夕方の新聞社。
蛍光灯の白い光が並ぶ編集部の一角で、編集長の机の前に立つ女性社員が、身を乗り出すようにして声を張り上げていた。
長めの髪を揺らし、目をぎらっとさせながら、机を軽く叩く。
「だから! あの3年前の工場の件、絶対におかしいですよ!」
勢いのまま、言葉を重ねる。
「何人も行方不明者がいるんです! しかもですよ? あの失踪事件の時……武装した男を見たって住民もいるんですよ!?」
語尾が少し跳ねる、早口で畳みかけるような話し方。
対する編集長は、椅子に深く腰掛けたまま、面倒くさそうに目を細める。
「……3年前の事件をネタにしてもねえ……」
ぼそりと呟き、机の上のライターに手を伸ばす。
「ただでさえ、新聞はどれも“オールドメディア”なんて言われて、一緒くたにされる時代だ」
タバコを口にくわえ、火をつけようとする。
「そんな世間的にも関心の低いネタを調べたところで——」
ぱしっ。
女性社員が素早くタバコを取り上げた。
半目で、ぴたりと睨む。
「社内は禁煙です」
きっぱり。
編集長は一瞬ぽかんとし、それから小さく舌打ちして椅子に背を預けた。
「……やりにくい時代になっちまったな」
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翌朝。
校長室の奥。
大きな窓から差し込む光の中、家長むぎは無言で一通の封筒を机に置いた。
「昨日、もらいました」
短く言う。
叶は椅子に座ったまま、その手紙を手に取り、ざっと目を通す。
むぎは立ったまま、腕を組み、眉を寄せる。
「ていうかさ」
唐突に口調が崩れる。
「あれで外出許可と銃の携帯許可出した新東京ポート、ヤバくない!?」
語気が強い。
「しがりこちゃんですら、ファイブセブン持ってきてなかったんだよ!?」
叶は便箋を折り直しながら、淡々と返す。
「まあ……そういうことなんじゃないか」
「どういうこと?」
むぎの視線が鋭くなる。
叶は肘をつき、ゆっくり説明する。
「新東京ポートは、“天使”を慕う生徒たちの扱いに困っている」
「川口りつもそうだが、今や派閥が一つできてしまうほどに、“天使”という存在は大きくなっている」
机の上で指を軽く叩きながら続ける。
「作戦を邪魔するわけでもない。だが、戦力にはならない」
「なら、職場見学も兼ねて放っておいて、好きなようにさせておくのが吉なんだろう」
むぎは納得していない顔で唇を尖らせる。
「……そいつら、職務怠慢ですよね」
不満がはっきりと滲む。
叶は少しだけ笑う。
「Σの養成校に、戦力にならない生徒が何割いると思う?」
むぎは黙る。
「騎士や鬼みたいなのの方が特別なんだよ」
静かな声。
「学生は所詮、学生だ」
そして、むぎを見る。
「昔のお前と同じだよ」
一瞬、空気が止まる。
むぎは目を細めるが、否定はしない。
ただ、ふっと息を吐いた。
叶は、立ち去ろうとするむぎの背中に向けて、静かに声をかけた。
「……よく考えるといい」
むぎの足が、わずかに止まる。
「何が自分にできるのか」
それ以上、言葉は続かなかった。
むぎは振り返らない。
ただ、軽く一礼して、そのまま校長室を出ていった。
扉が静かに閉まる。
廊下を歩きながら、むぎの目はどこか鋭くなっていた。
過去の仲間。
新東京ポートの連中。
それらは、今のむぎにとって——
弱かった頃の自分を、無理やり引き戻そうとする存在に過ぎない。
「……」
心の奥で、冷たい考えがよぎる。
——早く行って、二度となめた口を聞けないようにしておけば良かった。
むぎの表情が、僅かに歪む。
恐ろしいほど冷たい目で、正面を睨みながら歩く。
そのまま、校舎を抜けて学園の外へ向かおうとする。
だが。
数歩進んだところで、足が止まった。
むぎはゆっくりと息を吐き、額に手を当てる。
「……」
しばらくそのまま、動かない。
頭の中で、さっきの話と、昨日の出来事が整理されていく。
そして、小さく呟いた。
「……とりあえず」
目を開ける。
「まずは、何が起こってるのか……ちゃんと調べないと」
声は、もう落ち着いていた。
むぎは再び歩き出す。
今度は急がず、ゆっくりと。
朝の光の中へ、静かに足を進めていった。
昼下がりの教室。
窓が開け放たれていて、春の風がカーテンをゆっくり揺らしていた。
むぎは机の横に立ち、腕を組んだまま外をぼんやり眺めている。
その隣で、青年が椅子に腰掛け、気楽な様子で足を揺らしていた。
金色の髪を無造作にかき上げながら、肩を軽くすくめる。
「そんな仕事、放っておけよ」
軽い口調。
「昔からむぎっちは真面目すぎるんだよ」
そう言いながら立ち上がり、むぎの肩をぽんと叩く。
「その手紙送ってきた先生だって、本気で解決してもらおうとは思ってないさ」
窓の方へ歩きながら、続ける。
「たださ、そいつらとお前とは違う目で見てるってだけだよ」
むぎは、少し眉を寄せる。
納得していない顔だった。
「……昨日の夜」
小さく言う。
「ストーカーされたんだけど」
青年の動きが、ほんの少し止まる。
だがすぐに、ふっと笑う。
教室に吹き込む風を背に、振り返った。
「そいつもそうだろ」
気楽な声。
「お前の昔の仲間と、今のお前は違うってこと見せたかっただけだよ」
窓枠に寄りかかりながら、まるで世間話のように言う。
むぎは横目でその様子を見て、面倒くさそうに目を細めた。
風がもう一度教室に入り、カーテンがふわりと揺れる。
教室の窓から、風がゆっくり吹き込んでいた。
カーテンが揺れ、机の上の紙がわずかに鳴る。
窓辺に寄りかかっていた青年が、ふとむぎの方を見る。
「それにさ」
軽い口調で続けた。
「新東京ポートには行きたくないんだろ?」
むぎは少しだけ黙る。
それから、渋々という様子で小さくうなづいた。
「……まあ」
だが、すぐに付け足す。
「……宛てはある」
そう言って、視線を横に逸らす。
少しの間を置いてから、ぽつりと口にする。
「……旧蘭阜市」
青年が黙って聞いている。
むぎは窓の外へ目を向けたまま、続けた。
「……サクヤの“智の利”のすべてが引き剥がされて、死地となった場所」
声は平坦だった。
けれど、その言葉は重い。
風が、もう一度教室に入る。
むぎはゆっくりと息を吐いた。
「みんな誰しも、自分の命が可愛くて……戦争なんて仕事でやってる」
視線は遠くの空に向けられている。
「帰りを待つ家族がいる」
少しだけ、言葉が途切れる。
そして、静かに続けた。
「その前提すべてが……崩れ去った場所」
むぎはそれ以上何も言わなかった。
新東京ポート高校の敷地の端。
むぎは本校舎の方角をちらりと見たあと、小さく息を吐いた。
(さすがに本校舎に行くのは、後にしたいけど……)
そう思いながら、敷地の外れにある医務関連の棟へ向かう。
建物は静かで、人の気配がほとんどない。
内部に入ると、空気はひんやりとしており、設備もどこか旧時代的だった。
最新の医療施設というよりは、療養のための隔離棟。
学園の内部とは少し切り離されたような雰囲気が漂っている。
むぎはエレベーターに乗り、目的の階へ向かう。
扉が開くと、長い廊下が続いていた。
足音だけが静かに響く。
やがて一室の前で立ち止まり、カードキーを取り出す。
鉄格子のついた扉。
カードをかざすと、電子音が鳴り、鍵が外れた。
扉を押して中に入る。
部屋の中央、ベッドの上に座っている女子生徒が顔を上げた。
眼鏡をかけた、どこか落ち着いた雰囲気の少女。
むぎは軽く手を上げる。
「ゆきちゃん、体調どう?」
女子生徒は少し考えるようにしてから答える。
「最近は結構落ち着いてる……」
それから、少し身を乗り出して聞いた。
「何かお土産ある? ここ、全然外出られないからさ!」
期待のこもった声。
むぎはパタパタと手を振る。
「ざんねーん」
少しおどけた調子で続ける。
「今日は急いでるので何もありませーん」
部屋の空気は静かなまま、二人の会話だけが響いていた。
むぎは部屋の一角にある勉強用のデスクに歩いていき、持ってきた教材を広げた。
ノート、参考書、プリントを机の上に並べる。
椅子に腰掛けながら、むぎは振り向く。
「何か苦手なとこある?」
ベッドに座っていた女子生徒は少し考え、眼鏡を押し上げてから答えた。
「順列がよく分からなくて……」
そう言ってデスクの向かいに座る。
ノートを開きながら、ぽつりと続ける。
「あと……化学の式みたいなのがわからない……」
むぎは頷く。
「じゃあ、今回は化学式と順列だね」
そう言いながらノートを引き寄せ、ペンを持つ。
紙の上に数字や式を書きながら、順番に説明していく。
女子生徒も時々頷きながら、ノートに書き写していく。
部屋の中には、紙をめくる音とペンの音だけが静かに続いた。
しばらくして——
電子音とともに、扉のロックが外れる音がした。
鉄格子の扉が開き、白衣の女性が中に入ってくる。
「水海さん、制御装置の健診しますねー」
柔らかい声。
女子生徒は慣れた様子で少し首を傾ける。
白衣の女性は、金属の小さなペンのような器具を取り出すと、女子生徒の髪の中を軽くかき分け、そこに当てて何かを確認する。
数秒ほど操作を続けたあと、器具を離す。
「うん、大丈夫そうですねー」
そう言って軽く微笑み、器具をしまう。
「じゃ、失礼します」
女性はそのまま部屋を出ていき、扉は再び閉じられた。
むぎは特に気にする様子もなく、ノートを指で軽く叩く。
「はい、じゃあ続き」
女子生徒は頷き、またペンを握った。
むぎは部屋を出て、鉄格子の扉が閉まる音を背に廊下を歩いた。
エレベーターで別の階に降りると、先ほどの白衣の女性と、数人のナース服の女性たちが詰め所のような場所にいた。
むぎは足を止め、少し眉を寄せて言う。
「……いつまで、こんな場所にいないといけないんですか」
声は落ち着いているが、どこか複雑な感情が滲んでいる。
「あんな牢屋みたいな部屋で……」
一拍置き、続ける。
「というか、制御装置ってなんですか……!?そんなのつけられて……」
ナース服の女性はむぎを見て、特に表情を変えずタブレットを手に取った。
「これを見てください」
そう言って、画面をむぎに向ける。
タブレットの映像には、あの女子生徒の部屋が映っていた。
女子生徒は部屋の隅に追い詰められたように座り込み、激しく怯え、動揺した様子で呼吸を荒げている。
目の前にいるナース服の女性を見た瞬間、女子生徒の表情が大きく歪んだ。
「来ないで!!」
叫ぶ声。
「死にたくない!!」
近くにあった物を掴み、ナース服の女性に向かって投げつける。
本棚の小物、枕、手当たり次第に投げながら、完全に敵意を剥き出しにしていた。
画面の中のナース服の女性は、表情を変えず、手に持った小さな装置のボタンを女子生徒に向ける。
そして、長押しする。
その瞬間——
女子生徒の身体から急に力が抜けた。
投げようとしていた物が手から落ち、そのまま床に座り込む。
抵抗は止まり、動きも鈍くなる。
ナース服の女性が静かに近づき、女子生徒の両手をベルトで拘束する。
女子生徒は、少し間を置いてから答えた。
「……はい」
声は力が抜けている。
「……落ち着きました」
拘束された女子生徒は、両脇をナース服の女性二人に支えられるようにして立たされる。
身体には力が入っていないようで、足取りは不安定だった。
片方のナース服の女性が、もう一人に小さく言う。
「……指導室に」
短い言葉。
二人はそのまま女子生徒を挟むようにして、部屋の外へ歩かせていく。
廊下の奥へ消えていく背中。
——そこで映像は止まった。
白衣の女性はタブレットの画面をそのままにして、静かに言う。
「まだ、一週間前のことです」
むぎは言葉を返せなかった。
タブレットに映っていた光景を見つめたまま、沈黙している。
白衣の女性は、その様子を見て続けた。
「あなたのせいではありません」
穏やかな声だった。
「事実、あなたも他の生徒達も、仕事に復帰できているのですから」
むぎの不安を和らげるように、言葉を選ぶ。
「最近は勉強と……現場関連のことは、あちらの教官の方に任せていますが」
白衣の女性はタブレットを下げながら説明する。
「可能な範囲で事務関連の仕事をさせていただいているようです」
少し間を置き、続ける。
「本人も無理なく働けているようなので……精神的な面でも、国に奉仕していることは教育や自尊心の向上に繋がっています」