FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第6章-5:妖精の村へ・その5

 少年たちは東へ直進し、妖精の村へと続く鬱蒼(うっそう)とした森へと辿り着いた。

 ただただ平坦な道で、異形兵とも賊とも遭遇はしなかったが、あまりにも長く、ほぼ休みなしで歩いてここまで四刻かかった。

 

 一日は十二刻。二日なら二十四刻。

 森の手前を行き来するだけで、全行程の三分の一、八刻もかかるというのに、吟遊詩人が言うには、森は入り組んでいて村までにどれくらいかかるか未知数なのだという。

 

 少年が選んだ面子が、少年自身も含めて体力があったのは救いだった。

 

 心配していた救護班の老人は山歩きが趣味らしく、今でもそれに勤しむことがあるとのこと。その言葉が示す通り、一切息が上がっていない。

 

 侍従の重労働で足腰が鍛えられている少年と子爵令嬢にとっても、「歩くだけ」など造作もないことだ。

 

 薄緑髪の弓使いも、猟で山野を駆け回っているだけあって体力は無尽蔵に等しい。

 

 そして吟遊詩人は……一体どこからその体力が湧き出ているのか、全くの不明であった。

 

「この森は『迷いの森』と呼ばれていてね。入るたびに構造が変わるんだ。妖精の村の住人であれば、どれだけ構造が変わっても、すぐに村に辿り着けるらしいんだけどねえ」

 

 残念ながら、この場に妖精の村出身者はいない。

 手探りで正解を当てなければならないということなのだ。

 運が良ければすぐに湖につけるだろうが、不運だと最悪、何日もここに閉じ込められてしまうかもしれない。

 

 木々が密集していて、確かに飛行生物を用いた空からの侵入も難しそうだ。

 意を決して、進むしかないということだ。

 

「口振りから察していたけれど、貴方、ここに来たことがあるのね」

「まあねー。可愛い女の子、口説きたいし? 妖精の村の女の子って、可愛い子もいれば男装の麗人もいっぱいいるんだよ。そりゃあもう、口説き落としてハーレムの一員にしたいじゃないか」

 

 クネクネと身をよじりながら言う吟遊詩人だが、彼のハーレム加入数は未だゼロである。「ライラさんを第一号にしてあげよう」と言う彼の言葉を、当の子爵令嬢は一切無視した。

 

「……お腹も空きましたね。森の動物、狩っても大丈夫なんでしょうか?」

 妖精の村人が管理しているであろう迷いの森。

 空腹のために動物を狩ったら激怒を買いそうだ、と弓使いは警戒した。

 

「いいんじゃない? 背に腹は代えられない。ボクが責任を持とう! 何か言われたら、妖精の村の子たちをボクのお嫁さんにすると言えば多分解決」

「解決するわけないでしょうが」

 

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら笑っている吟遊詩人を、子爵令嬢が容赦なく槍の()で叩き落とした。

 彼は情けない声を上げて、その場に沈み込む。

 

「お嬢さん、やめておいた方がいいですぞ。彼も貴重な戦力ですからな、一応」

 苦笑いする救護班の老人。

 

「……そうですね。すみません、この人、いくらなんでも女の敵すぎるので」

 謝りながらも、子爵令嬢の槍を握る手は力強いままだった。

 

「ま。何が待ってるかわかんないからね。気を付けた方がいいよ。この前なんか異形竜が出てきたし」

「いぎょうりゅう?」

 

 ぱっと起き上がった吟遊詩人が吐いた単語を、少年が思わず聞き返す。

 吟遊詩人を除く、その場にいる誰もが知らない言葉だった。

 

「あれえ、知らないの? イルシオン王国軍は、他国との戦いで異形竜も操ってると聞くけど」

 

 彼が言うには、四狗(しく)が陣頭指揮を執るようになって以来、イルシオン軍の一部小隊は異形兵と共に戦うことも強要されているとのことだった。

 

 少年はその現場を実際に見たことがないし、異形兵はただ町を襲うだけの連中だとすら思っていた。

 そばかすの同僚の件で少し察してはいたが、どうやら自在にコントロールできるらしい。

 確かに、自身の身体を破壊しかねないほどの戦闘能力を有した化け物を味方として扱えるのなら、軍としては頼もしいことなのだろうが……。

 

 問題は、それが「人の死体」を用いた存在であることだ。

 共に戦う兵士たちは、それを知っているのだろうか。

 一切伏せられているのか、あるいは邪竜への狂信が「それでも構わない」と思わせているのか。

 

「竜だよ、竜。といっても飛竜じゃないよ。炎を吐いたりするんだ。あまりにも危険な連中だね。数は少ないけど、会ったら逃げるのが一番だ」

 

 グリフォンを異形化させていた以上、その対象は人間のみに限らないとはわかっていたが、まさか竜なんてものまで異形化させているとは。

 

 しかも、今この森にいるということは、戦争に駆り出さず野に放ち、好き勝手に暴れさせている個体もいるということになる。

 滅んだ国内の町や村には、異形竜に焼き払われてしまった者もいるかもしれない。

 

 かつてハイアシンス王に故郷の村を焼き払われた過去を持つ少年は、特に「人を焼き払う炎」に対する抵抗が強く、想像しただけで震えが止まらなくなる。

 

「怯えていても仕方がないわ。なるようになると思って進むしかないもの。行きましょう」

 

 子爵令嬢は恐怖を振り払うように言い放ち、真っ先に森へと足を踏み入れた。

 少年たちも、覚悟を決めてその後に続く。

 

 

*****

 

 

 すっかり道に迷ってしまった。『迷いの森』と呼ばれるだけのことはある。

 少年は楽観視しすぎていた。意外と簡単に踏破できるのではないかと。

 

 地面に印をつけていけば、迷ったかどうかがすぐにわかる。正解の道を選ぶたびに印をつけ続ければ、消去法でいつか必ず湖に辿り着く……そういう目論見だったのだが。

 

 しかし、何度正解らしき道を選んで頑張って進んでも、いつの間にか最初に来た道へと戻されてしまうのだ。

 

 しかも、正解のルートが毎回変わる。

 先程は右の道が正解で、その先で間違えて最初に戻されると、次は左の道が正解になっている。

 戻され続け、右が四回連続で正解になることもあった。早い話が、完全な運なのだ。

 

 どうせどこを選んでも同じならと、少年は途中から、分岐が現れるたびに毎回同じ方向だけを選び続けた。

 根気よく前進すれば、いつかは確率の壁を越えて辿り着けると信じて。

 

 だが、残念ながらそう上手くはいかなかった。疲労感と徒労感だけが募っていく。

 結局、空腹も限界に達し、入り口付近の広場まで戻されたところで休憩を挟むしかなかった。

 

 食糧についてはなんとかなった。

 薄緑髪の弓使いが、飛び立とうとする鳥を素早く人数分撃ち落とし、食べられるキノコと野草の目利きもしてくれたのだ。彼を連れてきたのは大正解だった。

 

 水も、森を流れる清らかな小川から汲むことができた。

 それを吟遊詩人が自前の炎魔法を用いて鳥や野草、キノコを丁寧に焼き、水を煮沸させて安全に飲めるようにしてくれた。

 

 ……あとは妖精の村へ辿り着くだけなのに、それだけがどうしても遠い。

 

「……どうなってるのよ。どういうからくりなのよこの森!」

 あまりの理不尽さに苛立った子爵令嬢が感情をむき出しにし、その辺りの土を怒りに任せて蹴り飛ばし始めた。

 

 救護班の老人が(なだ)める声にも耳を貸さず、弓使いと少年が二人がかりで全力で止めて、ようやく落ち着いたほどだ。

 

「よほど、外部の人との接触が嫌な人たちなんですね。猟師としては、この森は攻略し甲斐がありますけど」

 薄緑髪の弓使いが、ふと視線を鋭くした。

 木の後ろを素早く横切っていく小さな獣の姿を、持ち前の視力で見逃さなかった。

 

 動きを読み、得意の曲射を放って一撃で仕留めた。なんと二匹同時だった。

 

「あっ、シロピョンウサギですね。焼いても煮ても美味しい万能肉なんですよ。淡泊なのにコクがあって」

 

 小さいのと大きいの。親子だったのだろうか。

 猟に慣れている弓使いは、その関係性に思いを馳せる感傷など見せず、純粋に新たな食糧を得たと喜んでいた。

 

 その光景を見ていると、王城脱出での出来事が少年の脳裏に蘇ってくる。

 

 自分の作戦のせいで、多くの馬を犠牲にしてしまったこと。囮にされ、異形兵に無残に切り殺されていった愛らしい馬たち。

 

 あれを利用して今自分が生き延びているという事実は、人間という生き物の果てしない浅ましさを突き付けられているようだった。

 

 その苦しみをぽつりと吐露すると、薄緑髪の弓使いは優しく言った。

 

「……多分、なんですけど」

 弓使いは、静かに前置きをして、続ける。

「邪竜は、死体を異形兵に変えてしまいます。だから、囮になって殺されてしまったあの子たちの骸も、遅かれ早かれ化け物に変えられてしまうかもしれません」

 

「っ……」

 最も恐れていた事実を突きつけられ、少年は息を呑んだ。だが、弓使いの瞳に宿る光は温かかった。

 

「でも、城に残ったまま無意味に殺され、ただの兵器として骸を弄ばれるのとは違う。あの子たちは、僕たちを生かすための立派な『囮』として、誇り高く命を全うしてくれたんです」

「誇り、高く……」

「僕らが生きるために狩る獲物と同じです。無駄死になんかじゃない。あなたの作戦が、あの子たちの命に『僕らを救う』という確かな意味を与えてあげたんですよ。化け物に成り果てる前に、ね」

 

「そうね。私も同じ意見だわ」

 子爵令嬢も、強い眼差しで首を縦に振った。

「優しすぎるのよ、貴方。命と命の奪い合いに、綺麗事なんか通じないわ。それとも、そうやって考えて、異形兵を倒すことにも罪悪感を覚えるのかしら。もう死んでしまっている者のために、今を生きている私たちが死んでも構わないと、そう言うの?」

 

「それは……! そ……そんなことは……ありません」

 

 喉の奥から血を吐くように、少年は否定の言葉を絞り出した。

 

 頭では、十分に理解している。

 

 異形兵となって自分たちを殺しに来るのなら、それがかつて言葉を交わした同僚であろうと、愛らしい動物の成れの果てであろうと、迷わず切り捨てるしかないのだと。

 

 だが、いざ『犠牲』を自らの指示で選び取る立場になると、指先から零れ落ちていく命の重みと理不尽さに、どうしようもなく足がすくむのだ。

 

 生きるということは、他の命を奪い、踏み台にしていくということ。

 

 それを「理不尽だ」と嘆くのは、ただ他人に守られ、搾取される側だった頃の甘い感傷に過ぎない。

 

 かつて故郷を焼き払ったハイアシンスを憎んだ。

 だが今、自分もまた「生き残るため」という大義名分のもと、何かを犠牲にして歩みを進めている。

 その事実に、胃の腑が焼けるような嫌悪感を覚えた。

 

──だが、ここで足を止めるわけにはいかない。

 

 もしここで自分が罪悪感に潰れれば、囮となって死んでいった馬たちも、身を挺して戦う砦の仲間たちも、そして自らの手で殺めた親友の死を背負って前を向く子爵令嬢の覚悟すらも、全てが無駄になる。

 

 と、そのとき。

 

「……っ、そこに誰かいる!」

 唐突に、薄緑髪の弓使いが青ざめた顔で叫んだ。

 

 異形兵か。子爵令嬢が瞬時に槍を握り締め、弓使いも素早く弓を構える。

 しかし、その瞬間にはもう、弓使いが捉えていたはずの人影はそこから掻き消えていた。

 

 夜の闇でも高く飛ぶグリフォン兵の動きを捉えるほどの目を持つ彼が、完全に見失うほどの神速。

 直後、背後から発せられた冷ややかな声に、少年は戦慄した。

 

「また来たのか、貴様。いい加減しつこいぞ」

 

 休憩のため、倒木に腰掛けていた吟遊詩人。そのすぐ背後に『それ』は立っていた。

 

 吟遊詩人の後頭部には、限界まで引き絞られた弓の矢尻が、今にも突き刺さらんばかりのゼロ距離で押し当てられている。

 

 透き通るような白髪に、赤い双眸(そうぼう)

 儚げな空気感を(まと)いつつも、隙なく服を着込んでいるその姿は、男であるとも女であるともつかない中性的なものだった。

 しかし、その凛とした声は女のそれである。

 吟遊詩人が道中で口にしていた「男装の麗人」とは、彼女のことなのだろうか。

 

「やめて、こわい」

 後頭部に死を突きつけられながら、吟遊詩人は両手をひらひらと上げてみせた。

 しかし、その顔は一切青ざめておらず、むしろ酷く落ち着き払っている。冷や汗ひとつかいていない。

 

「なんだ、今度は仲間を連れて来たのか。何故そこまで執着する? 何度言われても、我々が村を離れることはないぞ」

「わかった、わかった。それでいい。でも、今回は別件で来たんだ」

「別件だと?」

 

 男装の麗人は、なおも弓を下ろさない。

 

 弓使いと子爵令嬢が武器を構えたまま助けに入ろうと身を乗り出すが、彼女から放たれる凍てつくような一睨みと、吟遊詩人の命を完全に握っているという圧倒的な優位性を前に、その場に縫い止められるしかなかった。

 

「彼らは王城から逃げて来たんだよ。異形兵に襲われてね。キミたちが頑なに逃げないというのなら、それでもいい。しかし、彼らを助けてあげられないか? 二百人分の食糧が欲しいんだ。十日間、彼らが逃げのびられるように」

 

「王城だと!? ふざけているのか貴様!」

 男装の麗人の、弓を引き絞る腕の力がさらに強まった。

「我々が王家にどのような仕打ちを受けたか、貴様が知らぬはずもあるまい!」

 

 その激しい口調から、妖精の村の住人たちがイルシオン王家に深い恨みを抱いていることを、少年は察した。

 それまで淡々としていた態度からの、突然の激昂。凄まじい怒気が伝わってくる。

 

「落ち着いてよ、アデルファちゃん」

 吟遊詩人は後頭部に死を突きつけられたまま、依然として冷静な面持ちで対話を続けた。

「ここに……いや。逃げて来た二百人の中には、王族は一人もいないよ。王族に仕える者はいるがね。しかし、そこの弓使い君なんかは、猟師をやっているだけの完全な平民だ。キミは、キミの一存で罪なき平民すら見殺しにしてしまおうとするのかな?」

 

 その言葉に、男装の麗人は微かにたじろいだ。

 

 生じたそのわずかな隙を、吟遊詩人は見逃さなかった。

 

 弾かれたように立ち上がると、放たれかけた矢の射線から滑り出るような神速の身のこなしで、彼女の手をぐいと取ってみせたのだ。

 

「くっ、しまっ──」

「いいや、キミはそんな薄情な子じゃない。キミは優しい子だ。動物すらまともに殺せないらしいじゃないか。なのに、村のために必死になっているその姿。守ってあげたい。ああ、愛してあげたい……」

「やめろ貴様! 顔を近づけるな! 手を握るな!!」

 

 男装の麗人は必死に手を振り払おうと抵抗する。

 だが、見た目に反して吟遊詩人の握力が相当に強いのか、一向に離れなかった。

 

「そうだ。結婚してあげよう。ボクがお家に連れ帰り、一生面倒を見てあげよう。妖精の村が誇る名うての射手と、最強の大魔道士にして絶世の吟遊詩人……。ああ、とても絵になるだろう? そう、世界がボクらの祝宴を待ち焦がれている!」

「ええい、何が大魔道士だ、吟遊詩人だ! 貴様は──」

「んんんー、全てを語る必要はない。さあ、ボクらは今すぐエンゲージし──ぶべぁっ!?

 

 吟遊詩人の暴走を見かねた子爵令嬢が、容赦なく槍の柄で彼の後頭部を叩き伏せた。

 吟遊詩人は目を回し、無様に地面へ這いつくばる。

 

「……あ、その。助かった」

「いえ……見ていられなかったので。色々な意味で」

 

 子爵令嬢と男装の麗人との間に、わずかながら奇妙な絆が出来上がった瞬間だった。

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