FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第5章-2:脱出・その2

「待ってくれ少年。上空からランタンを投げたのとは訳が違うんだ」

 

 緑髪の兵士が少年の作戦を制するように手を挙げた。

 

 先程、城門の内側で刃を交えた異形兵は近接攻撃を主体とする者ばかりだったが、異形兵の中には弓を引く者や、魔道の心得がある者が混じっているという情報を人づてに聞いたことがある。

 

 それが町の中にはいるかもしれない、という懸念を提示した。

 

 ペガサスは魔法への耐性こそ高いが、何より「弓」が天敵だ。

 大きく翼を広げて飛ぶ以上、地上の射手にとっては格好の的であり、わずかでも翼に矢が突き立てば、ペガサスは激痛から狂乱し、制御不能に陥る。

 

 馬上から振り落とされ、成す術なく地面に叩きつけられる──それが飛行兵にとって最も多く、そして最も惨めな死に方。

 

 少年もかつて愛するオルテンシアと共に読んだ戦術書で得た知識であり、その光景を想像して指先を震わせた。

 

 

──だが、それでも陽動なしにこの行軍は成立しない。

 

 

 デスタン大教会は、城下町の喧騒から大きく南西に外れた静域にある。

 

 だが、百五十名にも及ぶ疲弊した民を引き連れ、総勢二百名あまりの集団が、何の策もなく、一切の物音を立てずにそこまで踏破するなど、不可能に近い。

 

 さらには、地下道の具体的な入り口すら判明していないのだ。

 入り口を捜索している間に、城下や港から押し寄せる異形の群れに感づかれれば、そこが全員の墓場となる。

 

 最悪のシナリオを回避するには、どうしても、敵の視線を「空」へと釘付けにする陽動が必要だった。

 

「……いいことを思いついたぜ」

 赤髪の兵士がポンと手を鳴らし、名案を披露するかのようにしたり顔で言った。

「その侯爵さんを、それこそランタンみてーに空から投下すりゃいいんじゃねえか? 邪竜の供物になりたがってるみてえだし、本望だろ」

 

「いいですね、それ! 採用しま──」

「採用するわけないでしょうが」

 

 天馬兵の少女が目を輝かせて乗りかかったところを、子爵令嬢が呆れ顔で一喝した。

 

「やれやれ。グラディオの気持ちがわからないわけでもないけどね。でも侯爵だって人間だよ」

 緑髪の兵士が、さも分別があるといった様子で肩を竦めた。

 

「おめえが最初に言ったことだろうがよ、ローレル……」

 赤髪の兵士の呆れたようなツッコミに、周囲にいる者たちの口元がわずかに緩んだ。

 

 ……単なる冗談とは分かっている。

 

 しかし、少年にとって、たとえ侯爵がどれほどの不遜を重ねようとも、その命を犠牲にする選択肢は存在し得なかった。

 

「……陽動に支障が出る以上、侯爵閣下は私の馬の背に乗せましょう」

 

「はわわ……助かります。ディートバがかわいそうだったのでえ……」

 

 天馬兵の少女の切実な訴えを受け、重騎士は気絶したままの侯爵を、今度は老騎士の馬の背へと預け直した。

 

 老騎士の背に力なく寄りかかり、侯爵は「うーん、うーん」と呻いている。

 先程殴られた瞬間の衝撃が、夢の中でも繰り返されているのかもしれない。

 

「……あー! クソっ、やっぱ心配だぜ! バニラちゃんが死んじまうかもしれねえって思うとなあ! 飛べる必要があるってんなら、俺がそのペガサスに乗って、囮になってやるよ!」

 

 赤髪の兵士が意を決したように叫ぶが、天馬兵は静かに首を横に振った。

 

 ペガサスは乙女しか背に乗せぬ気高い生き物。作戦で止む無く男が同乗することは許容できても、男に手綱を握らせることはない。

 故に自分にしかできない役目なのだと、彼女は愛馬の首筋を優しく撫でた。

 

「はわ……心配されても仕方ないです。私、頼りないですもんね。でも……やります。やらせてください」

 

 その瞳に宿ったのは、先程までの弱気さを払拭するような、強く澄んだ決意だった。

 心配そうに見つめる兵士たちも、その少女の気迫に呑まれるほか、道はなかった。

 

 もし、歴史に名を残す名軍師であれば、誰も傷つかず、危険にすらさらされない完璧な道筋を瞬時に描き出すのかもしれない。

 

 だが少年には、経験も、知識も、あまりに不足していた。

 どれほど思考の迷路を彷徨(さまよ)っても、彼女という唯一の翼を死地へ送り出す以外の回答に、辿り着くことができない。

 

 またも自己嫌悪の闇が脳裏を掠めた、その時。

 

 仲間が、少年の掲げる「誰も死なせない」という不器用な理想を補強するように、知恵を差し出した。

 

 軍師といえど人間。

 穴だらけの策を、信頼という(くさび)で埋めていく仲間こそが、何よりの宝なのだ。

 

 その役を今回担ったのは、緑髪の兵士だった。

 

 彼は携帯していた手槍を数本、天馬兵の少女へと差し出した。

 手首の重さ程度しかない投擲用の槍は、女性でも容易に扱える代物である。

 鉄拳で男を気絶させられる彼女なら、特に容易いだろう。

 

「これを持っていくんだ。当てて倒す必要はない。上空から敵の只中(ただなか)に投げ込み、注目を引ければそれでいい。ただし、弓の射程には細心の注意を払うんだ。飛行兵団の訓練で、どれほどの高度を保てば矢が失速するか、学んだだろう?」

 

 

──誰かの助けを得て、前に進む。

 

 

 亡き侍従長がかつて言っていた。

 それが少年に欠けているものであり、乗り越えるべき課題なのだと。

 

 なかなか克服できない自分の弱さに苦笑いしながらも、心強い補佐を得て、少年は付け加えた。

 

「……ですが、敵から姿が見えなければ意味がありません。弓が当たるか、当たらないか。ギリギリの高度を保ちながら、執拗に敵を挑発し続ける必要があります。それはローレルさんの言う通り、あまりに危険な──」

 

「大丈夫ですよ。できます」

 

 少年の震える声を遮るように、天馬兵の少女ははっきりと、胸を張ってみせた。

 

 

*****

 

 

 天馬兵の少女が夜空へと溶け込む前、少年はいくつか約束をさせた。

 

 絶対に無理をしないこと。自分の命を最優先にすること。そして、危ういと感じれば自身の判断で北西へ脱出すること。

 

「あらぬ方向に飛んで迷子になったりしない?」

 子爵令嬢は不安を口にしたが、当の本人は杞憂だとばかりに笑い飛ばしてみせた。

 

 海のど真ん中からでも確実にイルシオン王城へと戻れる天性の方向感覚があるのだと、自慢げに胸を張っていた。

 緑髪の兵士や重騎士も間違いなしと保証してくれたことから、飛行兵としての腕は確かなのだろう。

 

 彼女が死地へと舞い上がるのと同時に、短い休息を切り上げ、少年は集団を出発させた。

 

 気絶したままの侯爵は、未だに悪夢にうなされ呻いている。

 不平を喚き散らす者がいないというだけで、行軍の足取りは幾分か軽くなった。

 

 怪我人や老人を抱えた歩みは鈍かったが。

 ……やがてデスタン大教会がその姿を現した。

 

 先日、ハイアシンス王が邪竜ソンブルに噛み砕かれ、静寂の墓場と化したという場所である。

 

 かつては聖域と呼ばれたそこが、先日まで邪竜の拠点となっていた事実に少年は妙に納得していた。

 

 確かにこれほど人里離れた場所ならば、何が起きていても気づかれることはなさそうだ。

 実際、オルテンシアが父王と共に神竜の軍勢とここで激戦を繰り広げたらしいが、その噂すら城内には届いていなかったくらいなのだから。

 

 公的には打ち捨てられたはずの大教会。ハイアシンス王か四狗(しく)が司祭たちを追い立てたのか、あるいは邪竜復活という餌をぶら下げて味方につけたのか。

 

 いずれにせよ、闇に紛れて(うごめ)くにはおあつらえ向きの場所だと感じた。

 今となっては無駄に大きいだけの人気(ひとけ)がない地となってしまっているようだが……。

 

 

──しかし。地下道というのはどこにあるのだろう。

 

 

 少年の疑問を見透かしたかのように、隣で馬を並べる老騎士が静かに口を開いた。

 

「墓場です。王家の墓所が、地下道への入り口となっております」

 

 かつて王兄の近衛を務めていた彼は、有事の際の退路として、その場所を直接示されていたのだという。

 

「それにしても城からは遠すぎますな。墓所としてはともかく、王家の避難路としては、打ち捨てられて当然の距離でしょう」

 

 ……だが、その忘れ去られた道こそが、今、逃げ惑う民を救う唯一の希望となっている。

 

 歴代の王も草葉の陰で、自らの墓が盾となることを誇らしく思ってくれるに違いない──老騎士はそう締めくくった。

 

 少年は、オルテンシアとアイビー、ハイアシンス王以外に王族を知らない。

「あの姉妹以外は全員、愚王のような冷酷さを持っているのだろう」という根拠のない偏見しかなかったため、その言葉に肯定も否定もできなかった。

 

 さて、墓所が入り口となれば、内部は相当な狭さが予想される。

 

 二百名近い避難民を全て入れるのは時間がかかるだろう。

 

 それに馬。どうすればいいのか、と老騎士に尋ねると、意外な答えが返ってきた。

 

 馬と共に離脱できる設計になっており、入り口さえ抜けてしまえば、間違いなく異形兵の追撃からは完全に逃れられるというのだ。

 

 脱出した先で待ち伏せを食らわぬよう、敵の機動力を上回る速度で街道へ突き抜ける──。王家の安全を担保するための、冷徹なまでに合理的な設計思想がそこにはあるのだと。

 

 教会の周囲に異形兵の姿はない。

 ソンブルさえも預かり知らぬ隠し通路。

 

 少年は胸を撫で下ろした。もしこの道が、ただ人を死なせるだけの無為な選択だったなら──そんな最悪の想像が、ようやく霧散していく。

 

 デスタン大教会まで、あと僅か。開けた街道を突き進めば、目的地は目の前だ。

 

 

 ……しかし。

 

 その希望を踏みにじるかのように。

 

 

「クエエエエエエッ!」

 

 

 上空から、空気を引き裂くような獣の叫びが降り注いだ。

 

 

──グリフォンだ!

 

 

 それは、ペガサスや飛竜を凌ぐ体躯と耐久力を持ち、運搬や強襲に用いられる有翼の獣。

 

 気性が激しく熟練の乗り手でなければ扱うことすら困難な「空の王者」が、夜闇の向こうから迫っていた。

 

 飛来する影が味方であるはずがない。

 

 それは、燃え盛るイルシオン王城の方向から、一直線にこちらを目指していたのだから。

 

 

「異形兵が乗っています! 上空に、計五体!」

 

 

 薄緑髪の弓使いが、淀みなく正確な報告を上げた。

 

 それはかつて、猟師であった父と共に山へ入り、見つけた獲物の数や位置を知らせていた時と全く同じ作法──怯えの混じらない、鋭く冷静な声だった。

 

 夜闇を透かし、遥か上空で(うごめ)く翼の枚数さえ数え上げる、恐ろしく鋭敏な双眸(そうぼう)

 

 父に「お前の目は、鷹よりも先に獲物を見つける」とまで言わしめたその天賦の才が、今、絶望的な暗闇の中から死の予兆を正確に拾い上げていた。

 

 そんな弓使いの報告に対し、民衆はパニックに陥ってしまう。

 飛行兵はいないはずではなかったのか、と。

 

 少年は、戦闘員が対処するから落ち着くようにと指示しながら、上空を睨みつけた。

 

──人間を異形に変える邪竜ならば、獣をもその尖兵に変えることなど造作もないのでは?

 

 少年は、そんな最悪の予測が的中したことに唇を噛んだ。

 

 厩舎(きゅうしゃ)にいたグリフォンは出征しており、一頭も残っていなかったはず。

 ならばあれは、ソンブルの手元に(はべ)らせていた個体か。

 あるいは邪竜の魔力によって、異空間から召喚された「尖兵」なのか。

 

 正体などどうでもいい。

 ただ一つ確かなのは、あれが明確な殺意を持って自分たちを見下ろしているという事実だけだ。

 

 飛行兵などいないという、少年の希望的観測は大きく外れていたが、何もかもを的中させるならそれは予言だ。

 大事なのは、このような不測の事態にどう対応するか。

 

 五体のグリフォンが一斉に急降下を開始する。騎乗している異形兵たちは、狂ったような金切り声を上げ、武器を構えていた。

 

 ……万事休す、しかし。

 

「大丈夫……狩りのときと変わらない」

 

 薄緑髪の弓使いの心は、不思議と凪いでいた。

 

 弓を限界まで引き絞る。

 

 その瞳は、まるで、獲物を屠る冷徹な猟師のものであった。

 

「落ち着いて……全部撃ち落とせば、誰も死なない……!」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた後、弓使いの彼の眼光は、空を舞うグリフォンの急所を冷徹に捉えた。

 

 射線を先読みしたのか、矢が放たれるより早く、騎乗する異形兵がグリフォンの体勢を捻らせる。直進する矢を見越した、完璧な回避機動。

 

 だが、ここからが弓使いの──猟師であった父から受け継いだ「曲射」の見せ所だった。

 

 放たれた矢は不可解な放物線を描き、敵の『先読み回避』のさらに先へと吸い込まれていく。

 

 素直な回避行動をとる獣ほど、覿面(てきめん)に刺さる必殺の軌道。

 

 それは本能で動く異形兵とて例外ではなく、まるで矢が自らの意志を持っているかのように、見事グリフォンの心臓を射抜いた。

 

 異形と化しても、痛覚まで失われてはいなかったらしい。鼓膜を破るような絶叫と共に、一体のグリフォンが空から墜落する。投げ出された背上の異形兵もろとも岩肌に激突し、四肢を砕かれたそれは、幾度か痙攣した後に動かぬ肉塊と化した。

 

 しかし、弓使いの彼はその惨状に一瞥(いちべつ)もくれない。

 次の獲物を(ほふ)るべく、瞬時に二本目の矢をつがえ、放つ。

 

 完璧な狙いだったはずだ。

 だが、先程の一撃で軌道を学習されたのか。

 狙われた二体目の異形兵は、手に持つ槍を曲芸のように振り回し、迫る矢を的確に弾き落としてみせた。

 

「うそ……っ」

 

 弓使いの顔から血の気が引く。

 偉大な父であれば、あんな対処はさせなかったはずだ。

 己の経験不足、腕力不足が招いた致命的な隙。

 

 飛行兵にとって弓兵は最大の天敵だ。

 その本能が残っていたのか、残るグリフォンのうち二体が、明確な殺意を持って弓使いの少年へと急降下してくる。

 

 

『懐に潜り込まれれば、射撃手は圧倒的不利に陥る。絶対に飛行兵を近寄らせるな』

 

 

 少年が、かつて愛すべき(あるじ)と共に読んだ戦術書にもそう記されていた。

 

 気勢ならぬ奇声を上げ、長剣と槍の切先が同時に弓使いへと襲い掛かる。

 

 だが、その凶刃が届くより早く、二人の兵士が立ち塞がった。

 

 赤髪の兵士が馬ごと突進し、渾身の力で振り上げた剣が一体のグリフォンの翼を浅く裂く。致命傷には至らなかったものの、バランスを崩した敵が体勢を立て直すため上空へ逃れ、弓使いへの射線が外れた。

 

 同時に、緑髪の兵士が手槍を投擲する。直前に「はああっ!」と殊更大きな声を上げたため、もう一体の敵にもあっさりと感づかれ、上空へと回避されてしまう。

 

 だが、それでよかった。

 

 痛みや死を恐れぬ異形兵は、剣を受けようが槍が刺さろうが、構わず標的へ突っ込んでくる傾向にある。だからこそ、あえて大声で威嚇し、「反射的な回避行動」を誘発させることでのみ、弓使いから敵を引き剥がしたのだ。

 

 まともに迎撃していれば、相打ち覚悟で弓使いが殺されていた可能性が高い。

 

「ち……しぶとい奴らだぜ」

 

「……あの顔、見覚えがある。飛行兵団に所属していた者たちだ」

 

──罪なき民のみならず、国を守護するはずのイルシオン兵までも、忌まわしき異形に変えたというのか。

 

 邪竜ソンブル、そしてセピアのなりふり構わぬ悪辣さに、少年は胸の奥から湧き上がる激しい苛立ちを抑えきれなかった。

 

 空を舞う敵は、残り四体。

 

 手早く片付け、速やかに地下へ潜らなければ、次の群れがやってくる。

 

 この決死の逃亡作戦の成否は、上空の脅威をどれだけ早く討滅できるかにかかっていた。

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