FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第3章-1:血の惨劇・その1

 翌日。

 9の月が始まったその日、イルシオンの軍勢は港へ向けて進軍を開始した。

 

 昨日の余興に当てられたままでいるのか、兵士たちは互いを鼓舞し、殺気に満ちた熱狂を漂わせている。

 

 これからフィレネが蹂躙(じゅうりん)されるのは、陛下を殺した神竜なんかを崇めている報いだと、悪びれもせず口走る彼らの言葉を聞き、少年は強烈な不快感を覚えた。

 

 

『神竜なんぞを崇めるからこうなるのだ』

 

 

 炎の中で、あの愚王が吐いた台詞が脳裏に蘇る。

 

 城内にいる心優しい仲間たちに囲まれているうちは、そんな狂信の毒からは目を背けていられた。

 

 だが、他国がイルシオンの邪竜信仰を咎めるように、今のイルシオンもまた神竜の存在を全否定している。

 

 それは王一人の狂気ではなく、この国に根深く巣食う病理なのだと再確認させられる。

 

 邪竜ソンブルによる救済が事実で、神竜王ルミエルが封印の元凶だとしても、それは一体いつの話なのか。

 

 遥か過去の伝説を子孫が信じるのは自由だ。

 だが、それを大義名分に他国の侵略を正当化するのは、あまりに道理が通らない。

 

 度重なるブロディアの侵攻に辟易(へきえき)していたのは、イルシオン国民全体ではなかったか。

 

 奪われたから奪い返すという短絡的な報復を繰り返せば、いずれ千年前のように、この国がどこかの国に隷属する時代が再来するかもしれない──なぜ、その程度の思慮さえ持てないのか。

 

 だが、どれほど兵士たちの蒙昧(もうまい)(いきどお)っても、力なき少年には何もできなかった。

 

 世界を変えたという十二の紋章士のように一騎当千の武勇があれば、軍勢の前に立ちはだかり、力ずくで止めることもできただろう。

 

 いや、どれほど強かろうと、数で押し切られれば結局は無力か。

 

 無益な妄想で現実を塗り替えられるわけもなく、少年は思考を止めた。

 

 今祈るべきは、ロサードとゴルドマリーの無事だ。

 彼らが打ち立てた──どうにも力技すぎる気もするが──船上の指輪強奪作戦を完遂し、無事にオルテンシアと合流してほしい。

 

 二人が神竜側に(くみ)するかどうかに不安はない。

 

 彼らにとって、オルテンシアへの友情を超えた忠誠心は、ある種、少年と同質のものだ。

 

 オルテンシアがいる場所こそが彼らにとってのイルシオンであり、彼女の御旗の下で戦うことこそが彼らの正義なのだという、絶対的な信頼があった。

 

 今はまず、自分の身を守ることに集中しなければならない。

 

 セピアは今すぐに船団には乗らず、後で愛用の飛竜で合流するとのことで、進軍する兵士たちには随伴しなかった。

 

 おそらく今は、邪竜ソンブルの居座る玉座の間にいるのだろう。

 間違っても顔を合わせたくはない。

 

 

──死より重い罰。

 

 

 呪詛を吐いた彼女の、冷徹にして妖艶な笑みを思い出すだけで寒気が走る。

 

 だが、昨日誓った通り、何をされようと打ち克つのだと何度も自分を鼓舞した。

 意識してしまうこと自体が敗北なのだと自覚しながらも。

 

 さて、現在の城はほぼ(から)同然だ。

 

 残っているのは、侍従である自分たちと官吏(かんり)、そして防衛のためのわずかな城兵と一部精鋭のみ。

 

 セピアはその城兵すら戦場へ駆り出そうとしたが、官吏(かんり)たちが頑として突っぱねたのだという。

 

『現在の王なきイルシオンにおいて城を(から)にするのは、国家を破滅させるに等しい。少数でも構わないが精鋭を中心に残すべきだ』

 

 そんな正論に、セピアは珍しく根負けして意見を呑んだそうだ。

 

 だが、イルシオンの滅亡など何とも思っていないであろうあの女が、素直に従ったとは思えない。

 

 間違いなく、何か企みがあって城に居残っている。警戒は必要だが、いざ襲われれば対抗する術はない。

 

 身の危険を感じたら、何も考えずに(きびす)を返して逃げるしかないのだ。

 無策にならざるを得ない現状が、嫌な想像を膨らませ、不安を煽る。

 

 その焦燥(しょうそう)を振り払うように、少年はまたオルテンシアの部屋を訪れていた。

 

 昨夜掃除したばかりの部屋に、(ほこり)など溜まっているはずもない。

 ベッドも完璧に整えられている。

 やるべきことといえば、隅に置かれた花瓶に水をやることくらいだった。

 

──ここにいると、一年半前の愛にまみれた日々が、昨日のことのようだ。

 

 ベッドの縁に座り、そっと目を閉じるだけで。今でもあの日の熱狂が、肌を焼くような感覚と共に蘇ってくる。

 

 たった二ヶ月、けれどあまりにも濃密だった日々。

 愛する第二王女に心ゆくまで支配された、あの淫らな放蕩(ほうとう)の日々……。

 

 

*****

 

 

 ……寝ていた少年は荒い呼吸と共に目を覚ました。

 

 口の端にはシーツの繊維の感触。

 自分の舌が、オルテンシアのベッドのシーツに触れていた。

 

 なんという失態か。

 三年以上に渡る侍従の職務において、こんなこと一度もなかったのに。

 

 (あるじ)の許可もなくベッドで眠りこけるなど、到底許されぬ不祥事。

 

 まだ正午の鐘は鳴っていない。

 幸い、眠っていたのは四半刻にも満たない時間だろう。「掃除に手間取った」という言い訳は、おそらく通じる。

 

 だが、問題はそこではない。

 

 ……夢、を、見ていた、のだが。

 

(僕は……なんて夢を……!)

 

 オルテンシアの手ほどきを受けてアイビーを手籠めにしようとする浅ましい内容であった。

 

──オルテンシア様だけでなく、あのアイビー殿下まで性愛の対象として見ていたというのか。

 

 確かに、彼女の艶やかな装束に目を奪われたことはある。

 

 だが、あんな卑俗で浅ましい欲望を抱いていたとは。

 戦場で戦う恋人に、合わせる顔がない。

 

『貴様の場合、その好色ゆえに、(みじ)めに破滅するのだ』

 

 かつての悪夢で自分自身が放った警告が、現実味を帯びて脳裏に響く。

 

 だが、夢は夢だ。忘れてしまわなければならない。

 少年は火照った顔を冷ますように、柔らかいベッドへ何度も頭を打ち付けた。

 

 

 

「はぁぁ……オルテンシア様……」

 

 

 

 ……彼女の匂いがすっかり消えてしまったベッド。

 そこにしがみつき、このまま過去の残像に囚われたまま居たくなる。

 

 しかし、侍従という立場がそれを許さない。

 これ以上留まれば、侍従長に「いくら恋しくても浸りすぎです」と叱責されるだろう。

 

 重いため息をつき、部屋を辞そうとした。

 

 

 

 そのとき。

 

 オルテンシアの部屋の窓から、城外の騒がしい空気が伝わってきた。

 

 空模様が荒れていて見にくいが、中庭を見下ろせば、城兵たちが血相を変えて駆け回っている。

 

 方角は、侍従の詰所があるあたりだ。

 

 何かが起きた。少年は瞬時に察した。

 

 血の気が引くのを感じながら、すぐさま部屋を飛び出し、兵士たちの後を追った。

 

 

*****

 

 

 イルシオンは、一年の大半を深い雪に閉ざされている。

 

 雪解けの3の月でさえ大地は白く、完全に地肌が露出するのは5の月から8の月のわずかな期間に過ぎない。

 山上に建つ王城付近は、更に短く、雪が一切解けない年があるのも珍しくはない。

 

 9の月に入った今、雪が降ること自体は珍しくもないが、今日に限っては吹雪一歩手前の激しさで、視界を白く塗り潰していた。

 

 オルテンシアの自室から詰所へは、二つの経路がある。城内の廊下を渡り切るルートは、雪に濡れることはないが、いかにも遠回りだ。

 

 少年はもう一つの最短経路──中庭を経由する道を選んだ。

 

 本来、中庭は王族の憩いの場だ。

 オルテンシアやアイビーが読書に耽っている際、そこを無遠慮に横切るのは侍従として許されぬ不敬に当たる。

 

 そのため、急ぎの用であっても廊下を回る癖が少年の身体には染み付いていた。

 

 ……だが、今はそんな悠長なことは言っていられない。

 王族のいない城内で、彼はなりふり構わず全力で疾走した。

 

 革靴が雪を蹴立てる音が静寂を乱し、冷たい雪が顔に叩きつけられるが、それすらも意識の外に追いやっていた。

 

──嫌な予感は、確信へと変わりつつあった。

 

 詰所に辿り着く手前、決定的な異変が視界に飛び込んできた。

 

 中庭の純白を汚すように、生々しい赤が雪を濡らしている。

 その(かたわ)らには、数人の城兵が無残に事切れている。

 

 見知った顔が物言わぬ肉塊と化している光景に、少年は血の気が引くのを感じた。

 

『見知った顔の命を、神へ捧げ続けながらね』

 

 指輪を強奪したあの日、セピアが吐き捨てた呪詛が耳の奥で蘇る。

 

 昨日、彼女が「過去の言葉を思い出せ」と告げたのは、この惨劇の予告だったのか。

 

 だが……やり方があまりに直接的すぎる。

 自分を精神的に追い詰めたいのなら、もっと陰湿な手段があるはずだ。

 

 こちらの苦悶を愉悦とするセピアが、これほど無造作な殺戮を好むとは思えない。

 

 何より、遺体の損壊が不自然だった。

 

 セピアの仕業なら魔力で焼かれた痕跡があるはずだが、一瞥(いちべつ)した限り、それらはすべて魔道も刃物も介さず、ただ強靭な拳や指先で乱暴に引き裂かれ、叩き潰された「生々しい肉体の暴力による痕跡」に見えた。

 

 一体、何が起きているんだ?

 

 セピアに心酔する狂信者の仕業か、あるいは噂に聞く「異形兵」が城内にまで侵入したのか。

 だが、(たお)れているのが精鋭ではないにせよ、城の守備兵がこれほどあっけなく全滅するなど、到底信じがたかった。

 

「少年! ダメだ、そっちへ行くな……っ!」

 

 雪の上に(うずくま)り、脇腹を押さえた満身創痍の兵士が少年の足を止めようとした。

 詰所へは近寄るな、と血を吐くような声で制止される。

 

 嫌な想像が脳内を駆け巡る。

 

 自分を弟のように可愛がってくれた同僚たちが、あの優しい仲間たちが、今まさに凶刃に晒されているのではないか。

 

 そう考えれば、兵士の忠告など聞き入れられるはずがなかった。

 

 少年には戦う力がない。

 

 重い荷を運ぶのにも工夫を要するほど筋力は乏しく、剣を一度振るえば、しばらく腕が動かないだろう。

 

 魔道の才能も皆無だ。試しに放とうとするだけで寝込んでしまう。

 

 だが、そんなことは、仲間を捨てて逃げる理由にはならなかった。

 

 

 

 そして──。

 

 

 

「──────っ」

 

 詰所の扉周辺に広がる地獄絵図を目の当たりにし、少年は絶望のあまり言葉を失った。

 

 昨日まで談笑し、厳しい日常を分かち合ってきた侍従たちが、朱に染まって転がっている。

 

 絶命した者、辛うじて喘いでいる者。腕を深く切り裂かれ、腰を抜かしてへたり込んでいるのは、あの皮肉の通じない恰幅のいい同僚だった。

 

 彼女は「ひ、ひ、ひ……」と引き()った呼吸を漏らしながら、虚空の一点を見つめて震えている。

 

 少年は、恐る恐るその視線の先を追った。

 

 そこにいたのは。

 

 間違いなく「異形兵」だった。耳にしていた特徴と完全に一致している。

 

 人の形を保ちながら、意志も感情も消失した化け物。

 涎を垂らし、白目を剥き、獣のような咆哮を上げて暴れ回る、殺戮の道具。

 

 少年は今まで、それを「魔力で造り出された人形」のようなものだと勘違いしていた。

 人の形を模しているだけの、ただの化け物なのだと。

 

 だが、現実は違った。

 

 その異形兵は。

 

 その異形兵は……。

 

 

 

 

──見慣れた、()()()()()()()()()の姿をしていた。

 




不穏な回ですが、オルテンシアのベッドで少年がどんな甘美な夢を見ていたのか。
それはR-18版に事細かに掲載しておきます。
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