駆ける。
駆ける。
駆ける。
腕を振り、脚を振り、ただひたすらに地面を蹴りながら疾走する。
中部台地から石崩れの高地にかけての道中は、ひたすらに標高が上がっていく登り坂だ。中部台地の『伏波営』駐屯地までは、軍用車両が通行できるよう舗装されているものの、そこから先は残像との戦闘が繰り広げられる最前線であり、幾重もの破壊痕を見せる荒れ地を乗り越えながら進まなければならない。追跡者は、時に岩地を飛び跳ねるように疾走し、時にワイヤークローを飛ばして滑走し、時にその勢いで大跳躍しながら突き進んだ。道中、残像との戦闘で足止めされることがなかったのは、夜帰軍による不窮の努力の賜物と言っていいだろうが――
「――速いよ追跡者!!!」
風を切って駆ける追跡者の耳に、漂泊者の渾身の叫びが届いた。
追跡者は即座に反転し、後方にいる漂泊者の足元へとワイヤークローを飛ばした。機構がぎゃりぎゃりとワイヤーを巻き取る勢いに乗せて跳躍し、ざりっと土を撥ねながら着地する。漂泊者と
「どうした。何かあったか」
まるで平静の様子で問いかける追跡者へ、漂泊者はきっと睨み上げた。
「あなたが! 速すぎて! 付いていけないんだよ!」
「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」
漂泊者は渾身の力を振り絞って罵声を浴びせた。隣で滝のような汗を流している
戦う前から疲労困憊といった様子の二人に、追跡者は己の失態を悟った。彼自身は、いつもの調子で走っていただけなのだが――自覚していないところで焦りを感じ、つい二人のペースを考えずに疾走してしまったか。
「す、すまない。このくらいなら、多少先行する程度だと思ったんだが……」
「ウソつけ誰が追いつけるんだあの三次元機動を!!」
「す、すまない……だが、斥候代わりにはなったかと」
「それで! 私たちが! はぐれたら! 意味がないでしょ!」
「ひょ、漂泊者、さん。ごほっ……その、くらい……で……」
「す、すまない、
申し訳なさそうに謝る追跡者に対し、息も絶え絶えの漂泊者が力いっぱい罵声を重ねた。元気があるのだかないのだか、まあこれからの激戦を考えると、怒る余裕があるだけマシと言うべきか。
――こと『駆け抜ける』という点において、彼ら夜渡りの右に出るものはいない。霊樹の加護、黄金のルーンの加護だけでなく、限られた時間でリムベルド中を駆け巡る健脚こそが、彼らに求められてきた能力だ。
「め、鳴式の復活がもたらした影響は、計り知れませんね……」
汗を拭い、水を飲み、何とか息を整えた
追跡者は、去り際に
そのまま道を進み(追跡者のワイヤークローは漂泊者に禁止された)、広い丘陵に出た時、人だかりのようなものが見えた。そもそも開墾されていない土地、加えて残像潮との戦いが繰り広げられる激戦区――一般人がこんな場所にいるはずもない。さだめし、本隊から分かれた兵士たちなのだろうが……漂泊者と追跡者は、反射的に厭な予感を覚えた。
「あれは……夜帰の兵士でしょうか……?」
「――
近づこうとした
突撃する戦士たちの姿に、赤獅子軍の兵士たちの姿を重ね合わせた追跡者を、どう咎めるべきか。――赤獅子軍の恐れなき勇猛と、残像たちのただの破壊衝動を一緒くたにするのは無礼か、と自ら思い直した。別の世界線であれば、彼らは“不敗のマレニア”が引き起こした朱い腐敗の汚染を堰き止めるため、栄誉の証明たる赤獅子の紋章を自ら焼き潰し、その最期まで繧ア繧、繝ェ繝?ラに留まり続けた悲劇の英雄なのだが……“夜”によって破砕戦争そのものが崩壊した世界しか知らない彼に、そんな物語を聞かせるのも無粋だろう。
ただ敵対者として、彼らがちょうど匹敵するのは間違いないだろう。末端の雑兵一人一人に至るまで士気が非常に高く、敵対者へ果敢に挑んでいく赤獅子軍は、リムベルドでも面倒な強敵だった。何より厄介なのが、その練度。集団による一気呵成の攻めを旨とし、さらに特製の油を詰めた強力な火炎壺を全員が携行している。加えて精鋭の赤獅子騎士は重力の魔術を修めており、遠距離から大弓による重力の戦技を行使してくる。遠近隙のない連携攻撃は、ルーンの祝福を蓄積してもなお緊張感を強いる難敵であり、戦力と時間の余裕がなければ即座に回れ右をするほどだった。
それと同じようなものだと思えば、この残像たちにも相対のしようがあると思えるか、どうか。恐怖という感情そのものを持たない戦士たちが突撃し、その背後から楽手が遠距離攻撃を仕掛けてくる。その楽手も、迂闊に近づけば消滅の波動で返り討ちに遭ってしまう。ただ本能のままに襲い掛かるだけの怪物も、こうして『編成』と『連携攻撃』を学習してしまえば、ここまで厄介になるものか。
しかしそれは同時に、同じような対策で攻略できてしまうという意味でもあった。戦士たちの攻撃を掻い潜りつつ、楽手が奏でる攻撃の律動を看破し、隙を突いて一気に攻め落とす――対多数の迎撃に優れた
だが――あと一つだけ、面倒な要素があった。
「――っち!」
「追跡者さん!」
「大丈夫だ」
彼方から飛来する半透明の銃弾を回避しながら、追跡者は慟哭の戦士による突進攻撃をいなし、返す刀でその体躯に大剣を突き立てた。そのまま強引に戦士の体躯を引き摺れば、その背中に半透明の銃弾が雨霰とばかりに降り注ぎ、ずだだだと鈍い音を立てた。
そう――半透明の銃弾、
そういう訳で、三人は行動予測ができない幽霊を避けながらの戦闘を強制された。それぞれに数が少ないのは、不幸中の幸いと言っていいか、どうか。五分ほどで全ての残像を降した彼らは、しかしその三倍の時間を費やした気分だった。
残像が消え、後には辺りをうろうろと彷徨う幽霊たち。半透明のその体躯へ、追跡者はずどんと大剣を振り下ろした。はらはらと霧散していく幽霊の影を見ながら、追跡者は兜の奥で苦い表情を浮かべた。
「……残像を引き寄せるだけでなく、こいつら自身も脅威となるのか」
「
追跡者の推測を、
不安げに周囲を見回す
「あそこに夜帰の兵士がいます! 負傷しているのでしょうか……?」
「また幽霊かもしれない。気を抜かないで」
ほとんど反射的に駆け寄る
近づくにつれ、流れ息が安定してくるのを感じた。風が運ぶ微弱な鼓動は、どうやら生者であることを証明しているようだ。堪らず駆け出した
「……
「知り合い?」
「『伏波営』の輜重隊に所属されている方です」
「ひどい……何があったのですか?」
「……雲閃のウロコが、復活した……ここは、危険だ……」
それだけ言い残すと、兵士の体からだらりと力が抜け、その瞳は虚空を見上げたまま光を失った。
そんな呆気ない最期とともに、兵士が一人死んだ。その奮闘が人類反攻の魁に繋がるわけでもなく、その末期に心震わせる名言を遺すわけでもなく。ただ怪物に襲われ、なすすべもなく蹂躙され、家族にも友人にも看取られることなく、荒れ地の隅で血と骨が腐っていく。そして生命の熱がすっかり消え、戦禍が止んだその後で、犠牲者その百余あたりとしてまとめて荼毘に付され、死亡者リストの端に名前が追加されるだけ――戦争で死ぬとは、つまりこういうことなのだと、漂泊者と
「危険な残像なのか」
兵士の体を横たえ、立ち上がった
「幾万の兵士たちの残響を飲み込んだ、『閃雷』から生まれた残像です。危険度は“怒涛級”……一度捕捉されれば、交戦は免れません」
――ばりり、と雷光が迸った。
漂泊者はぞわりと悪寒に襲われた。
「危ない!」
知らぬ青年の声が響き、漂泊者の背中をぶわりと旋風が襲った。
そこでようやく、漂泊者自身と追跡者の反応が間に合った。旋風に巻き込まれて体勢を崩しかけた漂泊者を
――深緑の龍姿を背後に戴く、翡翠色の長槍を構えた戦士。ばりばりと紫光を放つ残像の前に立ち塞がり、渦巻く周波数エナジーでその雷電を弾いている。かつて幻視の中で見た、数多の兵士たちを率いる無双の強者。
「あれは……」
「将軍です!」
「雲閃のウロコ――倒すより他はないようだ」
その言葉を契機に、戦いが始まった。
ばりり、と空気を千切る音とともに、雲閃のウロコの姿が掻き消えた。追跡者は咄嗟に大剣を振るい、周囲をぐるりと薙ぎ払った。――がきぃん、と甲高い音を立てて、追跡者の大剣と雲閃のウロコの鉤爪が衝突した。ほとんど反射的な行動は、しかし功奏し、その初撃を防ぐことに成功した。雲閃のウロコは、再びばりりと空気を千切りながら姿を掻き消し、追跡者から大きく距離を取った。
「――隙ありッ!」
そこに、
自ら巻き起こした風に乗り、天高く跳躍した青龍の戦士が、風を纏いながら雲閃のウロコを襲撃する。咄嗟の回避行動は、しかし旋風の衝撃波によって体勢を大きく崩され、雲閃のウロコはその身を大きく仰け反らせた。
すぐさま、漂泊者と
追跡者は突進とともに大剣の刃を地面に擦らせ、ぼおと火焔を纏わせながら、雲閃のウロコの動きを分析した。その脅威度は、蝮ゥ蝣昴?鬨主」ォあるいは繝?Μ繝シ繧ャ繝シ繝に相当するか。雷速に匹敵する動きは素早く、攻撃は熾烈で強力だが、行動の起こりに必ず『充電』を要するようだ。それに鎧を纏っていない分、こちらの攻撃に対して脆弱で、簡単に隙を晒す。
「どけ」
「
特に追跡者による炎の大剣と、
見切れば容易い、まして四人がかりならば。息つく暇もない圧倒的な攻勢に、雲閃のウロコによる攻撃は乱れ、見る見るうちに精彩を欠いていく。雲閃のウロコは子供の地団駄のように暴れ、遮二無二振るわれた鉤爪が、
「甘い!」
しかし、ぶんと長槍に弾かれ、大きく仰け反らされた。風を纏う重厚な一撃は、しかしその軌道の前後に強烈な衝撃波を纏い、容易く見切らせはしない。大気をまるごと引き裂く重厚な反撃を食らい、雲閃のウロコは再度攻撃を乱された。
そして、その決定的な隙を見逃さないのが、夜帰軍将たる彼の所以だ。
「風に乗れ!」
その背に戴く青龍が一際強い光を放ち、その雄姿を煌々と見せつけた。こんな怒涛級など、鳴式に比べれば所詮は前座、時間をかけず一気に終わらせるつもりなのだろう。その意を汲んだ漂泊者と
「はぁッ!」
「急襲!」
漂泊者による音素の圧で雲閃のウロコが縫い留められ、すかさず
それを待っていた
「止められるものか!」
雲閃のウロコに向けて、
膨大な暴風と周波数エナジーを伴う強烈な一撃が、音すら置き去りにして襲い掛かる。その一撃は雲閃のウロコの体躯を深く穿ち、ぎゃりぎゃりとその身を抉りながら貫通した。ごああという力なき断末魔は、大気を叩く重厚な音圧に掻き消され、何者にも届くことなく散っていった。
◇ ◇ ◇
音核を砕かれた雲閃のウロコが、貧金の周波数エナジーとなってはらはらと崩れていく。その決定的な一撃を与えたはずの
後には、静寂だけが残された。方々で残像潮と戦っている兵士たちの喧騒も、ひどく遠いものに感じられた。
「――……これで、終わりか?」
「『閃雷』から生まれた雲閃のウロコは、兵士の犠牲が絶えない限り、何度でも蘇る」
追跡者の問いに、
「――また、数えきれないほどの兵士の魂がこの雨に攫われた……」
「……将軍……」
ぐっと長槍を握りしめて立ち尽くす
だが『前を向き続けること』の重要性を理解しているのもまた、他ならぬ
「遅くなって済まない。改めて自己紹介を。
夜帰軍の将軍、
初めて会う者には瑝瓏の礼をもって接するべきだが、今は状況が状況だ。これからの計画を簡潔に伝える」
滔々と流れるように説明する
「私たち、一応部外者だけど……」
「
おずおずと切り出した漂泊者の確認にも、端的に返答する。彼女は
「それと、この薬を飲んでおいてくれ。雨の影響を完全に防ぐことはできないが、少なくとも幻覚を軽減することはできる」
そう言って、
「俺たちが『雨の幽霊』ではないと言い切れる根拠は?」
「
お前たちは
追跡者の不躾な問いかけにも、
「お前は瑝瓏伝説に記された『鳴式を吸収する英雄』と似た能力を持っている。“角”もそれに関する予言を残した。
『北落野原にて、失われた力を奪還する』――その達成のため、俺も尽力しよう」
んぐ、と漂泊者は喉を詰まらせかけた。危うく薬を吐き出すところだった。何その話、聞いてないんだけど!?
「失われた力……!?」
「そんな話は聞いていないぞ」
「ああ、おそらく
動揺から立ち直れない漂泊者本人、押し上げていた兜を戻しつつ鋭い視線で睨む追跡者に対し、
それはともかく。
「俺が夜帰軍将の座に就いたあの日、“角”はこう言った――『月が満ちる時、ある帰還すべき人に協力することとなる。鳴式と対峙し、鳴式を倒す力を取り戻す』と。
……お前がその『帰還すべき人』なのであれば、今度こそ、あの怪物にトドメを刺せるかもしれない」
そう言って、
「お前たちもこの月に気づいただろう。これは“虚影の月”と呼ばれるものだ。
“虚影の月”が完全に満ちる時、戦争の鳴式である“
そこまでは、三人もすでに聞いた話だ。そうして降臨する“
「この大地にはびこる古き影……それが“
数えきれないほどの戦争を経験したこの北落野原は、もはや兵の墓と言ってもいい。その周波数を吸収した奴の力は、計り知れないものとなっているだろう。
そして“虚影の月”が現れた。おそらく、俺たちに残された時間はあまりない」
一方、
「私の葬式は、できるだけ盛大にやってほしいな……」
「縁起でもないことを言うな」
いかにも悲観しています、といった様子の漂泊者の小ボケに、追跡者がツッコんだ。ふざける余裕があるだけマシと言うべきか、どうか。
話の続きは駐屯地で――ということで、四人は揃って走り出した。道々を警護する『破陣営』の兵士たちは、残像と交戦している様子がない。不審に思った追跡者が問い質すと、
丘陵を踏み越え、坂を登り切り、いよいよ駐屯地に到着する――というところで、ふと漂泊者の視界に何かが映った。駐屯地のさらに向こう、不揃いな島嶼の向こう側で、何かが不自然に隆起している。それが
異変はそれだけに止まらなかった。足元が小さく揺れたかと思うと、すぐにごろごろと大地が鳴動し始めた。思わず尻餅をつきかけた漂泊者の視線の彼方で、先ほどの浮遊する瓦礫が寄り集まり、大気を振動させながら積み上げられ――やがて、ヒトガタのような大彫像が出現した。同時に、じりじりと滲む周波数エナジーが大彫像を取り囲み、球状の障壁を形成した。
その姿は、さながら空から今州を睨み下ろす巨人。旧時代の瓦礫、風化した岩石、破砕された兵器の破片――歪み狂う周波数エナジーの乱気流の中で、それらが無造作に掻き集められ、縛り上げられ、一つの脅威として形を成す。あらゆる条理を逸脱するその力の主は、この今州においてただ一つ。
「――あれが……鳴式……」
誰かの掠れた呟きは、鳴動する大地のわななきに呑み込まれて消えた。