「カラバッシュ殿」
空を舞う敵との睨み合いの最中、老騎士は近くに控える無骨な重騎士を呼びつけた。迷いのない手つきで墓地の一角を指し示す。
「邪竜ソンブルの執念を侮ってはなりません。第二陣、第三陣がいつ現れてもおかしくはない。……先んじて墓地へ向かいなさい。入り口は先程伝えた通り『王家の墓』。だが、悠長に仕掛けを起動させている時間はありません──力尽くで破壊するのです」
「は……破壊、ですか……?」
代々の王が眠る聖域を打ち砕く。
それは、王の庇護の下で暮らす民にとって、あまりに重い背信行為だ。
非常時であることは痛いほど理解していても、重騎士の身体を
しかし、老騎士は淡々と告げた。
「民の命には代えられません。もう、我らを咎める王族もいないのでしょう?」
「あ……いえ、それが。アイビー殿下とオルテンシア殿下はご健在だそうでして」
城内で明かされた『姫君たちの生存』を、老騎士はまだ知らなかった。
避難民に紛れていた彼は、ここで初めてその事実に触れたのだが、眉一つ動かす気配はない。
「……そうですか。では、殿下らには『ガランサスが独断でやった』と言っておきなさい。責任はすべて私が持ちます」
──詳しく説明される時間はなかったけど、つまり、その避難路は、馬は通れてもグリフォンが入り込める隙間などないという認識でいいのだろうか。確かにグリフォンは身体が大きいし。
であれば、重騎士を先に向かわせ、入り口をこじ開けておくのは最善の策となる。
しんがりを戦闘員が務め、狭い通路で敵の行動を制限しながら民を逃がす。
やはり危険なものの、その手段こそが全員生存の道筋であることも事実だ。
第一、もう考えている時間など一秒もありはしない。
老騎士の言う通り、あのグリフォン兵が十体、二十体と膨れ上がれば、壊滅は免れないのだ。
「わ、わかりました。やりましょう……。しかし、やるからには私自身の責任です。恐縮ですが……その責をガランサス殿にばかり背負わせはしませんぞ」
意を決した重騎士は、その重装備を微塵も感じさせぬ俊敏な動きで墓地へと駆けだした。
グリフォン兵の一体がその背を捉え、急降下で彼を追おうとする。
だが、一瞬の隙を子爵令嬢は見逃さなかった。
城内でも見せた抜群の投擲能力。
彼女は異形兵の移動速度を完璧に計算し、手にした槍を真っ直ぐに突き放した。
三年間、封印していたとは思えないほどの戦闘センス。
槍は吸い込まれるように進路上の異形兵の喉元を貫き、衝撃で吹き飛ばされた影は即死した。
……残り三体。
無手となった子爵令嬢を好機と見たのだろう。
一体のグリフォンが、やけに不気味な赤色を帯びた刀身の剣を振りかざし、彼女へ肉薄する。
少年の脳裏に、最悪の結末が
「……ライラさん!」
そこへ、次期侍従長がもつれるように飛び出し、無我夢中で彼女を突き飛ばした。
「ヴァイオレット!? なんで──」
理由などない。ただ、愛すべき同僚を守りたい一心で、身体が勝手に動いたのだ。
彼女が立っていた位置に、入れ替わるように次期侍従長が立つ。
そこへ、異形兵の赤い剣が容赦なく振り下ろされた。
「……ひっ」
死が迫る恐怖に、次期侍従長は小さな悲鳴を上げる。
「くそぉッ! 間に合ってよッ!」
弓使いの放った矢が空を裂く。今度は曲射ではない、威力を一点に凝縮した直撃弾。
だが、間に合わない!
矢がグリフォンを射抜くよりも、異形兵の剣が次期侍従長を切り裂く方が、わずかに早い──!
その瞬間。
「ご無礼!」
という短い声と共に、未だ気絶している侯爵が無造作に馬の上から地面へと投げ捨てられた。
振り下ろされる凶刃の前に割って入ったのは、身軽になり、一筋の疾風と化した老騎士。
強烈な風圧を伴う動きに、弓使いの放った矢は逸れてしまったが、代わりに確実な「盾」が現れる形となった。
……侯爵の扱いの悪さを、誰も──少年ですら──今は
人馬一体、極限まで姿勢を低く保ちながら、手にした剣で赤い一撃を真正面から受け止める。
手綱を放ち、両足の力のみで
まさに、騎馬を己の手足のように操る神業だ。
だが、異形兵の剛腕は凄まじい。
ノコギリで木を刻むかのように、赤い剣をギリギリと押し込み、老騎士の刃を真っ二つにへし折ろうとする。
「お、お父さんっ!!」
夫の窮地に、立ち尽くす民衆に紛れて老騎士の奥方が叫びを上げた。
老騎士は不敵な笑みを浮かべていたが、その額には深い苦渋の汗が滲んでいる。
拮抗は一瞬で崩れるかに見えた。
そのときだ。
「いい加減──しつけーんだよ、なッ!」
激しい
同時に、赤髪の兵士は愛馬の腹を強く蹴り、馬ごと高々と舞い上がった。
まるで重力に逆らうように、馬の巨体ごと宙を蹴り上げる大跳躍。
鍔迫り合いを続ける異形兵よりもさらに高く、彼らは中空へ躍り出た。
敵が驚愕に目を見開き、反射的に防御へ転じようとするが──
そこを、老騎士は見逃さなかった。
百戦錬磨の老練は、敵の力がわずかに抜けたその一瞬を見逃さない。
的確に喉元を切り裂くべく、その剣を鋭く横へ薙いだ。
致命の一太刀は紙一重でかわされた。しかし──。
「うおおおおおッ!」
空から降る、赤髪の兵士の追撃を避ける術は残されていなかった。
馬上から振り下ろされた鋭い剣先が、人馬の重みをすべて乗せて、異形兵の顔面へと深々と突き刺さる。
刃はそのままグリフォンの肉体までをも貫通した。
人ならざる悲鳴が連鎖する。
異形兵が絶命し、それを乗せていたグリフォンもまた、巨体を崩して物言わぬ肉塊へと変わった。
こうして、グリフォン兵は残り二体となったが、数が減ってもやはり怯む様子はない。
不敬なる逃亡者はすべて処刑すると言わんばかりに、その瞳を更に煌々と赤く光らせる。
「墓を開いたぞ! 動ける者から急ぎ駆け込め!」
重騎士の声が響く。想定以上に速かった。
彼の合図を受けて、民たちが一目散に駆け出していく。
それを見て、最悪の事態を想像し、少年は叫んだ。
「さすがにこの人数に対して入口は狭いはずです! 怪我人を最優先に入れてください!」
命が懸かっている現状、我先に助かりたいと思うのが人情というものだ。
しかし。押し合いへし合いで、全員が入口に詰まり、共倒れになって死ぬかもしれない。
常に「先」を考えられてしまう少年は、そうはならないようにと、おまじないをかけるかの如く切実な願いをぶつけた。
その魂の叫びを受けて、己を最優先にしようとしていた者たちはハッと目を覚ます。
そして、場違いに地面に伸びている気絶した侯爵へと目を向けた。
あれと同じになりつつあった……。
そんな己の浅ましさを、誰もが恥じた。
「彼の言う通りにするぞ! 怪我人、老人、子ども、女! 先に行けッ!」
「ああ! 異形兵が飛んできても、俺たちが壁になってやる!」
男たちが互いを鼓舞する。
戦いにおびえて前線に出られなかった兵士たちすらも、剣を抜いて民を守るように立ち塞がった。
「私は先行する! 必ず生きてここを抜け出るぞ!」
重騎士は誰の許可を得るでもなく、押し寄せる民衆の最前列が自分の現在地を捉えたのを確認すると、先んじて地下へと足を踏み入れた。
もちろん、万が一に備えてのことだ。
今まで厳重に墓石で塞がっていた以上、この秘密の地下通路に異形兵が潜んでいる可能性は皆無だろうが、街道側から入り込まれている可能性もゼロではない。
石橋を隅々まで叩くのが、この重騎士の性分なのである。
一方。去ろうとする獲物を、敵がむざむざ見逃すはずもない。
残るグリフォン兵の片割れは老騎士たちとの交戦を放棄し、歩みの遅い老人たちへ向けて甲高い奇声を上げながら急降下してきた。その手には鋭い槍が握られている。
「そう慌てることもないだろう? 私もね、たまにはグリフォンの唐揚げが食べたいんだ」
そこへ、緑髪の兵士が馬を駆り、標的を庇うように立ち塞がった。
低空飛行で突っ込んでくるグリフォン兵を、自らの戦槍をぶんぶんと豪快に振り回しながら迎え撃つ。
そのあからさまな威嚇に、本能的に回避すべきだと悟ったのか。異形兵は直進の勢いを殺さず、手綱を引いて、頭上を飛び越えようとする。
しかし。
「急に高度を上げられない、いきなり止まれない。だろ? うちの同僚もよく嘆いていたよ」
刹那、緑髪の兵士は槍の高速回転をピタリと止めた。
そして穂先を地面と平行に寝かせた状態から、すくい上げるように思い切り天へ突き出す。
逃げ道であるはずの上空──そこに突如として現れた穂先へ、グリフォン兵は自ら猛スピードで顔から突っ込む形となってしまった。
使用者が腕力を込めるまでもない。凄まじい相対速度での激突。
物理法則に従い、異形兵の首から上は無惨に刎ね飛ばされた。
乗り手を失い、解放されたグリフォンはそのまま高々と舞い上がり、どこかへ飛び去ってしまった。
異形とはいえ、乗り手に操られていただけで、性質は普通のグリフォンと変わらないらしい。
「うーん。食べたかったんだけどね。唐揚げ」
凄まじい一撃で敵を屠っておきながら、緑髪の兵士はどこまでもマイペースだった。
こうして、残るはあと一体──。
「ま、まずいわ!」
死体から自身の槍を拾い上げ、最後の敵を睨みつけようとした子爵令嬢が、その奇妙な動きに声を上げた。
残る最後の一体は、こちらに背を向けたまま、一直線に上空へと飛び去ろうとしている。
弓使いが逃がさじと矢を放ったが、届く前に高度を上げられてしまった。
遥か高空では、持ち前の曲射技術も意味をなさない。
「しまった!」
緑髪の兵士が、敵の意図を察して叫ぶ。
少年もまた、気づいて青ざめた。
その方角には、陽動をしてくれている天馬兵がいるのだ。
「……バニラさん!!」
絶望が過ったそのとき、少年の真横で。
先程、子爵令嬢を治療してくれた救護班の老人が、何を思ったのか杖を高々と掲げていた。
それは、回復の時とは先端の形状がまったく異なる、不思議な装飾の杖だった。
*****
「はわ……はわわ、はわ……」
その頃。
青髪の天馬兵は手槍を適度に投げ下ろしながら、城下町をうろつく異形兵の注意を引いていた。
少年の懸念は概ね正解だった。
異形兵の中には、デスタン大教会へ向けて足を運びかねない個体もいたのだ。
民衆の気配や物音を聞きつければ、全速力で走り抜けてしまうかもしれない。
そう判断した彼女は、敢えて低空飛行をしてその身を晒し、自分以外に敵の興味が向かないよう仕向けていた。
無数の異形兵から注目の的となるよう、煽るように飛び回り、あるいは陽動と悟られぬよう、遠距離から、時には急接近して適度に攻撃を加え、離脱する──それをひたすらに繰り返している。
「はわ、は……ふ、ふふ……」
恐らく、あの教会にいる者の誰一人として、彼女が今「どんな顔をして」戦っているかなど、想像もつかないだろう。
下から射掛けられる弓矢を、紙一重で
魔法を使う異形兵が混ざっていたのは想定外だったが、問題はなかった。
対処法は弓と変わらない。
面倒なら急降下して槍で貫けばいいだけの話だ。
しかし、彼女はそうしなかった。
この作戦の目的が「陽動」だから、ではない。
「は、ははは、はわ……は」
矢がまた頬を掠めていく。
炎の魔法も飛んでくる。
空へ向かうのを諦めて移動されないよう、ギリギリまで地上に降り立つと、今度は槍や手斧がガンガン飛んできた。
それが。
「やっべえええええええええ!! さいこーーーー!! フィレネとの大戦争に行けねーってなってめっちゃテンション落ちてたんだけどさああ!! こっちに残ってて正解だったわ!! たまんねーーーーわ!!」
この、死の攻撃が当たるか当たらないかのギリギリの境界線こそが。
「生きてるーって感じだよね! 生の実感を覚えちゃうよねーーーー!! いやーこんな状況でめっちゃくちゃ楽しんじゃってごめんなーーーー軍師やってくれてる男の子!!」
青髪の天馬兵にとって、あまりに至福の時間だった。
……この通り、彼女には決定的な二面性があった。
分別がつかない上官を平気で殴り飛ばすのは、そうすると「気持ちいい」からであり、そして「首が飛ぶかもしれない」という極限のリスクを愛しているからだ。
そうして無軌道に振る舞えば振る舞うほど、彼女の圧倒的な実力は周囲に支持されていった。
そう、彼女は超がつくほど幸運なのだ。
自分が欲しいままの結果を、欲しいだけ手繰り寄せてしまう。そういう星の下に生まれた人物だった。
「あー、でも、フィレネとの戦争? ホントは、ヤだったし? だってさあ、住民皆殺し? つまんねーじゃん。意味ねーじゃん? 戦いの楽しみ方ってのはさァ、やっぱ自分が命を落とすかもっていうリスクを背負ってなきゃね! ギャハハハハ! いやー、マジで楽しんじゃってごめんよー! あんとき素が出ちまうかと思って焦ったわー!」
上空でしきりに大喜びしながら、死の雨を愛馬と共に避ける。
当たれば即座に墜落死。そのヒリヒリとした感覚こそが、彼女にとっての「生の実感」そのものだった。
そのときだ。
グリフォンのけたたましい鳴き声と共に、空を飛ぶ異形兵が彼女に急接近してきた。
教会で戦っていた、最後の片割れが、天馬兵の陽動を阻止せんと現れたのだ。
「あー? グリフォンっすか……? 異形兵乗ってんじゃん。なんだテメー、アタシの邪魔すんのかオラッ」
それまで左手にただぶら下げ、右手で適当に手槍をぶん投げていただけの彼女は、メインウェポンである戦槍を利き手に構え直した。この場に来て初の、まともな戦闘態勢だった。
「消えろ、ゴミ! 今、アタシは楽しんでんだよ、楽しいの! わかる? わかんねーかー」
天馬兵が喋っている最中にも、グリフォン兵が殺意を剥き出しにして突っ込んでくる。
しかし、彼女が指示を出すまでもなく、愛馬はひらりとその突進を避けてしまった。
「ギャハハハ、ナーイスプレイ、ディートバ! さすがアタシが認めた最強のペガサスちゃんだわー、大好きよアンタ」
空中で即座に体勢を整え、槍の切っ先をすれ違ったグリフォン兵の背後へ向ける。
そこからは一瞬だった。彼女は無言のまま電光石火の如く前進し、その槍の軌道が、空中にきれいな一文字を描く。
異形兵は、乗っているグリフォンもろとも真っ二つに両断されていた。
血飛沫を上げながら地上へ落下していく肉塊。それが、真下で彼女を見上げていた別の異形兵を激しく押し潰した。
「……んー? 今の異形兵、顔見たことあんなー。うちのバカ上官の誰かだったのかな? 化け物になっちまって、残念だったねえ」
淡々と言い捨てながら、槍についた血を空の風で拭い去る。
「ま……ソンブルって奴が気に入らねーのは確かだわな。力こそ全てーみたいな神サマだと思ってたのに、ただの虐殺者じゃん。あれを信じて化け物に変えられちまった奴は気の毒だね。そこには同情すんよ」
また下から、彼女めがけて矢や火の玉が飛んでくる。
目視しなくても、死の気配は手に取るようにわかる。愛馬の腹を足で軽く叩き、軽々とそれを避けた。
「でもね、たのしーって感情は抑えられねーんだわこれが! 軍師やってくれてる彼には感謝だよ! 生きるか死ぬかの逃避行! マジでやべーもん、こんな楽しいこと人生で初めて!!」
眼下で、また別の異形兵がデスタン大教会の方へ引き寄せられそうになっている。
天馬兵は手綱を握り直し、それを防ぐために再び地上へと降下していった。
「そろそろ、いつもの状態に戻しとかねーとな。北西の砦に行ったとき、テンション上がりすぎて素を見られちまうのはまずいし。ええと……は、はわわ……た、楽しいですね!……っと」
鉄拳のことは周知されていても、彼女のこの秘められた狂気的な本性は、緑髪の兵士すらも知らなかったのである。