潮騒を追う夜雨   作:竹河参号

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とある漂泊する音の始まり(1)

 雲陵谷(うんりょうだに)で目を醒ました女は、自らの記憶を有していなかった。

 髪の一部が羽毛と化した青い帽子の少女秧秧(ヤンヤン)と、薄着の隙間から健康的な肉体を見せる赤毛の少女熾霞(シカ)は、便宜上「漂泊者」と呼ぶことにした。人気の少ない雲陵谷(うんりょうだに)に異邦人とはいささか奇妙だが、ここで足踏みしていても仕方ない。つい先ほど、秧秧(ヤンヤン)が“天空海”の発生を感知した。じきに“無音区”が形成され、“残像”との戦闘になる可能性が高い。夜帰軍として鍛えている二人はともかく、自分の経歴すら分からない漂泊者は危険だ。

 

 

白芷(ビャクシ)! 白芷(ビャクシ)――!」

 

 

 谷口を出た三人は、無音区に立つ一人の女に駆け寄った。白い反響生物を伴う若い女――白芷(ビャクシ)は、秧秧(ヤンヤン)熾霞(シカ)の友人であり、行動を共にしていた研究者だ。白芷(ビャクシ)は喧しく喋る熾霞(シカ)を無言で黙らせると、共鳴能力でさっと漂泊者の容態を確認した。

 

 

「――……大丈夫みたいね。良かった」

「……何が???」

 

 

 と言っても、この花に似た白い謎生物(あとで聞いたところによると、優曇(うどん)という名前らしい)に一目眺められた程度。記憶喪失の漂泊者にとっては、何が何やらよく分からない。

 

 

白芷(ビャクシ)はあなたのことを心配しているんですよ。確かに、さっきまで倒れていたあなたを、無闇に連れ回すべきではありませんでしたね……」

 

 

 秧秧(ヤンヤン)の補足により、漂泊者はようやく状況を悟った。この白芷(ビャクシ)という人物、見た目こそ頑なな堅物のように見えるが、意外といい人のようだ。

 

 

「う! 急に……体が……!」

「えっ!? 漂泊者、大丈夫!?」

「……おしゃべりするなら場所を変えましょう」

 

 

 咄嗟にお腹を押さえた漂泊者の小ボケを、白芷(ビャクシ)は一言で無視した。見事に引っかかった熾霞(シカ)のことなど見向きもしない。

 

 

 その瞬間、世界が軋んだ。

 

 

 無音区の証たる、大地に刻まれた十字裂傷を起点に、岩棘がぼこぼこと生じる。同時に、一同は甲高い金切り声を聞いた。鼓膜を突き破るような劈く音が頭蓋を透徹し、漂泊者を除く三人を苦しめる。

 

 

「――これは……怒涛級……いや、それ以上……!?」

「嘘でしょ!? こんなに早く現れるわけ――」

 

 

 盤古(はんこ)デバイスから発せられる危険信号に、白芷(ビャクシ)熾霞(シカ)は激しく動揺した。発生したばかりの無音区は周囲の周波数エナジーを蓄え、その潜伏期に応じて強い残像を発生させる。つい先ほど生じたばかりのこの場所で、上級個体が現れるはずがない。

 

 

 ごり……と、何かを引き摺る音が聞こえたのは、その時だった。

 

 

 漂泊者ははっと背後を振り返った。

 見れば十字裂傷の中心から、ヒトガタの何かがゆっくりと歩いてくる。全身を帯でぐるぐるに封印され、背に巨剣を担いでいる。両腕もぎっちりと帯で封印され――いや、(おか)しい。胸の前で交差するように封じられている様子なのに、右肩からもうひとつ腕が生え、大剣を握ったまま引き摺りながら歩いている。その右腕も不自然に隆起しており、()()()()()()()()()()()()()かのようだ。

 漂泊者は咄嗟に佩剣を抜き放ち、構えた。それを待っていたかのように、無貌の残像は大きな叫喚を上げた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

秧秧(ヤンヤン)! 漂泊者!」

 

 

 迅刀を構えたまま、無貌の残像と相対する漂泊者の耳に、くぐもった声が届いた。

 いつの間にか、熾霞(シカ)白芷(ビャクシ)の姿が見えない。声音からして、そう離れてはいないようだが。

 

 

白芷(ビャクシ)と一緒にバリアの外に締め出されて、中に入れないんだ! そっちは大丈夫!?」

「上位結界……ただの怒涛級じゃないわ。気を付けて」

 

 

 熾霞(シカ)白芷(ビャクシ)、それぞれに二人を気遣う声が届く。

 漂泊者は返事どころではなかった。ひとまず二人が無事なのは、それでいい。問題は目の前の残像だ。緩慢な歩みでこちらに迫ってくるが、その気迫は戦慣れした秧秧(ヤンヤン)でさえ及び腰になるほど強烈。そんなものが、迷わず自分を狙ってくる理由は一体……?

 無貌の残像が、ぐおと大剣を振りかぶった。片刃が毀れ、ぼろぼろになった大剣。ぎちぎちと軋む帯が筋肉の動きを阻み、思うように動けていない様子だ。ごうと風を斬って迫りくる刃を、漂泊者はさっと身を翻して回避した。

 

 

(動きは鈍い――隙はある!)

 

 

 ぐらりと体勢を崩した残像に向けて、漂泊者は迅刀を叩き込んだ。きらきらと輝く黄金の軌跡が残像の体躯に衝突し、打ち据えるような澄んだ音が響く。漂泊者の剣戟を浴びながら、しかし残像は緩慢に体勢を立て直した。

 

 

(一撃では足りない――だったら!)

 

 

 再びの一撃を回避しながら、漂泊者は右手を突き出し、そこに黄金の輝きを収束させた。輝きは一本の迅刀となり、くるくると旋回しながら漂泊者の周囲を回り始めた。一撃二撃で足りないなら、重ねるまで。旋回する音の刃とともに、漂泊者は怒涛の連撃を叩き込んだ。

 迅刀の鋭い連撃、そして旋回する音の刃――黄金の輝きが縦横無尽に残像を斬り刻む。しかし残像は一向に頓着せず、緩慢な斬撃を応報してくる。あまりに遅すぎて、逆にリズムが狂わされる。それに踏み込みも深く、半端な回避では格好の餌食になってしまう。何という強敵だ。たらり、と漂泊者の頬に汗が一筋流れた。

 緩慢で強烈な大剣の一撃に、俊敏な迅刀の連撃が相対する。その不釣り合いな攻防に一瞬の隙が生まれたか、漂泊者の無防備な胴に残像の大剣が迫った。この角度は――回避、いや間に合わない、防御を――

 

 

「――漂泊者さん!」

 

 

 そこに秧秧(ヤンヤン)が素早く割り込んだ。風を纏う鋭い突きが、残像の大剣に衝突し、ぎぃぃんと甲高い音を立てる。予想外の衝撃に、残像は大きくのけ反らされた。

 局面を拓くならここだ。漂泊者は素早く飛びずさりながら、漂泊者は周波数エナジーを濃縮して放った。ぴぃぃ――と放出された音素の圧が、残像の動作を一時的に止める。我が意を得たりとばかりに、秧秧(ヤンヤン)は迅刀を構え、風と共に飛び上がった。

 

 

「風花繚乱!」

 

 

 風を纏う高速の連撃が、無数の残影となって残像を斬り刻んだ。刹那の音圧に全身を拘束されていた残像は、斬撃の嵐を余すことなく浴びせられた。秧秧(ヤンヤン)がだんと着地したのと、残心のような一撃が払われたのと、残像の拘束が解けたのはほぼ同時だった。

 ここまで攻撃すれば――そんな二人の思惑は、無貌の叫喚によって遮られた。

 

 

「うっ!」

「くっ!」

 

 

 おおおお、と重圧を伴う叫喚が二人を呑み込み、その衝撃で身を怯ませた。びりびりと大気を軋ませる絶叫が、雲陵谷(うんりょうだに)に木霊する。無貌の残像はぶちぶちと封印の帯を引き千切りながら、拘束されている方の右腕を解き放ち、背中に担いだ巨剣に手を掛けた。

 まずい、と漂泊者は直感した。これまでの大剣は何とか避けたり弾いたりしてきたが、あの巨剣を迅刀ひとつで凌ぐのは無理だ。何より、異郷の紋章がびっしりと刻まれたあの剣の真価は――

 

 

 ぞぶり、と無貌の体躯に大剣が捻じ込まれた。

 

 

 その仕手は漂泊者でも秧秧(ヤンヤン)でもない。他ならぬ、無貌の残像自身の大剣だった。つい先ほどまで漂泊者および秧秧(ヤンヤン)と死闘を繰り広げていたはずの毀れた刃は、ひとりでに意志を宿したかのように、その肉体に突き立てられ、そしてぐりぐりと抉っていった。ついにその斬痕が下半身まで到達したとき、無貌の残像はがらりと大剣を取り落とし、それきり動かなくなった。

 

 

「……終わり……でしょうか……?」

 

 

 戸惑う秧秧(ヤンヤン)の言葉に、しかし漂泊者は迅刀を構えたまま無貌の残像を見据え続けた。その上半身を深く抉った斬痕の下には、深い闇がうごめいていた。得体が知れない。油断してはいけない。そう身構える漂泊者だったが――

 

 

 ばしゃり、と斬痕の内側からヒトの腕が突き出された。

 

 

 鎖帷子の上から革のグローブを嵌めた右腕だ。肩口まで飛び出したその腕が、何かを探すように宙を手繰る。やがて残像の膝辺りに突き立てられた大剣を掴むと、それを支えにゆっくりと身を引き摺り出した。

 飛び出した勢いで、そのヒトはべしゃりと地面に転がった。深青のサーコートの上から着けられた胴鎧、ぼろぼろになったマント、翼を模した異国の兜、鬱血防止のために縄できつく縛られたブーツ、左腕に装着された弩のような機構――今や物言わぬ彫像となった無貌の残像とは、何もかも異なる。げほげほと咳込むその声音からして、若い男らしい。

 男は、掴んだままの大剣を支えに立ち上がった。完全に身を起こし、無貌の残像の遺骸から大剣をぞぶりと引き抜くと、肩に担ぎながらきょろきょろと辺りを見回した。そうして振り返った先、男がようやく見つけたのは、警戒した様子で佩剣を構える漂泊者と秧秧(ヤンヤン)だった。

 男は漂泊者をしばらく見つめ、そして次に無貌の残像へと視線を戻した。二者を行ったり来たりする視線の果てに、男は自分の置かれている状況を悟った。――つまり、強襲してきた残像(かいぶつ)の中から出てきた、不審な男なのだと。

 男は困ったようにぽりぽりと兜を掻くと、大剣を背負い、完全に両手を空にしたうえで、完全降伏を示すように二人に見せつけた。

 

 

「――済まない……敵意はない。本当だ」

 

 

――どう思う、秧秧(ヤンヤン)

――……えっと……

 

 

 あまりにお粗末な口下手ぶりに閉口してしまった二人は、いつの間にか結界が崩壊していることに、気付くのが遅れた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

秧秧(ヤンヤン)! 漂泊者! 大丈夫か!? 怪我はない!?」

 

 

 崩落した結界の内側へ、いち早く駆け寄った熾霞(シカ)の呼び声に、二人はようやく再起動した。

 

 

「いやあ、めっちゃ焦ったよ……あのバリア、頑張って壊そうとしたんだけど、ビクともしなくてさぁ……」

「……その男は?」

 

 

 何とか危機は解決、と安堵する熾霞(シカ)の横から、白芷(ビャクシ)が男を睨みつけながら言った。優曇(うどん)を召喚し、今にも攻撃せんとばかりに敵意をむき出しにしている。

 

 

「あれっ? そうだ! あんた誰!? どうやってこのバリアを抜けられたの!?」

 

 

 普段の様子からは考えられない白芷(ビャクシ)の態度に、熾霞(シカ)もようやく男の存在に気付いた。視界用のスリット以外は顔面をすっぽりと隠している男は、しかし困っている様子がありありと見受けられた。

 

 

「えっと……私たちも、なんて言っていいのか……」

「その……残像の中から出てきた」

「はぁ!? ヒトが!? 残像の中から!?」

「そうなんです……」

 

 

 言葉に迷いながら説明する二人の言葉に、熾霞(シカ)はますます度肝を抜かれた。そんな話、聞いたこともない。

 

 

「その……“残像”というのは、コレのことでいいのか」

 

 

 男がようやく口を開き、背後で跪く無貌の残像を指差した。すでにその体躯からは力を失い、貧金の周波数エナジーとなって、徐々に解けつつある。

 

 

「そうよ。今はもう、“残響”に変わっているけれど」

「……何が違うんだ?」

「“音核”を中心に構成されているのが残像、または“残響体”。音核を失い、残留する周波数のみになったのが残響。このくらいは一般常識よ」

白芷(ビャクシ)ぃ、研究者の常識は常識じゃないんだよ~」

 

 

 男の疑問に対し、厳しい言葉で返す白芷(ビャクシ)。隣で呆れたように肩を竦める熾霞(シカ)の言葉など、まるで耳に入っていない様子だ。

 

 

「で、結局あなたは誰なの?」

「俺は――……俺の、名は……」

 

 

 漂泊者の問いに、男はしばらく考え込んだ。喉奥に引っかかったきり、吐き出すことも呑み込むこともできない小骨に苦しんでいるかのような様子に、少女四人は揃って不思議そうな表情を浮かべた。

 

 

「漂泊者と同じ、記憶喪失ってこと?」

「そうなのか? いや、そうじゃないんだが……それに近いというか……」

 

 

 熾霞(シカ)の言葉にも、要領を得ない返答を寄越す男。見かねた白芷(ビャクシ)が、ひとつの言葉を投げかけた。

 

 

「――あなた、兜を取って見せて」

白芷(ビャクシ)?」

「残像の共存(フラクタル)――観測記録こそないけれど、『絶対にあり得ない』という証明はない。その兜を取って、人間であることを証明してちょうだい」

 

 

 険しい表情の白芷(ビャクシ)に、秧秧(ヤンヤン)は悲しそうな表情を浮かべた。事ここに至って、彼女はまだ、目の前の男が残像である可能性を考えているのだ。

 一方、「そういうものか」と納得した男は、ごきりと翼の兜を外し、その下の素顔を見せた。

 

 

「これで、いいか」

「ほへー……本当に人間だ……」

 

 

 鷹のように鋭い瞳に、色褪せた金髪を後ろに流し、やや肉の少ない精悍な顔つき。美形と言えば美形、しかし特徴の少ない顔つきは、間違いなく人間のそれだった。共鳴者らしい特質も見られない、何の変哲もない人間だ。

 一同の理解を得られたらしいことを察した男は、翼の兜を翻し、頭からすっぽりと被った。以後彼が兜を外すことはほとんどなくなり、他ならぬ熾霞(シカ)によって「今州城七不思議の一つ」などと喧伝されることなど、今は知る由もない。

 

 

「どうして、この残像の中にいたのですか?」

「……その、“残像”というものが、よく分からない。気が付いたらこいつの中にいて、あんたたちと戦っているところが見えたから、慌てて飛び出したんだ」

 

 

 秧秧(ヤンヤン)の問いに、男は相変わらず要領を得ない言葉を返した。嘘を言っている様子は見られない。そもそも生きたまま残像に取り込まれていることも稀、その過程で本人の自意識がどうなっているかも、前例のないことだ。

 

 

「ますます漂泊者と一緒ってことか。この人のことはなんて呼ぼう?」

「『漂泊の旅人』でしょう? 『漂泊者』でいいんじゃないかしら」

「そしたらこっちの漂泊者と被るじゃん!」

「だったら私はエリート漂泊者だな!」

「漂泊者さん、何を言っているんですか?」

 

 

 やいやいと騒ぐ熾霞(シカ)、記号など興味のない白芷(ビャクシ)、余計な小ボケを挟んでくる漂泊者の横で、男はしばし考え込んだ。

 

 

 漂泊者――その記号は、自分には相応しくないだろう。

 あてどなく漂流し、雲のように流れ、その先で出会いを言祝ぐ漂泊者(Rover)ではない。

 

 

「――……そうだな……『追跡者』とでも呼んでくれ」

 

 

 定められた獲物をどこまでも追いかけ、そして叩き潰す、追跡者(Wylder)だ。

 

 

 




無貌者
 今州でも観測されたことのない、未知の残像。危険度は怒涛級と認定された。
 不完全な残像。その真価は明かされていない。
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