――ずっと不思議だったことがある。
「鳴式と対峙し、鳴式を倒す力を取り戻す」――
予言通り、鳴式と対峙した。その眷属を倒した。
そして今、新たな眷属と鍔迫り合いを交わしている。
でも、
ただ黙して見下ろすだけの瞳から、何かを奪い取った感覚はない。
考えろ。
そもそも眷属を倒した程度で、鳴式が退くのか?
他ならぬ“
その眷属を何度倒したところで、指一本ほどの損失もない。
(いや、指どころか手足さえ無いけれど)
倒れた骸を『もっと強い眷属』に作り直せばいいだけの話だ。
感じ取れ。
どうやって周波数を編み直す? その
兵士たちの奮闘を冒涜し、蹂躙する術はどこにある?
奴の魂を傷つけ、その意志を挫く手段はどこにある?
「――ぜぇぇあぁぁぁーーッ!!」
無妄者が纏う消滅の周波数エナジーに突き刺さったまま、漂泊者は絶叫した。黄金の輝きに、漆黒の波が混ざり始める。
無妄者が悲鳴を上げた。その周波数エナジーが見る見るうちに衰え、障壁が掻き消されていく。反対に、漂泊者に纏いつく漆黒の波が勢いを増し――ばさりと、その背に宿った。
いよいよ堪らなくなった無妄者が、絶叫とともに漂泊者へと墜落した。その手に迅刀を模した刃を握り、受け止めた漂泊者もろとも大広間へ激突する。
「漂泊者さん!!」
その背には、漆黒の翼がはためいている。
「……漂泊者……さん……?」
「その、力は……」
愕然とする
鳴式が周波数を編み直す権能を有しているのなら、
奴自身の
「――勝負よ!」
舞台はようやく整った。
世界を睥睨する暗紫の瞳と、その恩寵を受けた無妄者。対すること、漆黒の翼纏う音の器。湾刀の戦いの続きが、ここにようやく始まった。
◇ ◇ ◇
先手は無妄者が取った。暗紫の大鎌を振り上げ、縦横無尽に振り回す。
『母には……兵器が必要だ……』
紙一重で凌いでいく漂泊者は、まだその背の翼を使い慣れていない。その先達を誇るかのように、無妄者は体躯を捩じり黒翼をはためかせて薙ぎ払った。
『数も……質も……まだ、足りない――!』
ぶわりと膨れ上がる消滅の周波数エナジーが、地面をがりがりと掘り返しながら漂泊者を襲う。そこに、
「させません!」
大上段から一閃。風を斬る一撃が、黒翼の流れに割り込み、ぱっくりと縦に裂いた。
――
果たして、それは奏功した。縦に両断された黒翼の衝撃波が、
『あなたたちに……同じ、結末を……』
漂泊者もまた行動を起こした。だんと地面を踏みしめ、その身の周波数エナジーを解き放つ。黒翼を広げ、空を踏みしめるながら前方に吶喊し、溢れ出る力を刃に乗せて無妄者に叩きつける。
「――静寂に沈め!」
漂泊者は連撃の最後に、黒翼を振るいありったけの力をぶつけた。見様見真似でも、いやそれこそが、奴らの在り方を紐解く致命の刃となる。循環する周波数エナジーは“消滅”の色を帯び、極大の破城槌となった。無妄者は全身を打ち据えられ、ぐらりと大きく仰け反った。
『血の代価で……僭越を……』
まだ足りない。鳴式の力を奪い取って行使している以上、その色が相似するのは必然。見た目ほど大きなダメージにはなっていないはずだ。
案の定、無妄者はすぐに立ち直った。ぶわりと黒翼をはためかせて漂泊者から距離を取ると、再び暗黒球を召喚し、無数の追尾弾を放った。思わず身構えた漂泊者と
「天地万象のままに!」
踏み込んだ
『戦火は……絶えない……私たちは、必ず戻る……』
無妄者は再び距離を取ると、三人の届かない上空に移動し、ぐっと消滅の周波数エナジーを構えた。細長く形成されたそれを弓引くような大きな姿勢は、まるでついさっき見た
「どこを見ている!」
大跳躍した
――それは、遥か彼方の伝説に記された戦技。飛翔攻撃そのものを武芸として確立させ、『竜騎士』の象徴として謳われた跳躍攻撃。これもまた、人類技術の収斂進化と言っていいだろう。
必殺の攻撃を次々に迎撃され、粉砕され、いよいよ窮していく無妄者。その視界に、ひとつの影が飛び込んだ。
「――はぁぁーーっ!!」
裂帛の気合とともに、彼女は空中を飛翔し、無妄者の胸元に一閃を叩き込んだ。
――何か、水のようなものを斬り裂く感触を覚えた。
感じたことのない激痛に、無妄者は絶叫した。
その姿に、四人は勝利を確信した。今までの、木偶の坊を叩き続ける感覚とは決定的に違う。漂泊者の刃は、確かに無妄者へと届いたのだ。
何より、
ガラスを叩き割るような轟音とともに、暗紫の天がばきりと砕け、何かが落ちてきた。
煌々と燃えるソレが、神速を以て無妄者の脳天に墜落した。ぎょっとして飛び退いた漂泊者の眼前で、まったく予想外の攻撃を避けられなかった無妄者が、どがん、と重い衝撃とともに地面に縫い付けられ、粉塵を巻き上げた。
片刃がぼろぼろに毀れた大剣を握り、無妄者の体躯を貫いているのは、翼を模した異国の兜、深青のサーコート――追跡者だ。ついに大彫像の体躯を突き破った彼は、そのまま炎の隕石となって無妄者に突撃したのだ。
追跡者の攻撃はそれだけに留まらなかった。大剣に魔力を注ぎ込み、薪のようにごうごうと燃え上がらせる。限界まで濃縮された熱は、大剣すら焼き熔かさんばかりに輝きを放ち――
「――死ね」
ぼこんと引き抜く瞬間に炸裂した。
大広間中の酸素を焼き尽くすかのような勢いで爆裂する火炎に、無妄者の全身が焼き焦がされ、彼女は絶叫を上げた。その悲鳴すら薪にして、ごうごうと炎上していく。
まるで雑音を流す害虫を叩き潰すかのように、追跡者の大剣が無造作に振り下ろされた。叩き潰されたきり起き上がることもなく、“虚影の月”に叩き起こされることもなく、ただぶすぶすと焼け焦げていく無妄者には一切頓着せず、追跡者は首を巡らせて漂泊者たちを見つけると、そのままくるりと背を向けて歩き出した。
一方、そんな凄惨な光景を見せられた漂泊者たちは、何とも言えない表情で互いを見合わせた。あれだけ苦労して相手をした強敵を、こんなにあっさりと倒されてしまっては、達成感や驚愕よりも、徒労感が勝る。
「……これだけ大暴れしといて、美味しいところまでもっていくなんてね」
「何の話だ?」
「何でもないよ。おかえり」
すっかり呆れてしまった漂泊者は、軽口とともに拳を突き出した。このしぐさは――覚えがある。追跡者は大剣を背に担ぐと、彼女に倣って拳を突き出し、こつんと重ねた。
劣勢を覆せないと悟ったのか、それとも別の何かがあるのか……“虚影の月”は無妄者を蘇らせることなく、ずぶずぶと十字の斬痕の中に埋もれ、姿を隠していく。これで、後はその端末たる無妄者を仕留めるだけ――歩き出した漂泊者は、しかし脳裏に厭な予感を走らせた。
その瞬間、無妄者がぐらりと浮き上がった。
漂泊者の右手の音痕と、無妄者の胸元の音核が共鳴し、互いに呼応するように明滅し始めた。その光が臨界に達した瞬間、にぃぃっと不敵に笑った無妄者は、その身を構成していた残響を崩壊させ、ぶわりと膨れ上がるエナジーを暴走させた。まさか、共倒れを狙ったか。
「漂泊者さ――」
「
漂泊者は、咄嗟に背後の
ぐるぐると渦巻きながら拡大していく暗黒の爆発。――しかし、来るべき衝撃も激痛も一向に来ない。恐る恐る目を開いた漂泊者は、信じられないものを目にした。
「……え……?」
黄金の周波数エナジーの先に、小さな影が浮いている。子熊のような、イタチのような、既存生物の何物とも比較しがたいそれの前に、消滅の周波数エナジーの爆裂が堰き止められて――
「――……くぁぁぁー――!」
――いや違う。
やがて爆裂の拡散よりも、小動物の吸収の方が勝り始め、暗黒の爆発は見る見るうちに衰えていった。その最後の残り滓までしっかり吸い上げて、
「……げぷぅ」
小動物は満足そうにげっぷした。
あまりに突飛な事態に、全員が困惑した。あれだけ苦労して倒した無妄者による最後の足掻きが、こんな小動物に食われておしまい? 何か悪い冗談に思えてきた。歓喜より、疲労感より、困惑が五人の胸中を支配し、しばらく、誰も動くことができなかった。
最初に沈黙を破ったのは――当然、その小動物だ。振り返ったその先で漂泊者を見つけると、まるで親猫を見つけた子猫のようにすいと飛来し、咄嗟に受け止めた漂泊者の胸の中で、愛おしそうに頬ずりした。
「くんくん……んぅ?」
「……この子は……いったい……?」
不安げな
一方、
――『倒した』と楽観するのは、彼の理性が許さなかった。しかし現実として、その姿も周波数も消失しているのは事実。だとすれば、
「――……あの、戦争の鳴式が――逃げた、のか……?」
「……何かを避けてるみたい」
呆然と呟く
「ひょ、漂泊者、どの……それは……?」
一方、
しかし小動物は、うーんと伸びをすると、そのまま浮き上がり、黄金の光に変じた。ぎゅるぎゅると渦を巻きながら入り込んでいったのは――当然というべきか、漂泊者の右手の音痕。五人がそれを見つめる中、音痕はちかりと一瞬だけ輝きを見せたきり、何事もなかったかのように沈黙した。
狐につままれた気分の五人の耳に、ごろごろと鳴動する重低音が割り込んだ。“
「――もうここは保たない。詳しい話は、ここを出てからだ」
追跡者の言葉に、四人は頷き、駆け出した。苦労して大敵を倒したというのに、瓦礫に埋もれて帰らぬ人になった――などとは、笑い話にもならない。
◇ ◇ ◇
後日。
講談師の漫談に、一つの演目が追加された。
『驟雨夜戦譚』――そのように名付けられたソレは、『湾刀の戦い』に並ぶ名演目と称されるようになったが、しかし識者によると、観客たちが抱く印象はまるで真逆だという。
曰く、怪談のように不気味。曰く、泣き喚く赤子が思わず涙を止めた。曰く、悪名高い
あらすじはごく簡潔。「魂を焼く驟雨とともに、恐ろしき“無貌の王”が現れ、“
英雄譚のような爽快さもなく、冒険譚のような高揚感もなく、寓話のような意味深長さもなく、それこそ『湾刀の戦い』のような絶望と希望の対極もなく、ただただ昏くおぞましい物語。謎とも畏怖ともつかぬ、形容しがたい感情を観客に抱かせるそれは、故にこそ語り手の技量が求められる怪奇譚として、後年人気を博した。
「“無貌の王”とは何者だったのか」――文化史研究者、歴史家の間では、まずこれが議題に挙がる。『戦争』という概念そのものを糧とし、人類の原罪を突き付ける恐怖の鳴式“
ある者は「歳主が遣わした救世主」と唱えた。ある者は「新しい鳴式の先触れ」と唱えた。ある者は「遥かな宇宙よりやってきた侵略者」と唱え、ある者は「それを止めに来た正義の味方」と唱えた。果てには、「極限状態の兵士たちが見た幻覚」「講談師が勝手に付け足した架空の存在」「人口に膾炙するうちに生じた
さて、そんな謎めいた“無貌の王”だが、民衆の間ではあまり話題に挙がらなかった。
むしろ彼らが恐れたのは――魂を焼く雨、心を惑わす夜。形なき災いに晒された、兵士たちの恐怖。百戦錬磨の夜帰軍兵士たちが、しかし一様に畏怖を抱いたまま語る、“夜”の存在感。兵士たちを恐怖に駆り立て、残像たちを押し流し、何もかもを溶かしていく闇だった。
人が闇を恐れるのは、そこに見えない者が巣食うからだという。しかし夜を恐れないのは、いずれ明けると知っているからだという。
――では、
講談師によって幾度も脚色され、尾鰭背鰭が付いていく『驟雨夜戦譚』が、もはや真実を教えることはない。
ただ一つ、確かなことは。
その昏い物語を聞いた夜――人々は必ず夜空を見上げる。
そこに星の海があるならいい。儚い輝きが、しかし力強く照らしてくれるのならいい。
だがもし、そこに暗雲があったのなら。
一も二もなく、急いで帰ろう。堅く扉を閉め、窓を塞ぎ、雨音が聞こえないように閉じ込もろう。
“夜”に呑まれたら、取り返しがつかなくなる。雨に濡れるなどもってのほかだ。何もかも曖昧になり、心ごと塗り潰され、やがて“夜”の一部に溶かされていく。
――あるいは、その驟雨の最中に。
あの“無貌の王”が再び、どこかで目を覚ますのではないか。
無貌の王
北落野原で観測された、巨大な残像。危険度は津波級と認定された。
“災いの雨”を連れ歩く、怨嗟の王。その正体は謎に包まれている。
戦技「灼熱の襲撃」
剣身に火炎を纏い、回転しながら前方に跳躍し
その勢いのまま、武器を地に突き立てる戦技
引き抜くとき、火炎の爆発を伴う