ぐるりと大沼を迂回し、一行は崖に半ば埋もれた巨大な建物の前に立った。時計を思わせる大きな円盤によって閉じられた、独特な大扉だ。
「ここだ。はぁ……いちいち謎解きとは、遊び心満載な奴らだな。
「……このドア、この前アールトがドジったせいで開かなくなったやつじゃないの?」
「こほん。あれは……そうだな……とにかく! まずはこのドアを開けないとな!」
じろりと睨む三人の視線を、アールトは乾いた笑いで誤魔化しつつ、さらりと漂泊者たちに押し付けた。こいつを信じて進んでいいものだろうか……と不安を覚えつつ、二人は大扉の前に鎮座する小さな円盤の前に立った。
円盤の謎は、思いの外早く解くことができた。それが漂泊者の類まれなる閃きによるものなのか、アールトの努力の成果なのかは分からない。円盤を回転させ、回路を結び、エネルギーの通り道を作る――仕掛けさえ理解すれば、何ということもない。ごろごろと鳴動しながら押し上げられる大扉を見つつ、しかし追跡者もまた「
さて、そんな
一方、浮遊する雨滴に違和感を抱いたアールトは、床じゅうに散乱した研究資料を読み解き、「これは……なるほど……」と呟いていた。
「
「なんだ、それは」
「
追跡者の問いに対し、アールトは端的に答えた。
天へと遡る雨――どうやら海蝕現象の一種らしい。通常の雨と同じように降る第一段階、大地に停留し反響エナジーを吸収する第二段階、そして天空海へ降り帰るように遡上する第三段階を経る、長い長い事象なのだという。この雨滴はつまり、その疑似再現というところだろうか?
「反響エナジーはあらゆる時空の事象を記録できる。だからそれでできた
俺は
追跡者には分からない、数多くの専門用語が並ぶ研究資料を眺めながら、アールトは実感の込もった呟きを零した。ブラックショアの諜報員として、多くの違法研究を見てきた彼にとって、雨こそが大いなる災いの前触れだった。
雨は、万人に等しく降り注ぐ。禍も福も、曇天の下で全てが濡れそぼり、呑み込まれ、洗い流されていく。
「それにしても、
そういう訳で、しばらく個別行動になった。アンコは(破壊せずに)開けることのできる部屋の探索、漂泊者たちが証跡の発見と分類、アールトがその解析だ。
アンコは白黒一対の羊のぬいぐるみを従え、探検だと喜んでいる。アールトはそれを見咎めることなく、目を皿にして研究資料を読み漁っている……と思いきや、どうでもいい雑貨から金目の物を漁っている。真面目なのだかそうでないのだか。
ひとまず、手がかりを見つけることから始めなくてはならない。まずは階段を昇り、二階の部屋を探してみよう。
◇ ◇ ◇
二階にある研究室の一角。漂泊者と追跡者の目の前に、半透明のヒトガタが浮かび上がった。
「これは……霊体か?」
「反響エナジーの残骸みたいだね」
ここにいた研究員の残留思念といったところか。二人は耳をそばだて、霊体が零す声を聴いた。
『――実験自体はうまくいったはず……なのに望んだ結果が出ないのはなぜだ?
人工
『――時間がない。人工制御無音区の作成がほぼ完了している。ここは第二プランに移るか。――』
『人工
一方、漂泊者は“奇跡”という言葉に注目した。この地に何らかの遺失文明が存在し、その手がかりとして『奇跡の再現』を試みたようだ。ただ考古学的に遺構を調べるのではなく、その残滓を再演するという飛躍的な挑戦を企てさせる……いったいどのような文明だったのだろうか。
別の一角にも霊体があった。肉体的特徴を失った思念の塊は、その人相を窺わせない。先ほどの霊体の関係者、ということ以上は判別できなさそうだ。
『――あの“監察”はやたら羽振りがいい……あの金がなければ実験室なんていつまで経っても完成できなかった……
よく実験に口出しされるのは癪だが……それでも大事なパトロンだ。こんな場所であっても実験が続けられるだけいいと思わないと。――』
『――そうよね。でなきゃ私たちのような狂人、誰も拾ってくれやしないわ。――』
『――ベースから蹴り飛ばされた私たちの本心、あいつらは理解できまい。ハイセン教授が言った通り、僕たちの努力は人類の未来を変えられる偉業。今度こそ“あの奇跡”を再現してみせる。――』
今度は漂泊者が顔をしかめた。“監察”――よりによって
追跡者は、「ベースから蹴り飛ばされた」という表現に引っかかった。
さらに探索を重ねた先、別の部屋で、また霊体が見つかった。
『――A038実験体の状況は?――』
『――依然として具体的な形成、発声は認められません。ほとんど静止状態です。
しかし、異常行動が複数回確認されています。その点についてはさらに研究が必要ですね。――』
『――そうか。だが所詮は偽物だ、“神”には遠く及ばない。
そういや最近、研究室にある部品がよく無くなるんだが……心当たりは?――』
『――はい。ここ最近深夜になると変な音が聞こえてきます。
まさかA038と関係が……? 最近、周波数測定でよく「飢え」の状況が測定されて……でも、これだけ厳しい管理体制にありますし……考えすぎでしょうか。――』
『――そうだな、少し観察記録を調べてみよう。
それと、餌の投与量をもっと増やしてくれ。くれぐれも実験体を飢えさせるなよ。あれは唯一の希望だ。――』
何か実験体を飼育していたようだ。断片的な言葉を拾うと、『神の模造』を試みていたのだろうか? 得られた成果は芳しくなく、しかし一方で、想定外の異常が確認されていたようだ。漂泊者は脳裏に厭な予感を抱きつつ、しかしそれを具体的に言語化できないまま、霊体たちの前で立ち尽くすしかなかった。これ以上得られる情報はなさそうだと研究室を出たとき、アンコの甲高い声が二人の耳に届いた。
「アールト! お姉ちゃん! お兄ちゃん! アンコ、すごいもの見つけちゃった!」
アンコの声に導かれるまま、未探索の研究室に入る。その中央に浮かんでいたものを見て、追跡者は思わず心臓が止まったかと思った。
それは女の姿だった。
霊体よりもなお儚い、反響エナジーで構成された彫像とでもいうべき影。朧げな輪郭で見下ろすその顔は、確かに見覚えがある。今は遠き、色褪せた砂丘で見出した――
(――いや、待て)
連鎖的に記憶が解き明かされ、追跡者は思わず隣に立つ漂泊者を見た。彼女も同じように、目の前に浮かぶ女の姿に見惚れている。
あの星の交錯で見た、二人の女の片割れ――それがまさに、この漂泊者だ。
「綺麗な人……」
「漂泊者。この人を覚えてるか?」
硬直する二人に気付かず、うっとりと女の影を見上げるアンコの横で、アールトがふと漂泊者に話を振った。女の影に見惚れたまま、何か見えないものを探し求めるかのような横顔に、追跡者の理性が戻ってきた。
「分からない……確かに、知っているはずなのに……」
「やっぱりか……」
何かを納得したような謎めいた表情を見せると、アールトは女を投影する装置に正対した。ぴろりとコンソールを叩くと、ぼやけたホログラムが投影される。今度は反響エナジーの霊体ではなく、装置による録画のようだ。「好きな音声を込めた霊体を、意図的に作ることができる機能だよ」と教えると、追跡者がひどく感心していたのは蛇足と言うべきか。
ぼやけたホログラムに浮かび上がったのは、腰の曲がった老人。カメラではなく、女の影でもなく、何かを待ち構えているかのように見据えている。
『――……近づいてきたな。これが……最期か。少々、悔しいがね……。――』
『――“敵”は世間からの誤解、衰えつつある情熱、それに本性ゆえの迷いと思い込んでいたが……結局、「歳」が一番の敵だったわい。
わしは死への恐怖と成果への渇望に蝕まれ、魔が差し、これまで心血注いできた研究を歪ませた……ようやく目を覚ましたものの、時すでに遅し……わしらは、あの偽りの扉を開けてしまった……。――』
『――ここに最後の成果を残そう……
過去から来た未来の者……どうか……もう一度、わしらを救ってくれ……進み続けてくれ……世界を変える真の扉を開き、その先へと進んでくれ……。――』
女の影を崇拝するように見上げたまま、老人のホログラムは消えた。しばらく、誰も声を発しなかった。身命を捧げて研究に狂った老人の遺言は、こうして四人に届くまでに、どれほどの期間を要したのだろうか――ばんとアールトが手を叩き、一同の思考を切り替えた。
「電力が戻ったんなら、中央エレベーターも使えるはずだ。
信号塔はこの下にある。降りてみよう」
アールトの提言に、素直な漂泊者とアンコは研究室を出、階段へと向かっていった。
後には、貼り付けた笑顔のまま手を振るアールトと、その背中を鋭く睨む追跡者が残された。二人の視界から漂泊者とアンコが消え、その足音が届かなくなってようやく、追跡者は口を開いた。
「アールト。お前は、この女を知っているのか?」
「さぁ、どうだろうね? これ以上は流石にサービスできな――」
「答えろ」
おどけながら振り向くアールトの胸に、かしゃんと何かが当たった。
まるで足音のように気軽に鳴ったそれに視線を落とし、そして見えたものに、アールトの心臓が飛び上がった。悲鳴を上げなかったのは、彼ができうる最大の自制といってもいい。
まるで握手か何かのような気軽さで、追跡者は左腕の弩状の機構を突き付け、アールトの心臓にぴたりと照準を合わせていた。
「俺に必要なのは、使命を果たすことだけだ。お前たちの謀略にも、密売人ごっこにも興味はない。
答えろ。
ぴり、と冷たい空気が部屋じゅうに広がった。抵抗は無意味、弁舌など論外、一挙手一投足が死に繋がる――緊張でばくばくと跳ねる心臓を抑えつけ、悲鳴を上げたくなる顔じゅうの筋肉を抑えつけ、アールトは慎重に口を開いた。
「――知らないのは本当だ。少なくとも、
追跡者は身じろぎ一つしなかった。左腕を下ろすことも、鉄杭を炸裂させることもないまま、無言でアールトに続きを促した。
「
「せきゅ……くり……?」
「俺みたいな下っ端には、教えてもらえない機密ってこと。
知らない言葉に首を捻る追跡者に対し、アールトは内心乞い縋るような気持ちだった。専門用語でも何でもない語彙一つで命を吹き飛ばされるなど冗談ではないが、そんな焦燥はおくびにも出さず、アールトは続きを語った。
「瑝瓏の
こいつの正体を暴くことが、それとも秘匿することが、ブラックショアの命題なのか……それすらも曖昧だ」
間近に凶器を突き付けられながら、震え声一つ聞かせずに語るアールト。その堂々とした語り口から、虚飾の影を見出すことはできない。追跡者は兜の奥で、女の影を横目に見た。あるいは遺失文明の“神”だったかも知れない、謎の女――その似姿は無表情のまま、ただ虚空に浮かんでいるだけだ。
「信じられないなら、ここで俺を殺してくれてもいい。ただし、それは『この女についての情報』に永久に辿り着けなくなるってことだ。
ブラックショアの根は、あんたが思ってるよりずっと深い。情報量と精度に関しては、世界一と言っていい。必要とあらば、ブラックショアは各国の
そいつを丸ごと敵に回して、あんたは本当に、自分の使命を果たすことができるかな?」
アールトの挑発的な言葉に、追跡者はしばらく沈黙した。一日千秋の思いで、しかしそれを顔には出さず、アールトは辛抱強く待った。
「――……いいだろう」
やがて、追跡者は緊張を解いた。アールトの胸から機構を離し、鋼鉄の弓柄をぱちんと閉じる。その左腕が完全に下ろされてようやく、アールトはへらりと笑った。
「今は、信じることにする。
ただし、何か分かったら必ず教えろ。必要なら、対価は払ってやる」
「まいど~。話が通じる旦那で助かったよ」
「というかお前、知りもしないことに金を請求するつもりだったのか」
「まぁね~。情報屋も、時にはハッタリが必要なのさ」
へらへらとおどけるアールトをじろりと睨みつつ、しかし追及を諦めた追跡者は、漂泊者たちの後を追うべく研究室を出た。今度こそ含むところは何もない、決然とした歩みが部屋の外に出、階段へと消えていく。しかしその背中を追わず、ずっと貼り付けた笑顔のまま見送ったアールトは、追跡者の気配が完全になくなってから、ようやく全身の緊張を緩めた。
(――っはぁ……! はぁ……! あっぶねぇぇぇ……! マジで殺されるとこだった……!)
ぶっはぁ、と大きく深呼吸をする。呼吸どころか、心臓を止められていた気分だった。
正体不明の共鳴者。
(あいつに殺されたら生涯恨むぜ、ショアキーパー……!)
アールトは、この指令を出した最高幹部に呪詛を送りたい気分だった。間違っても実行に移さないのは、ひとえに彼の善良さを象徴するものだろう。