翌朝。官僚たちに見送られて辺庭を出た二人を、早速
「おはようございます、漂泊者さん、追跡者さん」
「おはよう、
「おはよう」
「今日はどうしますか?」
「まずは
「ついでに、昨日の『印』についても訊いてみようと思ってな」
「では、
三人は、辺庭から少し離れた
院内には多数の制御端末が設置され、研究員がそれぞれ観測や設計などの業務に従事している。その手前、ちょうど入口あたりの応接スペースで、複数の男が言い合いをしていた。正確には、怒鳴り散らす企業の営業担当が一人、それを冷たい声音で叩き伏せる赤髪の研究者が一人、横でおろおろしているだけの研究員が一人。どうやら企業側が「少ない予算で高性能化しろ」と無茶振りを言い出し、それを赤髪の研究者が反論しているようだ。反論というより、論理で捻じ伏せているという方が正しい。結局、企業側は出資取り止めを言い捨てて、苛立ちのままに研究院を出ていった。あとに残されたのは、ふんと鼻を鳴らす赤髪の研究者と、厄介な客をやり過ごすことができてほっと胸を撫で下ろす研究員と、その喧々諤々の様子を見せられた
三人に気付いた赤髪の研究者が、その不機嫌そうな表情を保ったまま歩み寄ってきた。
「安全課のモルトフィーです。何か用事が――ございます、か?」
「……あ……」
先ほどの不愉快をまだ引き摺っているらしい、赤髪の研究者ことモルトフィーが、むっつりした表情のまま声を掛けた。生来穏やかな気質の
「わ、私たちは喧嘩を売りに来たわけではないんです。あの、
「なるほど、あなたたちが……お気を悪くさせてすみません」
「いえいえいえ、とんでもないです。約束もなしにお邪魔したのは私たちの方ですので……」
「
まともな客人ということで態度を改めるモルトフィーと、圧倒されたままの
「待たせたわね。
それで……辺庭での謁見、何か成果はあった?」
アポイントメントもなしに呼ばれたはずの
漂泊者と追跡者は、昨日と同じように辺庭での出来事を説明した。
「
「飴玉については多少分かっていることがあるだろうけれど、まだ検証の余地がありそうね。可能であれば全ての『印』に対して、構造の破壊を除く検査と測定を行うべきよ」
「漂泊者、ここは笑うところか?」
まるで構造破壊が標準的な選択肢であるかのような物言いに、追跡者は閉口した。いや、ここで「壊してみましょう」と言わない分、真面目に考えているには違いないが……
「日時計以外は反響課で検査と測定ができるわ。放射線測定機器を用いるから、黒石研究の責任者へ申請を出しましょう」
そう言うと、
その様子に気付いているのかいないのか、モルトフィーはむっつりとした表情を崩さないまま説明を進めた。二十分ほどかけて測定を行うらしい。ふと思いついた漂泊者は、日時計もモルトフィーに見せることにした。
「これ、何だか分かる?」
「日時計ですか? これは……私の知り合いの作品とよく似ていますね」
「その人物に作らせたとか?」
「あり得ますね……ん? 何かパーツが欠けているようです」
モルトフィーが指し示した場所には、小さな溝がある。何か、針金のようなものを引っかけるのだろうか。
「測定には時間がかかるわ。先に身体検査を行いましょうか」
測定と解析をすべくその場を離れるモルトフィーと別れ、漂泊者と追跡者は
「これから、あなたたちの身体状況と共鳴周波数における異常の有無を検査する。
ではまず漂泊者、あの“無貌者”を再現してみて」
台に乗せられた漂泊者は、
「――はぁぁぁぁーーっ!」
「……それで出てくるものなのか?」
「……バイタルに変調はなし。デバイスにデータがないこととも矛盾しない……」
とりあえず、丹田に気合を入れて叫ぶ――が、何も起こらない。追跡者と
「“無貌者”の周波数エナジーはあなたに
でも、その仕組みはさっぱり分からない。まるであなたの身体の中に、周波数エナジーを吸収する機構が別にあるみたい……」
「……まさか……
閃きのまま口にした追跡者の言葉に、漂泊者は首を傾げた。
「お腹の調子は悪くないけど」
「周波数とやらが吸収されて、跡形もなくなったってことは、『食べた』も同じじゃないのか」
「いや、そんな簡単な――……いえ、その可能性もなくはない……?」
「あるんだ……」
素人の思いつきは、
やがて
「今確定しているのは、あなたの身体には、もう一つの空間――あるいは生物がいる、ということ。
……現時点では情報が足りないわね。実戦で検証してみましょうか」
◇ ◇ ◇
まずは、デバイスを有する漂泊者の番。言われた通りデバイスを握りしめた漂泊者は、研究院が管理する疑似
追跡者は
ひとまず実戦検証は終了ということで、漂泊者は疑似
「……漂泊者!? 聞こえる!?」
眼の色を変えた
「何が起こった?」
「周波数が乱れ始めた……これまでずっと、安定を保っていたのに……」
『蜈ィ縺ヲ貊?s縺ァ縺励∪縺』
末期の恨み言のような強いノイズが、スピーカーを汚した。
機械仕掛けの台に黄金の光が集まり、ぽんと漂泊者が吐き出された。幸いにして、亜空間に取り残される、ということはなかったらしい。台にへたり込んだ彼女は、ぐったりと具合が悪そうに俯いていた。異変を察知した
「漂泊者さん――漂泊者さん! 無事ですか……!?」
「……な……何とか……」
「はぁ……良かった……」
「
「……漂泊者、疑似
休憩室に移り、簡易ベッドに体を横たえた漂泊者に向かって、
燃える雨雲に覆われた夜。油を溶かしたようなどろりとした空。乾燥した息苦しい空気。そして――背負っていた巨剣を抜き放った無貌者によって、漂泊者はなます切りにされたのだという。
要領を得ない漂泊者の説明に対し、しかし
――まさか、
◇ ◇ ◇
次に、追跡者の番が回ってきた。
こちらは研究院に支給されている、予備の試験用デバイスが渡された。
気が付くと、色褪せた砂浜に立っていた。
(……ここは……)
歩かねば、と使命感に駆られた。凪のように色褪せた心境のまま、緩慢に脚を動かし始める。
目的地などない。終着点などない。ほかならぬ彼自身が、それであるが故に。
どれほどの時が流れただろうか。
気が付くと、地平線の彼方に三つの影が現れた。
巨大な戦斧を担いだ角兜の戦士。緑衣のフードを被った弓使い。
(……そうか……お前たちは……相変わらず、だな……)
それぞれに霊樹の加護と夜の力を宿した得物を携え、戦意漲る表情で、こちらを目指して疾走してくる。
さりとて、これは決戦。
世界を滅ぼす“夜”の呪いと、世界を救う“霊樹”の加護の激突。
剣を握り直したその時、ようやく最後の影に気付いた。
――いや、本当は目を背けていただけなのかもしれない。それを咎めることができる者がいるか、どうか。
(――……お前、は……)
短剣と魔杖を構えて疾走する、色褪せた金髪に仮面をつけた女。
その姿は、ある意味彼が誰より望んだもので――
◇ ◇ ◇
「――……跡、者――追跡者さん!」
激しく揺さぶりながら叫ばれる呼び声に、漂泊者はゆっくりと目を開けた。
そこには、不安そうな
「追跡者さん! 大丈夫ですか!?」
「……ああ、大丈夫。大丈夫だ」
「よかった……漂泊者さんに続いて、追跡者さんまで……」
気が付くと、追跡者の意識は研究院に戻ってきていた。機械仕掛けの台の上に立ち、ぼんやりとデバイスを握りしめていた。
「……次から検査を受ける時は、兜を外してからにしてちょうだい」
「
軽口とも本気ともつかぬ
追跡者の意識が完全にはっきりしてから、
「……前例のない事態ばかりね……漂泊者のデバイスを経由して、何か汚染が発生した……? いや、デバイス自体に異常を与えたわけではない。辺庭のアップグレードにも問題はなかったはず……」
「何が起きているの?」
「私にも分からないわ」
ぶつぶつと呟いていた
「
そして、研究院が開発したこの疑似
「……つまり?」
「可能性として考えられるのは、漂泊者のデバイスを通じて疑似
え。と、漂泊者と追跡者は顔を見合わせた。まさか、それぞれに問題があるとは。
「
「身体の方はどうなんだ」
「二人とも、健康そのもの。全項目の指標が規定値を満たしていた。
でも油断は禁物よ。何か異常を感じたらすぐ私に連絡して。いい?」
「分かった」
有無を言わさぬ力強い言葉を言い渡すと、
ここで待っていても仕方ない。モルトフィーの許へ測定結果を聞きに行こう。