潮騒を追う夜雨   作:竹河参号

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第六幕 千里の猛襲(1)

 大急ぎで今州城に戻ってきた漂泊者と追跡者を待っていたのは、大群をなす夥しい数の残像だった。

 “残像潮”――言い得て妙とはこのことだろう。満ちては引く潮のように、恐ろしいほどの勢いで迫りくる残像の群れ。一体一体は雑兵でも、束となって襲い掛かればおそるべき脅威だ。まして市民たち非戦闘員を守りながらの戦いは、難易度が格段に跳ね上がる。

 ただ、こういう非常事態に備えて熾霞(シカ)たちのような巡尉がいる。市民の避難誘導は彼らに任せ、漂泊者たちは城内を北に駆け抜けると、秧秧(ヤンヤン)や夜帰軍兵士たちと合流し残像潮の征伐に臨んだ。つい先日相対した“審判の戦士”や“冥淵の守り手”だけでなく、“慟哭の戦士”“春雷の狩人”“破霜の狩人”“徘徊の狩人”といった様々な種類の残像が出現している。ただ武器を構えて突撃してくる個体だけでなく、遠距離から飛び道具を使って撹乱する――編成は単純だが、それゆえに堅固で厄介だ。まして、その攻撃特性がそれぞれに異なるともなれば。

 担当が終わったのか熾霞(シカ)も前線に駆け付け、漂泊者たちはいよいよ攻勢に出た。戦士たちの突撃を押し止め、すり抜け、その奥にいる狩人たちの攻撃を妨害する。横槍が止んだところで、前衛の戦士たちを叩き潰す。一体一体は脆弱で、大した手間はかからない――というより、かかずらっている暇などない。津波のように押し寄せてくる残像潮を全て仕留めなければならない以上、個々にかける労力は最小限に収めなければ。

 無限かと見紛うほどに圧倒的な残像潮の攻勢は、漂泊者のみならず、追跡者にも相応の疲労を強いた。元より彼は“夜”を追う側、守ることより攻めることの方がずっと多かった戦士だ。目の前の敵を叩き潰すだけでなく、絶え間なく戦場全体を俯瞰し、防衛線の突破を試みる個体を見咎め、その動きを抑制する――夜渡りとしての経験が通用しない難戦に、彼は全身から汗を絞り出されるような疲労を強いられた。

 一つの幸運は、残像の攻勢が止むのもまた、潮のように訪れるということだ。まるで怪物が息を吐き出しきったかのように、残像たちの出現が止み、戦況は夜帰軍側に傾き始めた。数の力に任せて攻めてきた側がその優位を失えば、趨勢は決したも同然だ。やがて全ての残像が征伐され、戦場に沈黙が訪れた頃には、とうの昔に日が暮れて、今州城は夜の闇に呑まれていた。

 夜帰軍の兵士たちの顔を見ると、撃退成功の歓喜よりも、生還の疲労感の方が大きいようだ。引けばまた満ちるのが潮の道理、しばらくすればまた残像の攻勢が始まるだろう。それまでに体力を回復し、武装を補給し、防衛線の再構築を済ませなければならない。休みなく働く兵士たちの姿を見ていた漂泊者と追跡者は、ふと彼方を見やる秧秧(ヤンヤン)の姿に気付いた。

 

 

「どうした」

「月相が、満ちていく……」

 

 

 月を指差す秧秧(ヤンヤン)の言葉に釣られ、二人は夜の闇に浮かぶ月を見た。

 

 

(――何だ、あれは)

 

 

 その光景に、追跡者は愕然とした。彼らの目に映ったのは、正常な月の姿ではない。まるで今にも墜落するかのように地表に接近し、地平線に埋もれかかっている。しかもその姿は、雨が降りしきる湖に映ったかのように滲んでおり、どろどろと歪んでいる。本物の月ではなく、天空海が映し出した幻像なのだろうか――?

 

 

「この溯洄雨(そかいあめ)……漂泊者さん、もしかしてこれが、令尹(レイイン)様の言う()ですか?」

 

 

 秧秧(ヤンヤン)の問いに、しかし漂泊者は明朗な回答を返せないまま、魅入られたように月を見ていた。溯洄雨(そかいあめ)を始端とする大規模な残像潮――忌炎(キエン)将軍のいる北落野原でも、熾烈な戦いが行われていることだろう。あるいは鳴式の力が蘇り始めているだろうか。漂泊者が加勢するという意味では、まさに絶好の機である。

 とそこで、ぴろりとデバイスが電子音を鳴らした。応答のスイッチを押すと、今汐(コンシ)の幻像が出現した。今州城全域に通知される広域メッセージだろうか。

 

 

『――市民の皆さん。演習の通り、落ち着いて避難してください――』

「事前に録画された映像だね。令尹(レイイン)様がこの日に備えて忌炎(キエン)将軍に手配させてたんだよ」

 

 

 熾霞(シカ)の説明を受けつつ、漂泊者は改めて今汐(コンシ)の幻像を見た。映像の中の今汐(コンシ)は、『落ち着いて』『演習通りに』『巡尉の誘導に従って』という言葉を強調している。巡尉だけでなく、市民も訓練を積んできたことが窺える。この事態が発生すること自体は、“角”や今汐(コンシ)も想定していたということか。

 

 

「はー、これで一段落ついたかな? 一旦城内のみんなの様子を見に行こっか。

 それにしても、さすがに残像多すぎ。漂泊者と追跡者がいてくれてよかった。じゃなかったらもっと大変なことになってたよ」

「そういえば、城門の方に桃祈(タオキ)事務長がいるはずです。戦況について色々聞けるかもしれません」

 

 

 熾霞(シカ)秧秧(ヤンヤン)の提案に従い、四人は一旦城門まで下がることにした。

 道中、見覚えのある者たちの姿が見えた。怪我人の治療をしているヴェリーナ、兵士たちの鼓舞をしている瑞獅団の者、有志の協力者として戦っている共鳴者たち……城門に辿り着くと、奇しくもアールトとアンコを見つけた。桃色の髪の官僚と話し込んでいる。あれが桃祈(タオキ)事務長とやらか。

 

 

「バリアはどうなってる?」

「最優先で修復中。ただ敵の構成次第では、すぐやられちゃう可能性も高い」

 

 

 何やら防衛設備の状況に関してやり取りをしているようだ。漂泊者と追跡者の接近に気付くと、桃色の髪の官僚が柔和に微笑んで手を振った。

 

 

「そういえば初めましてだったわね。じゃあ自己紹介。天工の事務長:桃祈(タオキ)よ。辺境防衛を担当しているわ。

 改めまして、今州のために戦ってくれてありがとう」

 

 

 二人はすっかり有名人になってしまったらしい。面映ゆい気持ちを抱くには、状況があまりに緊迫していた。

 

 

「お前たちが話していた、『ばりあ』というのは?」

「バリアは対溯洄雨(そかいあめ)のための防御設備よ。溯洄雨(そかいあめ)を完全に遮断できるの。

 それで――バリアが破損すれば、城内に残像潮が発生することになる」

 

 

 追跡者の問いに、桃祈(タオキ)は目つきを鋭くして答えた。非戦闘員を守る最後の防護壁、何を措いても守るべき最重要防衛線ということらしい。

 

 

溯洄雨(そかいあめ)と残像潮がどう関係するの?」

溯洄雨(そかいあめ)の本質は天空海から由来する反響エナジー――それもとびきり強いエナジーだ。こいつだけでとてつもない数の残像を引き寄せることができる。

 加えてその反響エナジーは、雨に濡れた者にかつての幻影を見せる。そいつがいわゆる『溯洄雨(そかいあめ)の幽霊』ってやつだ。俺たちが“共鳴”と呼ぶものと同じ原理で、雨が降る地域と深い関係を持つ人ほどその影響は大きい」

 

 

 漂泊者の問いに、今度はアールトが答えた。その『溯洄雨(そかいあめ)の幽霊』が、さも重大災害であるかのような物言いに、漂泊者は首を傾げた。

 

 

「ただの幽霊なら、恐れることはないんじゃないの?」

「そうも言ってられないんだ。特にこの今州ではね」

 

 

 漂泊者の疑問に、アールトは神妙な顔で答えた。

 

 

「古来より戦場である今州は、戦争を象徴する鳴式とセットの土地――つまりその裏には、数えれないほど犠牲があるというわけだ。

 もしそんな場所に溯洄雨(そかいあめ)が形成されてしまえば、幾千万の死んだ兵士と残像が幽霊としてこの地に再現される……」

「これが今州が抱え込んできた最大の問題――それもとびっきり危険な、ね。バリアはその対策として、令尹(レイイン)様の指示で作られたの」

「でも、幽霊でしょ? 数の多さで変わる問題?

 それとも――『溯洄雨(そかいあめ)の幽霊』自体に、何か脅威があるの?」

 

 

 重ねられた漂泊者の疑問に、アールトと桃祈(タオキ)が揃って深刻な表情を浮かべる辺り、彼女の疑念は的中したらしい。ただの過去の残影――それだけに留まらない加害性を有しているということだ。

 

 

溯洄雨(そかいあめ)が生成した幽霊は、ある時点の行動を機械的に繰り返すことしかできない。それに現実に干渉する力も持っていない――()()()()()、ね」

 

 

 桃祈(タオキ)の説明に、追跡者は過去の記憶を漁った。かつて、夜渡りとして戦っていたころ――“霊体”という存在について、()()()()から教わったことがある。

 霊体とは本来、『特殊な力場』がなければ、そもそも存在しえないものなのだという。神殿や霊廟、あるいは霊障に侵された場所でなければ、存在を保つことすらできず、まして生命に干渉することなど不可能なのだとか。生命が持つエネルギーとはそれだけ力強く、死者の残滓程度では、それに対抗できるだけの強靭さを持つことができないらしい。

 裏を返せば――そんな力場を形成しうる強い存在がいれば、周囲の霊体は実体を持ち、現実に対して干渉ができるようになるのだと。

 

 

「それが、鳴式“無相燹主(ムソウセンシュ)”の権能。溯洄雨(そかいあめ)が生み出した幽霊は、現実の人々に対しても攻撃できるようになってしまったの」

 

 

 よりによって、鳴式――最悪の因果関係に、二人の表情が硬くなった。それを視界の端で見届けると、桃祈(タオキ)は闇に滲む月を見上げながら語り始めた。

 

 

「あの日起きたのは、夜帰軍と北落野原の残像、それと雨が生み出した残像と兵士たちによる四つ巴の大混戦。

 特に溯洄雨(そかいあめ)によって生み出されたものたちは、周囲への攻撃を無差別的に繰り返しを行った。そんな混戦の中、無惨に死んでいった兵士がたくさんいる――

 そして彼らの死もまた、無常の雨に記録されてしまった……今でも北落野原には、煉獄と化したあの日の兵士たちの悲鳴が木霊しているのよ」

「人類は、『鳴式の力によって強化された溯洄雨(そかいあめ)』を、湾刀の戦いで初めて観測した。だからあの将軍が送ってくれた映像、あれは本当に有益な資料なんだ。おかげで各国の溯洄雨(そかいあめ)バリアの開発が大幅に加速した」

 

 

 雨が残像をもたらし、その戦いで兵士たちが死に、そして雨に囚われ幽霊となる――まさに煉獄だ。元を断たなければ、この煉獄は際限なく膨れ上がる。現状維持の手段の開発に成功したのは、不幸中の幸いというべきか、どうか。

 

 

「ブラックショアでは『鳴式』『月相』『溯洄雨(そかいあめ)』――この三者が連動すると推測されている」

「――つまり、溯洄雨(そかいあめ)の規模は月相の変化を示し、それに応じて鳴式の力も変動する……?」

 

 

 アールトの説明に対し、漂泊者は少し考え込んで推測を述べた。これらの事物が一本の線で繋がっているのなら、それぞれの規模から、鳴式の復活を予期することができる――?

 

 

「正解。だけど、まだこれは推測にすぎない。いかんせんデータサンプルが足りないからね。

 今分かってるのは、鳴式の復活と深く関わってるってことだけ……ま、溯洄雨(そかいあめ)の法則について調べなきゃならないことがまだまだあるってわけだ」

 

 

 肩を落としたアールトに対し、漂泊者も追跡者も追及しなかった。未曾有の災害に対して、その無知を咎めていても始まらない。取り沙汰すべき問題は、今現在迫っている危機についてだ。

 

 

「――月相が満ちたのは、ほんの一瞬だけのことだった。本当にブラックショアの推測が正しいのであれば……」

「鳴式の復活は近い――?」

「ああ。今の今州の状況は、三年前と変わらないのかもしれない」

 

 

 漂泊者と追跡者の推測を、アールトは全面的に肯定した。

 三年前、湾刀の戦い――先代夜帰軍将:哥舒臨(カジョリン)を失い、引き換えに“無相燹主(ムソウセンシュ)”を雲隠れに追い込むことに成功し、結果として痛み分けとなった大戦。今度も同じ幸運に恵まれる保証は、ない。

 

 

「鳴式の復活は決して偶然ではない。それに鳴式がもたらす影響ってのは、どこの誰であっても他人事じゃ済ませられない。今州の鳴式の復活は連鎖反応を起こす。他への影響も計り知れないんだ。

 だから俺たちは、一刻も早くテティスシステムに戻って、ここで起きたことを共有する必要がある」

「この状況で逃げるつもりか?」

 

 

 アールトの説明に、追跡者は兜の奥でじろりと睨んだ。その恐ろしさを知っているアールトは、とんでもないとおどけた。

 

 

「逃げるなんてとんでもない。だけど、お兄さんほどの戦士なら、『銃後の守り』の重要さも分かってくれるだろう?」

「……? 何だそれは。今州の慣用句か?」

「分からないならいいよ……とにかく、二次被害に備えさせるための連絡要員も要るって話」

「お兄ちゃんもお姉ちゃんもがんばれー! アンコも応援してるからね!」

 

 

 そんな言葉を置き土産に、アールトとアンコはひらりと城門を飛び降り、足早に駆けていった。どこか肩を落としたアールトが、アンコと「俺の言ってること、そんなに難しい?」「いっつもよく分かんないよ?」というやり取りをしていたのは気のせいだろう。

 とにかく、この場に留まれない者を戦力のあてにはできない。のんびりと手を振って見送っていた桃祈(タオキ)は、ふうと一息ついて空気を切り替えた。

 

 

「現状は大体こんな感じね。溯洄雨(そかいあめ)が止まない限り、残像潮はいつでも起こり得る。一刻の油断も許されないわ」

 

 

 そのように言いつつも、桃祈(タオキ)の表情に焦りは浮かんでいなかった。目の前の大災に浮足立つことなく、焦燥から奇策に縋ることもなく、ただ積み上げてきた訓練を信じて挑む――今汐(コンシ)の指揮のもと、積み重ねてきた備えを活かして。あとは、その努力が期待する成果を結ぶことができるか、どうか。

 漂泊者がきりりと気を引き締めた途端、それを待っていたかのように、びーびーとけたたましい警報が鳴った。

 

 

「――報告! 前方に残像潮を視認しました!」

「はあ……噂をすればなんとやら……これが終わったら、目一杯お昼寝してやるんだから」

 

 

 監視員の報告に、桃祈(タオキ)はやれやれと肩を竦めた。いかにも鬱陶しげに見やる山岳の向こうから、夥しい残像の群れが黒い津波を形成し、崖を降りて迫ってくる。

 焦燥は禁物、しかし油断も禁物だ。追跡者が咎めようとした矢先に、桃祈(タオキ)はきりりと目つきを鋭くし、広域通信用のマイクを握りしめた。

 

 

「装甲中隊、狙撃中隊、猟兵中隊、配置に着け。工兵中隊、防御設備を起動。バリア強度70%を維持、第二防衛ラインを設置せよ」

 

 

 桃祈(タオキ)の落ち着いた、しかし力強い命令に呼応し、兵士たちががちゃがちゃと武装を抱えて走り出すと、それぞれの配置に付いた。

 鋼鉄の大盾を構えた装甲中隊、あらゆる角度から戦線を見下ろす狙撃中隊、迅刀と小銃を抱えて街道脇に潜り込む猟兵中隊。それらにがっちりと守られた城壁から、ぶおんと淡い色の周波数エナジーが放出され、今州城を覆い尽くした。

 瑞獅団の者々が城門の天辺に陣取り、がらがらと獅子舞を揺らして雄叫びを上げた。勇ましき獅子の瑞哮が、絢々と真夜中の戦場に響き渡り、恐怖と緊張に強張る兵士たちを鼓舞する。閉ざされた夜空を照らす月さえも、いまや憎き鳴式の(しもべ)。彼らの夜を導くのは、両手に握った得物だけ。

 ながき夜をこえて帰る。その暁に、勝利の歓喜を打ち上げるために。

 

 

「――今州と瑝瓏の未来は、この一戦にあると思え。長き夜を越え、無事の帰還を果たす!」

 

 

 桃祈(タオキ)の号令とともに、無数の鋼鉄が軋み、襲い来る夜の潮へと対峙した。

 

 

 

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