むぎは、旧蘭阜市の外れを歩いていた。
錆びた標識。ひび割れた道路。ところどころに瓦礫が残り、草が伸びている。
荒れた道を、むぎはゆっくりと進んでいく。ここに来るのは、二年ぶりだった。
旧蘭阜市での戦闘が厄介だった理由は明確だった。
共和国の一件で日本に残っていた、オリヴィス・アンソルと繋がりのあった傭兵の小隊。
それは少年兵達で構成された部隊だった。
その小隊を、Σを使って国連が殲滅する。その方針に対して、共和国政府が強く反抗した。
そして事態はさらに悪化する。
共和国が、市内に特殊部隊を派遣したことで状況は急変した。それ以降、この地域は停戦状態にある。
むぎは歩きながら、改めて思う。
やはり——子供を戦争に使うということは、良くも悪くも、国の感情を左右しやすい。
風が吹き、錆びた標識が小さく揺れた。
現在、この街は二つに分断されている。
半分はΣの管轄。
もう半分は共和国の管轄。
自由に行き来するには、共和国直轄の兵士の許可が必要だ。
だが、それは現実的とは言えない。
「……まあ、入れるのは一部だろうね」
小さく息を吐きながら、むぎは街の奥へと進む。
瓦礫や崩れた建物が続く景色を想像していた。
しかし——
進むにつれて、様子が変わっていく。
道路は補修され、
建物も整えられている。
段々と、整備された街並みが広がっていった。
むぎは足を止める。
正面に、小さな施設が見えた。その前には旗が立っている。
風に揺れる布には、はっきりと文字が書かれていた。
「旧蘭阜市観光案内所」
予想していなかった光景だった。怪訝そうな顔で、ゆっくり近づく。
ガラス越しに中を覗き込む。室内の電気は消えている。人の姿もない。
だが、中はきれいに整えられていた。
棚にはパンフレットが並び、机や案内板もきちんと配置されている。
まるで、今も営業しているかのように。
むぎがガラス越しに観光案内所の中を覗き込みながら、小さく呟く。
「……誰がこんな場所に、観光案内所なんか……」
その時だった。
背後から、女の声が聞こえる。
むぎは姿勢を変えない。ガラスを覗き込む体勢のまま、背中で気配を探る。
振り返らず、悟られないように、そのまま耳だけを向ける。
後ろでは、女性記者がビデオカメラを構えていた。
片手には携帯した簡易的なインターフェース。どうやら配信をしているらしい。
カメラを自分に向けながら、はっきりとした声で話す。
「この旧蘭阜市、世間一般では——」
少し歩きながら続ける。
「自衛隊と共和国政府の合同訓練による大規模な火災があり、現在は両国が警戒に当たっているとのことですが」
そのまま、街の奥の方へカメラを向けて歩いていく。
そして、ズームをかける。
荒れ果てた場所。
崩れた建物の前の地面。
記者はカメラの画面を覗き込みながら言う。
「見てください、この跡」
カメラは地面の黒ずんだ跡を映している。
「人の血液に見えませんか……? それも、少しじゃない」
声のトーンは落ち着いているが、言葉は重い。
「訓練とはいえ、これだけの血液を流せば……」
カメラ越しにその跡を確認しながら続ける。
「無事では済まないでしょう」
女性記者はカメラを構えたまま、その方向へゆっくり歩いていく。
「この辺りは貴重な文化遺産もあることから、つい最近、一般の立入が許されることとなりましたが——」
歩きながら、カメラの向こうに語りかける。
「いまだに整備された……限られた場所以外では、専用の資格を持つ人の同伴が無ければ立入は許されません」
足を止め、少し語気を強めた。
「テロ組織による爆撃や暴力団の抗争など……」
カメラを少し持ち上げる。
「我々国民が知ってはいけないような何かを、政府が隠しているのではないでしょうか?」
そして、最後にカメラへ向かって言う。
「これからも、この旧蘭阜市について、できる限りの情報を調べていくつもりです。」
そこで配信は切られた。
女性はふうっと息を吐き、カメラを下ろす。
周囲を見回した、その瞬間。
むぎの姿が目に入る。
「ヤベっ……!」
慌てて機材を片付け始める。
カメラを下げ、ケーブルを雑にまとめながら、むぎの方へ駆け寄る。
「大丈夫!大丈夫だから!」
慌てた様子で言いながら、タブレットの映像を見せる。
「向こうの方撮ってただけだから!」
画面を指差す。
「ほら、映してないから大丈夫!ね?」
にこっと笑う。
そして、ポケットから名刺を取り出して差し出した。
「私、鏑木ろこ!北東新聞の記者やってます!」
むぎの反応も待たず、周囲をちらりと見回す。
少し声を落として言う。
「私さ、こうやってみんなのこと騙してコソコソやるの許せないんだよね……」
さらに周囲を確認してから、むぎの方へぐっと指を近づける。
「私たちのこと、バカにしてると思わない!?」
目が真剣になる。
「見下されてる気してムカつくんだよね!」
むぎは、ろこの勢いに少し間が悪そうな顔をした。目をわずかに逸らしながら、小さく頷く。
「あ……はい……」
それから、曖昧に続ける。
「そうですね……」
ろこはその様子を見て、首を傾げる。
「君、高校生?」
むぎの服装をちらっと見て言う。
「随分薄着だけど、この辺は近所なの?」
答える前に、少しだけ間を置いた。するとろこが、はっとした顔になり、慌てて両手を振る。
「あっ!別に取材とかじゃないから!」
苦笑いしながら一歩下がる。
「なんか職業柄、こんな風になっちゃって……」
そう言って視線を観光案内所へ向けた。ガラス張りの建物を見ながら、首をかしげる。
「……誰かいるのかな?」
「動いてるところ、あんまり見ないよねー」
むぎも特に言葉を返さず、同じように建物を見ていた。
しばらく、二人で黙ってガラス越しの室内を眺める。
そのとき——背後から声がした。
「そこ……月曜しか空いてないよ」
二人は同時に振り返る。
そこに立っていたのは、ふわりと甘い香水の匂いを漂わせた女性だった。
どこか気の抜けたような、柔らかい雰囲気。肩の力の抜けた笑顔で、二人を見ている。
女性は申し訳なさそうに肩をすくめる。
「学生ちゃんに任せてるから、どうしても休業日多くなっちゃうんだよねえ……」
のんびりした口調でそう言った。
ろこは、さっと名刺を取り出して女性に差し出した。
「鏑木ろこと申します。北東新聞の者でして……」
丁寧な口調で続ける。
「少しだけ、市内の景観を撮らせていただきました」
女性は名刺を受け取り、軽く目を通す。
そのままのんびりとした雰囲気で頷いた。
「私はこの辺にある香屋の店主」
「梢桃音」
肩の力の抜けた声で言う。
「観光案内所と違って、大体暇なときは開けてるから、いつでもどうぞ〜」
それから、街の奥の方を指さした。
「ここよりは街の人いると思うよ」
ろこは「ああ」と小さく頷く。
「それで、お香の良い香りがするんですね」
納得したように笑う。
一方、むぎは眉をひそめた。
「香屋?」
少し疑わしそうな視線を向ける。
「こんな被災地でですか?」
女性は「ああ……」と頭をかいた。
「まあ、そりゃ外から見ればそうか」
少し苦笑いする。それから説明するように続けた。
「ここ、結構地元の人は残ってんだよね」
軽く手を振る。
「あんなことあったけど、別に被害少なかった場所もそこそこあるし」
そして、街の整った建物の方を顎で示す。
「なんなら国がテコ入れしてくれたお陰で、前よりも格段に綺麗な場所もあるんだよ」
むぎは香屋の女性について歩き、整備された街の外れにある店へと辿り着いた。
扉をくぐると、中は外とは違う空気だった。中華風の落ち着いた内装。木の棚や小さな飾りが整然と並び、どこか静かな時間が流れている。
そして、ほのかに漂う品のあるお香の煙が細く揺れていた。
むぎは店内を見回す。
棚にはお香や蝋燭が並び、その近くには小さな皿や茶器も置かれている。さらに奥を見ると、点心の蒸籠や茶葉の缶も並んでいた。
それに気づいたむぎの視線を追い、女性が説明する。
「ああ、それ?」
軽く肩をすくめる。
「あんまり数はないけどね」
棚の方を指しながら続けた。
「なんか観光案内所の奴に、それっぽいもの食べたいって言われたから置いてるんだ」
そう言いながら、むぎを椅子に座らせる。
女性は慣れた手つきで茶器を並べ、湯を沸かし、中国茶を淹れ始めた。
しばらくして、ぽつりと話す。
「ここで香屋始めて結構経つんだけど……」
遠くを見るような目になる。
「まさか、こんな風になっちまうとはねえ」
むぎはその言葉を聞きながら、静かに答える。
「……確かに、これだけ大きな火災だと、復旧にも時間がかかりますよね」
女性は手を止める。
そして、はっきりと言った。
「あれ嘘だよ」
きっぱりした声だった。
「本当は国連が外国とドンパチやったからなんだよね」
湯呑みに茶を注ぎながら続ける。
「それでこっち側には、あの観光大使みたいなやつがついて」
軽く顎で外を示す。
「向こう側には外人が住み着いてる」
それから、少し肩をすくめる。
「本当はうちらが入って片付けたいけど、変に入ると怖いかんね」
そう言って、湯呑みをむぎの前に置いた。
湯気が静かに立ち上る。
むぎはそれを見たあと、女性の顔を見る。その表情には、少し複雑なものが浮かんでいる。
湯気の立つ茶を見つめながら、静かに口を開いた。
「住んでいる住民は……そのこと、知ってるんですか?」
香屋の女性は少し考えるようにしてから、首を横に振る。
「知ってる人もいるけど、言ったところで信じてもらえないからね」
ため息混じりに続けた。
「お嬢ちゃんも、あんまり言っちゃダメよ」
湯呑みを指先で軽く回す。
「怖い人達にマークされちゃうから」
その言葉に、むぎはふっと肩の力を抜いた。
「大丈夫ですよ」
穏やかな声だった。そのまま、テーブルの端に置かれていたスプーンを指先でつまむ。
次の瞬間——スプーンが、ひゅっと空気を切った。
投げナイフのような鋭い軌道。耳のすぐ横をかすめ、後ろの柱にカンと小さく当たる。
思わず肩を震わせた。
「っ……!」
一拍遅れて、ゆっくりと振り返る。
柱に当たって落ちたスプーンを見て、額にうっすら汗が滲む。それから視線を戻し、乾いた笑いを漏らした。
「ああ……なるほど」
小さく息を吐く。
「“怖い人”側の子なのね……」
冷や汗を浮かべながら、そう答えた。
香屋の女性は、耳元をかすめたスプーンをちらりと見てから、力が抜けたように反対側の椅子へ腰を下ろした。
「……」
少し間を置いて、気まずそうに口を開く。
「……あの北東新聞の記者、殺っといた方が良いんじゃない?」
冗談半分の声だった。
むぎは何も言わない。
ただ、じっと女性を見つめる。
その無言の視線に、女性の表情がみるみる引きつる。
「じょ、冗談だって〜……」
苦笑いを浮かべながら、肩をすくめる。しかし、むぎがわずかに睨むような目で見つめ続けると、女性は慌てて両手を挙げた。
「ま、まさか……それはないよね!?」
焦った声で続ける。
「いや、愚痴ったって誰も信じないってこんな話!」
むぎはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「どこまでご存知かは知りませんが……」
少し間を置く。
「似たような子供を見ていませんか」
女性は首を傾げる。
むぎは続けた。
「彼らにちょっと……なんというか、困りごとがありまして」
女性はすぐに両手を振った。
「来てないよ!そんな危なっかしい子……!」
即答だった。
だが、そのあと少し考えるように目を上げる。
「ああでも……観光案内所の子達はそんな話あったかな……」
ぽつりと漏らす。
しかし、すぐに自分で打ち消すように首を振った。
「いや……まあ、仕事の話とかはしてないから!」
両手を振りながら続ける。
「変にマークされるとむっちゃ怖いし!」
むぎが「子達」という言葉に引っかかり、顔を上げる。
「案内所の子って……1人じゃないんですか?」
女性は頷いた。
「二人いるんだよね」
湯呑みを指で回しながら説明する。
「別々の高校の子なんだけど」
少し考えてから続けた。
「一人は世怜音女学院の子だよ」
「なんか訳ありみたいだけど、世間的にはお嬢様学校だからね」
軽く肩をすくめる。
「結構人気あるみたいだよ」
そしてもう一人のことを思い出すように、視線を上に向けた。
「もう一人は……知らない制服着てるね」
指で空中に形を描くようにしながら言う。
「グレーのベストで、水色のネクタイしてて……」
その特徴を聞いた瞬間。
むぎが、がたっと椅子を引いた。
勢いよく立ち上がる。
「その子……!」
声が思わず強くなる。
「会いたいです!」
身を乗り出して女性に尋ねる。
「いつ来ますか!?」
その日の夜。
むぎは、古びたアパートの前に立っていた。
パジャマ姿のまま、廊下からそっと一室を覗き込む。
部屋の外壁に取り付けられた電気代のメーターに目をやる。
針は、動いていない。
「……」
しばらく見つめてから、小さく息を吐く。
(まだ寝てんのかな……)
むぎはそのまま廊下を引き返し、アパートの外へ出た。
部屋の反対側に回ろうと、建物の周囲を歩き始める。
夜の通路は静かで、足音だけが小さく響いた。
歩きながら、むぎは旧蘭阜市のことを考える。もし本当に、新東京ポート高校の学生が観光案内所にいるのだとすれば——
生徒たちの実態を調べるうえで、重要な手掛かりになる可能性がある。そう考えながら、アパートの角を曲がる。
(あわよくば……)
その生徒たちを「なんとかする」ために、旧蘭阜市という場所を利用できないか。そんな考えも頭をよぎる。
だが、すぐに思い直す。
彼女たちが、どんな意識で日々の仕事をしているのか。
意思を持ってΣを変えようとしているのか。それとも、単に職の適性や自分の理想との乖離に困っているだけなのか。
そこを見極めるのが先だ。
(……まずは、そこからだな)
むぎはそう考えながら、静かな通路をゆっくり歩いていく。
新東京ポートの生徒らしき少女について、むぎは香屋の女性の話を思い出していた。
月曜日なら、間違いなくいる。
そしてその少女は、共和国の敷地付近にいることが多い。
だから会うには、その辺りまで歩いていかないといけない。
むぎは眉をひそめる。
(……でも境界付近に行くと)
苦い顔になる。
(あいつがいそうだなぁ……)
そう思いながら、目に手をやり、小さく息を吐く。
アパートの廊下から外へ出て、建物の横へ回り込む。
周囲の様子を確かめながら歩いていた、その時。
ふと、気配を感じる。
むぎはすぐに足を止め、近くの木の茂みに手を伸ばした。
次の瞬間——
がさっと枝を掴み、中から人影を引っ張り出す。
「……」
現れたのは、川口すみれだった。
むぎは小声で言う。
「市街地でやんのやめてくれない?」
すみれの腕を掴んだまま、少し眉を寄せる。
「見つかるんだけど」
説教のような口調。
だが、すみれはむぎを見上げて言った。
「……私、むぎちゃんに人殺しなんてしてほしくない」
涙目だった。
距離を詰めて迫る。
むぎは一瞬、顔をしかめる。
「こいつ……」
苛立ったように呟く。
しかし、そのまま少し考えるように目を細めた。
ふと、何か思いついたような表情になる。
むぎはすみれの腰元に目をやり、手を伸ばす。
すみれが携帯していたテーザー銃を、するりと抜き取った。
「……」
軽く重さを確かめる。
それから、すみれの方を見る。
「……んじゃ、今回だけね」
そう言って手を離す。むぎはそのまま踵を返し、アパートの裏へと走っていった。