潮騒を追う夜雨   作:竹河参号

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[!!!WARNING!!!]
 本ページは、「もしも漂泊者に同行するのが追跡者でなかったら?」というIFを元に書いた、作者のお遊びです。基本的に続きません。
 くれぐれもご了承ください。


可能性世界のIF
第二章・第九幕 今宵は月の手のもとに


 リナシータはセブン・ヒルズ、その遥か東――サングイス狩猟台地。

 偽りの神王を打倒し、黒潮の撃退に成功したグラディエーターたちは、マルーンウッド狩り場にて凱旋の祝典に興じていた。主役は勿論、“新たな英雄王”ことオーガスタ総督と漂泊者だ。

 だが――当の漂泊者は、その心にひとつの()()()を残していた。

 

 

(誰もユーノを覚えていない……何がどうなってるの?)

 

 

 “諭しの女”ユーノ――月の矢を放って黒潮を浄化し、偽りの神王を丸裸にして、勝利に導いた重要人物。だというのに、その功績はおろか、彼女の存在そのものを誰も記憶していないのだ。漂泊者だけが、奔放な彼女の姿を覚えている。しかし“諭しの女”たちのみならず、親友オーガスタでさえ、「そんな人物は知らない」と言い切った。挙句の果てに、「黒潮による精神干渉がもたらした妄想だろう」とまで言われてしまったのだ。

 いよいよ判断に窮した漂泊者は、凍り付いた精神と思考を必死に稼働させながら、傍らの人物に問いかけた。

 

 

「――学者(Scholar)。あなたはどう思う?」

 

 

 その人物――学者(Scholar)と呼ばれた男は、くいと片眼鏡(モノクル)を上げながら、冷静に口を開いた。

 

 

「ふむ……事実を順番に整理しましょうか」

 

 

 雲陵谷(うんりょうだに)で漂泊者とともに発見された、在野の学者を名乗る謎の人物。本人に紐づく情報は一向に明らかにならないが、その深い見識と冷静な判断は、漂泊者の旅の友としてよく貢献しており、頼りになる相棒として行動を共にしている。

 

 

「“諭しの女”ユーノ……僕たちは必ずしも一緒に活動していたわけではありませんが、その間に接触した人物ではないのですね?」

「ああ。闘技大会でも、オーガスタと一緒にいた。私と個人的な関係を持っていたわけではなく、あなたも観客席から見ていたはずだ。

 それに、確かに言っていた。『調査の必要がありそうです』と」

「ふむ……具体的な調査を? 手元の資料を確認しましょう」

 

 

 漂泊者の返答に、学者は背嚢から分厚い手帳を取り出し、その内容を検め始めた。“諭しの女”という職業への単純な知的好奇心からか、それとも彼女自身に何かしらの謎を見出したか――いずれにせよ、何か調査を行ったのであれば、その記録が残っているはずだ。

 

 

「さて――あなた自身に明確な記憶が存在し、『月の矢を放って障壁を破った』という具体的な出来事として説明できる以上、()()()()()()()()()()()()()()

 『歴史』という大きな時代のうねりを前に、個人の痕跡は容易く埋もれますが、しかし完全に消失することはありません。あなたの言う“諭しの女”ユーノは、何かしらの形で存在していた、と考えるのが妥当でしょう」

 

 

 強く頷く漂泊者を前に、しかし学者は「一方で、オーガスタ総督の推測にも一定の説得力があります」と釘を刺した。オーガスタ自身が告白した、彼女にだけ聴こえるという『神王の囁き』――黒潮が編み出した妄想と囁きのことだろう。

 

 

「同化と融合の権能を有する、鳴式レビヤタン――かの存在は、リナシータ人の深層意識に干渉することが可能です。敵対的とはいえ多くの接触を持ったあなたに干渉し、『存在しない人間の記憶』を植え付け、何かしらの意識操作を試みている……というのは、そこまで飛躍的な推測でもないかと」

「あなたも一緒に戦ってきたはずだけど?」

「はは、あなたは冗談が上手い。かの鳴式ともあろうものが、こんな文弱の徒に目をつけるとでも?」

 

 

 漂泊者の言葉に、学者はからからと笑った。「冗談じゃないよ」と漂泊者は冗談を重ねそうになった。学者自身は激しい戦闘を得意としないが、その共鳴能力は『神秘』――それに類する異常効果の付与に特化しており、漂泊者もよくよく支えてもらっている。何よりその刺剣さばきは、決して『文弱の徒』では済まされない鋭さを有している。

 閑話休題。学者は話を戻すことにした。

 

 

「とにかく、“諭しの女”ユーノ自身は『存在する』あるいは『した』――これ自体は、確信を持っていいでしょう。

 重要なのは、あなたの認識です。僕やオーガスタ総督ですら覚えていない事実を、あなただけが有している。結末は同じながら、過程に決定的な食い違いがある。この差異は一体何なのか?

 “空白の者”という肩書に一筋の希望を見出し、思考を打ち切ることも可能ですが――現状の打開には遠そうです。漂泊者さん、()()()()()()()()に関わる何かに、心当たりはありませんか?」

「私と彼女に関わる……? ――そうだ、これはどう?」

 

 

 学者の問いに、漂泊者はあるものを思い出し、背嚢から取り出した。ルナオーラムを削り出した、月を象る青いブレスレットだ。

 

 

「ブレスレットですか。これ自体は、何か特別な周波数(まりょく)を有しているわけではなさそうですが……彼女の所有物ですか?」

「そう。神王と対峙する直前に貰ったんだ」

「なるほど……では、()()みましょうか」

 

 

 そう言うと、学者は片眼鏡(モノクル)をくいと掲げながら、ブレスレットを受け取った。

 彼が有する片眼鏡(モノクル)には、『過去視』の魔力が宿っている。物体に宿る記憶を紐解き、当事者すら知らぬ過去を暴くことができる。その神秘を用いれば、このブレスレットに秘められた過去が明らかになるはずだ。

 学者が左目の片眼鏡(モノクル)に集中し、ブレスレットを見つめるのを、漂泊者は静かに見守った。現物があれば、何かしらの痕跡を見つけ出すことができる。そうすれば、ユーノの身に何が起きたのかを知ることができる。

 だが――

 

 

「――……これは……」

 

 

 しばらくブレスレットを見つめていた学者は、次第にその表情を驚愕に染めていった。

 

 

「――あなたの言う、ユーノという女性は……月のような青い瞳、それに青い髪を二つ結びにした、若い巫女のことで合っていますか?」

「うん。見えた?」

「――……これは……とても、不思議な事態だ……」

 

 

 ブレスレットを隅々まで観察しながら、学者は半ばうわ言のように呟いた。目の前の事態、そして暴いた過去を、彼自身が信じられないかのようだった。

 やがて学者は、片眼鏡(モノクル)への集中を解き、漂泊者の手にブレスレットを返した。深刻そうに眉間を揉むその姿は、それなりに長い付き合いの漂泊者でも、初めて見る様子だった。

 

 

「何が見えた?」

「――事態が、複雑に絡まっている……テトラゴン真殿にも問い合わせなくては……

 いえ、まずは順番に。今見たものを、つぶさに説明しなくてはなりませんね」

 

 

 自らの裡で吹き荒れる焦燥を、学者は冷静に抑えつけた。重要なのは客観性だ。自分だけが捉えた主観的な視点ではなく、漂泊者に説明するために言語化し、彼女の意見を受けて客観視する。それが、文化史を研究してきた自らにとって、最も重要な価値観だ。

 学者は深呼吸をすると、漂泊者の金瞳を見つめながら、静かに語り始めた。

 

 

「まず前提として、『ユーノという女がいた』というのは事実です。“諭しの女”として、テトラゴン真殿に在籍していたのも間違いありません。

 ですが――彼女は、()()()()()()()

「……え……?」

 

 

 その言葉は、漂泊者の心を大きく揺さぶった。それに構わず、学者は冷静に語りを続けた。

 

 

「昨日今日の話ではありません。()()()()()()()()。彼女は、ここサングイス狩猟台地で黒潮に呑み込まれ、そのまま死亡してしまったようです」

「で、でも――そんな、はず……」

「ええ。()()()()、あなたがこのブレスレットを受け取ったという事実と符合しません。これは深刻な矛盾です」

 

 

 動揺する漂泊者を宥めるように、学者は説明を続けた。彼自身、深い動揺に支配されている様子だった。

 

 

「誰も覚えていない現状、死亡したという過去、しかしここに所有物がある現在、そしてあなたの記憶――過去と現在が錯綜し、説明不可能な混沌(カオス)に陥っています」

 

 

 何がどうなっている――? 混乱を深める漂泊者の心を、鎮めることができる者は存在しなかった。

 ユーノは死んでいる。それを覚えている者すらいない。でも、自分は覚えている。彼女は確かに生きていて、自分にこのブレスレットを託してくれた。あの朗らかな笑顔が、偽りであるはずがない――

 動揺する漂泊者を見つめながら、学者は再び口を開いた。

 

 

「……一つ、光明があるとすれば――」

「なに?」

「彼女の最期に、不自然なノイズが存在しました」

 

 

 一縷の希望に縋る漂泊者に対し、学者はあくまでも冷静に、慎重にその違和感を言語化した。

 周波数エナジーの乱れ――それが、彼女の最期を曖昧にしていた。学者が「三年前に死亡した」と断言できたのは、そのノイズ以降の記憶が存在しないこと、そして直前に見つかった日付の記憶から推測したものだ。

 彼自身、多くの過去に触れてきた。必要以上に感情移入しないよう、読み取る記憶は最小限にしてきたが、それでも『持ち主の最期』に触れてしまうことはままある。しかしブレスレットの記憶は、そこに刻まれたユーノの最期は、決定的に異なっている。

 

 

「海蝕現象のありふれた一例なのか、黒潮に呑まれた生命特有の事象なのか、それともユーノさん自身に何か異変があったのか――情報が少なすぎて、これと断定することはできません。

 ですが、彼女の最期には()()()()()()()()が存在した。それが、この矛盾を解決する鍵になりそうです」

 

 

 テトラゴン真殿に行きましょう、と学者は提案した。ユーノに関する記録――あるいは、この混沌(カオス)に関する何らかの情報が見つかるかもしれない。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 黒潮に呑まれた清泉。“諭しの女”ユーノが消失した、因果の特異点。

 彼女の存在を取り戻すために、漂泊者は黒潮へと飛び込んだ。

 

 

『――……漂泊……さ――漂泊者、ん――!』

 

 

 無数の情報が濁流する。過去と未来、存在と消失が交錯する暗闇の激流の最中、彼女はユーノの曖昧な意識を掴んだ。

 

 

『――……漂泊者さん、聞こえますか!?』

 

 

 そんな漂泊者の耳に、学者の声が届いた。

 

 

(アンカー)……なるほど、リリベルさんのおっしゃる通りです。

 漂泊者さん、あなたは今、()()()()()()()()に触れています』

 

 

 あまりにも儚げで、握っていなければ――いや、握った先から零れてしまいそうな淡い意識。存在を保てない、朧げな輪郭。

 

 

『僕は、この片眼鏡(モノクル)を通じて彼女の記憶を探っています。

 過去と現在、生と死、存在と消失が錯綜する混沌――人間の手に負える代物ではありません。あなたが飛び込んでいなければ、見つけ出すのは困難でした』

 

 

 ユーノとの因果の繋がりのない彼は、黒潮に飛び込むことができない。彼女を導くことができるのは、漂泊者だけ。

 

 

『あなたは、ユーノさんの意識に接触を続け、その記憶を辿ってください。

 その記憶が整理され、鮮明になり、三年前の矛盾に辿り着いた時――僕たちが彼女の真実を()()した時、彼女を取り戻すことができます』

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 辿る。

 

 

 辿る。

 

 

 辿る。

 

 

 ユーノの意識の断片とともに、彼女の歩んできた人生を辿る。

 鍛冶師の娘に生まれ、弓術を学び、“諭しの女”に選ばれた。それが自らの価値なのだと信じて邁進した――その記憶。

 

 

『――……彼女は、苦しい人生を辿ってきたようですね』

 

 

 その最中、ふと学者の言葉が漏れてきた。

 未来を憂い、“諭しの女”に縋る、幾人もの市民たち。彼らに予言を授けるユーノの記憶を傍観しながら、しかし彼は苦々しい表情を浮かべていた。

 

 

(イマ)(キタ)ラヌ時――普通の人間にとって、「未来」はしばしば「過去」よりも価値が高いと考えられます。「確定された結果」として揺るがすことができない「過去」とは異なり、「未来」は「変動する可能性」という価値を有しているからです。

 ですが……未来を見通すことができる彼女にとって、「未来」は()()()()()()()。「過去」と同じ価値しかありません』

 

 

 一代で財を築き上げた若い貴族がいた。

 大火によって財産を失う未来を教えた。

 ――三週間かけて対策された彼の財は、僅かな煙草の失火から、ひとつ残らず灰塵と化した。

 

 黒潮を堰き止めるために戦うグラディエーターがいた。

 残像と戦った武器の痕跡から弱点を見抜き、残像を打倒する未来を教えた。

 ――残像は倒せたものの、隊員は癒えない傷を負った。

 

 恋人との愛を信じる若い女がいた。

 その結婚は不幸を生み、やがて別れることになるだろうと未来を教えた。

 ――その諭しを押し切って進めた結婚は、果たして二人の別離に終わった。

 

 グラディエーターの兄の命を憂慮する双子の弟がいた。

 家族に囲まれ、老いて死ぬ彼自身の未来を教えた。

 ――運命を謀ろうとした彼は、兄の命も、自らの人生をも失った。

 

 

 どんなに抗っても、結末(みらい)は変えられない。彼女が読み上げた通りに、その言葉をなぞるように、不変の現実に収束していく。

 彼女にとって、『未来』は価値のないものとなってしまった。

 

 

『どれだけ足掻こうと、人が生まれ持った宿痾から逃れられないように……彼女は、「確定した未来」を述べることしかできない。聞く者には絶望を与え、さらに足掻こうとする者にはより大きな絶望を――それらを見守ることしかできない、傍観者。とても……とても、辛いことです』

 

 

 だからだろうか。

 ユーノは、『運命』という言葉を嫌悪した。

 最も未来を見通すことに長けていた彼女は、ゆえに最も未来に縛られている人間でもあった。

 唯々諾々と従うことを嫌い、自由に生きることを渇望した。

 

 

 ――そして、運命の時は訪れた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 運命を見た。

 

 

 運命を見た。

 

 

 運命を見た。

 

 

 

 

 昼となく。夜となく。

 

 あらゆる可能性を探し出した。

 

 

 

 

 それでも、破滅(みらい)は変わらない。

 

 七つの丘は闇に沈む。剣闘士の栄光は深淵に堕ちる。

 

 全てを失い、何もかも無くした女を、月はただ照らすだけ。

 

 

 

 

 ――だったら、あとひとつ。

 

 私が選べるのは――

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 結末が決まっていたとしても。

 避けられないとしても。

 ()()()()()()()()

 

 

「今の私に、導きは必要ない――!」

 

 

 月の巫女が吼える。

 サングイス狩猟台地、黒い汚濁に穢された清泉に、ルナオーラムの弓がしなる。

 

 

『――……素晴らしい……!』

 

 

 漂泊者の耳に、学者の感嘆が響いた。

 ――三年前の高潮。グラディエーターの部隊に同道したユーノは、全滅の運命を拒んだ。自ら弓を取り、戦うことを決意したのだ。

 

 

『漂泊者さん、彼女が何を成したか理解できますか!? 彼女がどれだけの蛮行を働いたか理解できますか!?

 彼女は、「確定された未来」を()()()()()()()()!!』

 

 

 月の巫女は舞う。運命に抗うために。滅びの定めを覆すために。

 

 

『「確定された過去」と同じように、「確定された未来」を覆すことはできない。それは彼女自身によって()()され、過去に押し流されていたからです! 紙に垂らされたインクのように、()()()()()として認識されてしまったからです!

 彼女は――“諭しの女”ユーノは、その大前提を覆した! 自らの魂をインクに変え、自らの存在をペンと化し、確定された歴史(みらい)そのものを書き換えてしまったのです!』

 

 

 月はいよいよ輝きを増し、黒潮から溢れる残像たちを射貫いていく。その一筋一筋に、彼女自身の魂を込めて。

 ()()()()()()()()()。世界を読み解き、結果を創り上げる。

 

 

『何ということだ――運命を、摂理を、黄金律をも欺く冒涜! しかし彼女は成し遂げた! 誰もが当たり前に求める、「よりよい明日」を信じるために!!』

 

 

 摂理を相手取る、大いなる反逆。永遠の女王マリカでさえ成し遂げられなかった大罪。彼女はそれを、たった一人で覆した。

 夜空を照らす月光に、グラディエーターたちが立ち上がる。その槍穂の輝きを受けて、巫女はさらに高く舞う。

 

 

『何としても連れ戻しましょう、漂泊者さん! 彼女は、人間の宿命を超克する偉業を成し遂げた! その末路がこんな破滅など、あっていいはずがない!!』

 

 

 学者の言葉に頷き、漂泊者は迅刀を高く掲げた。軋むルナオーラムの輝きが、混沌を切り拓く――

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 そうして、漂泊者はユーノと再会した。

 あとは、この混沌の深層から脱出するのみ。そのはずだったが――

 

 

「――ユーノ!?」

 

 

 目覚めた漂泊者の目の前にいたのは、片眼鏡(モノクル)を掛けた旅装の人物――学者ただ一人。ユーノが、いない。

 二人は、黒潮の淵に取り残されていた。

 

 

「学者! ユーノは!?」

「分かりません。ここに辿り着いたのは、あなた一人のようです」

 

 

 思わず肩を掴んで叫んだ漂泊者に、しかし学者は心苦しげに返すことしかできなかった。

 片眼鏡(モノクル)の魔力は途切れた。探るべき過去の記憶は、もうここにはない。その対象を見つけることはできない。

 

 

「どういうことだ……『アンカー』は失敗したの?」

「分かりませんね……ここには、もう手がかりはなさそうです」

()()が……私が修正を加えた結果なの?」

 

 

 動揺の余り座り込み、茫然自失になりかけた漂泊者を、学者が咄嗟に支えた。

 

 

「どうか落ち着いて。『アンカー』に何かしらの成果があったのなら、ユーノさんにまつわる記録にも変化があるはずです。まずは、テトラゴン真殿に行ってみましょう」

 

 

 その後、何とか冷静さを取り戻した漂泊者は、ひとまず学者とともにキャンプへ戻ることになった。

 

 

 道中、奇妙な噂を耳にした。

 何でも、「予言の書」に新たな痕跡が見つかったらしい。無秩序な混沌ではなく、全てを断線する破滅ではなく、あらゆる可能性を肯定する「空白」が現れたそうだ。

 それと、青い髪を二つ結びにした少女の姿が見受けられたらしい。誰もその顔に覚えがないにも関わらず、彼女は全て了解済みのように、自由に振舞っているのだとか。

 

 

「――どうやら、僕たちの試みは成功したようですね」

 

 

 キャンプでの聞き込みを終えた学者は、そう結論付けた。

 

 

「過去を書き換えることはできない。彼女はあくまで、『歴史の狭間に消えた人物』でしかない。

 ですが、その存在を繋ぎ止めることには成功しました。まさに、あなたが望んだ通り」

 

 

 それでも――不安を隠せない漂泊者の頭の上から、ひとつの声が降り注いだ。

 

 

「遠くから聞こえてきたわ……ユーノ、ユーノって。そんなに焦るなんてね」

 

 

 飛び降りてきたのは、月のような青い髪を二つ結びにした少女。猫のようにしなやかに、悪戯っぽい笑みを浮かべるユーノだった。

 感激に思わず胸が詰まる漂泊者の隣で、学者は恭しく礼をした。

 

 

「初めまして――と言っていいのでしょうか? 僕はしがない学者です」

「知ってるわよ。“空白の者”“闘技大会のチャンピオン”“もう一人の英雄王”――それにくっついてる、頭でっかちな文弱」

「はは、これは手厳しい。言い返せなくて悔しいと思ったのは初めてですよ」

「気を悪くしたなら謝るわ。あなたも、私の存在を取り戻してくれた一人なのだし」

 

 

 学者の笑い声に、ユーノは悪戯っぽく笑った。往時の尊大な物言いとは異なる、柔らかさを伴う言葉だった。

 そしてユーノは、全てを語り始めた。

 ――三年前のあの時、運命の冒涜を行ったことで、未来を見通す力が失われたこと。引き換えに黒潮の造物を『アンカー』する力を得たこと。彼女の渇望通り、全滅の運命は少しだけ変わったこと。運命を覆す力を確信した彼女は、オーガスタと共謀し、『英雄王を必要とする災厄』そのものを防ぐ策を弄したこと。『己の存在』という代償だけは、彼女に伏せていたこと……

 

 

「みんなは、ユーノに関する記憶を取り戻せたんだろうか」

「ここに来る途中、付き合いのある人たちに会ったけど、誰も覚えてなかったわ。たぶん、私に関する記憶は、代償として消えたままなんでしょうね」

 

 

 漂泊者の問いに、ユーノは何でもないかのように答えた。その言葉の裏側に、一抹の淋しさを隠していた。

 

 

「けど、あなたたちは覚えてる。あの混沌から私を助けてくれたおかげで、この世界に戻ってこられた。だから、私は満足してる」

「ほとんど漂泊者さんのお陰ですよ。僕は、あの混沌の中であなたの過去を覗き見ただけですから」

 

 

 気を取り直したユーノの言葉に、学者は謙遜した。

 彼らの関係性は不可思議だ。関係性ごと混沌の彼方に消えた記憶と、彼女の半生を垣間見た学者。噛み合っているようで、噛み合っていない。混沌から直接掬い出した“空白の者”漂泊者とも異なる、奇妙な関係。

 それでも、きっと、

 

 

「それに――友情とは、何も過去の積み重ねだけではない。もう一度言葉を交わし、心を通わせ、友となればいい。

 もう一度、初めから。あなたは一度、成し遂げたのですから」

「……そうね。それくらいの魅力が、私にはあるものね」

 

 

 そう言って、ユーノは朗らかに笑った。

 漂泊者と学者――二人が全霊を懸けて、この世界に取り戻した笑顔だった。

 

 

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