FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第4章-1:決死の逃避行・前編

 城の外から響く阿鼻叫喚の地獄。

 

「安易に招き入れるのは危険だ。罠かもしれない」

 いかにも冷静そうな面立ちの、緑髪の兵士が槍を持つ手に力を込めている。

 

 だが、少年はそれを制した。

 

「開けてください。罠なら、セピアはもっと効率的なやり方を選ぶはず。今は、一人でも多くの情報を……生存者を確保するのが先決です」

「しかし……」

 

 渋る緑髪の兵士に対し、赤髪の兵士が剣を握りしめたまま意を決して言葉を継ぐ。

 

「……その子の言う通りにしようぜ、ローレル。何かあったら俺たちが守ればいい、そうだろ?」

 

 食い下がる相棒の姿に、緑髪の兵士は「そうだな」と覚悟を決めた。

 

 重い扉が解き放たれると、雪崩のように城下民がなだれ込んできた。

 

 その数、およそ百五十。

 

 血相を変えた彼らの姿は、イルシオン城下の人口からすれば、あまりに、あまりに少なすぎた。

 

 

*****

 

 

 彼らが落ち着きを取り戻すまでに四半刻を要した。

 

 怪我人も多く、救護班の手は回り切っていない。

 

 無傷で逃げ延びた男の証言が、少年の最悪の予測を裏付けた。

 

「……角が生えたみたいになってる、銀髪の女が飛竜に跨って現れたんだ」

 

 その特徴は、やはりセピアだった。

 

 男の証言を補足するように、惨劇を目の当たりにした者たちが次々に口を開く。

 

 空から降り立ったセピアが、冷笑と共に虚空から異形兵を召喚したこと。

 殺された者がその場で、あるいは数瞬後には「異形兵」として立ち上がり、かつての隣人に牙を剥いたこと。

 

 少年の中で、ひとつの正解が導き出される。

 

(生きている人間を異形兵に変えている……わけじゃなさそうだな。死体を素体にできるのか。だとすれば、殺せば殺すほど、兵力が増える仕組みなんだろう。異形兵にするには──)

 

 人々が逃げ延びられたのは、単なる幸運ではない。

 

 異形兵が別の獲物を組み伏せ、その息の根を止めることに固執した隙に、背後を走り抜けてきたからこその生還。他者の断末魔が、彼らの逃げ道を作ったのだ。

 

 ……セピアは満足ゆくまで城下を蹂躙(じゅうりん)した後、今度は港の方角へと飛んで行ったのだという。

 

 そしてジーヴル港でも同じことが起きたそうだ。

 逃げ出せた僅かな者たちが、そう証言した。

 

 そこには、命からがら逃げてきた宿屋の主人の姿もあった。

 赤髪の兵士にとっては、馴染みの顔である。

 

 しかし──そこに彼の母親の姿はなかった。

 

「おい、おじさん……かあちゃんは!? 俺のかあちゃん、一緒にいたはずだろ! どうしたんだよ!」

 

 赤髪の兵士が主人の胸ぐらを掴む。

 だが、主人の返答は残酷だった。

 

「……すまねえ。あいつは、もう。港で、一撃を食らって……」

 

 その後の姿を見る間もなく、一目散に山の上の城まで走り抜けたのだという。

 

 その頃には城下も阿鼻叫喚の地獄と化しており、共に逃げた友人も置いてこざるを得なかったのだと主人は項垂(うなだ)れる。

 

 彼の母親もまた、今頃は異形兵として町を暴れまわっているのだろう。

 赤髪の兵士の腕から力が抜け、その場に膝をついた。

 

「……おかしな奴らもいたわ。異形兵と一緒に、イルシオンの兵士たちが同じように皆を殺し回っていたの」

 避難民の女性が語る、不気味な証言。

「まるで与えられた仕事だとでも言うように、淡々と……無表情で……」

 

 その言葉は、凍てつくイルシオンの夜風よりも鋭くこの場にいる者たちの胸を刺した。

 狂気すら宿さぬ瞳で、かつての隣人を、友を、あるいは家族を手に掛ける。

 

 それは信仰ゆえの凶行か、それとも──。

 

 ……さらに、この一ヶ月の不穏な「欠員」の理由も、人々の口から明らかになっていく。

 

「兵に連行されたまま戻らない者がいた」

「仕事に行ったきり帰ってこない同僚が何人も」

「邪竜様の使徒である四狗(しく)を拝むと言って消えた身内がいる」

 

 なんということだろうか。

 

 すべては、この日のための「備蓄」だったのだ。

 

 セピアとソンブルがひと月かけて、あるいはそれ以上の時間を用いて溜め込んでいた尖兵を、軍が戦地に向かったタイミングで一気に解き放ったのだろう。

 

 

『イルシオンの民よ。ソンブル様の庇護の下、清らかなる「生まれ変わり」を果たす時が来ましたわ』

 その生まれ変わりというのは、異形兵に、という意味だったのだ。怒りが沸いてくる。

 

『命懸けで戦い、愛するイルシオンを豊かにすることこそが、ハイアシンス陛下のご遺志なのです』

 何もかも嘘っぱちだった。この場にいる全員が、それを痛感したはずだと少年は思った。

 

 

 だが、静寂を引き裂くように、一人の男の怒鳴り声が響く。

 

 

「……ソンブル様への敬意が、足りなかったせいだ」

 

 

 避難民に混じっていた侯爵の男だ。

 

 肥えた身体に整えられた髭。

 少年も、彼が何度か城へ登城した姿を見た覚えがあった。

 

 男は目を見開き、天を仰いで叫ぶ。

 

「信仰心が足りなかったから、神罰が下ったのだ! 邪竜様の怒りを鎮めるには、お前たちのような信仰の薄い民を、供物として捧げるしかないのだ!」

 

「……いいえ」

 少年の冷ややかな否定が響く。

「こうなったのは信仰のせいではありません。邪竜ソンブルは、この国をただの餌場としか見ていないのです」

 

「貴様、不敬だぞ! 本当にソンブル様のせいだとしたら、それは我々の不徳ゆえだ! 供物になれ! 貴様らが死ねば、私は助かるのだ!」

 

 錯乱し、周囲を指さして喚き散らす侯爵。見かねた子爵令嬢が割って入る。

「黙りなさい、侯爵! 相手が邪竜であろうと、民を守らぬ存在に拝む価値などないわ!」

 

「……見覚えがあるぞ。貴様、ブルガリズ卿の娘だな? 子爵の娘ごときが、この私に歯向かうというのか!」

 

 侯爵の咆哮に、次期侍従長に縋っていた双子の侍従が、恐怖のあまり泣き崩れた。

 

 少年は深呼吸をし、周囲を落ち着かせるように声を張った。

 

 侯爵は混乱しているだけだ。

 

 命を奪われるという危機を前に、あらぬ論理を持ち出さねば精神を保てない。

 

 それは先程までの自分も同じだった。

 故に、彼を責め立てる気にはならない。

 

 だが……もはや話が通じる状態でないのも事実。

 優先すべきは、目前の脅威だ。

 

「……ソンブルが原因である以上、城の中も安全とは言えません。彼らは『素体』があれば、どこからでも──」

 

 少年の言葉が、途切れた。

 暗がりの廊下から、避難民とは別の、無造作な軍靴の音と鎧が擦れ合う音が響く。

 

 

 三体。

 

 

 それぞれが剣を、槍を、斧を引き摺り、虚ろな眼窩(がんか)に赤黒い光を宿した異形兵が、静かに、だが確実に彼らとの距離を詰め始めていた。

 

 三体の異形兵は、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく、飢えた獣の如き速さで襲いかかってきた。

 悲鳴が渦巻く。民たちは逃げ惑おうとパニックに陥る。

 

 しかし、少年は冷静さを失わず、喉を裂かんばかりの声で叫んだ。

 

「怯えないでください! 異形兵は殺せます! おそらく──異形兵を再度、異形兵にすることはできない!」

 

 あるいは、こちらは言わなかったが。

 

 異形兵とするにはセピアや邪竜がその歪な魔力を注ぎ込む必要があるのかもしれない。

 

 しかし、その場合でも、異形兵だったものに対して行えない制約があるのでは、と考えた。

 

 確証はない。

 だが、もし倒した側から死骸が何度でも起き上がるのなら、大量の個体を用意する必要はないはずだ。

 

 そんな無敵の軍勢であったなら、かの神竜の軍勢とて「奇跡の行軍」など不可能だっただろう。

 

 何より、親友の手で葬られたそばかすの同僚の死体は消えてしまっているのだから。

 

 以上の根拠をもって、少年はあえて、断定するように言い切った。

 

 その直後、赤髪の兵士に槍の穂先が迫る。

 

 剣で受けようとしたが、異形の剛力に弾き飛ばされた。

 得物が手から離れ、無防備な胸元へ斧が振り下ろされる。

 

「あ、しまっ……!」

 

 死を覚悟した赤髪の兵士。

 

 そこに、鋼の壁が割り込んだ。

 

「……下がってろ」

 

 無骨な重騎士が巨大な盾で斧を正面から受け止めた。

 火花が散り、凄まじい衝撃音が響く。

 

「た、助かった、カラバッシュ……」

「礼はいい、早く剣を拾えグラディオ。お前がそんな様子では、守り切れるものも守り切れん」

 

 盾に弾かれ、体勢を崩した斧の異形兵。

 その隙を逃さず、緑髪の兵士が掛け声と共に鋭く踏み込んだ。

 

 槍が異形の胸を正確に貫く。

 赤黒い光が消え、糸の切れた人形のように怪物が崩れ落ちた。

 

「よし、倒せるぞッ。異形兵は不死身じゃない!」

 

 気勢を上げる緑髪の兵士。

 その言葉を受け、(くすぶ)っていた赤髪の兵士の心にも闘志が宿る。

 

「……塞ぎ込んでる余裕、ねえよな。かあちゃん! 見ててくれよッ!」

 

 母親の死を振り切り、赤髪の兵士が剣を拾い上げる。

 同時に槍の異形兵の懐へ飛び込み、渾身の体当たりで転倒させた。

 馬乗りになってその喉元へ、深々と剣を突き立てる。

 

 優勢だ。傷一つ負わずに倒せている。

 イルシオンの兵は、苦境にあって尚、優秀な者たちばかりだった。

 

 だが、残る剣の異形兵は怯まなかった。

 仲間が二体倒されようと、恐怖も動揺もなく淡々と最短距離で獲物を狙う。

 

(感情がない……当然か)

 

 そう思った、次の瞬間。

 

 少年は目を見開いた。

 

 異形兵は、自分を討とうとする兵士たちを無視し、無防備な民の方へと切っ先を向けたのだ。

 

(獲物の選別ができるのか!?)

 

 唸り声を上げて全速前進してくる異形兵に、戦う術を持たない者たちは恐怖するしかなかった。

 先程、民を供物に捧げよと唱えていた侯爵などは泡を吹き始めている。

 

 元が死体とは思えぬほどの運動能力をもって、異形が跳躍する。

 その威力を乗せて、近くの民へ刃が振り下ろされようとしている。

 

 

──間に合わない!

 

 

 重騎士の大盾は離れた位置にあり、赤髪と緑髪の兵士も、たった今倒した異形の骸から武器を引き抜くのに僅かな時間を奪われていた。

 

 誰も、救護に入れない。

 標的となったのが具体的に誰なのかも判然としない。

 

 次期侍従長に縋っていた双子の侍従たちが、互いを強く抱きしめ合って死の恐怖に悲鳴を上げていた。

 

 少年は無意識に手を伸ばす。

 

 だが、こんな細い腕が届くはずもないし、届いたところで凶刃を止められるはずもない。

 

 自分の無力さが歯痒い。

 理不尽な死が目の前で叩きつけられる光景を、ただ見ていることしかできないのか。

 

 無慈悲に振り下ろされる刃が空気を切り裂く。

 

 その死の軌跡を、少年は絶望と共にスローモーションのように感じ取っていた。

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