大型施設の立体駐車場。
薄暗いコンクリートの空間に、エンジンを切ったワゴン車が停まっている。
車内。
ダッシュボードには無線機が置かれ、時折ノイズが小さく走る。
むぎは後部座席にもたれ、窓の外を見ていた。
隣ではナナがシートを倒し、気怠そうに足を組んでいる。
二人は、りこが偵察から戻ってくるのを待っていた。しばらく無言が続いた後、ナナがぼそっと言う。
「川口〜?」
露骨に嫌そうな顔。
「やだよ、あいつと仕事するの」
「暁星サクヤ信者の筆頭じゃん」
呆れたように肩をすくめる。むぎは少し考えるようにしてから言った。
「でも、旧蘭阜市なら人殺さないじゃん」「なんとか地雷処理とかさせてあげられない?」
自分でも無理を言っている自覚はあるような口調だった。
「それって川口がやりたいって言ってたの?」
むぎは首を横に振る。
「選択肢を知らないから、ああなっちゃうんだよ」
前を見たまま言う。
「川口さんはダメでも……」
少しずつ熱が入る。
「他の子とか引き入れられたら、その辺の勢力もだいぶ少なくなるよ!」
その時。
無線機から、ばっと明るい声が飛び込んでくる。
『作戦中止!』
少しノイズが混じる。
『しばらくしたら戻るね!』
りこの声だった。ナナがすぐ無線を取る。
「どうしたの?」
眉をひそめる。
「いないの?今回のターゲット」
無線の向こうで、一瞬間が空く。
『いや……そういうわけじゃなくて……』
『とりあえず許可はもらったから、現場からは離脱するね』
雑居ビルの屋上。
ネオンの光が夜風に滲むように揺れ、ガラス張りのキャバクラからは騒がしい笑い声と音楽が漏れている。
その一角。
ふくよかな男がソファに深く腰掛け、隣に座る従業員の女性の肩や腰に遠慮なく手を回していた。
女性は顔を引きつらせながら、その手を押し返す。
「やめてください……!」
男は酔った顔で笑う。
「ふはは……何をそんなに怯える必要がある」
女性が距離を取ろうとすると、男はさらに腕を掴む。
「警察呼びますよ……!」
その言葉に、男は鼻で笑った。
「私の力があれば、警察も動けない」
グラスを揺らしながら続ける。
「司法なんて……金さえあれば何とでもできるのだ」
そう言って、また女性の身体に触れようとする。客や店員は、気まずそうに視線を逸らしていた。
誰も止めない。
男は完全に気を良くしていた。
だが——
ふと、テーブルの上のスマホが震える。
一回ではない。
連続して通知音が鳴り響く。
「……なんだ?」
男は不機嫌そうにスマホを掴む。
画面には、大量の着信とメッセージ通知。
「今……良いところなんだ」
苛立った顔でメッセージを開く。
そこに添付されていたURLを、無意識にタップした。
次の瞬間。男の顔色が変わる。
画面には——今、この瞬間の自分が映っていた。
店内の様子。
女性に触れている姿。
酔って笑っている顔。
すべて、生配信されている。
コメント欄は高速で流れ続けていた。
「……は?」
男の口から、間抜けな声が漏れる。
数秒遅れて理解が追いついた。
「誰だ!!」
男は突然立ち上がる。
ソファを蹴飛ばし、近くの女性を突き飛ばす。
「誰がやっている!!」
周囲の客や店員を怒鳴り散らしながら暴れ回る。
グラスが割れ、悲鳴が上がる。その騒ぎを、少し離れた席から静かに見ている男がいた。
細身のスーツ姿。
落ち着いた様子で酒を飲んでいたが、隣の黒服の男がアタッシュケースを抱えたまま、耳元で何かを囁く。
スーツの男は、無言で立ち上がった。
騒ぎには一切関わらず、そのまま出口へ向かう。
だが——出口付近で、不意に声がかかった。
「あなたも」
従業員姿のろこが、通路に立っていた。
その目は真っ直ぐだった。
「さっきの外国人から……何を受け取ったんですか?」
「北東新聞です」「良ければ、あの外国の方と何を取引していたかを教えていただきたいのですが……」
男は表情を硬くする。
ろこは一歩だけ距離を詰めた。
「ああ……誤解しないでください」
にこやかな声。
「私は答えを知ってるんです」
そのまま、じっと男を見る。
「ただ……あなたの口から聞いてみたくって……」
男の額に汗が浮く。
周囲を見回す。
騒ぎに紛れて逃げられるかを考えるような目。
だが、ろこは逃がさないように視線を固定していた。
男は焦ったように口を開く。
「こ、こんなことして……何の得になるんですか」
声が少し上擦る。
「私の言葉一つで、メディアなんか簡単に操ることができていたのに……!」
さらに言葉が止まらなくなる。
「北東新聞も……! あれほど不利になる記事を書かないよう念を押しているのに……!」
——言った瞬間。男自身が、はっとする。
ろこは無言のまま、持っていたカメラをゆっくり向けた。
「……配信してますよ?」
冷たい声だった。男の顔から、血の気が引いた。
ワゴン車の中。
無線から流れてくる騒ぎの音声を、むぎは黙って聞いていた。
怒鳴り声。
ガラスの割れる音。
ろこの冷静な声。
そして、政治家の口を滑らせた言葉。
むぎは窓の外を見ながら考える。敵は共和国だけじゃない。
もし——戦場慣れしていない生徒が、間違ってあの場に出ていたら。
あの騒ぎに巻き込まれていたら。
小さく息を吐く。ああいう場所は、銃弾よりも厄介だ。言葉一つ、映像一つで、組織の仕事も白日の下にさらされる。
その時だった。
バンッ!勢いよく車の扉が開く。
「お土産!」
りこが元気よく叫ぶ。そのまま、ぐいっと車内へ押し込んだ。
座席に倒れ込むように入ってきたのは、すみれだった。
息を荒らげ、肩で呼吸している。
どう見ても無理やり連れてこられた顔。むぎはそれを見て、少しだけ目を細める。
「……まあ、こういうこともある」
淡々とした声。すみれはまだ呼吸を整えきれていない。
むぎは続ける。
「あの人に撮られてたら、川口さん責任取らされてΣに何されるか分からないよ」
静かな口調だった。そして、少し突き放すように。
「まあ……私はいいよ」
すみれを見る。
「そこまで覚悟決めてまで、サクヤのこと継ぎたいなら」
すみれは俯いたまま、小さく口を開く。
「……でも、何もしない訳にはいけない」
弱々しい声。
「周りの目もあるし……」
……それ見たことか。結局、大義名分を掲げておくことで、彼女は火の粉が自分に降りかかることを避けているだけなのだ。
だが仮にそれなら、他のサクヤの信者よりも遥かに扱いやすい。
「川口さん……」
「それならちょっと、アルバイトしない?」
------------------------------------------------
旧蘭阜市。
瓦礫の残る路地の一角で、すみれはしゃがみ込んでいた。
目の前には、地面に半ば埋まった杭地雷。
工具を使い、慎重に外装を開いていく。
汗を滲ませながらも、その手つきには無駄がない。
配線を確認し、安全装置を解除し、起爆部を取り外していく。
慣れた様子だった。その後ろでは、ナナが壁にもたれながら眺めている。
「へぇ〜、ちゃんとできんじゃん」
気楽な声。
すみれは作業の手を止めず、小さく口を開いた。
「珠乃井さん……」
少しだけ不安そうな声。
「これで本当に、匿ってくれるの……?」
ナナはあっさり答える。
「うちで地雷処理してるうちはね〜」
手をひらひらさせる。
「てか、ちゃんと仕事してれば誰も文句言わないって!」
そして次の瞬間。
「ほいっ」
ナナが軽く、すみれの尻を蹴り飛ばした。
「いたっ!?」
すみれが前につんのめる。ナナは気にせず、別の路地を指差した。
「終わったら次あっちだからね!」
振り返り、少し苦笑いする。
「珠乃井さんも手伝ってよ……」
旧蘭阜市の香屋。朝の柔らかな光が、木の机や茶器を静かに照らしている。
むぎは湯呑みを手にしながら、向かいに座る桃音へ話す。
「他にも、ああいう子いると思うんです」
少し考えるような声。
「きっと、たくさんの人を連れてくれば」
外へ視線を向ける。
「もっと早く旧蘭阜市も復興できると思うんです」
桃音は静かにお茶を飲み、ふうっと息をついた。
「すみれちゃん、結構真面目そうなのに学校だと居場所ないんだね」
少し困ったように笑う。
「実力主義なのも考えもんだな」
むぎは黙って聞いている。
桃音は湯呑みを置くと、手を組み、むぎを真っ直ぐ見た。
「確かに、それは嬉しいけど」
そのまま少し視線を逸らす。
「みんながみんな、すみれちゃんみたいにはいかないかもしれないよ」
落ち着いた声だった。
「聞いてる限りでは、あんまり……」
少し言葉を選ぶ。
「なーさんや、すみれちゃんの学校の子は、ここに良い思い出はないだろうからね」
真剣な表情で、そう答えた。
窓の外には、中華風の街並み。赤い提灯が朝風に揺れ、整備途中の石畳を朝日が白く照らしていた。