FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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プロローグ - これは果たして愛と呼べるのか
第1章-1:復讐心と王女・前編


 彼女の笑顔を守るためなら、この手がどれだけ血と裏切りで汚れようと構わない。

 

 その邪悪さを最も嫌っていたのは自分自身だったはずなのに。

 ……果たして、このおぞましい執着を、愛と呼んでもいいのだろうか。

 

 

*****

 

 

──ときどき、悪夢にうなされる。

 

 イルシオン王国の外れにある小さな村。

 そこには、一年の大半を雪に閉ざされる寒冷な地ながらも、人々の確かな体温が通い合う平穏な暮らしがあった。

 

 厳しくも優しく勉強を見てくれた、隣家の姉のような女性。

 共に夢を語り合った友人。そして何より愛する両親……。

 

 それら全てが、逃げ場のない猛火の中で、物言わぬただの肉の塊へと変わっていく光景。

 

「神竜なんぞを崇めるからこうなるのだ。ソンブル様の供物となるがいい」

 

 天を突く火柱の向こう側。

 肌を焦がす熱風の中で高らかに(わら)う、高貴な男の影。

 

 その指先一つが振り下ろされるたび、重装の鎧兵たちが、ローブを(まと)った異端の術師たちが、慈悲の欠片もなく地獄を形作っていく。

 

 逃げ惑う村人の背中を槍が貫き、泣き叫ぶ子供の真横で無機質な魔法の炎が()ぜる。

 

 納得がいかなかった。村は自由で、穏やかだったはずなのに。

 

 他国が(ほう)じる神竜信仰とも、国教とされる邪竜信仰とも無縁なほど、ただその日を生きることに懸命だったというのに。

 

 ……あれは、全て噓だったのか。

 

 惨劇が起こるより、さらに数年前。

 あの男は、近衛兵の制止を振り切って、わざわざこの名もなき辺境の村へと足を運んできた。

 

 隣国ブロディアとの緊張状態を緩和するため、辺境伯との会談に訪れた帰りのことであったという。

 

『邪竜を奉じる我が国は、他国から恐れられ、ひどく(うと)まれている。だが、我らとて同じ血の通った人間であり、邪竜もまた、この厳しき凍土を生き抜くための支えなのだと……私は、為政者としてそれを証明したいのだ』

 

 護衛たちを遠ざけ、平民の子供であった自分の目線にまで膝を折り、あの男はそう語りかけた。

 

 幼かった自分には、その言葉は難解すぎた。

 それでも両親に問い、優しく紐解いてもらったことで、あの男の気高さに心からの憧れを抱いたものだ。

 

 厳しい税も、国境沿いという地理的な苦労も、あの大きな手の温もりと、あの男の慈愛に満ちた微笑みがあれば、誇りを持って受け入れていけた。

 

 あの男が直接手渡してくれた、豪華な返礼品。

 

 王都でしか味わえぬという、あの果実の瑞々しい甘さを、家族や隣人と笑顔で分かち合った記憶は、今も舌の奥に鮮明に焼き付いている。

 

 ……それを。

 

 その高潔な理想も、美しい思い出ごと。

 

 信じていた「王」、自らが泥靴で踏みにじったのだ。

 

 

 

「──ハイアシンスッ!!」

 

 

 

 煙に焼かれ、喉が裂けるような絶叫と共に、夢はいつも最も凄惨な場面へと切り替わる。

 

 村は、地図から消えた。

 

 生存者は、燃え盛る家から飛び出そうとする体を親兄弟に必死に抑え込まれ、地下の貯蔵庫へ突き落とされた数名のみ。

 

 野菜や酒を冷やすための薄暗い場所が、生き埋め同然の避難所になるとは誰も思わなかった。

 

 頭上から家屋が焼け落ちる轟音が響き、隙間からは容赦なく熱煙が入り込む。

 

 薄れゆく酸素に意識を朦朧(もうろう)とさせながら、彼らはただ冷たい土に這いつくばり、狂いそうな熱に耐えるしかなかった。

 

 地下で、少年は聞いていた。

 

 頭上の床板を、熱さに耐えかねた肉親の爪がガリガリと掻き(むし)る、正気を失いそうな音。

 

 そして、隙間から容赦なく入り込んでくる、肉と髪が焼け焦げる耐え難い異臭。

 

 かつて王から賜った、あの甘い果実の記憶と、鼻腔を犯す肉の焦げる臭いが脳内で混濁し、少年の精神をメチャクチャに破壊していく。

 

 生き残ったのではない。ただ運が悪く、地獄の底で死に損なっただけの亡霊となってしまったのだ。

 

 火が鎮まり、再び雪が降り積もる中。

 

 灰燼(かいじん)に帰した村で、生存者たちは言葉を失い、ただ獣のような嗚咽(おえつ)を漏らしながら、泥濘(でいねい)の中に名もなき墓標を立て続けた。

 

 手の感覚がなくなるほど、指先から血が(にじ)むほどに土を掘り返して。

 

 そして、降りしきる白が焦げ跡と痛みを覆い隠そうとする頃、『彼』は血を吐くような決意を口にした。

 

「あの暴虐の王を殺す。奴にも同じ苦しみを味わわせるために、その女も、子供も、皆殺しにしてやる」

 

 痩せた体に、剣や魔道を操る武の才など欠片もなかった。あるのは、平民の学問で培ったわずかな知恵のみ。

 

 同い年の少女が泥にまみれた顔で泣きながら引き留め、少年の服にすがりついた。

 だが、復讐という名の闇に沈んだ彼の耳には、その悲痛な声すら届かない。

 

 (はべ)らされている女の一人でもいい。その子供の指一本でもいい。

 刺し違えてでも、王家の血を汚してやる。

 

 村を背にする彼の肩には、絶望のような雪が重く降り積もっていた。

 

 あの時、自分を引き留めて泣いていた少女が誰だったのか。

 温かな食卓で、自分を愛してくれた人々が、どんな名で自分を呼んでいたのか。

 

 全てを、あの日の雪と炎の中に捨て去った。

 

 頭にあるのは、ただ一つ。

 

──イルシオン王家に対する、(くら)い復讐。

 

 

 

 ……そこでいつも、彼は目を覚ます。額に浮かぶ冷たい汗。小刻みに震える指先。

 

「~~~っ、はぁっ、はぁっ……!!!」

 

 この類の夢を見るとき、ひどい吐き気と悪寒に襲われなかったことなどない。

 

 心臓を鷲掴みにされたような動悸(どうき)を必死に抑え、落ち着いて呼吸を整え、全ては過ぎ去った悪しき夢なのだと自分を納得させた。

 

 しかし、こうなれば大抵二度寝など出来なくなる。

 

 その度、窓の外の月明かりを見つめながら、逃れられない過去を振り返ることにしている。

 

 思えば、血の匂いに導かれるような、恐ろしく長く険しい回り道をしてきたものだ。

 

 彼はベッドから這い出し、冷たい床の上に膝をつき、両手を組んで一人静かに祈りを捧げる。

 

 神竜でも、この国が崇める邪竜でもない。

 

 たった一つの、自らの命よりも重い『よすが』のために。

 

 

*****

 

 

──時を遡ること、数年前。

 

 その『名もなき少年』は、恐ろしいほどに誠実な仮面を被り、他人の機微を鋭く察し、生きるための術を貪欲に吸収していた。

 

 そして何より、各地の少女が嫉妬するほどに整った顔立ちと華奢(きゃしゃ)な肉体を持っていた。

 

 日銭を稼ぎながら各地を放浪した彼は、自らの美貌と才覚を武器に、ついにイルシオン王城の重厚な門へと辿り着いた。

 

 素性の知れぬ者を排斥しようとする衛兵たちの怒号の中、彼はただ、最低限の衣食住と引き換えに忠誠を捧げると、幾度も頭を下げ続けた。

 

 その拾い物を許したのは、第一王女アイビーだった。

 

 まだ幼さを残しながらも、その(たたず)まいは凛として冷たく、自身の言葉を父ハイアシンスの意志と同義であると言い切る傲慢さを備えていた。

 

「まずは私の妹、オルテンシアの身の回りの世話をさせなさい。将来学園に通う際、友人の作り方も知らぬままでは王族の恥だわ。同年代で、これほど使い勝手の良さそうな平民が侍従を申し出る機会など、二度とないでしょうから」

 

 周囲の反論を冷徹に封じ、アイビーは少年に向き直る。

 彼女の双眸(そうぼう)は、近づく者を決して信じぬ、という強い拒絶の色に染まっているように見えた。

 

 しかし、どこか家族に執着するような、愛に飢えているような、そんな寂しげな空気も漂わせていた。寒空の下、山上の王城目掛けて無策で歩いてきたせいで主観が歪んでいたのかもしれないが。

 

「感謝することね。これはあくまで私の気まぐれ。あの子の傍に置く価値がないと判断すれば、即座にその首を()ねて放り出すわ」

 

 真っ直ぐ過ぎる脅し。

 だけれど、少年には、それで十分だった。

 

 むしろ願ってもない好機。

 警戒心の塊のようなアイビーは難攻不落でも、幼い第二王女オルテンシアならば。

 

──その喉元に牙を立てる隙はいくらでもあるはずだ。

 

 父である「愚王」──「賢王」だなどと呼ばれているらしいが、笑わせてくれる──奴への殺意を、従順な笑みの下に深く潜める。

 

 しかし。彼の暗い決意をあざ笑うかのように。

 

 オルテンシアは、屈託のない、あまりにも無邪気な笑顔で彼を迎えた。

 

「あなたが新しいお手伝いさん? 嬉しいわ! 同年代の男の子なんてはじめて。あたしがイルシオンの第二王女、オルテンシアよ! よろしくね!」

 

 派手な色合いのドレスに、綿菓子のように甘い色彩を混ぜた髪。「可愛くあること」に固執しており、完璧に飾り立てられた少女。

 

 何より腹立たしいのは、その作り物のような笑みだった。

 

 少年には直感でわかった。

 その笑顔が、己の価値を誇示するための虚飾の仮面であることを。

 

──故郷で死んだみんなは、もう笑うことさえできないのに。

 

 この国が奉じる邪竜信仰が、なぜ世界から禁忌とされるのか。少年にはその理屈はどうでもよかった。ただ、愛する人々を笑いながら焼き殺した王族どもが、人の尊厳を踏みにじり、のうのうと着飾って偽りの笑顔を振りまいている。その事実こそが、彼にとっての「悪」の証明だった。

 

 別に何を崇めていようが構わない、というのが本来の彼のスタンス。しかし、憎悪の向ける対象が敬愛するものを腐せば復讐心に(くら)い「火」がくべられていくものだ。だから彼は敢えて闇に堕ちる。

 

──邪竜など信じているから、貴様の娘は惨めに死ぬことになるんだ。

 

 あの日、高らかに(わら)っていたハイアシンス王への呪詛を胸中で唱えながら。

 

「……よろしくお願いします。僕には過去の記憶がなく、故郷も名もわかりません。ですが、王女殿下のお力になりたい、その一心でここまで参りました。精一杯、お仕えいたします」

 

 自分より幼い、生贄となるべき少女に向かって少年は、至高の美貌をもって、最上の媚を売ってみせるのだった。

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