「はわ……はわわあ……こわいですねっ、危ないですねっ」
大教会へ向かおうとする異形兵を足止めするべく、煽るように愛馬の翼をはためかせ、眼下の敵にむかって思い切り中指を立てた。
手槍の残り本数も残りわずか。ただ煽るために突っ込んでくる天馬兵に向かって、何体もの異形兵が金切り声を上げて飛びかかってくる。それを
「いやーーーー! もうちょいだけ、いっか! こういうときにジブンを解放しねえと、いつ解放できるか、わかん、ね──」
そのときだった。
「ん」
突如、天馬兵の身体を青白い光が包み込み始める。
向こうで戦っている救護班の誰かが
かつて遠くからそれをかけられたことはあるが、あのときの妙に優しく温かい──この天馬兵にとっては、「他人に回復魔法をかけられたこと自体」が腹立たしかったので印象はかなり悪いのだが──あの感覚とは全く異なっていた。
光が完全に自分を包み込んだ、直後。
「あっ、バニラさん!?」
天馬兵の少女は、「軍師の少年」たちの目の前に立っていた。
百五十ほどの避難民と、五十弱の王城関係者が手を取り合い、「弱者を最優先に」と声を掛け合いながら、目の前の墓地──その地下へと通じる階段へ急ぎ足を運んでいる最中だった。
少年の横には、杖を高く掲げ、全身からドッと汗を噴き出している救護班の老人の姿がある。
久々に『レスキューの杖』を使ったから発動に時間がかかりすぎた、などとボヤきながらも、満ち足りたような顔をしていた。
レスキューの杖。
それは、遠方で戦っている者を使用者の手元に強制的に引き寄せる、緊急避難用の魔法杖だ。
使い手が先行して、後続の戦士を前線に一気に引き寄せる、という戦術的な使い方もあるという。
だが、その発動には相当な技量と魔力が必要であり、本数自体も割と貴重なはずの代物だった。
「よ……よ……」
辺りが異形兵のものらしき血にまみれていることから、ここでも激しい戦闘が起きたことは天馬兵にもわかった。
それが落ち着いたから、自分をレスキューで呼び戻した……ということなのだろう。
普通、決死の陽動を行っている者が命を救われたなら、感謝しないはずはない。
もし感謝しない者がいるとすれば、よほどの死にたがりか、あるいは──。
彼女のような狂人くらいなものだ。
(余計なことすんじゃねえええええええクソジジイ! 植毛すんぞコラ! 頭に木ィ生やして、重みで死ねや、タコ!!)
などという荒れ狂う本音を、「偽りの自分と本当の自分を操って、誰にもバレないこと」を普段から悦楽としているその天馬兵が、口にすることは有り得ず。
「よ、よかったあ……助かりましたあ……はわわ……ふえええん……」
と、安堵に泣き崩れて──彼女はウソ泣きではなく、意図的に本物の涙を流すことができるのだ──仲間達から手厚い労いと祝福を受けるしかなかったのだった。
*****
地上での大激戦の反動だろうか。地下道は、少年の読み通り安全な道だった。
秘密の避難路という性質上、当然というべきか異形兵が潜んでいるような気配は一切ない。
地下道に侵入する最後尾は救護班が務めた。数人の魔力を結集し、入り口に侵入防止の結界を張り巡らせるためだ。
宮廷魔術師団のそれよりも遥かに脆いものであるが、今ここを歩く者たちが脱出地点の砦まで逃げ切るための時間稼ぎには十分そうだった。
隊列の先頭は無骨な重騎士と、弓使いの彼、そして赤髪と緑髪の兵士が務めている。
侍従の大半も前側にいる。
うち、重傷を負ってぐったりしている者は赤髪や緑髪の馬に乗せられたり、元気な男性陣が背負ったりしていた。
そして、少年がいるのは最後尾。
そこには、子爵令嬢と天馬兵、それに老騎士がいた。
老騎士は徒歩で進んでいたが、彼が連れて歩く馬の背には、例の侯爵が乗せられていた。
頭に大きなコブが出来ている。
さきほど戦闘の最中に無造作に投げ捨てられたからだろう。
目は覚ましていたが、よほど身体が痛むのか、文句ひとつ言う元気もないようだった。
最後尾に随伴する残りの面子は、老騎士の奥方、老人を含む救護班の半分。
そして次期侍従長と双子の姉妹である。
子爵令嬢は、地下で声が反響するのを抑えながら、先程の次期侍従長の無謀な行動を咎めていた。
「……どういうつもり? なんであんな真似をしたの」
いつもなら、ミスをした侍従を淡々と注意する側の次期侍従長だが、今は年下の子爵令嬢に
彼女の両脇にすがりつく双子の姉妹が、おずおずと心配そうに見上げていた。
「侍従長が最期になんて言ったのか、貴女自身が教えてくれたわよね。『イルシオンの希望を守れ』って。約束を破って死ぬつもりだったの? その子達を置いて? ねえ」
「……身体が勝手に動いていたんです。私自身、自分の行動に驚いています……」
しょげている次期侍従長を、なおも子爵令嬢は責め立てようとした。それほど、彼女の行動があまりにも危うく、恐ろしかったのだろう。
ただでさえ、そばかすの同僚を自らの手にかけてしまった子爵令嬢は、自分のせいでまた誰かが死ぬことを極端に恐れているようだった。
まくしたてるように「二度とするな」と繰り返し言い続ける彼女を優しく
「ほっほっほ。私も昔、かあさんによく言われたものです。自分の命を投げ捨てるような真似はするなと。ですがね、動いてしまうものは仕方がない。大切に思う者を庇おうとする気持ちは、人間のみならず生き物全てに宿る本能みたいなものですから。そう声を荒らげても仕方がありませんよ、ブルガリズ子爵家のお嬢さん」
「……でも……」
怒りと悲しみに震え、無意識に固く握りしめていた両手を、子爵令嬢はふうっと息を吐いて解き、考え直した。
次期侍従長は死んだわけではない。
生きて、こうして隣を歩いているのだ。それだけで良かった。本当に良かった……と。
怒られて、次期侍従長はすっかり意気消沈し、涙目になってしまっている。
老騎士にこうまで言われたことだし、さすがに許してやろうか、と思った。
「申し訳ないわ、ヴァイオレット。でもね、本当にもうしないでちょうだい。かっこよく死んで良かったわね、なんて言う者は誰一人としていないんだから」
「それは……ライラさん。あなたもそうですよ」
顔を上げて、次期侍従長は真っ向から言葉を返した。
「貴女が死ねば、みな悲しむのです。この子達も、私も、少年も……それに、リリーさんも」
「……そうね」
悲しい別れをしたそばかすの侍従の名を出されては、子爵令嬢は大人しく黙るしかないのだった。
さて、愛馬の手綱を引きながらそのやり取りを聞かされていた天馬兵は、酷く
冷めた目で見ているわけではない。「人の絆なんて薄っぺらい」だとか言って嘲り笑っているわけでもない。
天馬兵も、大切にしている者が死ぬという悲しみがどれほどのものか、わかっているつもりだった。
彼女自身、過去にブロディアとの国境での小競り合いの末、優秀な天馬兵であった母親を失った経験があるのだ。
健在である父親との関係も悪くない。
遠く離れた森の町に住むその父が異形兵に殺されたり、あるいは異形兵そのものになったりするようなことがあれば、「生きるか死ぬかのリスクを楽しむ」などという彼女の狂った性質も、どこかへ吹っ飛んでしまうだろうという自覚があった。
故に、彼女は自分の「趣味」には決して他人を巻き込まない。
完全な自己責任で楽しんでいる。
しかし、今の話を聞いていると、敢えて
(あー……めんどくせえ)
天馬兵は内心でぼやいた。
とりあえず話題を変えて、このしんみりした空気を一変させなきゃな、と考える。
「はわわ……ええと、リフレクサさん、そのう……」
共に歩いている救護班の老人を彼女は呼んでみた。「余計なことをしたタコ」のことである。
「なんでしょうかな?」
「『レスキューの杖』だなんて、戦略的価値の高い杖を持ってらしたんですね?……どうして、最初に言ってくださらなかったんですか?」
(最初から言っとけよ、そうしたら途中で水を差されて不完全燃焼で終わることはなかったんだからよ)
──という恨み言をたっぷりと込めて、質問をぶつける。
「……確実に使えるかどうか、自信がなかったのです。先んじてお伝えして作戦に組み込まれ……いざという時に発動しませんでした、では、そこの少年に無用な負担をかけてしまうと思いましてね。ですが、言っておくべきでしたかな。申し訳ない」
不確定要素だったから言わなかった、と。
戦場においては正論であるが、そのせいでこっちは嫌な目に遭ったのだ──と、天馬兵は内心で盛大に舌打ちをした。
……一方。
この逃避行の
「……本当に色んな杖があるんですね。戦術書を読み耽った時期もありましたが、まだまだ知らないことばかりです」
少年は、多種多様な効能を持つ杖や魔道に対する知識に乏しい。
かつてオルテンシアと共によく読んでいたのは戦術書の類ばかり。
魔導書はほぼ彼女が占有していたため、一緒に読んでいなかったのだ。
というのも、最初は共に読んでいたのだが、少年が本に書かれている魔道を真似て試そうとした結果、何も起きないどころか反動だけ受け取って高熱を出し、三日ほど寝込んで棒に振るという珍事が起きたことがあるのだ。
その一件で侍従長にはこってり叱られ、当時まだ恋人という間柄ではなかったオルテンシアからも、『申し訳ないけど魔導書、あなたには二度と読ませないわ。また倒れられたら心配だもの!』とひどく怒られてしまった。
そういった経緯もあり、『レスキューの杖』というものが存在することを知ったのは、実は今日が初めてだった。
放浪時代由来の潤沢な知識を持ち、状況に応用できる彼にとっての、珍しい「穴」であると言える。
「あの、リフレクサさん。恥を忍んでお聞きするのですが……お腹を満たす杖、みたいなものはないのでしょうか?」
それは、この集団にとってあまりにも切実な問題だった。
そう、食糧が存在しないのだ。
兵士が持ち出せた僅かな乾パンや非常食、水瓶といったものはある。
しかし、二百人あまりの命を十日、あるいはそれ以上繋ぐというのは、どう考えても土台無理な話である。
目的地である学園にさえ辿り着けば、備蓄は豊富にあるだろう。
近隣住民の避難場所にも指定されている場所に、食糧がないはずもない。
だが、この過酷な道程で牙を剥くのは異形兵だけではない。「餓死」の危険性が常に付きまとう。
城内でこちらに異形兵が忍び寄るあのパニックの中、十分な物資を用意する時間など、あるはずもなかった。
(……そんな杖があれば、ひとまずお腹の問題は解決するんだけど)
わずかな希望を込めた少年の問いだったが、老人は静かに横に首を振った。
「残念ですが……『ない』と言い切ってしまっていいと思いますな。『お腹は満たせませんが、傷の治療が出来ます』……それが癒やしの杖の大原則です。レスキューなどは特殊ゆえの例外ですがね。食べ物を生み出すような魔法があれば、この魔道国家イルシオンにおいて話題にならないはずがありません。世界の理を外れる、掟破りとなりますからな」
そんな甘い話はなかった。
となれば、次なる問題は「食」をどうするか、だ。
異形兵の追撃をいなしながら、空腹を誤魔化しつつ、何日もかけて学園に辿り着かなければならない。
……率直に言って、絶望しかなかった。
と、そのときだ。
隊列の前方が何やら騒がしい。
まさか異形兵が現れたのだろうか。
そう思って戦闘員たちの、そして少年の身体が強張っていく。
だが、間もなく前方から順繰りに流れてきた伝言によって、その懸念は杞憂に終わった。
「出口が見つかったみたいだ!」
急ぎ足で進んだ先。
馬でも容易に駆け上がれるよう設計された緩やかな上り坂の突き当たり。
その壁面には、馬に乗った人間がちょうど手を伸ばしやすい位置に、古びた操作レバーが備え付けられていた。
すでに先頭の重騎士たちがその仕掛けを作動させたのだろう。
留め具が外れ、重りと滑車の仕組みによって自動的に外へと大きく跳ね開いた『隠し大扉』からは、冷たい夜風が流れ込んできていた。
そのまま地上へと抜け出すと、そこは王城から遠く離れた北西の街道沿いだった。
振り返って見れば、開かれた巨大な扉の表面は、切り立った崖の荒々しい岩肌そのものに擬態されていた。
岩の自然な裂け目や凹凸に沿って精巧に造られており、閉じていれば街道側から見ても、そこが地下道の出口だとは到底気づかない構造だった。
扉の開閉機構すらも騎乗を前提としている。
減速することなく外の世界へ突き抜けられるよう作られた、王家の安全を第一とする先人たちの冷徹なまでに周到な設計に、少年は密かに感嘆する。
そして、目を向けた先。
王城と城下町、そして港町の生き残り連合隊が目の当たりにしたのは、闇夜に静かに佇む、いかにも古めかしく堅牢な砦のシルエットだった。
──あれが、ロビュスト砦。
絶望的な状況からの脱出。
今回の第一目的地に、彼らはほぼ無傷で、犠牲者を一人も出すことなく辿り着くことができたのである。