(完結)屑王太子殿下の優雅なる廃嫡   作:埴輪庭

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カザリアという女

 ◆

 

 カザリア・ベルトランは鏡に映る自分の姿に満足げな笑みを浮かべた。

 

 ショッキングピンクのドレス。

 

 王都では下品と言われる色だが、カザリアはそんなことを気にしない。

 

 派手で、目立って、何より高そうに見える。それが重要なのだ。

 

 そして春の大舞踏会。

 

 年に一度の華やかな催しに、カザリアは張り切って準備をした。

 

 ピンクのドレスにこれでもかと宝石を身に着ける。

 

 すべて安物だが、シャンデリアの光の下なら誰にも分からないだろう。

 

「今夜こそ、お金持ちの殿方を見つけるんだから」

 

 鏡に向かって宣言する。

 

 二十三歳。

 

 貴族令嬢としては行き遅れと言われる年齢だ。

 

 だが男たちが褒めてくれる豊満な肉体はまだまだ現役。

 

 胸元を強調するようにドレスの紐を締め直した。

 

 会場は眩いばかりの光と音楽に満ちていた。

 

 カザリアは獲物を探すように視線を巡らせる。

 

 太った老貴族、既婚者、若すぎる子爵……どれも今ひとつだ。

 

 そんな時だった。

 

「きゃーっ!」

 

 見事にすっ転んだ。

 

 ドレスの裾を自分で踏んでしまったのだ。

 

 ワイングラスが宙を舞い、床に派手な音を立てて砕け散る。

 

 恥ずかしい。

 

 でも、これはチャンスかもしれない。

 

「あーん、あたしったらなんてドジなのかしら〜! 誰か助けてくださる方はいないかしら……」

 

 媚を含んだ声を出す。

 

 周囲の視線は冷たかったが、カザリアはそんなことは気にしない。

 

 誰か一人でも引っかかれば良いのだ。

 

「大丈夫ですか、レディ」

 

 低く落ち着いた声と共に、手が差し伸べられた。

 

 顔を上げる。

 

 黒髪に紫の瞳。

 

 整った顔立ちに、高級な衣装。

 

 間違いなく上流貴族だ。

 

「ま、まあ! レディだなんて──ありがとうございます! あたし、カザリアと申します! ベルトラン男爵家のカザリアですわ!」

 

 立ち上がりながら、相手の手をしっかりと掴む。

 

 指の感触、衣装の質感、立ち居振る舞い。

 

 すべてが本物の証だった。

 

「お怪我は? もしよろしければ、気分直しに一曲お相手願えませんか」

 

 願ってもない申し出だった。

 

「喜んで! 一生の思い出にしますわ!」

 

 踊りながら、カザリアは相手を観察した。

 

 ダンスは完璧。

 

 身のこなしも優雅。

 

 でも何か違う。

 

 普通の貴族の男とは何かが──

 

 そうだ、匂いだ。

 

 いつも嗅いでいる貴族特有の香水の匂いじゃない。

 

 もっと刺激的で、危険な香りがする。

 

 思わず身体を押し付けてみる。

 

 相手は嫌がる素振りも見せない。

 

 むしろ楽しんでいるような……? 

 

 一曲が終わり、男は丁重に離れていった。

 

 名前も聞けなかった。

 

 でも、忘れられない出会いだった。

 

 ◆

 

 それから三ヶ月。

 

 カザリアはいつものように王都の高級ブティック街をうろついていた。

 

 今日も財布は軽い。

 

 買うにせよ、安いものを一着といったところがせいぜいだろう。

 

「この生地、もう少しお安くなりませんこと? 去年のものでしょう?」

 

 店員と値引き交渉をしていると、後ろから声がかかった。

 

「お困りのようですね、お嬢さん」

 

 振り返ると、麻の服を着た精悍な男が立っていた。

 

 日焼けした肌、商人風の身なり。

 

 でも、その立ち姿には独特の品がある。

 

「あなた、誰よ?」

 

「しがない織物商です。その生地、確かに素晴らしいものですが、お嬢さんのような美しい方には、もっと鮮やかな色のものがお似合いになるでしょう」

 

 お世辞と分かっていても嬉しい。

 

「あちらの店の新作なら、きっとご満足いただけます。私が顔見知りですので、少しは勉強してくれるかもしれませんよ」

 

 安くしてくれる。

 

 その言葉にカザリアの心は決まった。

 

 結果、望んでいた以上のドレスを信じられない安値で手に入れることができた。

 

「ユーリと申します。また何かお探しの際は、お声がけください」

 

 織物商ユーリ。

 

 カザリアは心に刻み付けた。

 

 ◆

 

 最初は単なる都合の良い男だった。

 

 珍しい織物や装飾品を持ってきてくれる便利な商人。

 

 でも会う回数が増えるにつれ、カザリアの心に変化が生まれ始めた。

 

「ユーリさんって、面白いのね! 貴族の男の人たちって、堅苦しい話ばっかりなのに」

 

 下町の賑やかな酒場。

 

 貴族は決して足を踏み入れない場所で、二人は肩を並べて飲んでいた。

 

「商人は楽しくなければ商売になりませんから」

 

 そう言って笑うユーリ。

 

 でも時々、その瞳の奥に翳りが見える。

 

 何か秘密を抱えているような、そんな表情。

 

 それがまた、カザリアの心を掴んで離さなかった。

 

 夏の終わり。

 

 二人の関係は誰が見ても恋人同士と呼べるものになっていた。

 

「ねえ、ユーリさん」

 

 酒場の二階、いつもの個室。

 

 乱れたシーツの上で、カザリアはユーリの胸に頬を寄せた。

 

「あなたって、本当にただの商人なの?」

 

 ユーリの手が一瞬止まった。

 

 やっぱり。

 

 カザリアの勘は当たっていた。

 

「……どうして、そんなことを聞くんだ?」

 

「だって……」

 

 カザリアは体を起こし、ユーリの手を見つめた。

 

「商人の手じゃないもの。こんなに綺麗で、マメの一つもないなんて。それに、言葉遣いも時々、すっごく上品になることがあるわ」

 

 本を読んでいる姿も見た。

 

 難しい歴史書や政治の本。

 

 商人が読むようなものじゃない。

 

「……驚かないで聞いてくれるかい」

 

 ユーリが遠い目をした。

 

「実は、私は貴族の血を引いているんだ。だが、家の事情で勘当同然の身でね」

 

「やっぱり! そうじゃないかと思ってたの!」

 

 カザリアの心臓が高鳴った。

 

 悲劇の貴公子。

 

 まるで物語の主人公みたい。

 

 だがそれはあくまでスパイスだった。

 

 この時、もうカザリアはとっくにユージンに惚れていたのだ。

 

 この人が好き。

 

 本当に好き。

 

 思ったのならば口に出す。

 

「でも、いいの! あたしは今のユーリさんが好きだもの! 貴族だろうが商人だろうが、関係ないわ!」

 

 ◆

 

 冬の夜。

 

 使者に連れられて着いた場所は、見たこともないような豪華な館だった。

 

「ユーリさん、よね……?」

 

 背を向けて立つ男。

 

 いつもの商人の服ではない。

 

 貴族の正装。

 

 振り返った顔を見て、カザリアは息を呑んだ。

 

 顔は同じ。

 

 でも雰囲気がまるで違う。

 

 商人のユーリではなく、もっと高貴で、恐ろしいほどに美しい何か。

 

「すまなかった、カザリア。ずっと嘘をついていた」

 

 男が跪く。

 

 カザリアの手を取る。

 

「私の本当の名は、ユージン・フォン・アストレア。この国の王太子だ」

 

「えええええええええええええええ!?」

 

 頭が真っ白になった。

 

 王太子。

 

 あの舞踏会で踊った相手。

 

 ユーリ。

 

 すべてが同じ人だった? 

 

「だがもう王太子ではない。私はこれから辺境公爵として生きる」

 

 ユージンの言葉が遠くから聞こえてくる。

 

「カザリア、私と一緒に辺境へ来てくれないか。私の妻として」

 

 妻。

 

 公爵夫人。

 

 その言葉が脳内で踊る。

 

「言っていただろう? お金持ちのお嫁さんになりたいけど、ユーリさんで我慢してあげるよ、と。どうか私で我慢してくれないか?」

 

「やったあああああ! 公爵夫人!? 本物の貴族! お金持ちと結婚できるのねーっ!」

 

 叫びながら、カザリアは涙を流していた。

 

 嬉し涙だ。

 

 夢が叶った。

 

 それ以上に、大好きな人と一緒になれる。

 

 ユージンが笑っている。

 

 心から楽しそうに笑っている。

 

 その笑顔を見て、カザリアは確信した。

 

 この人は自分を本当に必要としてくれている。

 

 ◆

 

 辺境公爵夫人となって半年。

 

 カザリアの生活は夢のようだった。

 

 豪華な城、美しいドレス、美味しい食事。

 

 欲しいものは何でも手に入る。

 

 でも一番の宝物は、隣で眠る夫だった。

 

「ユージン様〜、今日もすっごく遅かったじゃないですか〜」

 

 ベッドの上で頬を膨らませる。

 

 最近、ユージンは仕事ばかりだ。

 

 隣国との何やら難しい話。

 

 カザリアには詳しくは分からない。

 

 分かろうとも思わない。

 

 分かる必要があればそうするけれど、とカザリアは思う。

 

 それをユージンは望んでいないようにも思えるのだ。

 

 だからあえてわからない。

 

 理解しようとしない。

 

「すまない、仕事が立て込んでいてね」

 

「もうっ。そんな仕事ばっかりしてたら倒れちゃいます!」

 

 本当に心配だった。

 

 時々、ユージンの瞳が恐ろしく冷たくなることがある。

 

 執務室から出てきた後の、血の匂いがするような表情。

 

 でもカザリアの顔を見ると、すぐに優しい夫に戻る。

 

「それに、えーと……あたしとエッチする時間も減っちゃうし」

 

 正直に言う。

 

 カザリアは嘘が苦手だ。

 

 ユージンが笑った。

 

 そして押し倒される。

 

 幸せだった。

 

 単純で、欲深くて、でも誰よりも素直な女。

 

 それがカザリアという女であった。

 

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