FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第5章-2:強奪(うば)え、風花の紋章士(エムブレム)・後編

「……待ってください。ハイアシンス陛下の代行を務めるほどのお方が、それほど損な真似をなさるのですか?」

 

 少年は、震える膝を気力だけで押さえつけ、狂気にも似た薄笑いを浮かべて一歩前へ出た。

 

 セピアの細い眉が、不快げに跳ね上がる。

 

「浅ましい命乞いですわね。鼠三匹を片付けることに、一体何の損があると言うのかしら」

 

 彼女の手元で、雷光がバチバチと勢いを増していく。

 

 一瞬でも言葉が詰まれば、そこで終わりだ。

 長命な彼女にとって、こちらの命などそこら辺の(ほこり)に等しいだろう。

 

 思考を止めず、口を動かし続け、この場における最適解を導き出せ。

 

 「答え」が提示されない絶望的な状況から、誰もが望む結果を掴み取ること──それは、各地を渡り歩いていたときも、侍従の仕事のときも、幾度となく繰り返してきたことなのだから。

 

「僕を殺せば、この城の機能は明日から麻痺するでしょう」

 

「……その服、貴方はただの使用人ですわね? 使用人風情に、それほどの権能(けんのう)があるとは思えませんけれど」

 

 セピアが言葉を返す、そのわずかな「間」こそが、思考を(つむ)ぐための貴重な時間となる。

 

「ハイアシンス王が没し、国政は混乱の極みにあります。実務を知らぬあなたがたが、強権のみで押さえつければ、官吏(かんり)も使用人も恐怖で逃げ出すでしょう。そうなれば、ソンブル様への『供物』も、軍の補給も滞ることになります」

 

「供物、って……」

 斧を構えたままのロサードが、少年の放った不穏な単語を反芻(はんすう)した。

 

「……この国の民の命を、ソンブル様に捧げる供物にするつもりなのでしょう?」

 

「そ、そんな──っ」

 驚愕に震えるゴルドマリーを余所(よそ)に、セピアは「へえ」と感嘆するような声を漏らした。

 

「この国には、与えられた餌にしか食いつかない獣のような愚民しかいないと思っていましたけれど。少しは自分の頭で考えられる方もいらっしゃるのね?」

 

「僕は今日まで、城内で多くの者の信頼を得てきました。もし僕を殺したのが、あなた方だと知れ渡れば、あの御大層な演説はたちまち破綻するでしょう。王の友人を騙る、ただの侵略者として扱われることになる」

 

 少年は(よど)みなく言葉を続ける。

 

「果たして、『盗みに入ったから殺した』などという言い分が、あなた方の体面上、通用するのでしょうか。皆はこう考えます。『あの子がそんなことをするはずがない』……と。真実など、主観によっていくらでも捻じ曲がる……それが、この世界です」

 

 恐怖で縛り付けるだけで良いのなら、あんな演説をする必要などなかったはずだ。四狗(しく)には、人心を繋ぎ止めておく「必要」があるのではないだろうか。

 

──付け入る隙があるなら、そこだ。

 

 少年は確信を持ってセピアを睨んだ。

 

「僕を生かせば、あなた方の目論見については沈黙を守りましょう。同僚にも……兵士たちにも」

 

「へえ。保身のために、民の命を売るとおっしゃるの?」

 嘲笑(あざわら)うセピアを、少年は強く、冷たく見据えた。

 

(それが脅しになると思っているのなら、見当違いだ)

 オルテンシア様を守るためなら、どんな許されざる所業にも手を染めると誓った。

 その瞬間、自分は「無敵」になったのだ。

 

「……それと、もう一つ」

 少年は、ロサードとゴルドマリーを指し示した。

 

──生き残るのが、自分一人では意味がない。二人の死は、必ずオルテンシア様の心に生涯消えぬ傷を残してしまうからだ。

 

「彼らのような一騎当千の(つわもの)を、ここで殺すのも惜しくはありませんか? ゴルドマリー様は先ほど、貴方の雷をいなしてみせました。ロサード様も、怯むことなく対峙し続けている。……『使える』でしょう?」

 

 二人は息を呑み、少年の言葉に耳を傾けている。

 

(ごめんなさい。お二人の信念を裏切る結末になるかもしれない……)

 一度だけ、謝罪を込めた眼差しを向け、少年は再びセピアへと向き直った。

 

「彼らを王女の近衛ではなく、一介のイルシオン兵として徴用するのはいかがですか? 彼らはオルテンシア様を愛している。ならば、彼らが『盾』として最前線で戦い続ける限り、オルテンシア様への追手を出さない、あるいは殺さない……という取引をすれば、彼らは喜んで貴方の猟犬になるでしょう」

 

「……っ、彼氏くん! 何を言って……!」

「待ってください、ロサード」

 

 驚愕するロサードを制したのは、ゴルドマリーだった。

 彼女が少年にある何らかの真意を汲み取ったことを悟り、ロサードもまた、静かに首を縦に振った。

 

「……面白いですわね。すべてを投げ打ってでも助けたいのは、あの王女のためかしら?」

 

 セピアは雷光を消し、艶然(えんぜん)とした笑みを浮かべて少年に歩み寄った。

 長い爪が、少年の頬を優しく、けれど皮膚を切り裂かんばかりに撫でる。

 

「いいでしょう。貴方の、王女に対する狂信的な献身に免じて、見逃してあげますわ」

 セピアは値踏みするように顔を近づけた。

「けれど、貴方の不敬は万死に値しますわ。このまま無事で済むと思わないことです」

 

「……ええ。僕の身はどうなっても構いません。地下牢へ繋ぐなり、お好きに」

 

「いいえ。貴方はそのまま、仕事に戻りなさい。逃げも隠れもしない絶望の中で、我ら四狗(しく)(かしず)き、泥水を(すす)って、血反吐(ちへど)を吐きながらこの城を支えなさいな。……見知った顔の命を、神へ捧げ続けながらね」

 

 セピアは満足げに背を向け、玉座の間を後にした。

 

 玉座の間を支配していた肺が潰れるような重圧から解放されると、その場にいた三人は糸が切れたようにへたり込んだ。

 

 おいそれと手出しできなくなった紋章士の指輪を守る結界が、こちらを煽るように明滅を繰り返している。

 

 砕け散った窓から、季節外れの鋭い寒風が容赦なく吹き込んできた。

 

(後で補修の手配をしなきゃな。侍従長にひどく叱られてしまう……)

 

 そんな、日常の延長線上にある些末(さまつ)な思考が、麻痺した脳をぼんやりと支配していた。

 

「彼氏くーん! ホントありがとーっ!」

 不意に、ロサードが勢いよく抱きついてきた。バランスを崩し、少年は床に押し倒される形になる。

 

「いやー、マジで死ぬかと思ったよー! ヤバいね、あのおばさん、ケンカ売っちゃダメなタイプだったかもー」

「……なかなか素敵な啖呵(たんか)の切り方でした。褒め上手ですみません……」

 

 ロサードにもゴルドマリーにも、少年が二人を「便利な盾」として敵に売り渡したことへの怒りは、微塵も感じられなかった。

 

 一生恨まれる覚悟さえしていた少年は、予想外の反応に目を白黒させる。

 

「あの……怒って、いないのですか。僕は、お二人を……」

「怒る? どうしてさー。オレたち、彼氏くんに助けられたようなもんだよー?」

「……ええ。もう一度あの魔法を浴びていれば、今度こそ命はありませんでした。一度は耐えましたが……ふふ、タフで美しくてすみません……」

 

 何を言っているんだ、と言わんばかりの二人の様子。

 

 だが、たとえ彼らが許したとしても、自分が無関係な民の命を交渉の出汁(だし)に使った事実は変わらない。少年は内心で深く自嘲した。

 

(僕は……やはり、あのハイアシンス王と同類なのではないか)

 邪竜復活という目的のためなら無辜(むこ)の民の命すら惜しまない王と、愛する女性を救うためなら何を犠牲にしても構わないと考えている自分。本質的には、鏡合わせのようにそっくりではないか。

 

 そんな少年の(くら)い思考を見透かしたように、ロサードが口を開いた。

 

「あのおばさんたち、最初からイルシオンの国民に手を出す気だったんでしょー? 事前にみんなに知らせてたって、逃げ場なんてどこにもないと思うしね。気にしちゃダメだよー」

 

「むしろ……彼氏くんが殺される可能性が、少しでも薄まったのではないかと……」

 

 ……確かに、嗜虐心(しぎゃくしん)の強そうなあのセピアという女のことだ。

 まずは獲物の周囲から削ぎ落として絶望の淵に立たせ、それからゆっくりと息の根を止めるような愉悦を好むだろうが……。

 

『このまま無事で済むと思わないことです』

 

 命を取ることのデメリットを完全に消失させてから、後悔させて殺す。思い返せば、あの言葉はそういう宣言だったようにも感じられた。

 

「兵士として徴用しろ、って提案してくれたのも助かったよー。顔色を(うかが)う隙もできるしね。どこかのタイミングで、オルテンシアを追いかけられるかもしれないしー?」

 

「はい……条件が違うものでしたら、もっと面倒なことになっていたかもしれません。考察が鋭くて、すみません……」

 

 それは、言葉を紡ぎながら少年が必死に手繰り寄せた可能性の一つだった。

 

 彼女の親友たちが、機を見て彼女と合流できるチャンスが生まれる道。もっとマシな提案があったかもしれないが、あの極限状態で捻り出すには、あまりに時間が足りなすぎた。

 

「いやー、それにしてもカッコ良かったなー。さすがはオルテンシアのフィアンセだよねー」

 

「えっ……フィアンセ?」

 ロサードの思わぬ言葉に、少年は思わず聞き返した。

 

「違うんですか……? オルテンシアが、プロポーズしてくれた最愛の殿方がいるって、自慢げに言っていましたけど……」

 

 プロポーズ。

 確かに、それに近しい約束を一年前の冬に交わした覚えがある。

 

『僕は貴女が卒業する日まで、このイルシオン王城で待ち続けています。ですから……その後も。貴女が望む限り、愛し続けましょう』

 

 胸の奥が、じわりと熱くなる。

 あの日交わした、子供じみた口約束。

 それを、オルテンシア様はずっと大切に胸に抱いていてくださったのだ。

 

 今生の別れになるかもしれない。昨夜は確かにそう覚悟した。

 

 けれど──死ぬわけにはいかない。

 

 きっと彼女は、少年の目論見通りに神竜と、そして姉のアイビーと合流するだろう。

 手土産にした、紋章士ベレトの力を携えて。

 

 そこからは、彼女を信じるしかない。

 持ち前の愛嬌を取り戻し、その聡明さと高い魔力で神竜リュールの支えとなり、いずれは四狗(しく)も、邪竜ソンブルをも打ち倒すはずだと。

 

 次に会えたとき。

 彼女は、自分がついた残酷な嘘を許してくれるだろうか。

 

『たとえば、亡きハイアシンス国王陛下を、蘇らせることも』

『オルテンシア様が望まれることが、僕にとっての最優先事項』

 

 もし本当に死者が蘇る術があるのだとしても、ハイアシンスの復活など、心底、反吐(へど)が出るほど反対だ。

 

 けれど、彼女のことだ。

 少年の真意など、本当はもう、とっくに察しているのかもしれない。

 

──こうして、7の月が終わろうとしていた。

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