FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第3章-4:血の惨劇・その4

「……謝らなければならないのは、僕の方です」

 

 次期侍従長から泣きながら行われた報告をすべて聞き終え、長く重い沈黙を引き裂くように、少年が呟く。

 

 子爵令嬢は、自罰の念に囚われている彼を、震える声で優しく諭そうとした。

 

「貴方は何も、悪くは……」

 

 

「……僕が、悪いんですッ!」

 

 

 それを掻き消す大音声で強く振り払う。

 

 もう少年は耐えられなかった。

 溢れんばかりの悲痛が、心を引き裂く叫びとなって形を成した。

 

 

──僕がこうしたんだ。僕が侍従長を、同僚たちを死に追いやったんだ。復讐なんて誓ったから。オルテンシア様と身分不相応にも愛し合おうとしたから……。そもそも、あの日、炎の中で死んでおけば良かったんだ。生きていてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。こんな、名前すら持たぬ端役が、こんな場所に居てはいけなかったんだ……!

 

 

 ……だが、それでも。

 

 何故こうなったのか、セピアとの因縁がどこから始まったのかという核心だけは、皆に告げる気になれなかった。

 

 神竜の軍勢と合流させるために裏で策を練ったことがセピアの激怒を買ったのだなどと言えば、彼女たちをさらに混乱の渦に巻き込むだけだ、そう思ったからだ。

 

「……確かにセピア様……あの女は。全部きみのせいだなんて言っていたけれどね……」

 

 布の敷かれた床に横たわり、恰幅の良い同僚が、小刻みな喘ぎと共に言葉を紡いだ。

 

「でもね……そんなの方便、だよ……。きみが何もしていなくたって……きっと、同じことをしていたと思う……し……」

 

「そんなの、わからないじゃないですか! 確かなのは、セピアが僕に憎悪を抱いていたということですッ!」

 

 少年は、吠えるように反論した。

 

「僕が、もっと従順にさえしていれば! 皆、助かったかもしれない! 侍従長も、ダリアさんも、リリーさんも! 他の皆も、死なずに済んだかもしれないんだ!」

 

 それは、普段の理知的な彼からは考えられぬほど短絡的な思考だった。

 

 正常な判断力があれば理解できるはずなのだ。「四狗(しく)はイルシオンの民を邪竜の供物に捧げるのが目的だ」と看破したのは、他ならぬ少年自身なのだから。

 

 セピアが誰かを助ける気など、救う気など、(はな)からなかったことくらい、本当は分かっている。

 

 だが、こうして己の責任に転嫁しなければ、彼は今すぐにでも押し潰されそうだったのだ。

 

 いっそこのまま潰れて死んだほうがいいのかもとすら思い詰めるほど、その心は投げやりになっていた。

 

 

「……貴方らしくも、ありませんね」

 

 

 優しく声をかけたのは、先程まで謝罪の言葉を連呼し憔悴しきっていたはずの次期侍従長だった。

 

 他人が取り乱せば、人間はかえって落ち着きを取り戻すものなのか。

 

 彼女は一度深く息を吐き、少年に歩み寄ると、震えるその手を両手で優しく包み込んだ。

 

「貴方があの女の恨みを買ったのが事実なのだとしても、それはむしろ私たちにとって誇るべきことです。恥ずべきことなど何一つない。……皆が死んだのが貴方のせいだなんてこと、断じてあり得ません」

 

 彼女の膝元に縋り付いていた幼い双子の姉妹も、見たこともないほど錯乱した少年の様子に、泣くことさえ忘れて心配そうに顔を上げている。

 

 だが、少年にはその純粋な視線すらも、今は自分を責める刃に感じられた。

 

「慰めの言葉なんかいらない! 何が誇るべきことだ! 大人しくいい顔をして仕えるのが、侍従の仕事だっただろうに……ッ!」

 

 敬語すら忘れ、子供のように慟哭し続ける少年。

 包み込まれていた手を乱暴に振り払い、次期侍従長さえも拒絶したその時。

 

 

 

 

 

 鋭い破裂音が辺りに響き渡った。

 

 

 

 

 

 衝撃に、少年の視界が大きくゆがむ。

 

 拒絶の言葉を叩きつけた少年の頬を、今度は子爵令嬢が、その(てのひら)で烈火の如く叩き伏せていた。

 

 

「いい加減にしてッ!!」

 

 

 子爵令嬢の叫びは、もはや悲鳴に近かった。

 

 彼女の手は、親友を貫いた槍を握っていた時よりも激しく震えている。

 

「……自分だけが傷ついていると思わないで。自分だけが、リリーを殺した『殺人者』だなんて、思い上がらないでよ……!」

 

 彼女の目から、大粒の涙が溢れ出した。

 

 親友をその手にかけたばかりの彼女にとっても、少年の自罰的な言葉は、自分たちの存在意義すら否定される、耐え難い拒絶だった。

 

「知っていることがあるなら、隠さずにすべて話しなさいよ!……そうじゃなきゃ、貴方を支えることも、明日を信じることも、今の私たちにはままならない……ッ!」

 

 激情のままに少年の肩を掴み、泣きじゃくる子爵令嬢。

 

 その必死な眼差しは、少年を責めるためではなく、共に地獄を這いずるための「絆」を求めていた。

 

 独りで背負い、独りで完結させようとする。その気高さが、残された者たちにはどれほど残酷な壁に見えるか。

 

 そのとき。

 

 

 

『私たちって優秀なキミから見て、全然信用できない感じなのかなー?』

 

 

 

 四ヶ月前、5の月の昼下がりにそばかすの同僚が笑っていた言葉が、鮮烈に脳裏に蘇った。

 

 

 

『貴方には、明確な欠点があります。それは、何事も自分一人で完結させようとすることです』

 

 

 

 今は亡き侍従長の、厳しくも温かな叱咤も。

 

 あの穏やかなやり取りは──つい数か月前なのに──今や遠い過去の、届かぬほどに美しい思い出だ。

 

 皆が自分を大切にしてくれていた。あの時の紅茶の香りも、氷菓子の冷たさも、はっきりと覚えている。

 

 

 

『何事も一人で済ませようと思わぬこと。それが貴方の克服すべき課題です』

 

 

 

 直っていたつもりだった。だからこそ、ロサードやゴルドマリーを頼ったのだと。

 

 だが、自分はあの言葉の真の意味を、まだ理解していなかったのではないか。

 

 

 

『他人に頼れぬ者は、必ずそのことで足元を掬われます』

 

 

 

 頼る、とは何だ。

 

 それは、己の最たる弱みを見せた上で、相手を信じるということだ。

 

 少年は、オルテンシアには頼っていた。弱さを晒していた。寝室でも、日常でも。

 

 だが、それ以外の他者に対しては、やはり無意識に一線を引いていたのだ。

 

 長年の放浪で染み付いた孤独な生存戦略は、一朝一夕で剥がれるものではなかった。

 

 ……それもすべては意識次第。

 

 多くを失い、心に深い傷を負った今だからこそ。

 

 頼ろう。すべてを打ち明けよう。

 

 自分の戦いも、オルテンシアの現状も、すべてを分かち合おう。

 

 抱え込むのはもうやめだ。

 嘘偽りなく、すべてを明け透けにしなければならない。

 

 そして、認めよう。

 

 

 

 

 

 自分は──何も、悪くはなかったのだと。

 

 

 

 

 

「……ぁ……あ、ぁああ……っ」

 

 少年の瞳から、(せき)を切ったように涙が溢れ出した。

 

 力なく膝をつき、崩れ落ちる少年の体を、次期侍従長がそっと、そして壊れ物を扱うような慈しみで抱き寄せた。

 

 少年は導かれるまま彼女の胸に顔を埋め、幼子のように声を上げて泣き叫んだ。

 

 

「うわああああああああああああああん!!」

 

 

 それを見守る生存者たちは皆、一言も発することなく、ただその慟哭を──共有すべき「痛み」として受け入れていた。

 

 

*****

 

 

 時間を置いて、落ち着きを取り戻した少年はその場にいる者たちへ、先月オルテンシアから聞き出した真実と、一月前に自らが起こした行動のすべてを話した。

 

 ハイアシンス王を殺害したのは神竜ではなく、邪竜ソンブルであること。

 

 戦死したと報じられたアイビー王女は生存しており、現在はオルテンシアと共に神竜の軍勢に加わり、邪竜を討つべく戦っていること。

 

 そして、王女を逃がすために指輪を奪い、独断で策を弄したことがセピアの怒りを買ったのだ、ということ。

 

 侍従仲間、鎮圧の最中に辛うじて生き残った兵士、兵舎にいて駆けつけるのが遅くなってしまった精鋭、わずかな官吏(かんり)たち、怪我人の治療に当たる救護班。

 

 その全員が、少年が語り終えるまで一言も挟まず、固唾(かたず)を呑んで耳を傾けていた。

 

 率直に言えば、少年は怖かった。

 

 国全体が邪竜への狂信に染まり、打倒神竜を叫ぶこの地で、王女たちの「背信」を明かせば、激昂する者が現れるのではないか。

 

 そうなれば、いつか邪竜を倒して彼女たちが帰還したとしても、民から冷たい目で見られるのではないか。

 

──この国の邪竜信仰は、それほどまでに根深い。

 

 そう考えていたのだ。

 

 それでも、少年は決意した。

 

 真の意味で「頼る」とは、恐れていることさえも伏せず、すべてを明るみにすることなのだと。

 

 ……結論から言えば、懸念は杞憂に終わった。

 

 その場にいた者たちは、王女たちの生存を心から喜んだ。「神竜様と共に在るならば、必ずこの国を救ってくれる」と、一人の兵士が希望を口にした。

 

 邪竜信仰はこの国の国教であり、かつて国を救ったという伝説への恩義を忘れない民は多い。

 

 そんな背景もあり、ハイアシンス王らによる神竜信仰への弾圧は激しかったが、元来、この国は自由だった。

 

 邪竜を貶めぬ限り、何を崇めようと問題視されない。

 市井(しせい)の者たちにとっては、それが当たり前の世界だったのだ。

 

 教義に縛られているのは一部の貴族だけで、若者たちの信仰はもっと柔軟で、形のないものだった。

 

 何より、この場にいる者たちは、今しがた蹂躙(じゅうりん)された被害者か、あるいはそれを目の当たりにした者ばかり。

 

 仲間を無惨に殺された彼らにとって、もはやセピアが語る邪竜の正義など、反吐(ヘド)が出るような偽善でしかなかった。

 

 

 長きに渡る説明で、疲弊した少年。

 

 

 そんな彼に、最初に声をかけたのは次期侍従長だった。

 

「……今日まで、よく頑張りましたね。これほど重い真実を、たった一人で抱え込んでいたなんて」

 

「おかしいと思っていたわ」

 子爵令嬢が言葉を継ぐ。

「確証がなかったから言い出せなかったけれど、陛下を死に追いやり、この国を無茶苦茶にしたのは……やっぱり、あのセピアなのね。それを知っていて、よくぞ歯向かったものだわ……」

 

「……すみません。本当に、今まで伝えられなくて」

 

「伝えられなくて当然ですよ。どこで聞き耳を立てられているか分からない状況で、四狗(かれら)に心酔する者たちに知られれば……貴方自身の命が危なかった」

 次期侍従長が、いつかの日のように少年の頭を優しく撫でた。

 

 もう、少年に自罰の念はなかった。

 「自分は悪くない」と、その事実を認め、受け入れたからだ。

 

 同時に、過度な自罰は子爵令嬢に対する侮辱にしかならないと理解したことも大きい。

 

 彼女もまた親友を(あや)めるという地獄を背負ったのだ。

 「自分のせいだ」と悲劇を独占することは、彼女の負った傷を軽んじることと同義だった。

 

 仲間を失った悲しみは消えない。

 何か犠牲を出さない方法はなかったのかと、考えれば今でも身が震える。

 

 だが。足を止めるわけにはいかなかった。

 

「……セピアのことです。これで終わりとは思えません。きっと、次の一手を打ってきているはずです」

 

 その言葉に怯える侍従もいたが、直視せねばならぬ現実だった。

 次期侍従長も子爵令嬢も、重い面持ちで首を縦に振る。

 

「次の一手……」

 燃えるように赤い髪の兵士が、少年の言葉を反芻(はんすう)するように呟いた。

「……なぁ。各地を襲ってる『異形兵』の連中、あれって全部、邪竜やセピアの仕業と考えていいのか?」

 

「そうでしょうね」

 

 少年は同意した。

 異形と化したそばかすの同僚が、セピアの制御下で動いていた事実がすべてを証明している。

 

 人間に似た異形を自在に操れるのなら、各地を襲わせていたのも彼らの差し金に違いない。

 

 異形兵は人間を素体とする。

 

 ならば、各地を襲い、殺せば殺すほど、彼らの手駒は増え続けるということだ……。

 

 そこまで思考を巡らせたとき、赤髪の兵士の顔色が劇的に変わった。

 

 崩れ落ちそうなほど蒼白になった彼を、少年はとっさに支えた。

 

 どうしたのかと問うと、彼は震える声で絞り出した。

 

「……ヴァイオレットさん。確かなんだよな? あの女……セピアは、『城下と港に行く』って言ったんだな?」

 

「ええ、確かにそう言いました。それが、何か──」

 

 そこまで言って、次期侍従長も気づいてしまった。そして、少年も。

 

 異形兵を造り出せるセピア。

 

 活気に満ち、多くの民が密集して暮らす城下町と港町。

 

 つまり──。

 

 

「……俺のかあちゃん、ジーヴル港の宿で働いてんだ……」

 

 

 セピアが城に残ったのは、自分をいたぶるためだけだと思っていた。

 

 あるいは、それも理由の一つではあっただろう。

 

 だが、彼女が本隊と足並みを揃えなかった真の目的。

 

 言うまでもない。

 

 

 

──あの女は、町そのものを「新たなる尖兵」の苗床にするつもりなのだ。

 

 

 

 その瞬間。

 城門の方向から、騒々しい怒号と足音が響いてきた。

 

 一人や二人ではない。

 相当な数の人間が、なだれ込んでくる音だ。

 

「助けてくれ!」

「開けてくれ!  誰かっ! 殺されてしまう!」

 

 切実な叫びが、静寂を切り裂く。

 

 悪夢は、まだ始まったばかりだった。

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