潮騒を追う夜雨   作:竹河参号

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第六幕 千里の猛襲(3)

 駆ける。

 

 

 駆ける。

 

 

 駆ける。

 

 

 腕を振り、脚を振り、ただひたすらに地面を蹴りながら疾走する。

 中部台地から石崩れの高地にかけての道中は、ひたすらに標高が上がっていく登り坂だ。中部台地の『伏波営』駐屯地までは、軍用車両が通行できるよう舗装されているものの、そこから先は残像との戦闘が繰り広げられる最前線であり、幾重もの破壊痕を見せる荒れ地を乗り越えながら進まなければならない。追跡者は、時に岩地を飛び跳ねるように疾走し、時にワイヤークローを飛ばして滑走し、時にその勢いで大跳躍しながら突き進んだ。道中、残像との戦闘で足止めされることがなかったのは、夜帰軍による不窮の努力の賜物と言っていいだろうが――

 

 

「――速いよ追跡者!!!」

 

 

 風を切って駆ける追跡者の耳に、漂泊者の渾身の叫びが届いた。

 追跡者は即座に反転し、後方にいる漂泊者の足元へとワイヤークローを飛ばした。機構がぎゃりぎゃりとワイヤーを巻き取る勢いに乗せて跳躍し、ざりっと土を撥ねながら着地する。漂泊者と秧秧(ヤンヤン)は、膝を支えに前傾姿勢を取り、ぜぇはぁと荒い呼吸をしながら追跡者を見上げていた。

 

 

「どうした。何かあったか」

 

 

 まるで平静の様子で問いかける追跡者へ、漂泊者はきっと睨み上げた。

 

 

「あなたが! 速すぎて! 付いていけないんだよ!」

「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」

 

 

 漂泊者は渾身の力を振り絞って罵声を浴びせた。隣で滝のような汗を流している秧秧(ヤンヤン)に至っては、まともに声を発する余裕すらない。

 戦う前から疲労困憊といった様子の二人に、追跡者は己の失態を悟った。彼自身は、いつもの調子で走っていただけなのだが――自覚していないところで焦りを感じ、つい二人のペースを考えずに疾走してしまったか。

 

 

「す、すまない。このくらいなら、多少先行する程度だと思ったんだが……」

「ウソつけ誰が追いつけるんだあの三次元機動を!!」

「す、すまない……だが、斥候代わりにはなったかと」

「それで! 私たちが! はぐれたら! 意味がないでしょ!」

「ひょ、漂泊者、さん。ごほっ……その、くらい……で……」

「す、すまない、秧秧(ヤンヤン)。無理して喋るな」

 

 

 申し訳なさそうに謝る追跡者に対し、息も絶え絶えの漂泊者が力いっぱい罵声を重ねた。元気があるのだかないのだか、まあこれからの激戦を考えると、怒る余裕があるだけマシと言うべきか。

 ――こと『駆け抜ける』という点において、彼ら夜渡りの右に出るものはいない。霊樹の加護、黄金のルーンの加護だけでなく、限られた時間でリムベルド中を駆け巡る健脚こそが、彼らに求められてきた能力だ。

 

 

「め、鳴式の復活がもたらした影響は、計り知れませんね……」

 

 

 汗を拭い、水を飲み、何とか息を整えた秧秧(ヤンヤン)は、そう切り出した。流れ息を通じて周囲の状況を感知できる彼女は、その分広範囲で展開される残像潮の惨劇を知覚してしまう。どうやらこの先の石崩れの高地でも、激戦が繰り広げられているようだ。

 追跡者は、去り際に桃祈(タオキ)から聞いた無音区の発生を思い出した。そこさえ抜ければ駐屯地は近いようだが――油断はできない。こういう時こそ悪いことが次々に襲い来ると、彼はリムベルドで学習した。例えばリムベルドに降下した直後で、ルーンの祝福が弱い段階に限って、豁サ蜆?遉シ縺ョ魑・だの驤エ邇臥叫繧だのといった強敵に遭遇したり。例えば“夜”の雨が激しくなり、霊樹の麓に駆け込もうとした背中を狙いすますかのように、闍ア髮??繧ャ繝シ繧エ繧、繝ォが咆哮をぶち当てやがったり……――余計な考え事はやめよう。あれもこれもと苦い記憶がフラッシュバックしそうだし、もう済んだ話を蒸し返す余裕があるほど、今の鉄火場は呑気でいられない。

 そのまま道を進み(追跡者のワイヤークローは漂泊者に禁止された)、広い丘陵に出た時、人だかりのようなものが見えた。そもそも開墾されていない土地、加えて残像潮との戦いが繰り広げられる激戦区――一般人がこんな場所にいるはずもない。さだめし、本隊から分かれた兵士たちなのだろうが……漂泊者と追跡者は、反射的に厭な予感を覚えた。

 

 

「あれは……夜帰の兵士でしょうか……?」

「――秧秧(ヤンヤン)、下がって!」

 

 

 近づこうとした秧秧(ヤンヤン)を漂泊者が制したのと、人だかりの周囲の空間がずわりと歪んだのはほぼ同時だった。宣諭の楽手に率いられた、戦士の残像たちの集団だ。三人の驚愕は一瞬だった。巨大な残像潮が今州全体を襲っている今、襲撃の宣告などすでに果たされているも同然だ。唸り声を上げて突撃してくる残像たちに対し、三人は素早く武器を構えた。

 突撃する戦士たちの姿に、赤獅子軍の兵士たちの姿を重ね合わせた追跡者を、どう咎めるべきか。――赤獅子軍の恐れなき勇猛と、残像たちのただの破壊衝動を一緒くたにするのは無礼か、と自ら思い直した。別の世界線であれば、彼らは“不敗のマレニア”が引き起こした朱い腐敗の汚染を堰き止めるため、栄誉の証明たる赤獅子の紋章を自ら焼き潰し、その最期まで繧ア繧、繝ェ繝?ラに留まり続けた悲劇の英雄なのだが……“夜”によって破砕戦争そのものが崩壊した世界しか知らない彼に、そんな物語を聞かせるのも無粋だろう。

 ただ敵対者として、彼らがちょうど匹敵するのは間違いないだろう。末端の雑兵一人一人に至るまで士気が非常に高く、敵対者へ果敢に挑んでいく赤獅子軍は、リムベルドでも面倒な強敵だった。何より厄介なのが、その練度。集団による一気呵成の攻めを旨とし、さらに特製の油を詰めた強力な火炎壺を全員が携行している。加えて精鋭の赤獅子騎士は重力の魔術を修めており、遠距離から大弓による重力の戦技を行使してくる。遠近隙のない連携攻撃は、ルーンの祝福を蓄積してもなお緊張感を強いる難敵であり、戦力と時間の余裕がなければ即座に回れ右をするほどだった。

 それと同じようなものだと思えば、この残像たちにも相対のしようがあると思えるか、どうか。恐怖という感情そのものを持たない戦士たちが突撃し、その背後から楽手が遠距離攻撃を仕掛けてくる。その楽手も、迂闊に近づけば消滅の波動で返り討ちに遭ってしまう。ただ本能のままに襲い掛かるだけの怪物も、こうして『編成』と『連携攻撃』を学習してしまえば、ここまで厄介になるものか。

 しかしそれは同時に、同じような対策で攻略できてしまうという意味でもあった。戦士たちの攻撃を掻い潜りつつ、楽手が奏でる攻撃の律動を看破し、隙を突いて一気に攻め落とす――対多数の迎撃に優れた秧秧(ヤンヤン)、陽動から中央突破までこなせる追跡者、そして強敵すら縫い留める拘束能力に秀でた漂泊者が揃えば、何ということもない。

 だが――あと一つだけ、面倒な要素があった。

 

 

「――っち!」

「追跡者さん!」

「大丈夫だ」

 

 

 彼方から飛来する半透明の銃弾を回避しながら、追跡者は慟哭の戦士による突進攻撃をいなし、返す刀でその体躯に大剣を突き立てた。そのまま強引に戦士の体躯を引き摺れば、その背中に半透明の銃弾が雨霰とばかりに降り注ぎ、ずだだだと鈍い音を立てた。

 そう――半透明の銃弾、()()()()()()()秧秧(ヤンヤン)が見つけた人だかりは本物の人間ではなく、溯洄雨(そかいあめ)の幽霊だったのだ。生前の活動を再生することしかできない溯洄雨(そかいあめ)の幽霊は、人も残像もお構いなしに無差別な攻撃を繰り返す。しかも幽霊である以上、いくら攻撃しても滅びることはない。無論、武器を振り回し周波数エナジーを照射すれば、一時的に吹き散らすことはできるが……所詮は一時しのぎだ。

 そういう訳で、三人は行動予測ができない幽霊を避けながらの戦闘を強制された。それぞれに数が少ないのは、不幸中の幸いと言っていいか、どうか。五分ほどで全ての残像を降した彼らは、しかしその三倍の時間を費やした気分だった。

 残像が消え、後には辺りをうろうろと彷徨う幽霊たち。半透明のその体躯へ、追跡者はずどんと大剣を振り下ろした。はらはらと霧散していく幽霊の影を見ながら、追跡者は兜の奥で苦い表情を浮かべた。

 

 

「……残像を引き寄せるだけでなく、こいつら自身も脅威となるのか」

溯洄雨(そかいあめ)から生まれた幽霊は、高密度の反響エナジーを帯びています。おそらく、それが残像を引き寄せる餌となったのでしょう」

 

 

 追跡者の推測を、秧秧(ヤンヤン)が肯定した。つまり溯洄雨(そかいあめ)が降り続ける限り、幽霊は際限なく発生し、それを目当てに残像が引き寄せられる……残像との戦闘で兵士の犠牲が出れば、それもまた溯洄雨(そかいあめ)に記憶され、あとは無限ループに陥ってしまう。鳴式に導かれて無尽蔵に発生する残像、疲労など知らない幽霊を相対し続ければ、人間の兵士などいずれ限界を迎え、膝を折ることだろう。やがて生者と死者が逆転し、残像が戦場を埋め尽くす――もはや一刻の猶予もなく、速やかに鳴式を討ち取らねばならない状況のようだ。

 不安げに周囲を見回す秧秧(ヤンヤン)の目に、倒れた兵士の姿が映った。咄嗟に流れ息を探知したところ、まだ息があるようだ。

 

 

「あそこに夜帰の兵士がいます! 負傷しているのでしょうか……?」

「また幽霊かもしれない。気を抜かないで」

 

 

 ほとんど反射的に駆け寄る秧秧(ヤンヤン)に対し、漂泊者は鋭い声で忠告した。先ほどのような幽霊であれば、それ自体が意思疎通のできない脅威というだけでなく、誘引された残像との戦闘がまた生じかねない。秧秧(ヤンヤン)は漂泊者の言葉にうなずくと、佩剣に手を掛けて警戒を保ったまま近づいた。

 近づくにつれ、流れ息が安定してくるのを感じた。風が運ぶ微弱な鼓動は、どうやら生者であることを証明しているようだ。堪らず駆け出した秧秧(ヤンヤン)を追い、漂泊者と追跡者は倒れた兵士に駆け寄った。

 

 

「……秧秧(ヤンヤン)……なのか……よかった……」

「知り合い?」

「『伏波営』の輜重隊に所属されている方です」

 

 

 秧秧(ヤンヤン)がゆっくりと兵士を起こすと、兵士はしばらくぼんやりと虚空を見上げていた。意識が曖昧になっている――長くはないだろうな、と追跡者は心胆の奥底で冷え冷えとした感想を抱いた。その体躯には焼け焦げた傷跡がずたずたに刻まれ、しかも部分的に炭化している。これだけ深い傷では、神経も内臓も深刻なダメージを受けているだろう。そしてそれを治療する術を、彼らは持たない。

 

 

「ひどい……何があったのですか?」

「……雲閃のウロコが、復活した……ここは、危険だ……」

 

 

 それだけ言い残すと、兵士の体からだらりと力が抜け、その瞳は虚空を見上げたまま光を失った。

 そんな呆気ない最期とともに、兵士が一人死んだ。その奮闘が人類反攻の魁に繋がるわけでもなく、その末期に心震わせる名言を遺すわけでもなく。ただ怪物に襲われ、なすすべもなく蹂躙され、家族にも友人にも看取られることなく、荒れ地の隅で血と骨が腐っていく。そして生命の熱がすっかり消え、戦禍が止んだその後で、犠牲者その百余あたりとしてまとめて荼毘に付され、死亡者リストの端に名前が追加されるだけ――戦争で死ぬとは、つまりこういうことなのだと、漂泊者と秧秧(ヤンヤン)の脳裏に強く刻みつけられた。

 秧秧(ヤンヤン)にできることは、上っ面だけの涙をぐっと堪え、兵士の瞼をそっと塞いでやることだけだった。ここでこの兵士の死を悼んでも、何の意味もない。同じように戦い、同じように死んでいく兵士たちが、幾百幾千もいる。三人にできることは、彼らの犠牲を無駄にせず、前に進むことだけだ。

 

 

「危険な残像なのか」

 

 

 兵士の体を横たえ、立ち上がった秧秧(ヤンヤン)に向かって、追跡者が口を開いた。彼らを襲った“雲閃のウロコ”なる脅威――同じように三人へ襲い掛かる可能性は、決して低くない。

 

 

「幾万の兵士たちの残響を飲み込んだ、『閃雷』から生まれた残像です。危険度は“怒涛級”……一度捕捉されれば、交戦は免れません」

 

 

 秧秧(ヤンヤン)の説明に、二人は難しい表情を見せた。忌炎(キエン)将軍と合流するまでに、なるべく消耗は避けたいところだが、そううまくはいかない相手のようだ。

 

 

 ――ばりり、と雷光が迸った。

 

 

 漂泊者はぞわりと悪寒に襲われた。()()()()()()。彼女の無防備な背中を、今まさに巨大な残像が鉤爪を振り上げて襲い掛かっている。その姿を真っ先に見つけた秧秧(ヤンヤン)は、しかしその反応が間に合わず――

 

 

「危ない!」

 

 

 知らぬ青年の声が響き、漂泊者の背中をぶわりと旋風が襲った。

 そこでようやく、漂泊者自身と追跡者の反応が間に合った。旋風に巻き込まれて体勢を崩しかけた漂泊者を秧秧(ヤンヤン)が抱き留め、追跡者が背後に庇う。顔を上げた漂泊者は、その旋風を起こした主を見た。

 ――深緑の龍姿を背後に戴く、翡翠色の長槍を構えた戦士。ばりばりと紫光を放つ残像の前に立ち塞がり、渦巻く周波数エナジーでその雷電を弾いている。かつて幻視の中で見た、数多の兵士たちを率いる無双の強者。

 

 

「あれは……」

「将軍です!」

 

 

 秧秧(ヤンヤン)の叫びに、しかし将軍こと忌炎(キエン)は動じることなく、目の前の残像を睨み据えていた。残像もまた獲物を襲う絶好の機会を邪魔され、その仕手を脅威と見做し、一挙手一投足を窺うように構えている。体勢を立て直した漂泊者たちの気配を背中越しに見止めると、忌炎(キエン)はぶんと長槍を振るい、旋風を巻き起こした。

 

 

「雲閃のウロコ――倒すより他はないようだ」

 

 

 その言葉を契機に、戦いが始まった。

 ばりり、と空気を千切る音とともに、雲閃のウロコの姿が掻き消えた。追跡者は咄嗟に大剣を振るい、周囲をぐるりと薙ぎ払った。――がきぃん、と甲高い音を立てて、追跡者の大剣と雲閃のウロコの鉤爪が衝突した。ほとんど反射的な行動は、しかし功奏し、その初撃を防ぐことに成功した。雲閃のウロコは、再びばりりと空気を千切りながら姿を掻き消し、追跡者から大きく距離を取った。

 

 

「――隙ありッ!」

 

 

 そこに、忌炎(キエン)が墜落した。

 自ら巻き起こした風に乗り、天高く跳躍した青龍の戦士が、風を纏いながら雲閃のウロコを襲撃する。咄嗟の回避行動は、しかし旋風の衝撃波によって体勢を大きく崩され、雲閃のウロコはその身を大きく仰け反らせた。

 すぐさま、漂泊者と秧秧(ヤンヤン)が突撃した。黄金の刃が旋回しながら雲閃のウロコを斬り刻み、風を纏う迅刀がその身を鋭く抉る。雲閃のウロコはぐおおと悲鳴を上げながら身を捩じらせ、ばりりと空気を千切りながらもう一度距離を取った。同時に、じりじりとその手に電導の周波数エナジーをため込み、突き出すように解き放った。雷速の一撃は、しかし大仰な予備動作を見ていた四人にとっては緩慢な攻撃でしかなく、全員の回避とともに空しく大気を裂くだけだった。

 追跡者は突進とともに大剣の刃を地面に擦らせ、ぼおと火焔を纏わせながら、雲閃のウロコの動きを分析した。その脅威度は、蝮ゥ蝣昴?鬨主」ォあるいは繝?Μ繝シ繧ャ繝シ繝に相当するか。雷速に匹敵する動きは素早く、攻撃は熾烈で強力だが、行動の起こりに必ず『充電』を要するようだ。それに鎧を纏っていない分、こちらの攻撃に対して脆弱で、簡単に隙を晒す。

 

 

「どけ」

(ほこ)にて穿つ!」

 

 

 特に追跡者による炎の大剣と、忌炎(キエン)による風を纏う長槍は効果的らしい。鋭く重い一撃は、脆弱な雲閃のウロコの肌に深い創傷を与え、その度に全身を痛苦に捩じらせた。

 見切れば容易い、まして四人がかりならば。息つく暇もない圧倒的な攻勢に、雲閃のウロコによる攻撃は乱れ、見る見るうちに精彩を欠いていく。雲閃のウロコは子供の地団駄のように暴れ、遮二無二振るわれた鉤爪が、忌炎(キエン)を襲い――

 

 

「甘い!」

 

 

 しかし、ぶんと長槍に弾かれ、大きく仰け反らされた。風を纏う重厚な一撃は、しかしその軌道の前後に強烈な衝撃波を纏い、容易く見切らせはしない。大気をまるごと引き裂く重厚な反撃を食らい、雲閃のウロコは再度攻撃を乱された。

 そして、その決定的な隙を見逃さないのが、夜帰軍将たる彼の所以だ。

 

 

「風に乗れ!」

 

 

 その背に戴く青龍が一際強い光を放ち、その雄姿を煌々と見せつけた。こんな怒涛級など、鳴式に比べれば所詮は前座、時間をかけず一気に終わらせるつもりなのだろう。その意を汲んだ漂泊者と秧秧(ヤンヤン)も、その身の周波数エナジーを解き放った。

 

 

「はぁッ!」

「急襲!」

 

 

 漂泊者による音素の圧で雲閃のウロコが縫い留められ、すかさず秧秧(ヤンヤン)が風を纏い跳躍した。幾重もの剣閃がその身を斬り刻み、残心の静寂が強制的な空白を生む。その空隙を組み伏せるかのように、追跡者の炎を纏う大剣の一撃が、雲閃のウロコの体躯を深々と抉り、ついにがくんとその身を崩し切った。

 それを待っていた忌炎(キエン)が、高く跳躍した。ぐるぐると渦巻く風を長槍に纏わせ、青龍が咆哮を上げながら墜落する。

 

 

「止められるものか!」

 

 

 雲閃のウロコに向けて、忌炎(キエン)が長槍を投擲した。

 膨大な暴風と周波数エナジーを伴う強烈な一撃が、音すら置き去りにして襲い掛かる。その一撃は雲閃のウロコの体躯を深く穿ち、ぎゃりぎゃりとその身を抉りながら貫通した。ごああという力なき断末魔は、大気を叩く重厚な音圧に掻き消され、何者にも届くことなく散っていった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 音核を砕かれた雲閃のウロコが、貧金の周波数エナジーとなってはらはらと崩れていく。その決定的な一撃を与えたはずの忌炎(キエン)は、しかし勝利の歓喜を見せることなく、大地に深く突き刺さった長槍を、ぼこんと一息で引き抜いただけだった。

 後には、静寂だけが残された。方々で残像潮と戦っている兵士たちの喧騒も、ひどく遠いものに感じられた。

 

 

「――……これで、終わりか?」

「『閃雷』から生まれた雲閃のウロコは、兵士の犠牲が絶えない限り、何度でも蘇る」

 

 

 追跡者の問いに、忌炎(キエン)は振り向くことなく答えた。大きな脅威と相対した興奮より、それを討ち取った歓喜より、彼が到着するまでに生じた犠牲を噛み締めているようだった。

 

 

「――また、数えきれないほどの兵士の魂がこの雨に攫われた……」

「……将軍……」

 

 

 ぐっと長槍を握りしめて立ち尽くす忌炎(キエン)に、秧秧(ヤンヤン)はどう声を掛ければいいか分からなかった。今州最前線で戦い続ける彼は、瑝瓏のどこよりも凄惨な戦場で、誰よりも兵士たちの犠牲を目の当たりにしている。かつては軍医として、そして今は夜帰軍将として――

 だが『前を向き続けること』の重要性を理解しているのもまた、他ならぬ忌炎(キエン)だった。彼はすっと顔を上げると、それきり悔恨を振り払い、漂泊者たちの方へ振り向いた。その横顔に、悲嘆を引き摺っている様子はない。

 

 

「遅くなって済まない。改めて自己紹介を。

 夜帰軍の将軍、忌炎(キエン)だ。令尹(レイイン)桃祈(タオキ)からお前たちのことは聞いている。来てくれてありがとう。

 初めて会う者には瑝瓏の礼をもって接するべきだが、今は状況が状況だ。これからの計画を簡潔に伝える」

 

 

 滔々と流れるように説明する忌炎(キエン)に、漂泊者と秧秧(ヤンヤン)は思わず面食らった。形式ばったやり取りに頓着せず簡潔に話を進める様子は、さすが現場総指揮を担う大人物といったところだが、いくら何でも話が早すぎやしないだろうか。

 

 

「私たち、一応部外者だけど……」

令尹(レイイン)がお前を信頼していると聞いた。それだけで十分だ」

 

 

 おずおずと切り出した漂泊者の確認にも、端的に返答する。彼女は忌炎(キエン)に呆れればいいのか、今汐(コンシ)に呆れればいいのか分からなかった。さすが瑝瓏最前線の責任者たちというべきか、それを差し引いても理解が早すぎるというべきか。

 

 

「それと、この薬を飲んでおいてくれ。雨の影響を完全に防ぐことはできないが、少なくとも幻覚を軽減することはできる」

 

 

 そう言って、忌炎(キエン)は三つの薬包を三人それぞれに渡した。包み紙の中には、錠剤のような薬が入っている。幻惑を薬識で解決するとは、元軍医ならではの対処法というべきか。

 

 

「俺たちが『雨の幽霊』ではないと言い切れる根拠は?」

溯洄雨(そかいあめ)はある条件を満たしたモノしか再現できない――雨の影響を受けている、なおかつその雨域と深い関わりを持っているという条件だ。

 お前たちは雲陵谷(うんりょうだに)で目覚めたばかりで、今州を訪れたのもこれが初めて。つまりどちらにも該当していない」

 

 

 追跡者の不躾な問いかけにも、忌炎(キエン)は淡々と答えた。溯洄雨(そかいあめ)の特性分析まで済ませているとは、なるほどアールトがあれだけ賞賛していたわけだ。曖昧な感覚ではなく確かなデータに基づいた分析は、いかなる状況であっても確実な判断を下すことができる。言われた通り薬を飲む三人の様子を受けて、忌炎(キエン)が言葉を続けた。

 

 

「お前は瑝瓏伝説に記された『鳴式を吸収する英雄』と似た能力を持っている。“角”もそれに関する予言を残した。

 『北落野原にて、失われた力を奪還する』――その達成のため、俺も尽力しよう」

 

 

 んぐ、と漂泊者は喉を詰まらせかけた。危うく薬を吐き出すところだった。何その話、聞いてないんだけど!?

 

 

「失われた力……!?」

「そんな話は聞いていないぞ」

「ああ、おそらく()()()知らないだろう。俺が夜帰軍将の座に就いた時、彼女はまだ令尹(レイイン)ではなかったからな」

 

 

 動揺から立ち直れない漂泊者本人、押し上げていた兜を戻しつつ鋭い視線で睨む追跡者に対し、忌炎(キエン)はさらりと言った。この男、ひょっとしてわざとやっているのだろうか。

 それはともかく。今汐(コンシ)が知らず、忌炎(キエン)のみが知るということは、彼が活躍した湾刀の戦い――あるいは“角”に関係する情報なのだろうか。

 

 

「俺が夜帰軍将の座に就いたあの日、“角”はこう言った――『月が満ちる時、ある帰還すべき人に協力することとなる。鳴式と対峙し、鳴式を倒す力を取り戻す』と。

 ……お前がその『帰還すべき人』なのであれば、今度こそ、あの怪物にトドメを刺せるかもしれない」

 

 

 そう言って、忌炎(キエン)は月を見上げた。天空海に映し出され、どろどろと滲む大きな月の影を。

 

 

「お前たちもこの月に気づいただろう。これは“虚影の月”と呼ばれるものだ。

 “虚影の月”が完全に満ちる時、戦争の鳴式である“無相燹主(ムソウセンシュ)”が蘇る――」

 

 

 そこまでは、三人もすでに聞いた話だ。そうして降臨する“無相燹主(ムソウセンシュ)”とは、どのような存在なのか――それが、どう漂泊者に関係するのか。

 

 

「この大地にはびこる古き影……それが“無相燹主(ムソウセンシュ)”だ。奴は兵器の周波数を吸収し、自分の力に変えることができる。

 数えきれないほどの戦争を経験したこの北落野原は、もはや兵の墓と言ってもいい。その周波数を吸収した奴の力は、計り知れないものとなっているだろう。

 そして“虚影の月”が現れた。おそらく、俺たちに残された時間はあまりない」

 

 

 忌炎(キエン)の容赦ない言葉に、追跡者と秧秧(ヤンヤン)は硬い表情を浮かべた。“夜の王”どころか、ともすれば“夜”そのものに匹敵する重大災害――そんなモノを相手にするには、三人の力では足りないかもしれない。

 一方、

 

 

「私の葬式は、できるだけ盛大にやってほしいな……」

「縁起でもないことを言うな」

 

 

 いかにも悲観しています、といった様子の漂泊者の小ボケに、追跡者がツッコんだ。ふざける余裕があるだけマシと言うべきか、どうか。忌炎(キエン)も「そう悲観するな」と流すだけだった。

 話の続きは駐屯地で――ということで、四人は揃って走り出した。道々を警護する『破陣営』の兵士たちは、残像と交戦している様子がない。不審に思った追跡者が問い質すと、忌炎(キエン)は「お前たちと合流するまでに、一通り倒しておいた」とさらりと言ってのけた。

 

 

 丘陵を踏み越え、坂を登り切り、いよいよ駐屯地に到着する――というところで、ふと漂泊者の視界に何かが映った。駐屯地のさらに向こう、不揃いな島嶼の向こう側で、何かが不自然に隆起している。それが()()()()()と気付くのに、しばらく時間がかかった。この距離で、あの大きさで、この角度で見えるということは――漂泊者は己の目を疑った。小規模な都市がまるまる一つ、鳴式の力に呑み込まれているということか?

 異変はそれだけに止まらなかった。足元が小さく揺れたかと思うと、すぐにごろごろと大地が鳴動し始めた。思わず尻餅をつきかけた漂泊者の視線の彼方で、先ほどの浮遊する瓦礫が寄り集まり、大気を振動させながら積み上げられ――やがて、ヒトガタのような大彫像が出現した。同時に、じりじりと滲む周波数エナジーが大彫像を取り囲み、球状の障壁を形成した。

 その姿は、さながら空から今州を睨み下ろす巨人。旧時代の瓦礫、風化した岩石、破砕された兵器の破片――歪み狂う周波数エナジーの乱気流の中で、それらが無造作に掻き集められ、縛り上げられ、一つの脅威として形を成す。あらゆる条理を逸脱するその力の主は、この今州においてただ一つ。

 

 

「――あれが……鳴式……」

 

 

 誰かの掠れた呟きは、鳴動する大地のわななきに呑み込まれて消えた。

 

 

 

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