かに反動の感覚が残っている。

 けれど、それを振り払うように目を閉じる。

 

「まさかこんなとこにまで来るなんて……」

 

 小さく息を吐いた、そのとき。

 

「本当、ほんと。」

 

 すぐ横から、のんびりとした声。

 

「もう諦めれば良いのにね~」

 

 むぎのまぶたがぴくりと動く。

 

 ゆっくりと横を見ると——

 

 ジャージ姿の女子生徒が、当然のように隣に座っていた。

 

 体育会系のラフな格好。

 足をぶらぶらさせながら、どこか面白がるような目でこちらを見ている。

 

 むぎは半目になり、明らかにイラっとした顔をする。

 

「……何してんの?」

 

 女子生徒は、きょとんと目を丸くしたあと、わざとらしく首を傾げた。

 

「え……?」

 

「あ、私……このまま行くと、捕まっちゃいます?」

 

 少し面白そうに、照れたように笑う。

 

 むぎは一瞬無言になり、そして小さくため息をついた。

 

「あ……そういうのいいから」

 

 完全に慣れた口調。

 

 そのまま前を向き、運転席の男性教官に声をかけようとする。

 

「こいつ、追い出してくださーい」

 

 軽い調子だが、本気だ。

 

 すると——

 

「あっ、いや!待ってください!」

 

 女子生徒が慌ててむぎの腕にしがみつく。

 

「このままじゃ野宿になっちゃう!」

 

 必死さと、どこか芝居がかった声色。

 

 むぎは引き剥がそうとしながら、冷めた目で見下ろす。

 

「知らないし」

 

「いやいやいや!ひどくない!?」

 

「ひどくない」

 

 即答。

 

 女子生徒はむぎの腕にぶら下がったまま、必死に抗議する。

 

「だってさっきの見ちゃったし!?私、絶対目つけられてるって!」

 

「自業自得でしょ」

 

「えぇ~~~!」

 

 車内に、気の抜けた抗議の声が響く。

 

 運転席の教官は、バックミラー越しにその様子を一瞥し、小さくため息をついた。

 

 夜の道路に、ワゴン車のエンジン音が静かに重なる。

 

「……このサイコ女、どこで見てたんだ」

 

 低く呟きながら振り払おうとするが、相手は意外としぶとい。

 

「ひどい! 古い仲じゃん!」

 

 ぐいっと顔を近づけてくる。距離が近い。近すぎる。

 

「さっきの川口さんでしょ!? これでまたストーカーが増えたわぁ、とか思ってたんでしょ!」

 

 むぎのこめかみがぴくりと動く。

 

「結構積極的になったよねぇ~……昔なんかちんちくりんだったのに!」

 

 好奇心に満ちた目で覗き込まれ、むぎは露骨に嫌そうな顔をする。

 

「……やっぱ、犯罪やってて捕まった奴は格が違うわ……」

 

 心底面倒くさそうな声。

 

 すると女子生徒は、すかさず口を尖らせた。

 

「はいすぐそれ! 非行少年に言われたくないです~!」

 

 ぷんすかと抗議したかと思えば、次の瞬間にはにやにやとした顔に戻る。

 

「それでさぁ~、今は夕陽リリといちゃいちゃしてんでしょ?」

 

 わざとらしく声を潜め、肘でつついてくる。

 

 むぎは呆れ顔でため息をつく。

 

「……何その言い方」

 

 しかし否定はしない。

 

 むしろ、どこか誇らしげに肩を預け直す。

 

「そりゃもう、必死よ」

 

 さらっと言い放つ。

 

 女子生徒が「うわっ」と目を丸くする間もなく、むぎは続けた。

 

「正妻になろうとするやつは全員潰すから」

 

 真顔。

 

 声色は冗談にも聞こえるが、目が一切笑っていない。

 

 女子生徒は一瞬ぽかんとしたあと、腹を抱えて笑い出した。

 

「やばっ! 独占欲つよ! こわ!」

 

「うるさい」

 

「え、じゃあ私も立候補したら消される?」

 

「秒で」

 

 即答。

 

 車内に、くだらない笑い声と呆れたため息が混ざる。

 

 運転席の教官が、バックミラー越しにその様子を見て、小さく首を振った。

 

「……お前ら、静かにしろ」

 

 だが後部座席はまったく静かにならない。

 

 ワゴン車が碧星院高校の駐車場に滑り込む。

 

 エンジンが止まり、夜の静けさが戻る。

 

 隣の女子生徒が、きょろきょろと辺りを見回しながら声を弾ませた。

 

「あっ……こんなところまで乗ってきちゃった……!」

 

 まるで遠足気分だ。

 

 そして、にこっと笑って続ける。

 

「私、やっぱりここで始末されるんだぁ……!」

 

 むぎはドアノブに手をかけながら、淡々と返す。

 

「はいはい」

 

 慣れた様子で受け流し、そのままさらっと言った。

 

「世怜女まで歩いて帰りな〜」

 

 軽い口調。

 

 だが、ふと視線を上にやり、計算するように小さく呟く。

 

「……いや、まだ全然電車あるか……」

 

 それを聞いた女子生徒は、ぱっと目を輝かせる。

 

「え、本当に歩いて帰ったらどうする?」

 

 興味津々。

 

 むぎは即答する。

 

「しがりこちゃんの足が豆だらけになる」

 

 真顔。

 

 一瞬の沈黙のあと——

 

「え〜!? 今日の家長先輩、付き合い悪い〜!」

 

 女子生徒——りこは、笑みを浮かべながら車を降りる。

 

 むぎはそれを横目で見て、小さく肩をすくめる。

 

「はいはい、気をつけて帰りな」

 

「それ、先輩ムーブすぎ!」

 

 夜の駐車場に、くだらないやり取りが少しだけ響いた。

 

 やがて、二人はそれぞれの方向へ歩き出す。

 

 街灯の下、りこはまだ何か言いながら手を振り、むぎは半目でそれを見送る。

 

 そして、校舎へと静かに足を向けた。

 

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