真っ赤な流血とともにスカーを引き摺りながら、辺庭の地下牢へ移動し、肉塊だかボロ雑巾だか分からなくなった姿のスカーを放り込んだ後。辺庭地上階に戻ってきた追跡者は、『瑝覧類書』で
なお『瑝覧類書』には緊急で清掃業者が入り、
「――“ブラックショア”?」
それはそれとして、辺庭を出た二人。追跡者は、漂泊者から新しい単語を聞かされた。
何でも、悲鳴の観測と対策を専門とする特殊な組織らしい。
「で、今度はこの写真を渡された」
「また謎解きか……今州人はそういう謎かけが好きなのか?」
言葉とともに漂泊者が差し出した一枚の写真に、追跡者は閉口した。今度は隠されたメッセージを追う謎かけではなく、数少ない手がかりとして提示されたものだが、まあ押し付けられた二人にとってはあまり違いのない話である。
ちなみに追跡者は『写真』という概念を知らず、漂泊者に一から教わった。
「……わかりました。私も感じます……流れ息に潜む微かな不安を……
今州に……何かが起きています」
「あ、漂泊者と追跡者だ。おかえり!」
近づく二人に気付いた
「何かあった?」
『研究院が大量の無音区異常を探知した。城外に向かうつもりなら注意して。デバイスの手入れは丁寧に。それと配布された防護装備も忘れずに。あと体には気をつけて。
それじゃ、私実験があるから』
言うだけ言うと、
歳主“角”の行方不明を伏せ、漂泊者は一通り説明した。瑝瓏の心臓部たる『瑝覧類書』にまで侵入を果たしたスカーの所業に、
「
「
「うん。その人と会う必要性があるそうだ」
漂泊者の問いかけに、
「うーん、私は知らないなぁ……
「はい。ですが、お二人の関係をお話しする前に、少し今州の歴史について紹介する必要がありますね」
そして
ざっくりまとめると――前任の
「そんなことがあったのか……」
ほへーと感心の声を上げる
「何故……“角”は今の
漂泊者の問いに、
「そりゃあ……何か秘密の選抜基準でもあるのかな?」
「……人と神の間にある絶対的な違いが生み出す、不可視の基準みたいなものがあるのではないでしょうか?」
「うーん、確かに……明日突然“角”が私を
「そこは驚け」
――ましてや、何の由縁もない幼子ともなれば。漂泊者は、変わらず暗い面持ちで言葉を続けた。
「“角”は……人の意思を考慮に入れるのかな?」
「おっしゃりたいことは分かります、漂泊者さん」
漂泊者の意図を察した
「本来青春を謳歌すべき時に、何の前触れもなく
“角”が
どう言い繕っても、普通の子供が送るべき当たり前の生活ではない。そんなものを押し付けられ、生涯を捧げさせられている
「――理屈など、あるものか」
ぎりり、と追跡者がグローブを堅く握った。その異様な雰囲気に、残る三人が戸惑いの表情を浮かべた。
「追跡者さん……?」
「合理などあるものか。思慮などあるものか。連中は、ただ連中に都合のいい
たまたま神の目についた、たまたま誰かの血を引いていた――そんなふざけた理屈で、勝手に『罪』を作り上げ、『罰』を与えているに過ぎない。
ただの傲慢が、ただの横暴が、御大層な肩書一つで許される……神とは、そんなものだ」
ゆらりと気炎が昇り立つような気迫に、少女三人は圧倒された。敵対者には容赦しない性格というのは充分理解しているが、まるで歳主を『横暴で傲慢な神』と侮辱するかのような、神への畏敬すら見せない強烈な気迫に、口を挟むことができなかった。重苦しい緊張に、最初に耐えられなくなったのは
「え……えっと、なんだっけ……そう、そうだ! その
「もしかして……
「まず、ある
「北落野原!? あそこは昔の戦場だよ!?」
「漂泊者さん……今の北落野原は鳴式と戦う最前線……とっても危険な場所です……行くとしても慎重にお願いします」
先日の情報が正しければ、
「それと、“監察”とやらはスカーだけではないらしい」
「まさか、あの時の……!?」
漂泊者の説明に、
「
ですが敵は闇の中……下手に動けばその中に陥ってしまいます」
「それで、“ブラックショア”っていう組織にも監視されてるらしいんだけど」
「“ブラックショア”? 聞いたことないな。瑝瓏の地図にもそんなとこないし……」
どうやら巡寧所でも取り沙汰されていない、機密性の高い組織のようだ。この分では収穫がなさそうだと思いつつ、漂泊者は黒い花の写真を見せた。
「この黒い花……写真だけでは、私の能力でも情報を引き出せませんね……」
「具体的に何を指しているんだ?」
「ブラックショアのメンバーは、みんなこの花を身に着けているんだって」
「でも、写真一枚で人探しですか……さすがに難しいですね……」
漂泊者の説明に、
「だったら林ばあさんに聞いてみようよ!」
「林ばあさんは商業区域で盆栽店をやっています。花についても詳しいそうなので、何か分かるかもしれません!」
「林ばあさんも講談が好きなんだ。うーん、さっきもどこかで見た気がする……とりあえずここらで探してみよっか」
そして四人は商業区域に下り、林ばあさんこと林素を探して講談小屋に向かった。果たして
「おや?
「へへっ、それだけじゃない。今日はある友達と一緒に来たんだ、林ばあさん!」
親しげな林素の呼びかけに、
「じゃじゃーん! 残像を素手で千切る! 烈火を浴びようがビクともしない! どんな強い相手もデコピンひとつでやっつける!
人呼んで無双のコンビ――漂泊者と追跡者!!」
肝心の漂泊者と追跡者はといえば、
「……デコピンで酒瓶を壊す知り合いならいたな」
「あなたはむしろ烈火を浴びせる方だよね」
「漂泊者さん、そこですか?」
ノリがいいのだか悪いのだか、どこかズレた反応を見せるだけだった。
「何だよノリが悪いなー!」と騒ぐ
「ははは……
「今日はね、物知りの林ばあさんにちょっと聞きたいことがあって来たんだけど……」
「この黒い花についてなのですが……」
「うーん……今州に生えてる草花ならすぐ分かるはずだけど……これはどう見ても違うわねぇ。
それに、今州に伝わる植物図鑑にもこんな奇妙な花は載っていないよ」
「そんなぁ……林ばあさんでも分からないのかぁ……もうお手上げだよぉ……」
「よしてくださいな、
がっくりと肩を落とした
「遠方から今州に来たというあの子のことでしょうか? よくお店でもお手伝してますよね」
「そうそう! あの子はとっても働き者で、植物にもとっても詳しいから、いつも助けられているのよね。背も低くて優しく……笑う時のお目々なんかもキラキラで本当に綺羅花みたい!
『綺羅花ちゃん、ご飯だよ』って呼ぶと返事までしてくれて、もう本当可愛い……!」
思い出し笑いならぬ思い出し愛で、といった感じの林素の様子からして、どうやら随分と可愛がっているらしい。年若い人物なのだろうか?
そんな気持ちも分かるような、分からないような。追跡者は一旦話を進めることにした。
「その『綺羅花ちゃん』とやらは、今どこに?」
「今は多分……裏山で生態調査をしているはずよ。この前、裏山に花畑を作りたいって何気なく言ったら、こうやって実地調査をやってくれてね」
随分と働き者のようだ。一行は裏山への道筋を聞くと、その『綺羅花ちゃん』とやらに会いに行くことにした。
◇ ◇ ◇
商業区域の大広場を抜け、滝壺の裏を潜り抜ける。険しい山道を進む四人の足元に、一輪の花が咲いた。
普通の花ではない、淡い周波数エナジーをまとった黄色の花だ。四人の視線を誘導するように、ぽん、ぽんと間隔を置いて同じ花が咲いていく。その後を辿っていくと、ちょうど四人が歩む山道に沿っていた。道案内をしてくれるのだろうか?
花の後を辿っていくと、大きな川が行く手を横切っていた。どうやって渡ろうかと思案する間もなく、草花がわぁっと生い茂り、茎と蔦を伸ばして花の橋を成した。なんとも親切なものだ、と追跡者は感心した。
少女三人と武装した男一人の渡川を万全に支え切った後、花の道案内は変わらず続く。やがて崖の一角に出、そこには色とりどりの花が生い茂る花畑があった。
その中心で、一人の少女が土いじりをしていた。花飾りのついた黄緑のワンピースに身を包み、背嚢にも多数の花を抱えて――いや違う、
「あの……どうかしましたか?」
「あなたが『綺羅花ちゃん』?」
「え? 林ばあさん以外にそう呼ばれるの初めてです……」
どうやら目的の人物だったらしい。が、それはそれとして、漂泊者のこの軟派な雰囲気をそろそろ咎めるべきかどうか、と追跡者は少し悩んだ。
「あっ、す、すみません、まずは自己紹介ですよね! 瑝瓏の慣習ですから……
あ、あのご高名はかねがね伺っております……! わたくし、ヴェリーナで……ございます! 今日はこうしてお会いできて……
「そこは『光栄』じゃない?」
「あ、あれ? そうなのですか?」
『綺羅花ちゃん』、もといヴェリーナは、目をぱちくりとさせて戸惑いの表情を見せた。瑝瓏に来て日が浅いのだろうか。追跡者は踏み出すと、ヴェリーナの前に屈んで目線を合わせた。
「肩肘張らなくていい。こっちは漂泊者、俺は追跡者だ。お前に、尋ねたいことがある」
「は、はい! ありがとうございます!
追跡者の端的な物言いに対し、ヴェリーナは朗らかに返答した。『あの子』というのは、もしかして道案内をしてくれた花のことだろうか?
「こんにちはヴェリーナちゃん! あたしは
「あなたたちのことは林ばあさんから聞いています。
「……情報早いね、今州」
「ところで皆さん何かお困りですか? お手伝いしますよ」
「私たち、ある特別な花を探しているんです」
ヴェリーナの問いかけに、
「ふむふむ……確かに特別な花ですね。こういう真っ黒な花は、大抵誰かによって手を加えられたものですが、自然の中で咲くものもごくわずかにあります。そうですね……形と性質から考えると……
えっと、
うーん、
あと、レモングラスと呼ばれるユニオンの植物があります。瑝瓏の皆さんにはあまり馴染みがないものですね。――
忘れるところでした、
流れるようにすらすらと出てきた言葉に、一同は唖然とした。
微に入り細を穿って観察するヴェリーナの様子は、まるで頭の中に植物図鑑があるかのようだ。植物に由来する共鳴者だけに、植物に詳しいのだろう。それにしても、まだ十を過ぎたばかりに見える彼女が、よくもこれだけの知識を得たものだ。
「知らなかった……これは勉強になったね……」
「その歳でよく学んだな」
「えへへ……ありがとうございます」
「とにかく、この黒い花は本当に特別で、似たような植物はほとんどありません。だからこれは人工的に作られた新種なのではないでしょうか?
それにこの十字の花冠……微かに反響エナジーの影響が見られます。おそらくこれは珍しい反響植物で、共鳴能力に影響された植物なのかもしれません。
でも写真だけでは、どんな土地でどんな共鳴能力に影響されたのかまでは判断できないですね……」
「うーん……こっちも手詰まりか……花の性質は分からないし、花を身につけた人は見つからないし――」
「――それだ」
「へ?」
「ヴェリーナさん、この花を、現物として再現することはできますか?」
「はい、形だけでしたら。例えば、こう――」
「マジか!? すごいすごい! 写真のまんまじゃん!」
「そ、それほどでも……」
興奮した
「それで、この花をどうするの?」
「この花は、一般人には変わった花にしか見えないが、ブラックショアの者にとっては同志の証……精巧に再現されたこれを見つければ、仲間だと思って、向こうから接触してくるかもしれないだろう?」
「なるほど。冴えてるね、追跡者」
『知ろうとする者』にのみメッセージを伝える、特別な符牒……要領は昨日までの『印』と同じだ。今度は解き明かす側ではなく、教える側の者として立ち回ることになる。
であれば、動きは早い方がいい。
「――漂泊者さん、気づきましたか?」
「うん。
花畑に舞う風の中に、黒い花びらが混ざり始めていた。それは、まさしく四人が求めていた写真の花そのものだったが――今しがた複製を作ったばかりのヴェリーナの手になるものではない。
「明らかに、ヴェリーナさんが作ったものではありません……それに、流れ息も乱れている……誰かいます」
「……またお前狙いだろうな。どうしてお前は、不穏な奴ばかり惹きつける?」
「人を誘蛾灯みたいに……」
兜のスリット越しにじろりと睨む追跡者の言葉に、漂泊者は顔をしかめた。向こうから勝手にやってくるだけで、私は何も知らないのに……とむくれる資格があるのか、どうか。かつて、記憶を失う前の彼女は、いったい何をしでかしたのだろうか?
「釣り出してみようか」
「危険です! 相手が何者かも分からないのに――」
「『“監察”のご命令』も行き届いていない末端なら、二人で対処できる」
漂泊者の大胆な提案に、
しかし漂泊者には、明確な確信があった。“監察”たるスカーの主張が真実なら、
漂泊者の推測に納得がいったのか、
「……分かりました。私は
くれぐれも用心してください。何かあったら、すぐに連絡をお願いします。いいですか?」
「まるで幼子のような扱いだな……」
「
「ひ、漂泊者さん!?」
漂泊者の冗談に対して、顔を真っ赤にして動揺する辺り、
レモングラスは、おそらくミント並みに繁殖力が強い植物なのでしょう。間違いなく侵略的外来種です。