少し先に、不審な集団がいる。特徴的な赤い制服、無骨なガスマスク、不気味な周波数エナジーを放つ武装……
「あの赤い服は……
「くそぉ、あの女、俺たちの邪魔ばかりしやがって! あぁ、お前らも目障りなんだよ!」
二人に気付いたのか、推定
戦闘そのものは、特筆すべきこともなく終わった。大男が担いだハンマー、背中から三本目の腕を生やした男が構える小銃、のっぽの男が担いだ大砲……どれも兵器としては対処しやすい代物だ。
さて――問題は、漂泊者をつけ狙う者の正体だ。この連中が直接の仕手ではなかったようだが、しかし無関係と断じるのも早計だろう。ひとまず手近な一人を叩き起こして尋問してみようか、というところで、漂泊者が何かに気付いた。
「どうした」
「……変な音が断続的に聞こえる……というか、こちらに向かっている?」
「まだ
二人は
漂泊者は死角から崖を素早く駆け上がり、尾行者の上を取る。追跡者は崖から飛び降り、山壁に身を引っかけるように姿を隠す――こうすれば、二方向から尾行者の動きを探り、一方に気を取られた隙を突くことができる。二人はそれぞれに、息を殺して待った。
やがて現れたのは――白髪を二つ結びにした、一人の若い女だった。花の蕾を思わせる白い薄着は、とても山道に適した装備ではない。突然姿を消した漂泊者を探り、きょろきょろと視線を巡らせている。
「どこかな~?」
その姿は、一見無防備な少女のそれだったが――彼女の背中を見た途端、漂泊者の脳裏にぞわりと悪寒が走った。まるで枯れ落ちる椿の花のように、ぼとりと己の首を斬り落とされる錯覚に襲われたのだ。まるで見えない蔓が女の周囲を取り囲み、食虫植物よろしく獲物を待ち構えているかのような……
追跡者は崖上から身を躍らせ、ひらりと着地した。当然、その様子は女の知るところになる。女ははっと振り返り、漂泊者の姿を捉えると、まるで獲物を見つけた狩人のように嗜虐的な笑みを浮かべた。
「――み・つ・け・た♡」
刹那、女の背中から太い蔓が生え、ぎゅんと伸びて漂泊者へ殺到した。並の兵士ならなすすべもなく薙ぎ払われる強烈な一撃を、漂泊者はひらりと身を翻して躱していく。女が笑みを深めながらもう一対の蔓を伸ばそうとしたとき――ひゅんと風を切る音が、女の腕に絡みついた。
まったく予想外の一撃に反応できなかった女が、その腕をぐいと明後日の方向に引っ張られる。好機。漂泊者は即座に吶喊し、女に覆い被さるように飛びかかった。
「――あなた、本っ当に面白いねぇ……」
決着は一瞬だった。挟撃を受けた女は漂泊者の吶喊に即応できず、だんと地面に押し倒された。迅刀を抜き放ち首元に当てられているが、怯える様子は一切ない。むしろ、ぎりりと迅刀を握りしめる漂泊者を愛おしげに見つめていた。崖を這い上がり、ワイヤークローを巻き取る追跡者の姿など、どこまで意識していたことか。
「誰?」
「やぁ~、なにそれ~。捕まったら言いなりになるゲームなのかな?」
漂泊者の問いに対し、女はせせら笑った。ほぼ身一つの女を押し倒し意のままにする――まるで性犯罪者の絵面だ。薄笑いで嘲弄する女に対し、漂泊者は無言で顔をしかめた。
「ゲームが嫌なら、
そこに、ざくりと大剣が突き立てられた。倒れた女の顔の横ぎりぎり、一歩間違えれば頭蓋ごと叩き潰さんという勢いで剣を突き立てたのは、冷たい兜の下に表情を隠した追跡者。
「どうもこいつは、変な輩ばかり惹きつけるようだからな。――餌に集る害虫は、片端から始末するに限る」
「きゃははっ! 怒った? 怒っちゃった?」
絶対零度もかくやと言わんばかりの殺意で見下ろす追跡者に対し、しかし女はからからと笑うばかりだった。ほとんど殺害予告を受けたとは思えない、まるで狂気の沙汰だ。
「な~んかねぇ、あなたたちに構ってもらうと楽しくなっちゃうの。
こんな気持ちになったのは初めて。あなたのこと……あなたたちのこと……もっと知りたくなっちゃった」
「質問に答えて。この人が何をするか知らないよ」
享楽的に笑う女に対し、漂泊者は胸中の苛立ちを鎮めながら言葉を重ねた。ここは自分が辛抱強く聞き出さなければ、目の前で大剣を握る追跡者が何をしでかすか分からない。
「は~い。えっとねぇ、あなたたちはブラックショアが指名したターゲットなんだよ」
何でもないかのように明かされた説明に、漂泊者は無言で驚愕した。秘密組織ブラックショア――まさか、こうもあっさりと尻尾を見せるとは。
「あなたはブラックショアの人?」
「そう、私はブラックショアの“花持ち”。
この黒い花は“花持ち”の証……世界を救う責任と使命、だったかな? そんな感じのやつ」
「ブラックショアの目的は」
「ふむふむ、目的ね……『賢人をたくさん集めて救世を果たす』――だっけ?
どう? 興味ある? 私は興味ないよ。だってそんなの楽しくないもん」
漂泊者の問いに、女はいかにも気だるげに説明を重ねた。まるで当事者とは思えない、面倒臭そうな物言いに、漂泊者は思わず眉をひそめた。女は気にせず続けた。
「私はねぇ……強いやつを追っかけてぇ……戦ってぇ……それでボコボコにしたい! 自由気ままに……欲望に忠実に……!
――って、ホントはやりたいけど……その前に仕事もこなさなきゃねぇ?」
まるで
「『庭』には無数の『種』があるの。その中でもあなたは特別……私は、そんな『種』を守って、育てるのが仕事。
んで、実った果実が熟れたら、この手でもぎ取ってぇ……食べ尽くすの……」
「どいつもこいつも、下らない講談師ごっこがそんなに好きか?」
追跡者が、ぎりりと大剣を握る力を強めた。直情径行、まっすぐに標的を叩き潰す主義である彼にとって、迂遠で分かりにくい言い回しは最も嫌うところだ。いよいよ我慢の限界かもしれない、と冷や汗を一筋流す漂泊者とは裏腹に、女は殺意みなぎる追跡者の兜の奥を、真正面から、うっとりと見上げた。
「テティスの演算通りね。あなたの中に秘められているその力……いつか最高の果実が――いや、
女の意味深な言葉に、追跡者はただ無言で大剣の刃を翻し、女の顔へと向けた。紛らわしい比喩表現の数々を、いちいち気に掛けるつもりはない。女の方も、追跡者が付き合ってくれないことに気分を損ねたのか、それ以上言葉を重ねることなく、漂泊者へと視線を戻した。
「とにかく、私は特に危害を加えるつもりはない。むしろ逆、しつこい虫ケラを払ってあげたのは私なんだよ。だから
あんな連中の立場なんてどうでもいいけど、私のお気に入りにちょっかい出すんだったら容赦しない。それに奴ら、少しからかっただけであんなに逃げ惑うなんて……つまんない」
わざわざ
「どういう意味?」
「あれ? 気づかなかった? あの龍の小娘とのデートで何も起こらなかったのは、私が
――ねえ、こんなに答えてあげたんだから、そろそろ私の番じゃない?」
どうやら漂泊者たちの知らないところで
「何を知りたい? 私? それとも彼?」
「いや? 別に知りたいことはないよ。ただ、そんな目で見つめられたら……うふふっ、なんでもない。
とにかく、私はこれからもあなたたちをお世話し続けるわ。何よりも特別な、大切な『種』だから。
それに……あなたからは
――ぴぴぴ、と電子音が鳴った。
漂泊者と追跡者が思わず気を取られた瞬間、にっと笑った女が、太い蔓をぶわりと溢れさせた。一瞬の隙を突かれた二人は反射的に飛びずさり、無秩序に暴れる蔓から逃れる。
蔓の氾濫は一瞬だった。それぞれに佩剣を構えなおした二人の前で、蔓は見る見るうちにその身を萎びさせ、やがて倒れて崖の土くれに混ざって消えた。後には、ざわざわと風の鳴る音だけが残った。女は、二人の視界のどこにもいなかった。
「――“ツバキ”よ。次はもっとしっかり逃げてよね?」
女ことツバキの声が、残響のように二人の耳に届いた。視線を巡らせても、女の姿はどこにもない。――逃げられたか。
伊達にブラックショアの諜報員ではない。後は、二人の障害とならないことを祈るしかないか……漂泊者は、未だにぴりぴりと響く電子音が、己の腰元から発せられていることに気付いた。デバイスを取ってみると、
『漂泊者さん? 遅かったですね。何か問題でもありましたか?』
通信越しに心配げな声を聞かせる
「尾行者が誰か分かった」
『敵と会ったのですか!? 怪我は――!?』
「問題ない……と言って、いいのか。ブラックショアの奴だった」
『そうですか……ですが、無事で何よりです』
なかなか危険な人物だったし逃げられたけど――というのは、言わない方がいいか。下手なことを言っても、心配性の
ところで、
「それより、そっちは進展あった?」
『
◇ ◇ ◇
裏山を降り、今州城の商業区域へ戻ってくる。少し歩いたところで、
「漂泊者さん、追跡者さん! お帰りなさい!」
「状況は?」
「さっきまで
代わりに、
「いいところに! こいつ、商業区域でこそこそ嗅ぎ回ってて……なんか怪しいから見張ってたんだ。
んで、さっきまで探し物をしてるちっちゃい女の子と一緒にいたんだけど……その子急にいなくなっちゃんだ。これってやっぱおかしいよね?」
「そこのお前! 路上活動の許可証を見せてもらおうか!」
「きょ、許可証!? ゴホン、わたくし、しがない情報屋で、名をアールトと申します。今は気ままに旅をし皆さんにお力添えを……」
「はい、無許可ね。となると店舗も持ってないってことかな」
「て……店舗!? 情報商売に店舗って必要なの……なんですか!?」
「はぁ……じゃあ団体活動許可書を見せてくれ」
「ま、待て! うちは信用第一、明朗会計! どんな情報でも取り扱っている優良店! なんならここに『大陸名情報屋賞受賞証』だって……」
「明確な業務実態がない……つまり違法営業だね」
「漂泊者、これは
周囲では「何だ何だ」「捕り物演技か?」と野次馬が集まり、人だかりができ始めている。この青年がブラックショアの関係者ならば、ここで衆目を集めるのは得策ではないのだが……いるとも知れぬ諜報員探しより、
「おたく責任者は? ちょっと呼んできてよ。身分証ぐらいは出してもらうよ」
「せ……責任者!? あ……あのお方はとっても立派なお方なんだぞ!
それは……この星と共に誕生した古き存在。いわば星そのものの意思、世間万象を移す鏡……」
「だから責任者を呼べ責任者を!」
「だぁーっ! もうここまで言ったのにまだ信じないの!? おかしい! ありえない!」
「はいはい信じる信じる。状況はよーく分かった。じゃ、とりあえず署まで来てくれ」
勿体つけた物言いで誤魔化そうとする青年の言葉を、しかし
「頼むよ! 後生だよ! 俺はただ人を探してただけで……
こう、こう――こんな感じの子供で、人込みに紛れてても一目で分かるような……!」
「どんな感じだよ……」
「ほら! 君がさっき言ってたあの子だよ!」
いよいよ窮した様子の青年が身振り手振りを交えて弁解するも、
一方、漂泊者が彼方に視線を向けながら、ぶつぶつと呟いていた。
「背が低く……髪はピンク……ぴょんぴょんと走る……?」
「あ~そうそうそうそうまさにそう……ってあれ? なんで君が知ってるんだ?」
その言葉を聞きつけた青年が、まるで一縷の希望のように飛びつく。と同時に、初めて漂泊者の存在に気付いたようだった。
「気をつけて。危ないですよ」
漂泊者の視線の先、商業区域の水路の橋の方から、聞き覚えのある声がする。振り返ると、柔らかなブロンドを風になびかせるヴェリーナだった。その隣に連れ歩いているのは、ぴょんぴょんと飛び跳ねる桃色の髪。ヴェリーナと同じか、それよりも幼い少女が楽しげに歩いている。その胸に
花模様の瞳を輝かせる少女は、その姿を見つめる一同に気付くと、跳ねるように駆け寄ってきた。
「見つけた!」
そのまま飛びついた先は――なんと漂泊者。突然のことにびっくりする漂泊者に対し、抱き着いた少女はにししーと悪戯っぽい笑みを浮かべながら見上げた。
そこに駆け寄るのがもう一人。まさに少女を探していたという、青年である。
「アンコ大明神様がよ……! 心配かけさせやがって……」
「おい、何するつもりだ!」
「巡尉さん、俺が探してたのはこの子だよ……!」
となれば、後はこのアンコなる少女の素性を問い質す番だ。
「あんた……アンコちゃんだね。この人知ってる?」
「うん! アンコ知ってる!」
「無免許営業で、金の亡者で、盗み聞き大好きで、子供をいじめるのも大好きなアールトおじさん!
……あ、でも悪い人じゃないよ!」
「悪い人の要素しか見当たらないが……」
……およそ最悪の説明に、空気が凍り付いた。
一方、
「アンコちゃん、俺言わなかったっけ!?
『おじさん』はやめて! 俺まだピチピチなんだけど!?」
「そこ?」
青年、もといアールトの悲鳴が一同を斬り裂き、漂泊者に呆れた顔を向けられていた。『おじさん』呼ばわりを気にする年齢なのだろうか。しかし悲しいかな、およそ十歳かそこらの年齢でしかないアンコにとって、目算二十代のアールトは立派な『おじさん』である。
……アールトとアンコの素性に戻ろう。一同と知り合ったばかりのヴェリーナに連れられてきたというのも不可解だ。
「ヴェリーナさん……これはどういうことですか?」
「裏山から帰る時に、崖のそばで偶然出会ったんです……それも毒キノコを食べてる真っ最中に……
なんとか薬の調合が間に合ってよかったですよ。でないと恐ろしいことになってました……」
「アンコの心配してくれてありがとう! でもこういうのは慣れっこだからね!」
「アンコちゃん……どうして一人でそんな危ない場所に行ったのですか?」
「大丈夫! 全部言ってみよう!」
そこに
一方、意を決したアンコが、ついに口を開いた。陰で必死に口止めを試みているアールトなど意にも介さず、
「それは……このお姉ちゃんを
ばっちり漂泊者を指差して言い放たれた言葉に、空気が凍り付いた。
あちゃー……とアールトが天を仰ぐ一方、アンコは周囲の反応が芳しくないことに違和感を覚えたようだった。
「――あ、あはははは……変なアニメでも見たのかな、アンコちゃん……皆様方どうかお気になさらず……」
乾いた声で誤魔化しにかかるアールトへ、一同の冷たい視線が突き刺さった。口が上手いのか下手なのか、追跡者はよく分からなくなってきた。
「ねぇアールト……アンコに行けって言ったの、アールトだよね? なのになんかみんなの目、やばいよ」
「だからアンコちゃん……そういうこと言っちゃダメなんだって……」
恨みがましい様子のアンコの糾弾も、もはや二人の真っ黒ぶりを裏付けるものでしかない。
隠しようもない不審の数々が暴かれ、一同から刺々しい視線を突き付けられるアールト。ついに観念したかのように、諸手を上げて語り始めた。
「はぁ、しょうがない。こうなったらもう素直に打ち明けるしかないか……
ここへ来たのは仕事のためだ。それも非常に重要なね。なんせ――」
ぼふん、と大気が白に呑み込まれた。前触れもなく生じた白い煙が、一同の視界いっぱいを覆い尽くし、アールトの姿を晦ませる。一同が思わず目を覆った隙を狙い、アールトの鋭い声が走った。
『アンコ!』
「アールト~! 待って~!」
唯一備えをしていたアンコが、アールトを追って白い煙に飛び込む。スカーの幻と異なり、ただの濃色ガスでしかない煙をワイヤークローで捕えることもできず、追跡者さえその後を追うことができなかった。
煙はすぐに晴れ、一同の視界に色彩が戻ってきた。そこに残されていたのは、淡い周波数エナジーで構成された白い残影。一同をおちょくるようなポーズをしたアールトの影だった。
『じゃあな! こっちには世界を救う使命があるんだよ!』
「ごほごほ……待て! 逃すわけには……!」
高笑いするようなアールトの捨て台詞に、
世界各地で暗躍する秘密組織、ブラックショア。その諜報員として、尾行者を撒く技術は必須技能だろう。だが、こんな風に相手を挑発する必要性があるだろうか? こういう連中ばかりなのだろうか、と追跡者は不安を覚え始めた。