FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第1章-2:復讐心と王女・中編

 名もなき少年は、瞬く間に城内の侍従たちの間で注目の的となった。

 

 まず、仕事の覚えが異常に早い。

 新たな差配を一度叩き込めば、数刻後には完璧にこなしてみせる。

 

 意地の悪い古参の女中が無理難題を突きつけても、彼は持ち前の機転で最適解を導き出し、相手をぐうの音も出ないほどに黙らせた。

 

 次に、その立ち振る舞いだ。

 どんな嫌味も柳に風と受け流し、疲弊した同僚には静かな励ましを送り、過酷な命令にも決して不満の色を見せない。

 

 そして何より、その容姿であった。

 (あるじ)であるオルテンシアが溜息を漏らすほど、男らしからぬ中性的な美貌。

 

 それは「本当に平民なのか」「記憶を失った亡国の貴公子ではないか」「妖精の村出身はだいたいこんな感じの雰囲気」という、根も葉もない、けれどどこか真実味を帯びた噂を城内に広めるのに十分なものだった。

 

 ……ただ一点。

 彼には「武」の素養だけが致命的に欠けていた。

 

 日々の重労働を難なくこなす体力はあっても、その肢体に強靭な筋肉が宿ることはない。

 兵士や騎士として身を立てる道は閉ざされている──それが周囲の一致した見立てだった。

 

 出会いから一年。オルテンシアは、すっかり彼を「お気に入り」として独占するようになっていた。

 

 他の侍従には見せない執着を見せ、彼の姿が少しでも見えなければ、王女自らが城内を捜し回るほどに。

 

 姉のアイビーは、彼を過信しすぎないよう優しく諭したが、当のオルテンシアはいつも上の空で生返事を返すばかりだった。

 

 ……そんな蜜月のような日々の裏側で、少年は必死に「心の刃」を研ぎ続けていた。

 油断すれば、この温かな安寧(あんねい)に毒を抜かれ、復讐の牙が抜け落ちてしまうという自覚があったからだ。

 

 原因は、オルテンシア。そしてアイビー。

 

 あんなに憎かったはずの「敵」が、今の少年の目には、ただの孤独な少女たちとして映り始めていた。

 

 殺すべき対象ではないのではないか……その疑念の芽は、日増しに大きく、深く、彼の心に根を張っていく。

 

 オルテンシアは確かに虚飾に(まみ)れた娘だ。

 けれど、決して愚かではない。

 彼女の発言の端々には鋭い知性が宿り、難解な魔道理論を語る姿は、実年齢を疑わせるほどに大人びていた。

 

 そして──何よりも。

 

 

 彼女はわずか七歳にして、実の母を亡くしているという。

 

 

 城内の噂話を繋ぎ合わせ、少年は一つの結論に達した。

 彼女の母の死因は、ハイアシンス王の正妻による陰湿な(いじ)めであると。

 

 側室、すなわち「(めかけ)」であったオルテンシアの母は、愛娘の居場所を守るため、必死に正妻に取り入ろうと道化を演じ続け、それ自体には成功したものの、やがて力尽きたのだ。

 

 オルテンシアの人懐っこい所作も、明るい笑顔も、すべては亡き母から譲り受けた「生き残るための武器」に他ならない。

 

 ……そうなのだ。

 

 いま、まさに名もなき少年自身が行っている「偽装」を、彼女はもっと幼い頃から、たった一人で続けてきたということだ。

 

 虚飾の仮面の下にあるのは邪悪さではない。

 ただ、凍えるような孤独に震える少女の心なのだと思わされた。

 

 そして、アイビーもまた、血みどろの後継者争いの中で母を亡くした被害者であった。

 側室を虐めていた女が果たしてどう死んだかはわからない。因果応報なのだろう。

 

 しかしどうあろうと、凛とした第一王女にとって、唯一信頼できる肉親は、父を除けば腹違いの妹であるオルテンシアだけという事実は覆らない。

 

 あの日、初対面の少年に向けられた冷徹な言葉は、妹を守る姉としての、精一杯の威嚇だったのではないか。

 

 それでも少年を迎え入れたのは、出会いの日にした「愛に飢えている」という考察が正しかったからかもしれない。

 

 対し、父ハイアシンスは娘たちを(かえり)みることもなく、何かに取り憑かれたように狂気に沈んでいる。姉妹がそのことに心を痛めているのは自明だ。

 

──殺そうとしている相手は、今を必死に抗い、生きようとしている、等身大の女の子。

 

 そう認識した瞬間、己の中の牙が崩れ落ちるような感覚に襲われる。

 

 その度、彼は自身の左手首に深く爪を立て、痛みを強制的に呼び起こす。

 

(これは逃避だ……! 死にたくないがために、殺さない理由を探して自分を納得させているだけだ。思い出せ、あの炎を。叫び声を。ハイアシンスがでっち上げた罪状で、すべてを焼き払ったあの光景を!)

 

 父の犯した罪は、その血を引く娘たちが(あがな)うべきだ。

 

 彼女たちが自分を信じ、無防備に背を見せている今こそが絶好の機会。

 

 アイビーは難しくとも、オルテンシアなら容易(たやす)く命を奪える。殺せ。今すぐに。刺し違えてでも、地獄へ道連れにするんだ。

 

 ……しかし。

 

 いつもありがとね、と、心からの信頼を込めて微笑む彼女を前にすると、少年の手は無力に震え、何もできなくなってしまう。

 

 その不甲斐なさが、何よりも口惜しく、亡き両親への申し訳なさに胸が引き裂かれる思いだった。

 

 

*****

 

 

 こうして、名もなき少年が、オルテンシアの細い喉元に刃を突き立てられぬまま、さらに一年が過ぎた。

 

 今やイルシオン王城にとって、勤勉で儚げな容姿の少年は「居て当たり前」の存在となっていた。

 未だにその素性を疑う声もあるが、彼を慕う多くの侍従たちの声が、それらの不信感をかき消していく。

 

──本来なら、暗殺など容易なはずだった。

 

 白昼堂々、衆人環視の中で隠し持った短剣を突き立てればいい。

 自分の命など、あの火の海でとうに捨てたものだ。一刻も早く、宿願を果たすべきだった。

 

 そんな折、少年にとって最悪の(しら)せが届く。

 

 雪解けを待たずして、オルテンシアが学園へ入学することが決まったのだ。

 

 出発は3の月の下旬。今は1の月の終わり。

 

 この機会を逃せば、彼女の命を奪う好機は永遠に失われるかもしれない。

 

 彼女には魔道の才覚がある。

 これを学園で開花させた彼女を前にしては、凶刃を振るったところで返り討ちに遭うのが関の山だ。

 

 焦燥(しょうそう)に駆られる少年に、思わぬ形で「二人きりの時間」をもたらしたのは、皮肉にも標的であるオルテンシア本人だった。

 

「あの……さ。ちょっと、二人きりで話さない?」

 

 緊張に強張った彼女の表情を見て、少年は最悪の想像を巡らせた。

 こちらの殺意に気づかれ、処刑の算段でも立てられたのではないか、と。

 

 ……重苦しい沈黙の中、気づけば彼女の寝室に辿り着いていた。

 

 毎日のように掃除で訪れる、目に痛いほどのピンクに彩られた部屋。

 

 しかし今は、すべての色彩が塗り潰されたような圧迫感が支配している。背後で「カチリ」と響いた鍵の音が、逃げ場のない処刑台の合図のように、いつまでも耳の奥で反響していた。

 

「あの……さ」

 

 永劫とも思える静寂を切り裂いたのは、オルテンシアだった。

 いつもの作り笑いは消え、白い額には一筋の汗が(にじ)んでいる。少年は、無意識に生唾を飲み込んだ。

 

「あ……あなたってさ。学園に行くつもりとか、な、ないわけ?」

 

「……はい?」

 

 予想だにしない問いに、少年は思わず素っ頓狂な声を漏らした。

 

「えっと……あ、記憶がないんだっけ。仕事があまりに完璧だから、つい忘れそうになるわね」

 

 彼女はわざとらしく咳払いをし、たどたどしく言葉を継ぐ。

 

「でも、みんなから聞いてて知っているでしょう? イルシオンの国民には、特別な事情がない限り、学園に通う義務があるのよ」

 

「……僕は、その『特別な事情』がある側に分類されるはずです」

 

 少年は静かに視線を落とした。

 

「記憶もなく、学園の費用を工面してくれる両親もいない。……侍従のお仕事では、お金も受け取っていませんし。無一文の僕には、不可能な話です。それとも、オルテンシア様が出してくださるのですか?」

 

 それは、ありえない願いだ。娘すら道具のように扱うハイアシンス王が、一介の侍従に金貨を投じるはずがない。オルテンシアの顔が、目に見えて暗く沈む。

 

「……あたしには、お金がないわ。お父様に頼み込みたいけど、最近、得体の知れない連中とばかり話してるし……。あたしの学園入学だって、話半分に聞き流されていたような気がするもの」

 

 消え入るような声で呟いた後、彼女は意を決したように顔を上げた。 

 

「じゃあ、あたしが学園に行ったら、あなたはどうなっちゃうのよ!?」

 

「……考えていませんね。そのまま残るか、去るか……」

(学園に行く、という未来は訪れない。行かせない。ここで、終わらせるのだから)

 

 胸の高鳴りが、激しさを増していく。

 この鼓動は、彼女に聞こえてはいないだろうか。

 

 今さら真意を悟られ、叫ばれたところで構わない。

 誰かが駆けつけるより先に、隠し持ったナイフが彼女の心臓を貫く方が早いはずだ。

 

 意を決して、(ふところ)の得物に手をかけようとした──その時。

 

「あのさ!! ずっと、ずっと思ってたの!!」

 オルテンシアの絶叫に、少年の肩がビクりと跳ねた。

「『あなた』とか『そこの子』とか、呼びづらいなって!」

 

「……はあ……?」

 

 何が言いたいのか分からず、少年は呆然と首を傾げる。

 

「だから! あなたに、あたしだけの特別な呼び名を与えたいと思ったの!」

 肩を震わせ、息を荒げながら、オルテンシアは叫ぶように告げた。

 

「『()()()()』!……ど、どうかしら」

 

「……どうと言われましても」

 

 あまりに場違いな響きに、反応が遅れる。すると、オルテンシアはわなわなと全身を震わせ、涙目で食ってかかった。

 

「何よ! あんだけ人の心を読んで動くくせに! 肝心の王女様が何を言いたいのか分かんないわけ!?」

 

 早口になり、大きな瞳に涙を溜めて、彼女は世界で一番残酷な告白を口にした。

 

「恋人になって、って言ってるの! ねえ、聞こえた!? あたしの、恋人に、なってよ!!」

 

──時間が止まる。そんな感覚がした。

 

 今、この密室を支配しているのは、感情を露わに叫んだオルテンシアの、肩を揺らす激しい呼吸の音だけだ。

 

「……え」

 

 何を告げられたのか、一瞬、理解が追いつかなかった。

 

 恋人。その単語の意味を知らぬほど幼くはない。かつて灰塵に帰した故郷で、もはや形すらおぼろげになった遠い記憶の中に、それにあたる温かな存在がいたような覚えが、かすかに残っている。

 

「あの──オルテンシア様……」

 

 自分は、復讐を果たすためにこの城へ潜り込んだ。人心を操り、誰もが自分を信じるように仕向けた。……いや、成功しすぎてしまったのだ。もし、彼女の言葉が真実ならば。

 

「からかって、おられる……わけでは?」

「……そう見える?」

 

 見えないからこそ、逃げ場がない。

 

 オルテンシアの顔から、いつもの張り付いたような愛想笑いは消えていた。二年間、影のように彼女に仕えてきた少年には分かる。今の彼女は、その魂の芯から真剣なのだ。

 

「……僕は、文字通り名もなき平民です。王女殿下には、もっと相応しい方が」

「関係ないわ」

 

 少年の絞り出した拒絶を、オルテンシアの言葉が鋭く遮った。

 

「あなたには、もう言葉を選ばない方が良さそうね」

 

 彼女は一度深く溜息をつき、乱れた呼吸を整えてから語り始めた。

 

「気の迷いかも、って自分でも思ったの。学園に行けば、あなたにはしばらく会えなくなる。……いいえ、卒業する頃には、あなたの姿すら消えているかもしれない。そう思うだけで、胸を掻き(むし)られるような心地がしたわ。これ、ただの寂しさなのかなって」

 

「オルテンシア様……」

 

「でもね。この数ヶ月、自分の気持ちを整理して分かったの。あたし、ずっとあなたの背中を、その仕事を、目で追っていた。最初は、可愛い子だからなんだって思っていたわ。でも、それだけなら。お父様のことや、魔道の難しい話をするたびに、どうしてこんなに安心するのかしら。お姉様や他の誰かじゃ、同じ気持ちにはなれなかったのに」

 

 その感情を「恋」と定義づけたのか。

 

 初めて触れる未知の揺らぎを、理知的に分析し、結論へと導く。いかにも聡明な彼女らしい残酷さだった。

 

「あたしの話を、黙って聞いてくれるあなたが好き。時々、過去を追うように瞳に影を落とす瞬間が好き。どんな理不尽な仕事も文句ひとつ言わずにこなす、その強さが好き。あたし好みの甘い料理を作ってくれる、その指先が好き。あたしの髪を誰よりも美しく整えてくれる、その優しさが好き。それから、それから……!」

 

「……もう、十分です。殿下のお気持ちは、痛いほど分かりました」

 

 自分が彼女を観察していた以上に、オルテンシアもまた、少年の深淵を覗き込んでいた。その事実に戦慄を覚える。

 

(僕が、復讐心で塗り固められていると知れば、その言葉も失われるに違いない)

 

 残された僅かな時間で、少年は思考を編み上げた。

 

 目の前の健気な少女に向けるはずだった刃。それがついぞ振り下ろされなかった理由。それは、この復讐に正当性など、最初から欠片も存在しなかったからだ。

 

 あの地獄の日、高らかに嗤っていたのは彼女ではない。標的を違えていることは、最初から分かっていた。それを認めてしまえば、生きる目的を失ってしまう。ただ、その空虚が恐ろしかっただけなのだ。

 

 では、彼女への恋慕はあるか。

 

 考えるまでもなかった。彼女の絶望的な境遇を知るたびに、心の奥底で育まれていた愛しさが、今はもう目を背けられないほど肥大している。

 

「……あなた、泣いているの?」

 

 驚きを露わにするオルテンシア。それが拒絶の涙か、あるいは歓喜の涙か、彼女には測りかねているようだった。けれど、少年自身も、頬を伝う熱い雫に驚いていた。その理由は、あまりにも明白だった。

 

「……身に余る、愛の告白です。けれど、僕にはそれを受け取る資格など……ないのです」

 

「資格?」

 

 聞き返すオルテンシアを、少年はそれ以上見ることができなかった。真実を打ち明ければ、彼女を修復不能なまでに傷つけてしまう。

 

 しかし──。

 

 彼女はすべてを見透かしたような瞳で、恐れもせず、静かに少年に歩み寄った。

 

 

 

「あたしをずっと、殺そうと考えていたから?」

 

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