潮騒を追う夜雨   作:竹河参号

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第四幕 激突する辺庭(3)

 その夜、漂泊者は辺庭の北棟で今汐(コンシ)と出会った。

 今度は追跡者も同行していない。散華(サンカ)との面会のようなトラブルが生じては困るし、事の次第によっては今汐(コンシ)さえも困惑させる事態になりかねないからだ。

 僅か三日前、広報越しにしか見なかった今汐(コンシ)の姿に、漂泊者は既視感を覚えなかった。あくまでも今汐(コンシ)令尹(レイイン)という立場でしかなく、彼女と個人的な繋がりがあったわけではないようだ。その一方で、今汐(コンシ)は初めて会うはずの漂泊者を、すぐにそれと認め、恭しく礼をした。

 そして今汐(コンシ)は、彼女が知る全てを話した。

 ――結論から言って、漂泊者の素性は明らかにならなかった。今州の全てを知る歳主“角”、その第一の臣ともいうべき共鳴者こと令尹(レイイン)……彼女ですら、その全貌を知ることはできなかった。『瑝覧類書』の全てを漁っても、彼女の情報は出てこない。

 しかしそれは、裏返せば、『瑝覧類書』が建築され記録が開始される前――すなわち瑝瓏と今州の歴史の始端となる人物、その本人である可能性が高いということ。それを確信した今汐(コンシ)は、漂泊者にある秘密を打ち明けた。

 

 

 現在、歳主“角”がこの今州にいないこと。

 その真相を探るため、今汐(コンシ)自身もまた今州城を離れざるを得なかったこと。

 残星組織(フラクトシデス)が、「漂泊者の調査と勧誘」「“角”の確保」「鳴式の復活」という三つの段階を以て、悲鳴の降臨を目論んでいること。

 スカーを捕えるために、漂泊者に協力を頼んだこと。

 

 

 ――漂泊者は、それを了承した。つまりそれが現在の状況ということであり、彼女たちの謀略はこうして結実した。

 

 

「スカー。瑝瓏領内で数十の重罪を犯した大罪人。令尹(レイイン)の名を以てお前を逮捕する。言い開きがあればこの場でのみ聞こう」

 

 

 まだ十代の少女とは思えない、底冷えするような声で、今汐(コンシ)はスカーに言い放った。今にも龍姿を解き放たんとする威圧感に、しかしスカーは動じない。

 

 

「弁明、ね……まあ物語の一つや二つ、用意できなくもないが……お前らは納得しない。いや、聞こうともしないだろう。

 なあ、令尹(レイイン)様。生憎くだらない社交事例なら間に合ってるんだ。聞きたいことがあれば単刀直入に言え」

「……いいだろう。その代わり、正確に答えよ」

 

 

 まるで小娘の我儘をあやすかのように、スカーは薄笑いを浮かべたが、しかし今汐(コンシ)の代わりに進み出た漂泊者の姿を見、一瞬だけ空白に支配された。

 何から問おうか思案する漂泊者の様子を見たスカーは、虚飾を並べる理由を奪われたかのように、退廃的な笑みを深めた。猛獣の威嚇か、狂喜の歓迎か、それとも……

 

 

――何故“角”を狙うのか。

――“角”は『時』を司る歳主。未来の予知とその修正を可能とする歳主は、残星組織(フラクトシデス)の理想にとって大きな障害となる。

 

――何故鳴式を復活させるのか。

――鳴式は新世界の扉を開く鍵。それらを集わせ、“真の悲鳴”をこの世に降臨させることで、新世界の扉が開かれる。

 

――悲鳴とは何なのか。

――災い? 呪い? 天罰? 浅慮、浅慮。

――摂理が崩壊したこのソラリスを新生させるには、無数の死と滅び、そしてそこから生まれる無数の残響が必要なのだ。

 

 

 狂気的な残星組織(フラクトシデス)らしい尊大な態度を保ったまま、しかしスカーは漂泊者の質問に端的に答えていった。彼女に対し誠意をもって振舞いたいのは本音らしい。

 だが、

 

 

「何のために私を尾行した?」

「決まってるだろう。お前が欲しいからだ」

 

 

 話題が漂泊者自身に移った途端、スカーは煙に巻くような言葉ではぐらかした。二人のやり取りを見守るだけの今汐(コンシ)散華(サンカ)にさえ分かるほど、あからさまな誤魔化しだった。

 

 

「台風の目に身を置きながら、自分の価値の片鱗すら理解していないとは……鈍い、そして甘い。

 ああ、心配しないでもいい。お前に対する興味は、何があろうと尽きないよ」

 

 

 愛着か嘲弄か……スカーが浮かべ続ける薄笑いに、しかし三人は動じなかった。

 ――これだ。残星組織(フラクトシデス)の急所が、()()にある。

 問題は、それをどうやって問い質すか。瑝瓏のみならず世界各地で政治犯罪を起こし、幾多もの追跡を躱してきた手練れの“監察”、尋問程度では容易く口を割るまい。拷問でさえ、尋常な手段ではどこまで効果があるか。今この瞬間は、今汐(コンシ)が知る限り彼を最も追い詰めることに成功した状況のはずだが、圧倒的劣勢にありながら嘲笑を陰らせもしないスカーの胆力を相手に、じっくり腰を据えて我慢比べというわけにはいかない。

 

 

(それよりも、問題は漂泊者だ)

 

 

 逆に今汐(コンシ)は、スカーの巧みな弁舌によって、漂泊者の精神が揺るがされることを危惧した。今汐(コンシ)でさえ知らない、彼女の真の素性――餌をちらつかされた犬神のごとく狂乱し、スカーに乗せられるがまま、こちらに刀を逆向けられることになっては目も当てられない。今汐(コンシ)は『“監察”への尋問』という絶好の機会を捨て、漂泊者を手勢として確保し続けるという安全策を採った。

 

 

「“角”の拘束、鳴式の復活、悲鳴の加速……今州に、いえ全人類に仇なす大罪だぞ。

 だが、漂泊者の勧誘は諦めよ。大事な今州の客である以上、指一歩を触れさせはしない」

「はははっ! 見事、見事だ! 素晴らしい演説には賞賛を与えよう!

 だが、鳴式の復活は目前に迫っている。今州が挟み撃ちされた時、果たしていつまでそんな綺麗事を話していられるだろうか?」

「一度はそちらの計画を破綻させた。ならば、何度だって同じことはできる」

 

 

 スカーの挑戦的な言葉に、今汐(コンシ)は揺らがなかった。虚勢でも何でもなく、彼女はそう信じていた。“角”という偉大な歳主、一騎当千の夜帰軍、加えて奇跡の帰還を果たした漂泊の戦士――手札をこれだけ揃えていれば、たとい鳴式といえど負けはしない。

 だが今汐(コンシ)が今州を信じているように、スカーもまた己の勝利を疑わないようだった。

 

 

「最後にこれだけ聞こう。“角”の牽制、漂泊者に対する尾行、祈池村(きちむら)の待ち伏せ――お前一人の仕業とは到底考えにくい。まさか……」

「ああ、そのまさかだ」

 

 

 自らの脳裏に浮かんだ予測に、今汐(コンシ)は思わず顔を青褪めさせた。その思考を見透かしたかのように、スカーはにぃと狂気的な笑みを深めた。

 

 

「今州にいる残星組織(フラクトシデス)の“監察”は俺だけじゃない。やっと気づいたのか? あははははは……」

 

 

 データベースの群列に、狂気者の哄笑が反響した。たった一人の狂った嘲笑は、幾十幾百もの反響を伴い、哄笑の木霊と化して響き渡った。

 

 

「――以上、俺からの誠意溢れる回答だ。

 まあ、とんだ茶番だったけどな。お前らに何を教えたって何も変わらない。いや、変えることなどできない。歴史はただ正しい方へと進むだけ」

 

 

 衝撃冷めやらぬ今汐(コンシ)散華(サンカ)を嘲弄するように、スカーはその声のトーンを落とした。複数の“監察”――彼自身はその衝撃的な事実よりも、それに動揺する三人の反応を楽しんでいるようだった。

 

 

「そうだ、俺からも一つ質問させてくれ。

 “角”の失踪は俺たちの仕業、お前らはそう信じ込んでいる――でもよ、そんな()()な真相、物語としては二流だ。そう思わないか?」

「何が言いたい?」

 

 

 スカーの謎めいた言い回しに、今汐(コンシ)は眉をひそめた。それはまるで、「“角”の失踪は残星組織(フラクトシデス)による仕業ではない」――ひいては、「彼女たちの推測よりも複雑な事情がある」とでも言いたいようではないか。

 

 

「聞きたいか? ならおいで、令尹(レイイン)様。この秘密、()()()()()教えよう」

「いけません、令尹(レイイン)様」

 

 

 スカーの挑発に、散華(サンカ)が真っ先に反応した。この期に及んで、まだ手札を隠しているかもしれない……そんな側近の警告を、今汐(コンシ)は無言で制した。危険は重々承知だ。妄言者の恣意に歪められた『真相』を吹き込まれて、いいように踊らされては元も子もない。――だが、それらのリスクを冒してでも、“幻境の監察”スカーの情報には価値がある。それほどに、『歳主の失踪』とは重大事だった。

 近づいた今汐(コンシ)の耳元で、スカーはひそひそと囁いた。警戒を解かない散華(サンカ)の予想に反し、スカーは本当に言葉を伝えているだけのようだった。

 ――だがその内容は、今汐(コンシ)の顔を驚愕に染めた。

 

 

「――そんな……ありえない……」

「意外? それとも驚愕? だがこれはまだ序章に過ぎない。お楽しみはこれからだ」

 

 

 思わず後ずさる今汐(コンシ)に追撃するように、スカーは嘲笑の言葉を重ねた。

 これが事実だとしたら――今州に待ち受けているのは、『破滅』以外の何物でもない。

 

 

「そう、これが“角”が下した予言。決められた運命だとしたら……『未来を司る存在である歳主がお前らを見捨てた』――その事実が何を意味するか、明白だとは思うけどな。

 俺たちはただ、やがて燃えさかる大火に変わる種火に、薪をくべてやっただけのこと」

 

 

 それだけ言い捨てると、スカーの興味は再び漂泊者に戻った。詳しい事情は分からないが、何か拙い事態が進行しているらしい――そんな悪い予感に表情を歪ませる漂泊者へと。

 

 

「なあ漂泊者、俺と賭けをしないか? 失った記憶を追うお前の、これからについて」

 

 

 スカーは後ろ手で弄んでいたカードを操り、ひらりと漂泊者に向かって飛ばした。反射的に氷棘を形成した散華(サンカ)によってさらに拘束されるも、すでにスカーの手から離れたカードはひらひらと宙を舞う。賽はとうに投げられている――そう嘲弄するかのように、スカーは笑みを深めた。

 

 

「お前は、俺たちと肩を並べるべき黒ヤギだ。新世界へと辿り、その地を開拓する権利を持ち合わせている。

 失くした過去を完全に取り戻す時、お前は俺たちの仲間になる……その未来に俺は賭けよう。残星組織(フラクトシデス)はいつでもお前の席を用意――」

 

 

 焦燥を見せる漂泊者の顔を見て、スカーの顔が喜悦に歪んだ瞬間、

 

 

「話は済んだか」

 

 

 ――ぞぶり、と。

 追跡者の大剣がスカーの胴へと深く突き込まれ、その胸を貫いた。

 

 

「――っかは……ッ……!」

「追跡者!」

 

 

 突然の暴挙に、漂泊者が思わず悲鳴を上げる。彼女たち三人とも――スカー本人でさえ予測していなかった一撃。追跡者はそれに構わず、さらに大剣を捻じ込んだ。肺を潰し心臓を抉り脊髄を穿つ一撃が、スカーからあらゆる抵抗の手段を奪い、その胸の傷から、ぼたぼたと夥しい鮮血を噴き出した。その姿を、追跡者はただ冷たく見下ろした。

 

 

「お前たちの長話には飽き飽きだ。下らない破滅思想にも興味はない」

 

 

 がは、と口から血の塊を吐き出し、ぐったりと項垂れるスカーを見下ろしながら、しかし追跡者は僅かな、そして決定的な違和感を見出した。

 まるで人型の泥を突いたかのような、奇妙な手応えの小ささ。これは――()()()()()()()()()()()()

 

 

「――ふん……この程度では死なないのか。

 それでも構わない。一度で死なないのなら、()()()()()()()()()()

 

 

 まさにそれが、己の使命であるがゆえに。

 ざくり、とさらに深く押し込まれた刃が、スカーの傷を抉る。ぎちぎちと軋みながら悲鳴を上げる骨髄と筋肉が、ぼたぼたと流れ出て失われていく血液が、スカーの脳髄から思考力を奪っていった。

 

 

「――……は……はは……さすがは、よる、の――……」

 

 

 それきり、スカーは白目を剥いて失神した。

 ()()()()()()()()。失血死も、おそらくしないだろう。その絡繰りは追跡者の知るところではない。興味もない。今できることは、この饒舌な破滅主義者を牢に閉じ込め、その弁舌の実現を阻むことだけだ。

 だらりと全身を脱力させて昏倒するスカーに、その体躯に剣を突き立てたまま、追跡者は背後の散華(サンカ)に振り返った。

 

 

「――散華(サンカ)

「はっ!?」

「牢はどこだ。こいつを、どこに(つな)げばいい」

「……こ……こちらに……」

 

 

 予想だにしない暴挙、からの急激な理性的判断に付いていけず、散華(サンカ)はたじろぎながらも、辺庭の地下牢へと案内するべく歩き出した。

 当然、追跡者もその後を追って歩き出す。――だらりと引き摺るように下ろされた大剣、その刃に引っかけられたスカーの体躯を引き摺り、ずりずりと真っ赤な血の軌跡を作りながら。

 

 

「――……その……そのまま、引き摺るの……?」

「どうせ汚れる。お前たちの得意な水責めで、まとめて洗い流せばいいだろう」

 

 

 重罪人とはいえ、あまりにも容赦ない扱いにドン引きする散華(サンカ)に対し、追跡者はへんと吐き捨てた。「違う、そうじゃない」とツッコまなかったのは、彼女の理性の証左といっていいか、どうか。

 “狭間の地”にあって、『無辜であること』は『平穏無事な生涯』から最も遠いと言っていい。まして罪人など、あらゆる生命の最下層、いかなる侮辱をも許される最低存在として扱われる。ごりごりと床を削る大剣に貫かれたまま、だくだくと錆びた鉄の臭いを撒き散らして引き摺られるスカーの姿は、“狭間の地”における敗者の末路を、この上なく象徴していた。

 

 

 

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