FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第4章-2:決死の逃避行・中編

「……させるもんですかッ!」

 

 絶望の刃が振り下ろされる直前。

 空気を切り裂く甲高い風切り音と共に、一条の銀の線が虚空を貫いた。

 

 子爵令嬢が渾身の力で放った槍が、凶刃を振り下ろそうとしていた異形兵の側頭部を正確に貫き、そのまま背後の柱へと深々と縫い付ける。

 

 空中で動きを止められた怪物は、びくんと大きく一度だけ痙攣(けいれん)し、やがて、完全に沈黙した。

 

(武芸百般を叩き込まれているとは聞いていたけど……凄いな、ライラさん)

 

 絶体絶命の危機を救った彼女の武勇を、少年は内心で称賛した。

 

 と同時に。

 

 

──いつも似たようなことを思うけれど、ただ絶望して手を伸ばすことしかできなかった己の細腕が、ひどく情けなく、呪めしい。

 

 

 ……戦闘終了。

 

 その場に居た者たちが一斉に、張り詰めていた息を安堵の溜息へと変えて吐き出す。

 

 赤髪の兵士はわざとらしく声を張り上げ、「よっしゃあ!」と剣を掲げてみせた。

 そうして無理にでも自身を高揚させていなければ、母親を失った現実に心が押し潰されてしまうのだろう。

 

 緑髪の兵士は冷静に穂先の血を(ぬぐ)い、すでに次の襲撃に備える鋭い目付きをしている。

 

 重騎士はどっしりと構えた姿勢から少しだけ力を抜き、荒ぶる鼓動を落ち着かせるように静かに目を閉じていた。

 

 そして子爵令嬢は、異形兵の頭から槍を引き抜くと、かつての同胞だったものへ向けて「ごめんなさい」と祈るように静かに呟いた。

 

 目前の脅威を退け、今回は無事に乗り切った。

 倒した異形兵たちはやがて霧となって掻き消えた。

 

 しかし。

 

 

──これから、どうするか。

 

 

 ソンブルが玉座に鎮座している以上、この城そのものが巨大な胃袋のようなものだ。留まれば、確実に食い尽くされる。

 

 少年の思考をかき乱すように、重騎士が口を開く。

 

「……上階に何十……いや、百近くだ。玉座の間から、この階に向かっている。動きは恐ろしく鈍いが、いずれ、ここへ到達するだろう」

 

 重騎士の耳が捉えた音はやがて、少年たちの元にも届いた。

 

 雷鳴のように重く、テンポの遅い轟音が、処刑を宣告するように近づいてくる。

 

 邪竜ソンブルが、けしかけたに違いない。

 

 民たちは再び恐怖し、混乱の極致にあった。

 これ以上は肉体的にも精神的にも、疲弊が続き限界だ。

 

 いくら不死身ではないとはいえ、異形兵の総数は掴めない。

 

 運良く今接近している群れを殲滅できたとて、第二陣、第三陣が来ればこの人数では到底耐えられない。

 

「やれやれ、なりふり構わなくなってきたな。邪竜ソンブルは、国を滅亡させるおつもりらしい」

 

 緑髪の兵士が忌々しげに上を睨む。

 

──当然、そんな暴挙を許すわけにはいかない。

 

「……他に戦える者はいますか。兵士でなくとも構いません。武器を振るえる、魔道を使える、回復の杖が使える……。心得がある者は、全員集まってください」

 

「どうする気……?」

 

 少年の決意を宿した瞳に、子爵令嬢が問いかけた。

 

 答える前に──少年は内心で、自嘲気味に苦笑した。

 

 これではまるで軍師ではないか、自分には向いていないと先日思ったばかりなのに……と。

 

 しかし、今回ばかりは己の「趣味」に感謝した。

 

 自分ならどうするか。常にそう考え、考察する遊びに興じていた日々が、今ここに繋がっている。

 

 人々を救える可能性があるのなら、奮わぬ理由などあるはずがない。

 

「僕がなんとかします。これ以上、誰一人として死なせません」

 

 

*****

 

 

 少年の号令に応じ、集まった人数は想定より多かった。

 

 先程まで共に死線を潜り抜けた赤髪の兵士、緑髪の兵士、そして無骨な重騎士。

 その隣には、返り血で汚れた侍従の制服を厭わぬ覚悟で槍を握り直す子爵令嬢の姿がある。

 

 他、城兵が数名。先程、脇腹を抑え、満身創痍ながら少年を制止した人物もここに含まれる。

 傷の応急処置は済んでいるが、異形兵への畏れから身体が震えてしまっている。

 戦力としてはアテにしない方がいいかもしれない。

 

 さらに、震える手で杖を握りしめた救護班が数名。

 彼らの顔は青ざめていたが、背後に控える避難民たちの怯えた視線が、彼らを辛うじて踏みとどまらせていた。

 

 

 それに加え、新戦力として名乗りを上げた者が二名。

 

 

 一人は、本来フィレネ王国への遠征に駆り出されるはずだった飛行兵団の少女。ペガサスを駆る天馬兵なのだそうだ。

 

 青髪を二つ結びにした彼女は、先程までの騒乱の間、どこにいたのかと問われれば顔を赤らめるしかない。

 昨日の食事で食当たりでも起こしたのか、激しい腹痛に襲われ、あろうことか異形化した「そばかすの侍従」の一件が終わるまで(かわや)に籠もっていたという。

 

 一時は船室で震えていようとも考えたらしいが、込み上げる胃の腑の痛みがそれを許さなかった。

 

 後からペガサスで本隊を追いかける手筈だったが、当然ながら軍規を無視した単独行動であり、上官の許可など得ているはずもない。

 

「遅刻した結果、こうして民を守る機会に恵まれたのなら、け、結果オーライ……ですよね? は、はわわ……」

 

 引きつった笑みを浮かべて(うそぶ)く彼女の所作は、いちいち頼りない。

 

 だが、彼女の槍捌きを知る無骨な重騎士は「筋は悪くない。扱いだけなら並の兵士を優に上回る」と短く評した。

 

──その言葉の信憑性は未知数だが、機動力に長けた飛行兵の存在は、この撤退戦において唯一の光明、作戦の要になるはずだ。

 

 

 そして、もう一人は静かな物腰の老紳士。

 

 傍でおろおろする妻を余所(よそ)に、先程、彼は絶命した兵士の遺体から重い鎧を剥ぎ取り、慣れた手つきで剣の重みを確かめていた。

 その一連の動作に、躊躇(ためら)いの色は微塵もなかったように見受けられた。

 

「ガランサス様……!? 戦地に向かわれていなかったのですか……?」

 知っている顔なのだろう、次期侍従長が驚きに目を見開く。

 

 対して老紳士は、静かな、しかし通る声で返した。

 

 昨日、少年が広場で見かけた「雷霆(らいてい)の賢者」リンデンのように魔法を操れるわけでもなく、老体で武器を振るうのも無理があると判断され、数日前、徴兵の担当を彼の身を案じた妻が鬼の形相で怒鳴り散らし、退散させたのだ、と。

 

 今も不安げに夫の袖を引いている婦人だが、平時は随分と気が強いようだ。

 

 老紳士は、逃げ惑う群衆の中で己の無力さを痛感し、若者たちの盾となるべく再び剣を取る決意を固めていた。

 

「時間がないんだ。すまないね、かあさん」

 (すが)る妻の手を優しく、だが断固として振り払うその背中には、老いを感じさせぬ確かな覚悟が宿っていた。

 

 

 戦力は、総勢十余名。百五十人以上の民を守り抜くには、客観的に見ればあまりに心もとない数字だろう。

 

 何より、広範囲を殲滅できる攻撃魔法の使い手が不在という事実は、重い不安となって少年の肩にのしかかる。

 

 だが、風の噂に聞く神竜の軍勢は、常に少数精鋭で、数倍もの敵を相手に苦境を塗り替えてきたという。

 

 彼らには伝説の紋章士の加護があり、こちらは指輪一つない。

 

 しかし。

 理不尽な暴力から誰かを守るために剣を振るうという点において、その重みに差などないはずだ。

 

(必ず生き延びてみせます。……見ていてください、オルテンシア様)

 少年は、その決意を、消えない炎へと変える。

 

「それで、具体的に何をするんだ。……おい、もう奴らが来ちまうぜ」

 赤髪の兵士が、苛立ちを隠せずに促した。

 

 石造りの廊下を震わせる、重く鈍い足音。

 

 それは統制の取れた軍勢の響きではなく、ただ肉を喰らうことだけを目的とした怪物の進軍音だ。

 

 遠く、階段から、死の気配が確実に降りてきている。

 

 少年は、全員の視線を一点に集め、決然と言い放った。

 

「城を出て……山を下り、北西へと脱出します」

 

 

──オルテンシア様がかつて通っていた、王立イルシオン学園を目指す。

 

 

 城内に安息の地が潰えた以上、今考え得る唯一の希望はあそこしかない。

 

 王都から遠く離れた山中に位置するその学園は、地理的には城よりも宿敵ブロディアの国境に近い。

 

 かつて彼女が寄越した手紙には、誇らしげにこう記されていた。

 

 

『あたしの通ってる学園ね、高い壁に囲まれた、ちょっとした要塞みたいなの。魔道研究がメインなんだけど、士官学校としても国内最高峰なのよ。かつてブロディアとの戦いで名を馳せた老練な騎士たちが教鞭を執っていて、有事の際には周辺住民の避難所にもなる、難攻不落の学び舎らしいわ。ブロディアの精鋭ですら一度も突破できなかったって、先生が自慢してたわ。凄いでしょ?』

 

 

 ……今こそ、その堅牢な壁に(すが)る時だ。

 

 だが、そこに至る道のりは絶望的に険しい。

 

 怪我人と老人を抱えたまま、凍てつく山道を下り、(ふもと)で待ち構えているであろう異形兵の包囲網を突破しなければならない。さらに背後からは追っ手が迫る。まさに挟撃の地獄だ。

 

 放浪生活で培った少年の地理感覚が、もうひとつ残酷な現実を突きつける。

 

 自分の足なら三日の道のりだが、この大所帯では、どれほど急いでも五日──いや、楽観的過ぎるか。十日は見なければならないだろう。

 

 十日間、下手をすればそれ以上。

 

 一瞬の油断が全滅に直結する、長く過酷な撤退戦。

 

 全員を生かすなど、机上の空論に過ぎないのかもしれない。

 

 だが、躊躇(ちゅうちょ)する時間は一秒たりとも残されていなかった。

 

──できるかじゃない、やるんだ。……やり遂げるしか、道はない。

 

 少年は自分自身に言い聞かせるように呟くと、鋭い指示を飛ばした。

 

「まずは二手に分かれます! 馬に乗れる者、馬術の心得がある者は厩舎(きゅうしゃ)へ向かってください! 繋がれている馬をすべて解き放ち、城内を撹乱(かくらん)します。ただし、足の速い数頭は確保して。怪我人を乗せるための貴重な足にもなります。その隙を突いて、一気に山を駆け下ります!」

 

 少年の迷いのない指示に、一瞬だけ兵士たちの間に驚きが走った。だが、迷っている暇はない。

 

「……面白(おもしれ)えじゃんか。ただ逃げるだけじゃ、どのみち背中を刺されるからな。やってやろうじゃねえか!」

「ああ。イルシオンに勝利を捧げよう」

 赤髪の兵士が不敵に笑い、緑髪の兵士と視線を交わした。

 

「全員、絶対に生き残りましょう。……絶対に!」

 

 少年の張り詰めた叫びが、その場の全員の恐怖を一時的にでも吹き飛ばした。

 

 もはや「名もなき端役」などではない。

 

 彼は今、この場にいる二百名弱の命を支える、唯一の道標(みちしるべ)となったのだ。

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