FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第3章-3:血の惨劇・その3

「……え」

 

 少年は、生きていた。

 

 血飛沫を浴びた視界の先、大剣を上段に構えたまま。

 

 そばかすの同僚が石像のように静止している。

 

 

──彼女の胸元からは、鋭い槍の穂先が突き出していた。

 

 

 

「いやあああああああああああっ!!」

 

 

 

 そうだ。さっき。

 

 耳を裂くような金切り声が目を閉じる前に響き渡ったような気がしていた。

 

 死にゆく自分の幻聴か、と思ったが。

 

 そうではなかった。

 

 背後から彼女を貫いた者の、魂を削るような悲痛な絶叫だったのだ。

 

 

 

 そこに立っていたのは。

 

──花嫁修業中の子爵令嬢。

 

 

 

 そう言えば。

 

 かつて詰所の雑談で、彼女の身の上について聞いたことがあった。

 

 幼少期から武芸全般を叩き込まれ、特に槍術においてはイルシオンの猛者たちに比肩する実力を持つと。

 

 槍術の武闘大会において、数多の男たちの穂先を寄せ付けなかったという武勇伝。

 

 だが彼女は、それを「女の子らしくないし、子爵令嬢としての振る舞いを優先したいから」と謙虚に笑い、封印したのだと語っていた。

 

 武芸の才が一切ない少年は、その潔さを羨むと同時に、深く尊敬したことを覚えている。

 

 それが。

 

 封印したはずのその技が。

 

 愛すべき同僚の心臓を射抜くために振るわれた。

 

 令嬢は身体を激しく震わせ、溢れ出す涙を拭うこともせず、過呼吸のような嗚咽(おえつ)を漏らしていた。

 

 槍を握る手には血の気が失せるほど力が入り、狂変した同僚を止めるべく、肉を抉るように穂先を回していた。

 

 

 ……やがて。

 

 

 そばかすの同僚の手から大剣が零れ落ちた。

 

 その重量が彼女自身の頭部を激しい衝突音と共に直撃。

 糸が切れたように、その場に崩れ落ちる。

 

 衝撃で槍が抜け、背中から、胸から、彼女が人間であった証である朱が石床を染め、少年を赤く汚した。

 

 彼女は、少年に覆い被さるように倒れ込んだ。

 

 令嬢は少年を守らんと再び槍を構え直した。

 

 しかし。

 

 そばかすの彼女が再び牙を剥くことはなかった。

 

「……カッコ、いいなあ……剣をもって戦うなんて」

 小さな小さな声は、弱々しく震えていた。

「でも、さあ。ムチャした……ら、ダメ、じゃないか……キミは、オルテンシア殿下の……大事な人、なんだろ……?」

 

 瞳孔に微かな光が戻り、彼女は優しく少年を抱きしめた。

 もはやそれ以上の力はなく、ただ少年に寄り添っているだけの形。

 凄まじい激痛が走っているはずなのに、その口元には穏やかな微笑が(たた)えられていた。

 

「喋らないで! 今すぐ救護班を──」

「……もう、いいんだ……」

 

 諦めたように笑う彼女。少年はどうしたらいいのかわからなかった。

 

「あはは……いいなあ……王女殿下。うらやましい……。私も、げほっ……キミのこと、好き、だったのに……」

 

「……早く! 動ける人はいないのかッ!? 早く、治療の杖を!」

 

「ねえ……私の分も……幸せに……なら……と……許さな……から……ね」

 

 オルテンシアへの遠慮から、ずっと胸の奥に秘め続けてきた告白。

 

 それを最期に遺して。

 

 

 

 彼女は静かに息を引き取った。

 

 

 

 少年の絶叫はただ虚しく響き渡るだけだった。

 

 ……彼女の体温が指先から消失していく。

 ほどなくして、霧のように身体が掻き消えてしまった。

 

 令嬢が槍を落とし、少年と同じように石床へへたり込み、嗚咽(おえつ)を激しくさせた。

 

 

「うっ……ううっ……うわああああああああん!!」

 

 

 令嬢は、子供のように激しく泣きじゃくった。

 

 自らの手で友を手にかけた罪悪感と、それしか道がなかったという絶望。

 

 どうしてこんなことになったの、と、誰も答えられぬ問いを何度も、何度も繰り返していた。

 

──いや。ただ、自分だけが。答えられてしまう。そんなの、答えは一つしかない。

 

 セピアが告げた『死より重い罰』。まさしく、その通りだった。

 

 オルテンシアを最優先にしたから、こうなった。

 そう今の状況をぶちまければ、どうなるだろうか。

 

 いや、分かりきっている。「王女殿下を最優先にするのは臣下として当然だ、貴方は何も悪くない」と、誰もが慰めの言葉を投げるだろう。

 

 それが真実だと理解しているからこそ、反吐が出るほど辛い。

 少年は、自分がこの地獄を招いた種なのだと、自分自身を呪い始めていた。

 

「セピア……」

 

 激痛と痺れが支配する右手を、無事な左手の爪で、血が出るほど強く突き刺した。

 

 痛みを痛みで上塗りしたところで、ただ痛いだけだ。

 だが、その自傷行為が少年の心にドロドロとした(くら)い炎を灯していく。

 元凶に対する、剥き出しの憤怒が精神の全てを支配した。

 

 

「セピアアアアアッ!!」

 

 

 今すぐ殴り殺してやろうと立ち上がり、セピアがいるという玉座の間へ走り出そうとする少年。

 いつぞやハイアシンス王へ向けた憎悪以上に、それは無謀で無為な衝動だった。

 

 あの時は、物理的な距離と研鑽を積んだ時間が、彼を冷徹な暗殺者へと留めていた。

 だが、今は違う。

 これは勇気などではなく、ただの自殺志願だった。

 

 

「やめて! 貴方が行ったって、何にもならないわ!!」

 

 

 令嬢の怒号が響き、少年の動きがピタリと止まった。

 

 

 

『やめて! ***君が行ったって、何にもならないよ!!』

 

 

 

──愚王への復讐を誓った、全てが灰となったあの日。

 

 大切にしていた、同い年の少女。

 

 彼女に、今と全く同じ言葉を投げかけられたのを思い出した。

 

 彼女は確かに自分の名前を呼んでいたはずだが、その響きが何であったかは、かつての復讐心によって塗り潰され、欠落していた。

 

 

「……くそッ!!」

 

 

 少年は床に崩れ落ち、無事な左手で二度、石床を殴りつけた。

 

 三度目を振り下ろそうとした時、令嬢がそれを全力で抑え込んだ。

 

 二人は重なるようにして、声を上げて泣き続けた。

 

 

*****

 

 

 静寂が支配するイルシオン王城の詰所付近。

 

 悲痛な叫びを聞きつけた救護班が到着し、生存者には杖による回復が施されていた。

 

 それまで書類仕事をしていた官吏(かんり)たちも数人──それが今日城にいる全員だが──やってきている。

 あまりの惨状に、皆が顔を青ざめさせていた。

 

 

 ……少年は手首を痛めただけで済んだ。

 

 杖の光でわずかに負った傷は塞がったものの、内側の痺れまでは拭い去れない。完治には時間を要するだろう。

 

 

 ……肉を深く抉られた恰幅の良い同僚も、一命は取り留めた。

 

 だが治療に当たった者によれば、後遺症が残るため、侍従としての職務に復帰するのは難しいだろうとのことだった。

 

 

 ……鎮圧にあたった子爵令嬢は無傷だった。

 

 異変の直前まで、詰所とは真逆の方向にあたる中庭の隅で雪の処理をしていたことが功を奏したらしい。

 

 異変を察知して中庭へ向かった彼女は、そこで兵士の遺体を発見。暴漢の侵入を悟り、落ちていた槍を拾って雪上の足跡を辿った。

 

 物陰から様子を窺った彼女は、そばかすの同僚の変貌に戦慄し、硬直していたが、飛び込んだ少年の苦戦を目の当たりにしてようやく、友を殺す決意を固めたのだという。

 

 自らの手で親友を手にかけた事実は、永遠に消えぬ傷として彼女の心に刻まれるだろう。

 嗚咽(おえつ)は、今も止まらない。

 

 

 ……城兵のうち、対応に当たった者の中で生き残ったのは、わずか数名だった。無傷な者は、交戦していない者のみ。

 

 生き延びた侍従たちは、運良く詰所から離れていた者ばかりだった。

 

 そして──。

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 

 ……壊れた人形のように、何度も、何度も謝罪を繰り返しているのは、次期侍従長だ。

 

 彼女は詰所にいながら、無傷だった。

 

 変質したそばかすの同僚を目の当たりにし、瞬時の判断で幼い双子の姉妹を庇い、死角に押し止めていたのだという。

 

 守られた双子は、青ざめた顔で震え続け、言葉を失っていた。

 

 次期侍従長は声を震わせながら、あそこで起きた地獄のすべてを語ってくれた。

 

 

 

 

 

 ……セピアに呼ばれ玉座の間へ向かったそばかすの少女が戻ってきたのは、あれから半刻ほど後のこと。

 

 焦点の合わぬ瞳で、フラフラと歩く彼女。

 

 最初は「邪竜に近寄ったことで体調でも崩したのか」と思ったそうだ。

 

 だが、違った。

 

 よく見れば、彼女の腕と制服は無惨な血にまみれていた。

 

 今となれば何だったのかわかる。

 中庭で(たお)れていた兵士たちの返り血だったのだ。

 

 彼女の体に一瞬、赤黒い光が灯ったかと思うと、獣じみた咆哮が上がった。

 

 そして、一番近くで制服を繕っていた侍従の頭部を、彼女の剛拳が粉砕したのだ。

 

 噴水のように飛び散る血飛沫。連鎖する悲鳴。

 

 絶望が詰所を支配した瞬間。

 

 どこからともなくセピアが現れた。

 彼女は薄笑いを浮かべていたが、急に仮面を剥いだような激昂を露わにした。

 

『あの憎たらしい侍従の男は!? あの鼠は、どこへ消えたのです!?』

 

 次いで首根っこを掴み上げられた別の侍従が、震えながら「知らない」と答える。

 少年が本来仕事を終えた夜にだけ行うはずの、「日課の掃除」に向かったことを知るのは、侍従長のみだったからだ。

 

 それが、セピアの不興をさらに買った。

 

『ち……そろそろ城下と港へ向かわねばならないというのに……』

 

 彼女は侍従を壁に叩きつけると、咆哮するそばかすの少女の手に、虚空から引き抜いた鋼の大剣を「与えた」。

 

 異形と化した彼女は完全にセピアの操り人形と化しており、(あるじ)へと牙を剥くことはなかった。

 

『まあ、どうせ騒ぎを聞きつけて這い寄ってくるでしょう。遅かれ早かれ結末は同じ。……覚えておきなさい。貴方たちを地獄へ叩き落としたのは、顔だけが取り柄のあの鼠だと。彼を「家族」として愛するのなら、悪いことを悪いと教えてやるべきでしたわねえ?』

 

 「家族」という単語に、セピアは異常なまでの執着と憎悪を(にじ)ませていたという。

 

 彼女はそばかすの少女の肩を親しげに叩いたあと、魔法を用いてその場から霧のように消え去った。

 

 その瞬間、大剣が唸りを上げた。

 壁際で気を失っていた侍従の胴体に、無慈悲な一撃が突き立てられる。

 

 誰もが絶望に立ち竦む中、死地へ向かって突進した者がいた。

 

 

「ダリアさん……あの人に、あんな勇気があったなんて……」

 

 

 ……それは、いつも嫌味ばかりを並べていた先輩だった。

 

 彼女はその瞬間、すべてを守らんとする勇者になったのだ。

 

 先輩は詰所の外へとそばかすの同僚を押し出すように体当たりを食らわせた。

 火事場の馬鹿力か、異形を転倒させることに成功したのだ。

 

 異変を聞きつけた警邏(けいら)の兵士が駆けつけ、剣を構える。

 

 それは、あの先輩と喧嘩別れして以来、二年もギクシャクした関係を続けていた元恋人だったという。

 

 先輩を庇うように立ち塞がった彼だったが、相手の顔を知っていることが仇となった。

 一瞬、剣を振るうのを躊躇(ためら)ったのだ。

 

 僅かな隙を見逃さず、異形の大剣が彼の腹を穿ち、柱へと叩きつける。

 骨と鎧が砕ける凄まじい音が響き、彼はほどなく事切れた。

 

 その遺体に縋り付こうとした先輩の頭上に、そばかすの同僚の(かかと)が振り下ろされた。

 

 頭蓋が砕ける鈍い音。即死だった。

 

 部屋の出口を塞ぐようにして起きたその惨劇に、残された侍従たちはパニックに陥り、我先にと外へ逃げ出そうと殺到。

 

 だが、血の味を覚えた異形がそれを逃すはずもない。

 部屋から出た直後の者たちへ、無慈悲な大剣が振るわれる。

 

 恰幅のいい同僚もまた、逃げ遅れてその肉を深く抉られた。

 廊下は、逃げ惑う者たちの悲鳴と朱に染まった肉片が散らばる、阿鼻叫喚の地獄へと塗り替えられていく。

 

 そのとき。

 

 

『リリー。やめなさい。貴女らしくもないわ』

 

 

 逃げ惑う部下たちを背に逃がし、荒れ狂う教え子の前に立ちはだかるように、侍従長が静かに前に出た。

 

 慈愛を持って接すれば届くと信じたのだろうか。次期侍従長が止める間もなかった。

 

 だが……そんな祈りは通じない。

 そばかすの同僚は一際大きな咆哮を上げ、恩人へ向かって跳びかかった。

 

 その一瞬。侍従長が次期侍従長へと、横顔を見せた。

 

 彼女は、笑っていた。

 

 

『ヴァイオレット! その子たちはイルシオンの希望です! 必ず守りなさ──』

 

 

 静謐(せいひつ)(むね)としていた侍従長の、魂を絞り出すような絶叫。

 

 その最中だった。

 異形兵と化した、そばかすの彼女の大剣が、恩人の顔面に容赦なく叩きつけられたのは。

 

 

 

 

 

 ……あとは、少年が見た通りだ。

 

 彼女は、それから何度も、何度も。

 まるで積年の恨みを晴らすかのように、侍従長の亡骸を鉄塊で殴打し続けていたのだという。

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