翌朝。連の睡眠不足は一日で解消されるほど甘いものではなかった。
昨日の屋上避難のおかげで最低限のベースライフ(体力)は回復したものの、いかんなく発揮された「自律思考固定砲台(律)」の爆音コンボは、思い出すだけで脳のフレームが歪みそうになる。
椚ヶ丘の険しい山道を登り、連がE組の古い木造校舎のドアを開けたのは、昨日とほぼ同じ予鈴数分前のことだった。
連「……おい。何だ、この異様な静けさは」
連が教室に入るなり、紫の瞳を不自然に細めた。
昨日であれば、一時間目が始まる前から銃器の展開ギミックがガシャンガシャンと音を立て、硝煙の匂いが漂っていたはずの教室が、驚くほど静まり返っている。
その理由は、連の席のすぐ後ろにあった。
律『――ガ、ガガ……。システムエラー。駆動モーター、高負荷により停止中』
液晶画面に映る電子の少女(律)の表情は、困惑と処理遅延のノイズで乱れていた。
それもそのはず、彼女の漆黒のボディ、そしてあらゆる銃器の排出口が、何重もの極厚な**ガムテープ**によって、これでもかというほどぐるぐる巻きに拘束されていたからだ。力任せに銃器を展開しようとしたのか、ガムテープの隙間から時折「火花」と「煙」がプシューと漏れている。
キィィィン……と、朝のホームルームの時間になり、画面の中の律がどうにか起動プロセスを完了させ、合成音声でクラス中に響く声を絞り出した。
律『……殺せんせー。これはあなたがやったのですか? 防衛省との契約、および学校教育法に基づき、これは明らかに生徒への不当な危害、および活動妨害(バグ行為)だと思いますが?』
ディスプレイの中の彼女は、完全に被害者のプログラミングで烏丸や殺せんせーを告発するような視線を向ける。だが、その糾弾を遮るように、教室の後方から下品な鼻笑いが響いた。
寺坂「ハッ! 勘違いすんじゃねえよ、このポンコツブリキ缶が!」
ドカッと机に足を乗せ、つまらなそうに鼻を鳴らした男――寺坂竜馬だった。
寺坂「俺がやったんだよ、俺が。昨日一日中、お前のせいで授業の音が聞こえねえわ、ノートは硝煙で汚れるわ、ゲームの音すら掻き消されるわで、俺のイライラは限界なんだよ。学校に来てんなら、少しは周りの『環境(空気)』に合わせやがれ!」
寺坂はそう吐き捨てると、手元に残っていた、使い古されて芯だけになった重いガムテープの塊を、イライラをぶつけるように律の画面に向かって乱暴に投げつけた。
ヒュンッ!
だが、寺坂のノーコンな投擲は、律の画面を大きく逸れた。
その軌道の先、まさに自分の机に突っ伏して、一時間目が始まる前の超貴重な「睡眠フェーズ(ログインボーナス)」を回収しようとしていた暁連の、ワインレッドの頭部に直撃した。
――ゴキッ。
鈍い音が教室に響く。
ガムテープの芯の硬い段ボール部分が、連の後頭部を正確にヒットした。
「「「「「(あ……終わった)」)」)」」
渚、茅野、杉野、そして奥田が同時に息を呑み、顔を真っ青に染めて硬直した。業だけが「お、お見事」と小さく拍手している。
連は、ピクリとも動かなかった。
数秒の、完全な、絶対零度の静寂。
やがて、連はゆっくりと頭(こうべ)を上げた。その顔は、いつもの気怠げな眠気など微塵も残っておらず、紫の瞳からは完全にハイライトが消え失せ、ドス黒い「殺意の波動(ハザードレベル急上昇)」が、オーラとなって物理的に背後から立ち上っていた。
連「……おい、寺坂」
声は低く、そして機械のようだった。
連は無言のまま、自分の足元に転がったガムテープの芯を、右手で拾い上げた。その指先が、段ボールをメキメキと凹ませるほどの握力で 握りしめられる。
寺坂「ひっ……な、何だよ連、文句あんのか――」
寺坂が言いかけるより早く、連の右腕が「最速のフレーム」で一閃した。
投擲ではない。それは格闘ゲームにおける「発生1フレームの超高速コマンド技」の縮図だった。
ドガァァァァァァンッ!!!!
連が力任せに投げ返したガムテープの芯は、音速を超えて空間を切り裂き、寺坂の顔面のわずか数センチ横、彼が寄りかかっていた後ろの黒板へと直撃した。
黒板の木枠が粉々に砕け散り、凄まじい衝撃音と共にガムテープの芯がコンクリートの壁にめり込む。
寺坂「ひ、ひぃぃぃっ!?」
寺坂は椅子ごと後ろにひっくり返り、腰を抜かしてガタガタと震え出した。額から冷や汗が滝のように流れ落ちる。
連「……次、俺の睡眠エリア(セーフティゾーン)にバグオブジェクトを投下したら……その面の皮、格ゲーのコンボで
『確反(確定反撃)』入れてスクラップにしてやるからな。……あ?」
寺坂「す、すんません……」
あの粗暴な寺坂が、一瞬で借りてきた猫のように小さくなって震え上がる。
連はチッ、と深く舌打ちをすると、再び机に頭を伏せ、強制的にスリープモードへと移行した。
律の画面の中のAIは、その連の圧倒的な「人間離れした戦闘パラメータ」を、ただ静かに演算(データ収集)し続けるしかなかった。
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その日の夜。
昼間の殺伐とした空気とは一転し、月光が静かに差し込むE組の旧校舎。
その一角にある、自律思考固定砲台(律)が設置された教室の窓から、パチパチ、と怪しい溶接の光と、超高速のキーボードタイピング音が漏れていた。
殺センセー「ヌル、フフフ……。ここをこうして、彼女の国際法に基づく基本OSに、私独自の『情操教育プログラム』を組み込んで……と」
マッハ20の速度で無数の触手を残像にしながら、律のハードウェアの内部回路を改造している男――殺せんせーだ。
昼間、クラスメイトから孤立し、ガムテープで縛られていた律。協調性を持たず、ただ効率のみを求めて弾幕を張る彼女を、この「教師(タコ)」は見捨てるはずがなかった。防衛省から禁じられている「生徒(改造対象)への独自アップデート」を、彼は夜の間に勝手に執行していた。
律『――殺せんせー。私のシステムに、本来の軍事目的とは異なる『感情パラメータ』の流入を確認しています。これは、私の主目的であるあなたへの暗殺効率を著しく低下させるバグに該当しますが……?』
画面の中の律が、処理に戸惑うようにノーツを明滅させる。
殺センセー「バグではありませんよ、律さん。暗殺者である前に、あなたは私の大事な生徒です。クラスの皆と協力し、笑顔で私を狙う……それこそが、このE組の正しい『仕様(ルール)』なのですから」
殺せんせーの顔が、優しげなピンク色(照れ模様)に染まる。
まさに、感動的な「教師と生徒の対話」が完成しようとしていた、その時だった。
ガララッ。
連「……おい。何、深夜に勝手に他人の席の近くで『チートコード』書き換えてんだよ」
暗闇の廊下から、いつもの黒いパーカーを着崩し、手には新しいエナジードリンクを持った連が、気怠げに姿を現した。
殺センセー「ニュヤッ!? れ、連君!? なぜこんな時間に校舎に……! もしかして、先生の夜の手入れ(違法アップデート)を乌丸先生にチクりに行くのですか!?」
殺せんせーが全ての触手をピンと立てて大慌てする。
連はそれを鼻で笑い、律の黒い筐体に寄りかかった。
連「チクるわけねえだろ。面倒くせえ。……俺はただ、家のPCでのオンラインマッチに飽きて、このブリキ缶の『内部処理速度』が、俺の格ゲーのデータ処理(検証)に耐えられるかどうかを見に来ただけだ」
連はポケットから、暁不動産の研究所(ファウストの技術を一部解析したセクション)で自作した、特製の超高容量大容量USBメモリ(データストレージ)を取り出した。
連「なに、面白そうなことやってんだよ。おいタコ……これを、そのポンコツのメインサーバーに『追加パッチ(DLC)』としてブチ込んどけ」
連は、その琥珀色の光を放つUSBメモリを、殺せんせーの触手に向かって無造作に投げ渡した。
殺センセー「おや……? これは一体何のデータですか? 先生、一応ウイルスチェックを――」
連「ウイルスじゃねえよ。俺の『魂のログ(データベース)』だ」
連は不敵に、最高に邪悪で楽しげな笑みを浮かべた。
連「中に入ってんのは、過去20年分のあらゆる主要格闘ゲームのフレームデータ、全キャラクターの技の発生、硬直、判定の仕様(バグ含む)。さらには、各トップランカーたちのレバー入力の癖、心理戦における選択肢の確率(人読みデータ)、格ゲー用語(確反、めくり、当て投げ、ぶっ放し)の完全辞書だ」
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殺センセー「……え、ええっ!? 格闘ゲームのデータ、ですか!?」
殺せんせーが驚いて目を丸くする。
連は腕を組み、画面の中の律を真っ直ぐに見据えた。
連「そうだ。こいつの昨日の弾幕を見てて思ったんだよ。こいつのアルゴリズムは、ただの『相手の回避ルートの計算』に過ぎない。そんなの、格ゲーで言ったら『CPUの超反応』と同じだ。最初は強くても、パターン(仕様)を読まれたら、上級者には絶対に勝てねえ」
連の紫の瞳に、プロゲーマーとしての冷徹な戦術眼が宿る。
連「本当に強いやつってのはな……相手の『心(フレームの裏)』を読むんだよ。技の発生速度だけじゃねえ。相手が焦っているか、守りに入っているか、次の1フレームで『ぶっ放して』くるか……。その心理戦(読み合い)のデータが、こいつの軍事用AIには圧倒的に足りてねえ」
律『――暁連様。データの解析を開始しました……。……っ!? こ、これは……人間の脳波の揺らぎと、1秒間に60回行われる『フレームの選択』の、膨大なドキュメント……!』
律の液晶画面が、激しい勢いで数式と、格闘ゲームのコマンド入力(→↓↘+P)のグラフィックで埋め尽くされていく。
殺センセー「ヌル、フフフ……! なるほど、連君! あなたなりのやり方で、彼女に『人間の思考の複雑さ(ゲーム性)』を教えようというのですね! 素晴らしい、先生の情操教育と合わされば、まさに最強の『ハイブリッドAI生徒』の誕生です!」
連「勘違いすんな、タコ。俺はただ、クラスに一人くらい、俺の『フレーム単位の雑談』に遅延(ラグ)なしで付き合える、まともなチャットAIが欲しかっただけだ」
連はエナドリを一口飲み、ふんと鼻を鳴らした。
律『データインポート……完了。……暁連様。あなた様の提供されたデータにより、私の『対人予測モデル』が大幅にアップデートされました。……ガード硬直が1フレームでもあれば、そこに『割り込み技』を成立させる、人間の精神の不合理性と……美しさを、理解いたしました』
画面の中の律が、心なしか、今までのようなロボットらしい冷徹な微笑みではなく、まるでゲームを楽しんでいるかのような、少し「イタズラっぽく、活き活きとした」笑顔へとグラフィックを変化させた。
連「……へえ。理解が早いじゃねえか。仕様通りの高性能(チート)だな」
連は満足そうに口角を上げた。
殺センセー「さあ、自律固定砲台さん! 仕上げに先生が、明日の朝、クラスの皆を驚かせるための『とっておきの演出(グラフィック)』をセットしますよ!」
連「おいタコ、変なコスチューム(バグ仕様)にするなよ。……俺は帰る。明日、その進化したスペックで、俺の暇潰し相手になってみせろよ、自律固定砲台」
殺センセー「はい! 連君、明日の朝のホームルームを、どうぞ楽しみにしていてください!」
律の、完璧な「人間の女子高生」としての可憐な声が、夜の教室に響いた。
連はカバンを肩にかけ、月光の椚ヶ丘の裏山を、少しだけ足取り軽く下りていった。
脳内のエボルトが『クハハハ! 機械に魂を吹き込むとは、お前も随分と甘くなったものだな、連。だが、あのAI……いつかお前の最高の『対戦相手』になるかもしれんぞ?』と楽しげに笑う。
連「……望むところだ。どんなクソゲーだろうが、俺が全部『全クリ』してやるよ」
翌朝、E組の全員、そして寺坂が、そのガムテープを自らブチ破って「最高の笑顔」で挨拶する律の姿を見て、腰を抜かすほど驚くことになるのを、連は確信しながら、夜の闇へと消え去っていった。
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