夕方。石崩れの高地を横切り、今州城に戻ってきた三人を出迎えたのは、巡尉の業務を終えた
「どうどう? うまくいった? 怪我はしてないよね? ほら見せて!」
漂泊者の腕を引き、興味津々といった様子で尋ねてくる。彼女なりに気がかりだったのだろう。
漂泊者が一通り事情を説明すると、
「
「連中は、どういう組織なんだ?」
「細かいことは分からないんだよ……それに、あたしなんてまだ下級メンバーにしか会ったことないし……
あいつら、人の手で共鳴を誘発させる方法について研究してるらしい。力に良し悪しなんてない、誰もが等しく共鳴の力を授かるべきだって」
「彼らは人体に機械を仕込むことで、残像と融合させて共鳴の力を無理やり授け、そうして力を手に入れた
そこまでして力が欲しいだなんて……私には理解できません」
――だが追跡者には、少しだけ分かる気がした。
“夜”の理不尽を前に、尋常な膂力や小手先の技巧など意味を成さない。世界の摂理を根底から覆す暴虐に対抗するには、世界の摂理をも超克する力が必要だ。
求めて得られないのならば、奪うしかない。神が世界を救わないのであれば、
たとえ、その果てにどんな結末が待ち受けていようと――
……無為な思考は止めよう。曲がりなりにも現代社会が正しく機能し、
「……あのスカーという男が、その連中の指導者なのか?」
「“監察”という幹部であることは間違いありません」
「動きは派手だけど、捕まえるのが大変なんだよね……他の下っ端と全然レベルが違う」
「はい……ですが、私たちに危害を加えようとはしませんでした」
それが、四人の頭を悩ませる点だった。脅威として排除しようという害意ではなく、駒として利用しようという悪意ではなく、同志として勧誘しようという意図――彼らにとっても、漂泊者には『特別な何か』がある、ということなのだろうか。
「奴の狙いは何だ。
「今のところ、そうみたいだね」
「真の目的は分かりませんが、それもまた
追跡者の核心的な問いに、しかし漂泊者も
スカーは『
「それにしても、あの村でそんなことがあったとは思わなかった……
連絡を受けてからすぐ治安署で事件についてアーカイブを調べてみたんだけど、現
「その後は?」
「安心して。犯人は捕まったし、村人も新しい場所に移住させた。でも、あんたらが言ってた女の子については署に記録がなかった」
朗報で何とか場を明るくしようとした
「やはりスカーに連れ去られたのですね……」
「スカーはあの子を傷付けようとしていなかった。ただ、あの子を利用して何かを企んでる可能性はある」
「はい……私たちでスカーを捕まえることができれば……」
漂泊者と
一方、どうにも繋がりが見えない
「あー、さっぱり分からん! なんで
「スカーもそこに誤った情報をばらまきましたね」
「順番を間違えたのかも」
「順番?」
漂泊者の推測に、三人は首を捻った。
漂泊者たちは、紫の葉っぱに残存する周波数を辿って、
「まさか……餌を仕掛けたのは
「あれは、スカーの『布教』のようでもあった。
「奴らがお前を誘うことも、危害を加えないことも織り込み済みだったということか」
言いつつ、追跡者は兜の奥で顔をしかめた。
大前提として、漂泊者は身元不明の記憶喪失者である。そんな存在の覚醒を的確に予見し、その足取りを推測して手がかりを与え、ついでに敵対組織の反応まで織り込んで動かすなど、およそ只者の頭脳ではない。少なくとも、追跡者には到底考えられない思考だった。これを思い通りに実現した今
一方、
「今州の歴史を変えた人……蘇ろうとする鳴式が起こす戦争……闇にうごめく
この全てが、漂泊者さんに関連しているとしたら……あなたは一体……」
「……ここから先は、
微かな震えを伴う
彼女にまつわる多くの謎に対し、
そして、追跡者の使命とは何なのか。
◇ ◇ ◇
それはともかく、と
「こう見ると、『印』の調査もだいぶ進んだな。あとは日時計だけか」
「モルトフィーさん曰く、日時計には
「時刻と方位の情報は手に入れた。『南』と『
「はい。『南の朱雀』と『
「わぁ、本当に解けた! すごい!」
「これは……地図か?」
「あっこら!」
漂泊者が巻物をくるくると開いていくのを覗き込もうとする追跡者に、
「私たちは見ちゃだめだよ! ほら
「おい、引っ張るな」
「
予備役とはいえ、公職を全うするものとしてこれくらいのルールは分かってる!」
「
追跡者の腕を引き、強制的に明後日の方向に振り向かせようとする
「――『瑝覧類書』って、なんだっけ?」
「お前、さては隠す気がないな」
何でもないことのように問う漂泊者を、追跡者がじっとりと睨んだ。この流れで『瑝覧類書』の名を出してしまっては、「それに関する手がかりが書かれている」と教えているようなものではないか。
追跡者と同じような呆れを、しかし
「瑝瓏に関する全ての資料が保管されているデータベースです。参照すればあらゆる疑問を解消できると言われていますが、それゆえに類書の設置場所は公表されていません。
この瑝瓏を流れるデータの大動脈は歳主の管轄化にあります。なので
「……つまり?」
「辺庭のデータの金庫みたいだね!」
「そこで得られる情報は精細かつ正確なものです。なので、もし『瑝覧類書』を通じて漂泊者さんの身分が確認できるのなら……あることを意味します。
それは、過去に漂白者さんは今州と何かしらの関係を持っていたということ――そしてその関係が、普通の関係ではないということ」
「今州、それどころか瑝瓏にとっての大切な人ってこともあり得るのか……もしかして私たち、とんでもなくすごいやつに出会ってしまったのでは!?」
事情が一周した。ぎょっと目を剥く
それはそれとして――改めて日時計に目を遣った漂泊者は、ふと何かに気付き、そして今州城を見上げた。じっと何かを探るような視線に、三人は首を傾げた。
「……どうかしました? 他に何か気になることでも?」
「辺庭って、今州の中心にあるの?」
「はい。政治的にも地理的にも中心と言えますね。辺庭は今州設置時に一番最初に落成した構造物で、今州で方位を示す時はそれを基準とすることが一般的です。
……漂白者さん、なぜその質問を?」
しばらく今州城を見つめていた漂泊者は、改めて日時計に視線を戻しながら、静かに口を開いた。
「
「ほら、言った通りじゃん! やっぱりトップシークレットなんだ!」
漂泊者の短い言葉に、
「うわっ心配丸出しじゃん!
大丈夫だって!
見かねた
「漂泊者さん……どうかお気をつけて。あなたの帰りを待っています」
心配げな
◇ ◇ ◇
「今度は付いて行って大丈夫なのか?」
辺庭の中庭。巻物に描かれた簡易地図を見ながら、方角を確認する漂泊者に向けて、追跡者が口を開いた。
「大丈夫。いざという時はちゃんと庇うから」
「微妙に安心できないな……」
追跡者は兜の奥で顔をしかめた。時折、というか結構な頻度でおちゃらけた反応を見せるこの少女に全てを託すのは、そこはかとない不安がある。いや、真面目な部分も確かにあり、その線引きはきっちりしているのだが……
簡易地図に従い、中庭の隅に隠し扉を見つけ、その奥へ進んでいく。ぐるぐると回る螺旋階段を降りていった先は、どうやら辺庭の地下らしい。大量の水に浸された巨大な回廊があり、ちょうど二人の対角線上に封印を施された扉があった。自然浸水ではない。意図的に水をため込み、封印を解く装置を沈めているらしい。
「……また水底か。今州の人間は、水責めが好きなのか?」
漂泊者の後を付いていきながら、追跡者はげんなりした。
二人(おもに漂泊者)は頑張って中央の装置の謎を解き、水を抜いて手がかりを獲得しながら、ついに『瑝覧類書』へと繋がる扉を開くことに成功した。もしかして、ここに来る者は毎回これをやっているのだろうか……というどうでもいい疑問を胸の奥底にしまいながら、二人は扉の先へと踏み込んだ。「アクセス権を他人に与えたことがない」という謎めいた事実の裏側に、「単純に『瑝覧類書』への往来が面倒」というしょうもない真相が隠れていなければいいのだが。
扉の先、通路を歩いていった先に、巨大なサーバーの群列が姿を見せた。ちかちかと赤い光を放つ無数のデータベースサーバーが、所狭しと並べられている。
「これが、『瑝覧類書』……瑝瓏の全てが記録されているデータベース……」
「……本棚ではないんだな」
漂泊者と追跡者はそれぞれの意味でたじろいだ。高い天井の天辺まで積み上げられた機械が、きりきりと電子音を放ち、累積し、反響し、二人を圧倒する。全てを見、全てを記し、そして全てを隠す電子の貯蔵庫。歳主の許しを与えられた者のみが訪れることのできる、秘密の蔵書――
「道案内感謝するぞ、漂泊者」
二人の背後から、聞き覚えのある男の声がした。
二人が振り向くと、そこには顔に大きな傷を持つ赤い服の男――スカーが立っていた。直前の二人と同じように、サーバーの群列を感慨深げに眺めている。
「いいところだな……ここには全てがある。
ああ……この全てを隅から隅まで、何もかも木っ端微塵にしてやりたい!」
まさに歓喜の声を上げながら、スカーはその掌中に焦熱のエナジーを宿らせた。瑝瓏を破滅させる破壊的な欲望を前に、しかし漂泊者も追跡者も動揺の表情を見せなかった。
「案の定来たか。スカーとやら」
「俺がここにいることに、何の疑問も抱いていないようだな」
呆れたようにため息を吐きながらも、ゆるりと佩剣を構える二人に対し、スカーはようやく不審げな表情を見せた。近衛兵の巡回を掻い潜って入り込んだはずだが、いつ見抜いたというのか。漂泊者の表情は、むしろ
その問いに答えを返す必要はなかった。ぎゃりり、と氷棘が迸り、スカーの胴体を凍り付かせた。まったく予想だにしていなかった一撃に、彼は思わず思考を止めた。
振り向いたスカーの視線の先に、二人の女が姿を現した。上等な絹の衣装に身を包んだ白髪の少女と、首から数珠を提げた黒衣の女――今
「――ほお、罠か?」
まさかの大人物の登場に、しかしスカーは不敵に口の端を歪めた。べきべきべき、と身を囲む氷棘を振り払い、好戦的な気迫を放出する。
一、二、三、四――全力でないとはいえ歳主の共鳴者による攻撃を、たった一撃で次々に相殺していくスカーの技量たるや。渾身の力でカードを投げ放ったスカーは、しかし疲弊する様子をまるで見せない。
だが一瞬の隙を突いて、龍姿の一つがスカーの腕に噛みついた。それを嚆矢とするかのように、残りの龍姿が一斉にスカーに纏わりつき、総身を締め上げた。輝く龍姿が放つ濃密な周波数エナジーが、スカーの全身をじりじりと
「面白い……まさかこの程度で、俺を捕まえられるなんて思ったのか!?」
スカーは苦悶の声一つ上げず、灼熱の周波数エナジーを解き放った。加減を知らない瞬間的な暴力が、一瞬ながら
「もう逃がさない」
「お前らの遊びに付き合ってやりたいところではあるが……その楽しみは次に取っておくとしよう。じゃあな」
周波数エナジーの暴風に晒されながら、漂泊者は一歩踏み込んだ。橙色に焼け焦げる濁り火の結界が、ドームのようにスカーを覆い隠していく。
「待て! 逃げるな――!」
漂泊者は地面を蹴って飛び上がり、今まさに閉じようとしている結界の隙間に飛び込んだ。濁り火の闇に、ずぶりとワイヤークローが突き刺さった。