果てしなく燃える真紅の空、燻り続ける瓦礫の海――悪意ある周波数エナジーで構成された夢幻の世界、スカーの“幻境”。
真紅の空を墜落し、だんと瓦礫に着地した漂泊者と追跡者は、同じ瓦礫の中心に立つスカーと対峙した。
「獲物が自らやってくるとは……フフフ……」
真紅と漆黒に彩られたカードを掌中で弄びながら、スカーは隠し切れない喜悦を零した。この“幻境”こそ彼の能力の粋、全力で戦うための真骨頂といっていい。自ら餌場に飛び込んできてくれるとは、無防備なヤギもあったものだ。
一方、そんなヤギこと漂泊者と追跡者は、しかしスカーを相手に動じなかった。
「お前の魔術は助かるな、スカー。まるで“夜の王”だ」
「へえ、まさか褒め言葉をいただけるとは」
大剣を肩に構え、薄っぺらな感嘆の言葉を述べる追跡者に、スカーはおどけて笑った。もはや両者の戦意は最高潮、翼の兜のスリットの奥底から覗く極大の殺意など、この興奮を彩るスパイスでしかない。
「『でーたべーす』とやらは、大層貴重らしいからな。戦いづらいと思っていたところなんだ。
――自分から檻に閉じ込もってくれるとは、何とも好都合な奴だ」
「あとは、あなたを倒すだけ」
ぞっとするような冷たい声音とともに、追跡者が大剣を突き付けた。同時に漂泊者も迅刀を構える。
一方、侮辱にも等しい挑発を突き付けられたスカーは、一瞬だけ呆けたような表情を見せたが、その意味をすぐに悟り、にぃと凶悪に笑った。
「へえ……随分と面白いことを言ってくれるじゃないか!」
叫喚とともに、スカーは真紅のカードを投げつけた。焦熱の周波数エナジーを纏うそれが、扇状に拡散しながら放たれる。一枚一枚が必殺の威力を宿すそれを紙一重で躱しながら、漂泊者と追跡者は強く踏み込んだ。
「せいっ!」
漂泊者の迅刀が、黄金の軌跡を引きながらスカーに斬りかかった。それに応報するのは――なんとスカーの左脚。ごうと空気を裂いて振るわれる靴先が、トップスピードに乗った迅刀と真正面から衝突し、ぎぃぃんと甲高い音を立てた。
勢いよく蹴り上げられた迅刀への衝撃に、しかし漂泊者は逆らわず、飛びずさりながら周波数エナジーを放った。ぴぃぃ――と放出された音素の圧が、スカーの五体を縛り、その動きを強制的に止める。カードを構えたまま制動させられたスカーの右腕に、ひゅんと三又の鉤爪が絡みついた。
ぎゃりぎゃりとワイヤークローを巻き取りながら、追跡者が突進した。身を捻り大剣の刃を瓦礫に擦らせ、生じた火花に魔力を注ぎ込んで燃え上がらせ、その刀身にごおと火焔を滾らせる。灼熱の刃が袈裟掛けに振り下ろされ、スカーの胴へと深く捻じ込まれた。
――まだ足りない。音素の圧から解放されたスカーが、真正面の追跡者に向かってカードを振り下ろす。焦熱の周波数エナジーを濃縮した一撃が、その兜に振り下ろされ――彼方から飛来する黄金の刃に遮られた。漂泊者による音の刃だ。
「これで、決める!」
漂泊者は手掌に周波数エナジーを濃縮し、スカーに向けて放った。ぎゅんぎゅんと循環する黄金の輝きがスカーを取り囲み、駆け巡り――飛び退いた追跡者の眼前で、かっと炸裂した。無数に反射し疾駆する周波数エナジーが、スカーの全身を余すことなく蹂躙した。
「っはは……ははははは……!!」
黄金の輝きの先、眩光にスパークする視界の向こう側で、しかし堪え切れぬかのような笑みが零れたのを、追跡者はいち早く聞きつけた。心のどこかで予想していたことだった。この不敵な男は、まだ切り札を隠している――あるいは、
未だ白く焼き付いた視界もお構いなしに、漂泊者は左手を突き出し火焔の波を噴き出した。戦技“炎撃”――内なる魔力を炎に変え、手掌から噴き出す攻撃。扇状に溢れ出た火焔の波は、その向こう側にいるスカーの肉体を焼いた。追跡者はそれに止まらず、大剣を腰だめに構えると、火焔の波を巻き取るように薙ぎ払った。
――ぎぎ、と大剣が途中で押し止められた。焼き付きが治まり色彩が戻ってきた追跡者の目に映ったのは、大剣の刃を力ずくで押し止める、真紅のカードを握るスカーだった。漂泊者と追跡者の攻撃を連続で浴びせられ、その衣服がぼろぼろに焼け焦げながらも、不敵な笑みを崩していない。
「るオオオ――!!」
スカーが大叫喚とともに、焦熱の周波数エナジーを解き放った。二人を力ずくで引き剥がす衝撃波は、先ほどまでの流麗な動きからは考えられない荒々しさだ。主の絶叫に呼応するように、“幻境”に浮かぶ瓦礫がわなわなと揺れた。四方八方を揺らす大叫喚の中心で、スカーは己が生み出した闇の奥底へ落ちていった。
巨大なカードが出現し、内側から引き裂かれ、やがて現れたのは――二本足で立つ四ツ目の巨大なヤギ。闇色の大曲剣を右手に構え、ゴォォォォと唸り声を上げていた。
(やはり来たか)
びりびりと空間を軋ませるスカーの大叫喚を前に、追跡者は冷静に大剣を構え直した。
これも、“夜の王”によく似た特徴だ。自らを凌駕し、その命を殺しうる脅威――危機に瀕した生存本能がもたらす、強大な力の具現。ここまで大きく姿を変える“王”は稀だったが、“幻”を司るスカーならではといったところだろう。
スカーが大曲剣を振るい、漂泊者と追跡者に飛びかかった。刃渡りにして三メートルほどある大質量の刃は、二人を叩き潰して余りある。二人はそれぞれに横っ飛びで躱した。
「まずはその怒りを鎮めてくれ……俺はただお前に忠告したかっただけなんだ」
当たれば両断間違いなしの大曲剣を振るいながら、宥めるような言葉を並べるスカーの厚顔たるや。大気を裂く大曲剣の軌跡が闇色に弾け、二人に回避を強要した。
「その目に映るもの全てが真実とは限らない。他人の言葉を疑え。何事もすぐに結論を出そうとするな」
その長い刃渡りと超重量の大曲剣を、しかしものともしない様子でぶおんぶおんと振るいながら、スカーは言葉を重ねた。確かな技巧に基づく荒々しき暴力は、まるで“螟懷?縺ョ鬨主」ォ”繝輔Ν繧エ繝シ繝ォだ。一瞬の隙を正確に狙い、漂泊者は音の刃を展開、追跡者はワイヤークローを飛ばし、それぞれに突撃した。灼光と焦熱、二つの力がスカーの大振りな斬撃を掻い潜り、その身に叩き込まれた。
ずぶり、と重い音が返された。まるで重油の塊を撫でたかのような手応えだ。スカーがその左手を掲げ、闇色の周波数エナジーを収束させたのを見て、二人は再び回避を余儀なくされた。瓦礫をかち割るように叩きつけられた衝撃波に巻き込まれていたら、どうなっていたことか。
それでも、なお突撃を重ね黄金の斬撃を浴びせる漂泊者の姿を見て、スカーのヤギ頭がゲッゲッと醜い笑い声を零した。
「本当にとんでもない石頭だな。
なぜ俺を信じない? それとも力ずくで説得する以外に道はないのか!?」
漂泊者の突撃に合わせ、スカーが後方に飛び退いた。巨体がもたらす強烈な跳躍力は、あっという間に漂泊者の間合いからその身を引き離す。完璧にタイミングを読まれた漂泊者は思わず
「――ッ、しまった!」
掬い上げるように振り上げられた大曲剣を真正面から食らい、漂泊者の意識が飛んだ。その勢いのまま、高く放り上げられた彼女にできることはない。ばらばらと集まってきた、真紅に燃えるカードに取り囲まれ、ぴっちりとその身を拘束されては尚のことだ。
スカーが大曲剣を構えた。その刀身に闇色の周波数エナジーを収束し、漂泊者目掛けて突き上げるように振るい――
「
その足元に、ひゅんとワイヤークローが絡みついた。
漂泊者一人を狙っていたスカーの足元へ、ワイヤークローを巻き取りながら突進する追跡者が、ぐっと身を屈めて左腕の弩状の機構を構え、鋼鉄の弓柄を展開して弦を引き――
ガ コ ォ ン !!
轟音とともに爆裂が轟いた。限界まで引き絞られた弓柄が、弾けるようにしなり、赤熱する鉄杭を射出した。
漂泊者に気を取られていたスカーは、真下からかち上げるような爆裂の一撃を食らい、力ずくで仰け反らされた。ヤギ頭の一部が砕け、捻れた角の先端が吹き飛ぶ。頭蓋を大きく揺らされたスカーは、一瞬だけ意識が飛んだことにより、漂泊者への拘束を解いてしまった。
その機を逃さず、漂泊者が迅刀を振るい、スカーの拘束から脱出した。ばらばらと燃えるカードが解けて落ちていく中、漂泊者はスカーの頭頂に向けて墜落した。
「はあッ!」
漂泊者の迅刀がスカーの頭蓋に突き刺さる。同時に、ぐいと斬り上げられた追跡者の大剣が、スカーの体躯を深く抉った。二方向からの致命的な一撃に、スカーがぐおおおと絶叫を上げた。大曲剣すら取り落とし、痛みに悶え四肢を振り乱す。
スカーが左手に闇色の周波数エナジーを込めて突き出してきた。もはや苦し紛れの捨て身だ。漂泊者は迅刀を構え、ありったけの周波数エナジーを込めて、殴り返すように突き出した。
スカーの闇色と漂泊者の黄金、二つの周波数エナジーが衝突し、ぎちぎちぎち、と空間が軋んだ。一瞬が永遠に錯覚するような攻防の果て――押し切ったのは、漂泊者の黄金だった。巨大な斥力の反動を真正面から食らい、その巨躯を仰け反らせたスカーの四ツ目に映ったのは、高く跳躍した追跡者と、逆手に握られた大剣だった。
追跡者が重力とともにスカーの頭頂に墜落した。ぼろぼろの刃が頭蓋に食い込み、その激痛にスカーは絶叫した。長い長い悲鳴が木霊する中、追跡者は渾身の力をもって大剣を振り下ろし、がりがりとその頭蓋を割り砕いた。
夥しい周波数エナジーが血のように噴き出す。だんと飛び降りた追跡者と漂泊者の目の前で、頭蓋を割断されたスカーはぐらりと
お前の恣意に歪められた“真実”など、幻にも劣る。
◇ ◇ ◇
がりがりがり、とガラスが軋むような音が響いた。スカーの体躯から響いてくる音だ。身体の内側から生じた亀裂にスカーが膝を折ると、ずるりと“幻境”のテクスチャーが引き剝がされ、無数のカードを敷き詰められた空間に変わり、そして片端から燃え上がり消失していった。
気が付くと、漂泊者と追跡者は巨大なサーバーの群列に取り囲まれていた。彼女たちの目の前には後ろ手に拘束されたスカー、背後には
「どうやら後をつけてたこと、気づいてたみたいだな。漂泊者」
スカーは、さして悔しそうな様子を見せることなく口を開いた。“幻境”では漂泊者と追跡者によって散々に痛めつけられ、現実では
「俺の“幻境”は挟み撃ちでしか破れない……それなのに、いつもお前のそばにはそれを可能にする、心の通じた仲間が現れる……
だが今
嗚呼、とスカーはわざとらしく首を振った。お得意の口先三寸――というわけでもないらしい。その横顔から、小さくない失望と悲しみが溢れている。
「本当に……人気者だな」
それはともかく、
「無事ですか」
「大丈夫に決まってるだろう。彼女が傷つけば、傷つくのはこっちの心なんだ」
「漂泊者。今回の俺の失敗はお前への贈り物と思え。ほんの気持ちとして受け取ってくれればいい……
だがさっきの会話は忘れないでほしい。――俺を選べば、全てを話してやる」
スカーは降伏したように顔を伏せたまま、しかし決定的な餌をちらつかせた。誰も知らない、漂泊者の素性――その誘いに、乗ってくると確信して。
だが漂泊者は、そんなスカーを毅然と見下ろすだけだった。
「必要なことは、もう知っている」
スカーは顔を伏せたまま、その表情を驚愕に支配された。絶対に勝てる手札を躱され、信じられないといった様子だった。
しかし顔を上げた彼は、漂泊者の隣に並び立つ
「――ほお、なるほど……
お前らの企みは一体いつ計画されたのか、気になって仕方がないな……」
スカーはくつくつと笑った。まるで謎かけの答えが分からず、絡繰りを知りたがる子供のようだった。
それは、今州城に戻ってきた日――
『印』の情報をもとに日時計の示す時刻と方位を合わせた時、漂泊者は
日時計を回した時、それが示すものも変わった。光の下でなら、その上に指針の影ができる。
玄武の方向は、北。