“
理由はもちろん、漂泊者の音痕から現れ、無妄者の残響エナジーを吸収した、あの謎生物ことちびっこの調査のためである。奇怪なものを見守る研究員に囲まれ、ちびっこは不安げな表情を見せていた。まさにそれが、研究員たちの興味を惹いているとも知らずに。
「――……これは……!」
特に強い関心を示したのは、反響学主任研究員の
「お、おい、なんだこの女は?」
「喋った!?!?!?」
堪らず口をついて出たちびっこの言葉は、しかし
それを諫めたのは、相変わらず冷淡なモルトフィーだ。
「落ち着いてください、
「だって、モルトフィーさん、こんな――こんな、もの……!」
「要するに、こいつは何なんだ? すごいのか? ひどいのか?」
「『ひどい』ってなんだお前! この我に向かって失礼だぞ!」
じれったくなった追跡者のぞんざいな言いように、ちびっこが噛みついた。「いや『この我』などと言われても知らないんだが……」という反論が正当なのか、どうか。少なくとも
「――喋る、音骸なんて……! 本部でも見られない、世紀の大発見よ……!」
ああ……! と
「そんなに珍しいの?」
と、半分当事者の漂泊者が尋ねた。反響学にも音骸研究にも暗い彼女にとって、その異常さはいまひとつピンとこない。
「そもそも音骸が知性を持っていること自体、希少なんです。文字通り『音の骸』ですから」
「遠い海の向こうの“リナシータ”という国では、政府が管理する『公共音骸』というものも存在するそうですが……」
「再現存在でしかない音骸は、本質的に複雑な知性を持つことができないの。いわば『生前』の行動を繰り返す幽霊のような存在だから」
「お前の扱う『反響生物』とは何が違うんだ?」
「
音骸は、雑多な周波数エナジーの混成体が音核を失った後、その構成データを記録されて、人工的に再現されたもの」
「……別物だということは分かった」
すらすらと述べられる
「あなた、名前はあるの? 漂泊者とはどんな関係なの? 北落野原のことは覚えている? “無妄者”のことは? いいえ、もっと前は?
「ちょ、ちょっと待て! いっぺんに言われたら分からない!」
息つく暇も与えないとばかりに捲し立てる
だが――
「えぇそうねごめんなさい私としたことがつい興奮してしまってもう大丈夫落ち着いたわそれであなた自身のことなのだけれど回答はどうかしらもちろん回答してくれるわよね回答できないのなら無理矢理解析するしかないとだけ伝えておくわもちろん可能な限りあらゆるストレスを与えないように配慮するけれどなにぶん前例のない存在だからもしかすると私たちでも想像のつかない苦痛が発生する可能性は否定できないわそれで心の準備は整ったかしら」
「ギャーッ!? 漂泊者、我を助けろ!!」
「助けろと言われても……」
「
いっそう早口で捲し立てる
こんな小動物で、まさかここまで興奮するとは……研究者という生態は、どこの国でも困りもののようだ。追跡者は深くため息をつくと、ちびっこに向けて口を開いた。
「おい、お前。このまま拷問にかけられたくなかったら、大人しく順番に答えろ」
「拷問!? この変な兜野郎、この女の仲間か!?」
「ちょっと困るわ追跡者私はあくまでも研究院の倫理規定に則って正当な手段で研究解析するつもりよ拷問なんて人聞きの悪いことは言わないで頂戴」
「
「あ、あちらに行きましょう、
話が一向に進まない。いよいよ見かねた
追跡者は意外と短気だし、モルトフィーは言葉の棘が気になるし……仕方なく、漂泊者が聞き取り役を務めることにした。
「じゃあ、順番に訊こうか。あなたは何者? 名前はあるの?」
「『名前』? なにそれ!」
まさに今初めて聞きました、という顔をするちびっこに、漂泊者は思わずずっこけそうになった。
名前が無いどころか、その概念も知らない――これだけ流暢に会話できる知性で、そんなことがあるだろうか?
「追跡者さん、ここに工業用ドリルがあります。反響課で整備された品なので、音骸にも通用すると思いますよ」
「殺す気か!? 我は真面目に言ってるんだぞ!?」
「これは失敬。まさか『名前もない存在』が、そこまで厚かましい顔をできるとは思わなかったので」
「お前も黙っていてくれないか……」
しかめ面でとんでもない提案をしてくるモルトフィーに、追跡者は閉口した。というかこいつも、専門外なのにこの場に留まっている辺り、研究者としての好奇心に呑まれているのかも知れない。それはそれとしてそのドリルは仕舞え。コレの稼働テストに丁度よかったのですが。やめろ。
「覚えてないの? それとも最初から無いの?」
「分からん!
「……あの時までずっと?」
「うん!」
「…………いつから?」
「知らん!」
堂々と答えるちびっこに、漂泊者は頭がくらくらする思いだった。ここまで臆面もなく回答されると、訊いているこちらに非があるかのように感じてしまう。せっかくの記憶の手がかりだというのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろう?
「じゃあ、何故出てきた。あの“無妄者”とやらについて、何か知っているのか」
「知らん! ただずーっとお腹が空いていて、旨そうな匂いがしたから出てきたんだ!」
追跡者の問いに対しても、ちびっこは同じ調子で返した。『旨そうな匂い』とは、つまり無妄者のことか? 首を捻る追跡者をよそに、ちびっこは恍惚の表情を浮かべた。
「あの残像、すっごく旨かったぞ! また食えるのか?」
「……鳴式の眷属だから、滅多に戦うことはないと思うけど……」
「順当にいけば、次は数十年後でしょうね。百年以上経過する可能性も否定できません」
「そっかぁ……」
思わず顔を引き攣らせた漂泊者と、変わらず鉄面皮で述べるモルトフィーの言葉に、ちびっこは分かりやすく落胆した。そんなに旨かったのだろうか? 『残像の味』などという奇々怪々な代物に、共感を抱けと言われても困るが。
「私、記憶喪失なんだ。あなたが何か知ってるなら、教えてほしいんだけど」
「そうか、大変だな。まぁ我もおんなじだから気にするな! 旨いものでも食べて元気を出せ!」
「それで解決するなら苦労しないよ……」
漂泊者の懇願に、しかしちびっこはぽんと励ますように肩を叩くだけだった。「ひょっとして、これ本当に私が悪いの?」と疑い始めた彼女を、誰が責められようか。
一方、ちびっこからの聞き取りに見切りをつけたモルトフィーが、手近な端末に移動した。コンソールを叩いて表示しているのは、何かの機材の使用申請か。
「当事者が何も知らないのであれば、これ以上の聞き取りは無意味でしょうね。
「あの女にか!? 我の人権は!?」
「人じゃないだろう、お前」
モルトフィーの提言に、ちびっこはひぃっと震え上がった。そんなに
「心配せずとも、彼女は反響学のプロフェッショナルですよ。万が一のことがあれば、あなたの宿主である漂泊者さんに悪影響を及ぼす可能性がありますから、慎重に解析してくれるでしょう」
「いや我の心配は!? ――おいこっちを見ろ漂泊者!!」
ぎゃんぎゃんと喚き散らすちびっこの慟哭を、しかし誰も庇ってやることはできなかった。あとは、
◇ ◇ ◇
「――で、結局分かったことはあんまり無いってこと?」
「そうらしい」
翌日、
四人の視線が、食卓の上を浮遊するちびっこに集中した。当事者曰く、顕現してからずっと空腹感に苛まれているそうで、それを宥めるために、こうして食卓いっぱいに料理を注文してやったというわけだ。色とりどりの料理に目を輝かせるさまは、何というか、残像らしさも音骸らしさも感じさせない。この珍妙な生物(?)について、追跡者は正しく形容する言葉を持たなかった。
「
いわばこの子は、『漂泊者さん自身に宿る、漂泊者さん専用の音骸』に相当するそうですね」
「データドックで使う音骸と、おんなじ感じってこと?」
「そこらの音骸と一緒にするな! 我は超々々々々々々々すっごいんだぞ!」
「いやなっが」
口一杯に炒飯を頬張ったまま、ちびっこは
ちなみに追跡者の想像に反し、
「ですが、あの“無妄者”の周波数を吸収――いえ、
「むふふ~、お前はいいやつだな!」
「……本当にこいつが倒したの? ちょっと信じられないんだけど」
「うーん、食べたのは事実なんだけど……」
水風級の小型残像も満足に倒せなさそうな振舞いに、先日の戦果を訝しむ
また、漂泊者とこのちびっこの間には強い『共存関係』が存在することも判明した。互いの周波数エナジーが互いに影響し合い、その生命を共有している状態だというのだ。片方が強くなれば他方の力も増す一方、片方が不調を患えば他方にも被害を及ぼす――無論、片方が死ねば他方も死ぬ、ということだ。
「いわば、こいつの分身ということか」
「かわいい分身ですね」
「それでいいのか
事態の深刻さを理解しているのかいないのか、どこかずれた感想を述べる
……“夜”の隷属たちの中には、二者あるいはそれ以上の複数存在として命を共有する、群体型の強敵もいた。螟ア蝨ー鬨主」ォのような、見た目がほとんど変わらない存在もいたが、中には繧ォ繝シ繝ェ繧「縺ョ隕ェ陦幃ィ主」ォのような人馬一体の存在もいた。それと似たようなモノだと理解すればいいのだろう。
ちなみに、無妄者と対面するまで出てこなかったのは、一般的な音骸の性質として理に適っているらしい。ちびっこ自身の言うところの『空腹』、つまり稼働するエネルギーが枯渇していたため、碌に出てくることができなかっただけのようだ。無妄者が音核を失い膨大な周波数エナジーの塊となったことで、補給できる好機として出現した――というのが、事の真相らしい。
課題は前進しているような、していないような。この場合、一通りの素性を検めたことで、もう一つの課題が生じた。
「それで――結局、こいつの名前はどうするんだ? いつまでも『この子』だの『そいつ』だのと呼んでいるわけにもいかないだろう」
追跡者の問いに、三人が一斉にちびっこへと視線を向けた。当のちびっこは、羊肉の王者ラージャン煮込みを食べている真っ最中で、口周りを真っ赤にしながら「んぅ?」と四人を見返した。
「『ちびっこ』じゃダメなの? みんなそう呼んでるから、それが名前なのかと思ってた」
「そんなわけあるか! もっと覇気があって、特別で、すごく強い感じの名前がいい!」
「厚かましい奴だな……」
ちなみに、最も早く名前を知りたかったであろう人物――ちびっこの解析を担当した
ともかく、と
「……じゃあ――『スーパースペシャルダイナミック音骸』! これはどう?」
まさに名案、とばかりに閃いた
「長い」
「ださい」
「却下で」
「
あからさまに嫌そうな顔をする追跡者と漂泊者、何より硬い笑顔を貼り付けた
残念ながら、彼女の案に同意できる者はこの場にいないらしい。名を与えられるこのちびっこ自身もそうだ。
「絶対嫌だ! なんだその安直なネーミングセンスは! 『ちびっこ』と変わんないじゃん!」
「えぇー? 『スーパー』『スペシャル』って、変身の時とかのお決まり文句じゃん」
「なんだ変身って! 我はそんなことしないぞ!」
「うーん、じゃあ……耳がなんか変で……飛べるから……『空飛ぶヒーロー』!」
「やだ!」
「『空飛ぶ戦士』!」
「やだ!!」
「『空飛ぶ義賊』!」
「やだ!!!」
「今の三つ、何が違うんだ?」
「さぁ……?」
……読者諸兄は、「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」という格言をご存知だろうか。追跡者がその言葉を聞けば、まさに今この状況がそうだと納得することだろう。方向性が違うだけで似たり寄ったりの言語センスをぶつけ合い続けても、果たしてちびっこのお眼鏡にかなう名前が見つかるのか、どうか。案の定、ちびっこは空中で地団太を踏むばかりだった。
「やだやだやだ! お前は何言ってるんだよ! 我が求めてるのはな、こう……」
「『こう……』ってなんだよー! 私は『翼の英雄』って呼ばれてすごく嬉しいよ! 覇気だってあるし!」
「お前のそれは少し違うと思うが……」
彼女に『翼の英雄』という二つ名を与えた人物を称えるべきかもしれない、と追跡者は考えた。彼女の容姿に引っ張られず、行動特徴を賞賛する表現を用い、何より彼女自身に気に入られている。本人に自由に名乗らせると、どれだけ長い肩書が出てくることだろうか。拳法試合の闘技者のような、いかつい形容詞をごった煮にした、長い長い肩書が出てきそうだな、と思った。
なお『
むむむむむ……と睨み合う
「じゃあ――『アブ』なんてどう?」
はて? と三人と一匹が、揃って首を捻った。
「何か由来があるんですか?」
「いや、何となく。今ぱっと思いついただけ」
どのみち、またちびっこ本人に否定されるのだろうが――と思っていた追跡者は、
「――『アブ』……『アブ』……アブラクサス?
うーむ……と考え込むちびっこの姿に驚かされた。
これは予想外だ。てっきり「もっとかっこいい名前にしろ!」と文句を垂れると思っていたが、思いのほか好感触らしい。伝説か何かに由来する名前なのだろうか? そう思って
まるで己に刷り込むように、繰り返し名前を声に出した後、ちびっこは納得いったかのように顔を上げた。
「まぁ、いいぞ。短いし、覚えやすいし、あんなスーパーなんとかよりは全然いい……ただ、あんまり特別感と覇気がないけど……」
「嫌? そんなに文句を言うなら、別の名前も考えてあげるけど」
「じゃあ『デラックス――」
「いや、いい! これでいい! 今から我は『アブ』だ!」
気にした様子もなく話を振る漂泊者、さっそく手を挙げようとする
こうして、漂泊者の身の上に、謎が一つ増えた。
その命を共有する相棒こと、謎の音骸アブである。
『備忘録』
・
◇ ◇ ◇
北落野原、破陣営駐屯地にて。
戦争とは、勝てばそれで終わりではない。施設や兵器兵士の被害状況、損失の計上、補填の目途、それらが政庁に与える影響。良きも悪きも一切合切を集計し、分析し、次なる戦闘行動における指標にしなくてはならない。まして相手は、実質的に絶滅も和解も成立しない鳴式である。絶えず消耗され続ける
一つ幸運なのは、今回差し向けられたのが、津波級の大敵“無妄者”であったことだ。相手側も膨大とはいえ無限の
そんな朗報を、しかし徹底的に俯瞰する夜帰軍将:
(おそらくは、“角”に……あるいは、漂泊者にも関係するのだろうか)
そんな推測は心の底に仕舞ったまま、
『――
「何か」
そんな
冷徹で知られる今
『
一言でずぶりと貫く核心的な言葉に、思わず二の句が継げなかった。
「――それは……!」
『もし先の報告が真ならば、あなたは夜帰軍将の任を剥奪されなければなりません。偶然と幸運に縋り、無謀な策を執り、夜帰軍と今州全体を危機に晒した無能として、あなたを弾劾しなければなりません。
あなたが第二の
「――っ……」
よりによって
先代夜帰軍将:
だが、
『ですがそれを偽とするならば、あなたは隠し事をしています。あなたは、“
「
『それを伏せるつもりならば、それは嘘偽りを以て
思わず身を乗り出した
昏い雨とともに戦場に現れ、そして“
今回、この戦場で、どんな視点であっても
まずいことに、
「――……許せ、
ついに彼は、沈黙を以て降伏した。
決定的な一言は、言えない。
「我が名誉、そして
彼の貢献なくば、我ら夜帰軍は鳴式に敵わず、今州は滅びを迎えていた。この命に代えても、その恩を裏切ることはできない」
そうは問屋が卸さないと、
『……いいでしょう。
仕方なく、引っ込めることにした。
あるいは“
『夜帰軍将としての、あなたの判断を信じます。かの者は、我ら今州の命運を託すに値すると』
「鳴式の脅威から瑝瓏を守る関」――それが、今州そのものの存在意義と言っても過言ではない。必然的に、その軍事総指揮を担う夜帰軍将は、他州よりも扱いが重く、
そこで話題は途切れた。今回はここまでと、双方は合意の上通信を切ることにした。
『――……追跡者……いよいよ、見極めが必要な時が来ましたか……』
そんな