FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第3章-2:血の惨劇・その2

 ()()は、自身の体躯ほどもある鋼鉄の剣を、飢えた獣のような咆哮と共に何度も、何度も叩きつけていた。

 

 振り下ろされるたびに肉が裂け、骨が砕け、噴き出す血の音が少年の耳を(つんざ)く。

 

 その執拗な猛撃を受けているのは。

 

 

 

 ……いつも厳しく、けれど温かかった侍従長だった。

 

 

 

 長年の無理が祟って腰を痛め、「来年には後継を指名して引退するつもりです」と笑っていた、その矢先だったのに。

 

 

『落ち着いたら、みんなで私の故郷にいらっしゃい。息子夫婦が淹れてくれる紅茶は、世界一美味しいんだから』

 

 

 自慢げに語っていたあの姿は、今も記憶に新しい。

 

 それが今は、鉄の塊で原型を失うほどに打ち据えられ、赤い染みと化している。

 辛うじて元の面影を残す顔だけが、信じられないほどの苦悶と絶叫を浮かべたまま凍りついていた。

 

「あ……ああ……ああああ……」

 口元を両手で押さえ、少年は目の前の現実を拒絶するように立ち尽くした。

 

 あの化け物は、一体何だ。

 

 仕事の邪魔になるからと短く整えた茶髪。

 

 欠点のはずのそばかすを「私のチャームポイントなの」と言い切っていた彼女。

 

 その出立ちに、あまりにも、あまりにも似すぎている。

 

 だが。

 

 侍従たちが知る彼女であるはずがない。

 

 あんなに侍従長を──口うるさいと文句を言いながらも。

 

 実の母親のように慕っていた彼女が。

 

 こんな真似を、するはずがない。

 

 セピアが彼女に似せた人形を造り、差し向けたのか。

 

 いや、そんな回りくどい真似をする必要などないはずだ。

 適当な異形兵を城に放てば、それで済む話なのだから。

 

 少年は、絶望の淵でも思考を止めることができない。

 

『自分だったらどうするか』

 趣味であり、人生のルーティーンとも言えるその「推論」が、最悪の真実を導き出した。

 それは、身を裂かれるような罪悪感と共に少年の心に突き刺さる。

 

 

 

──あれは、()()だ。

 セピアか、あるいは邪竜ソンブルが、その禍々しい魔力で彼女を変質させたのだ。

 

 

 

 思い返せば、彼女は今朝言っていた。

『朝の雪かきがあるのにさあ、セピア様に呼ばれて憂鬱(ゆううつ)ー。一度も話したことなんてないのに、なんで私?……ねね、キミが代わってくれると嬉しいんだけどなー』

 

 少年はセピアに会いたくなかった。

 

 だから「頼まれた仕事は自分でやるのが筋だ」と、もっともらしい正論で彼女を送り出した。

 

 その結果が、これなのか。

 

 自分の臆病さと冷淡さが、彼女を変異させ、仲間たちを死に追いやったのか。

 

──『死より厳しい罰』とは、こういうことだったらしい。

 

 オルテンシアのために指輪を強奪し、四狗(しく)に牙を剥いた報いが、自分ではなく周囲の無辜(むこ)の命を削る形で襲いかかる。

 

『貴様こそが、新たな暴虐の王だ』

 

 いつかの夢で反響した自分自身の声が、正しかったのだと自嘲する。

 

 愛する王女以外の命を切り捨て、盾にした愚者への、これが「因果」。

 

「グアアアアアアアアアアッ!!」

 

 茫然自失とする少年の存在に気づき、そばかすの異形兵が、それまで弄んでいた亡骸を放り投げて突進してきた。

 常人には持ち上げることすら叶わぬ大剣を、軽々と振り回して。

 

 ガン、と鈍い破砕音が石床を震わせた。

 

 そこは、一瞬前まで少年が立ち尽くしていた場所だ。

 オルテンシアのために死ねないという強迫観念めいた意志が、本能を叩き起こし、強制的に身体を突き動かした。

 

 倒れ込むように右へ転がった先には、既に事切れている、かつての意地悪な先輩の姿があった。

 

 彼女を守ろうとして失敗したのだろう、軽鎧の兵士もまた物言わぬ骸と化している。

 その力なく開かれた右手から、一振りの小振りの剣が零れ落ちていた。

 

 ろくに筋肉もつかぬこの身体で、制御を失って暴れ狂う彼女を止められるはずもない。

 戦闘経験など皆無の自分が立ち向かったところで、結果は火を見るより明らかだ。

 

 だが。そんな道理で怯む性格だったなら。

 

 

 

──そもそも、愚王の血族を根絶やしにする復讐など誓いはしなかった。

 

 

 

 少年は迷わず、石床の剣を握りしめた。

 

 かつてオルテンシアを殺すために懐に短剣を忍ばせていた時とは、比較にならないほどの重圧。

 柄を握りしめるその手に、拭い去れぬ恐怖が伝う。

 

 戦うしかなかった。

 才覚などなくとも、今この地獄で動けるのは、自分一人なのだから。

 

 そばかすの同僚には、もう意志など残っていない。

 

 培ってきた思い出も、少年に対する友人としてのささやかな愛情も、その全てを異形兵としての本能がかなぐり捨てている。

 

 彼女はただ、獰猛な獣のように大剣を振りかざし、慈悲もなく襲い掛かってくる。

 

 それを、今しがた拾った剣で受け止めようと……。

 

(ダメだ。こんななまくらで受け止められるはずがない!)

 

 戦闘の才覚など皆無だが、物理的な法則だけは無学なりに理解していた。

 少年は必死に身を(ひるがえ)し、紙一重で突進をかわす。

 

 もしこれが歴戦の猛者であれば、このわずかな隙に脇腹を突き、怯んだところへトドメを刺すのだろう。

 

 だが、少年には何もかもが足りていなかった。

 願う通りに身体が動くのであれば、この世に筋肉も鍛錬も必要ない。

 

「ガ、アア……アア……」

 唸り声を上げるだけの彼女の喉からは、攻撃をかわされたことへの苛立ちが(にじ)んでいるように聞こえた。

 

『へえ、キミでも仕事でミスすることがあるんだね。意外! 私が代わりにやっておくから気にしないで!』

 

 いつか彼女がかけてくれた優しい言葉が、幻聴となって脳内を支配する。

 

 喜怒哀楽の激しいタイプだったが、こちらに殺意を向けたことなど一度もなかった。

 

 それどころか、「怒るとシワが増えるから嫌なんだよね」と笑っていた彼女は、激昂という感情から最も遠い場所にいたはずだった。

 

 それが今は、間違いなく剣に殺意を乗せている。

 本来の細い身体では、その巨大な鋼鉄を(ぎょ)しきれないのだろう。

 

 無理な負荷に耐えかねて、彼女の肉体に、ピシピシと音を立てながら、わずかな亀裂が走るのを少年は見た。

 

「……そんな重いもの、持てたんだね。凄いよ。だったらあの時の(たる)だって、一人で運べたじゃないか……」

 

 かつて、あまりの人手不足ゆえ駆り出され、重い資材を総出で運んだときの思い出が蘇ってくる。

 

 あの日、彼女は「腰が砕けちゃう」と悪戯(いたずら)っぽく笑い、少年が肩代わりしようとした。

 

 結局、少年一人の力ではビクともせず、警邏(けいら)に当たっていた城兵たちに泣きつき、「感謝しろよ!」と茶化されながら助けてもらったが。

 

 そんな……ありふれた穏やかな日常の追憶が少年の心を切り裂き、瞳から涙が溢れ落ちた。

 

──もう、あの日常には二度と戻れない。

 

 石床に転がる骸、鼻を突く血の匂い、そして暴れ狂うかつての仲間。

 その全てが、無情な現実を突きつけてくる。

 

 咆哮を上げ、彼女が再び肉薄する。

 

 足がもつれ、もはや逃げ場はない。

 

 無理を承知で、少年は拾い上げた剣を盾にするように構えた。

 

「──がああっ!」

 

 凄まじい衝撃。

 小振りの剣は赤子の手をひねるように粉砕された。

 そのおかげで直撃こそ免れたものの、右腕に走った反動は凄まじかった。

 

 手首に走る、焼けるような激痛。しばらくは剣を握るどころか、食器を持つことさえ叶わないだろう。

 そもそも、落ちた得物を拾い上げる時間的猶予など、どこにもなかった。

 

 蹂躙(じゅうりん)されるだけのわずかな時間の中、少年は必死に思考を巡らせた。

 

 目の前の彼女を救う方法はないのか。

 異形兵と化した人間が、元に戻る術はあるのか。

 

 もし意識を取り戻したとしても、彼女は自ら犯した凄惨な光景に心を病み、狂ってしまうかもしれない。

 

 だが、死ぬよりはいい。

 生きてさえいれば、いつか(あがな)える日も来る。

 そもそも、今の彼女は意志を奪われた人形でしかないのだ。 

 

 振り回される力に抗えなかったことを罪だと叫ぶ者がいるなら、自分がそれを否定してやる。

 友人として、彼女の杖となろう。

 

 だが。

 どれほど脳細胞を加速させても、「異形兵を人間に戻す方法」など思い浮かぶはずもなかった。

 

 そもそも、異形兵が人間を素体にしていることすら、今知ったばかりなのだ。

 たとえ方法があったとしても、今この瞬間に実行する手段など皆無だろう。

 

 つまり。

 

 

 

 

 

──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「……はは」

 

 腕を焼く激痛のせいか、それとも全ての希望を断たれた絶望のせいか。

 少年は力なくその場にへたり込んだ。

 

 もし自分に力があったなら。

 

 これまで幾度となく繰り返した無意味な仮定を、最期まで抱いて死ぬのか。

 

 こんなとき思う。

 美貌など、死神の前では何の価値も持たない紙屑だ、と。

 

──いや、よしんば僕に力があったとしても。

 

 どうせ、無理だった。

 

 異形に成り果てたとはいえ、少年にはできない。

 

 見知った同僚を、この手で殺めることなど。

 

 それができる冷徹さがあったなら、とっくにオルテンシアを殺し、自分も処刑台に上っているはずなのだから。

 

 

 

(申し訳ございません、オルテンシア様。貴女を置いて先立つ不義をお許しください)

 

 

 

 そばかすの同僚は止まらない。大剣を高く振りかざし、逃げ場のない少年へと振り下ろす。

 

 

 

(……幸せでした。どうか、ご無事で)

 

 

 

 死を覚悟し、目を閉じた瞬間。

 

 少年の頬に、熱い鮮血が激しく飛び散った。

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