少年は、今思いついたばかりの作戦を仲間達に提案した。
まともに攻撃を通さぬ鱗を持つ、二匹の巨体を仕留める唯一の方法。
吟遊詩人が誇る攻撃魔法すら敵わぬというのなら、変則的な形で撃滅するしかない。
少年の放ったその盤面には、ある種の魔力があった。話を聞いただけで「それなら絶対に勝てる」と思わせてしまうような、圧倒的な希望と説得力が備わっていたのだ。
「……しかし、それではライラさんの役割があまりにも危険です!」
薄緑髪の弓使いが、顔を青ざめさせて反論した。
「一歩間違えれば命を落としかねません!」
少年の作戦には、竜の懐へ飛び込める近接戦闘の要員がどうしても不可欠だった。
しかし、この場にいるのは槍を扱う子爵令嬢のみ。救護班の老人は後方での回復役だし、少年や弓使い、吟遊詩人は前線を張れる体力も防御力も持っていない。
必然的に彼女の負担が最も重たくなる。
だが、当の子爵令嬢に不満や恐怖の色は一切なかった。
「やるわ。頭の固い村の連中に一泡吹かせられるのなら、なんだってやってやる。大役を与えてくれてありがとう。……必ず生き延びるから、安心して」
槍を握る手に、強い決意が込められていく。
少年は心配だった。しかし、力強く生き延びると断言した子爵令嬢の横顔は、恐ろしいほどに頼もしかった。
──信じることは、自分の課題だ。信じ通そう、なんとしても。
「どーうだい、アデルファちゃん。闇雲に死にに行かなくてよかっただろ?」
吟遊詩人が先程の激怒から一転、いつものふざけた調子に戻って男装の麗人にすり寄った。
命を散らそうとして激昂されたことへの申し訳なさが勝っているのか、それとも、あえて軽薄に振る舞う彼なりの不器用な慰めを感じ取ったのか。彼女は煩わしそうにはしつつも、彼を強く跳ね除けたりはしなかった。
「キミたち妖精の民は、情報を軽んじる傾向があるからねえ。何においても情報は大切さ。全てを守りたいと思うのなら、
「……わかった、わかった。すまん。貴様の言う通りだよ」
「よーし、仲直りだね。じゃあ誓いのチューをしよう。キミはボクの可愛いお嫁さんだ。今度同じコト言ったら、ボクの口で優しく塞いでぐほええっ!」
すっかり調子を取り戻し、場を弁えず冗談を言い続ける吟遊詩人の背中を、子爵令嬢が無言で蹴り飛ばした。前のめりに倒れ込んできたところを、男装の麗人が受け止めずにサッと
そのときだった。
「あなたたちの作戦には穴がありますわ。理解している通り、戦闘員が圧倒的に足りていませんもの」
声のした方を振り返ると、先程まで村長の傍に立っていたはずの、薄赤髪の使用人がこちらへ近づいてきていた。
その腰には剣が提げられている。村長の家に飾られていた護身用の剣を、飛び出す際に持ってきたのだろう。
「やれやれ。相変わらずの地獄耳だな、アザレア」
男装の麗人が呆れたようにため息をついた。
「この程度の喧騒、聞き分けられない方がどうかしていますわ」
辺りは刻一刻と近づく死の恐怖から、村人たちの不安げな声に完全に支配されていた。先ほど犠牲になった戦士の家族だろうか、悲痛な泣き声や
そんな混沌とした状況の中で、この人物だけが少年たちの密談に正確に耳を傾けていたというのか。砦に残してきた重騎士も耳が良かったが、この中性的な使用人も、それに勝るとも劣らぬ凄まじい感覚の持ち主らしい。
「で? それだけを言いに来たってわけ?」
先程、村長の家で剣を抜かれかけた子爵令嬢が、わかりやすく嫌そうな顔をする。そんなある種子供じみた態度に、薄赤髪の使用人はやれやれと肩を竦めた。
「あなたたちの作戦、試す価値はありますわ。ですから、わたくしも共闘しましょうと言ってますのよ」
「それは助かりますけど……」
村長の許可を取っていないのは明らかだ。後で咎められないのか、と少年は問おうとしたが、赤髪の使用人に強い眼差しで急かされた。
「これ以上、無駄話をしている時間はありませんわよね。全ては村を守るため。……わたくしの命も、あなたに預けますわ。盤面を支配する指示を下さいな、軍師殿」
どういう経緯であれ、最も危険な役回りの要員が不足している現状、命懸けの協力を名乗り出てくれる者がいるのはこれ以上ないほどありがたい。
──勝利のピースは完全に整った。
少年は確信した。
「行きましょう」
絶望の喧騒の中。人知れず少年たちは行動を開始し、地響きを立てて迫りくる二匹の怪物へと向かって駆け出した。
*****
まず、少年は最初の賭けに勝つ必要があった。
すなわち、鈍重に歩みを進める竜どもが、こちらの攻撃にしっかり反応するかどうか、である。何にも目をくれず、ただ人の多い村の中心部へ向かっていくということであれば、立てた作戦の前提が破綻する。
まさに、薄氷の上を渡るかのような策。
結論から言えば、その賭けは成功した。
薄緑髪の弓使いと、男装の麗人による矢で、奴らの注意を引くことが出来たのだ。
二匹の異形竜は、片方が前、もう片方が後ろを同じ速度で歩いていた。
これを分断しなければならない。
手前を歩く一匹に対し、薄緑髪の弓使いが右の側面から、男装の麗人が左の側面から矢を放つことで、その歩みを遅らせ、注意を逸らすことに成功した。
矢に反応し、巨大な顔が一瞬そちらの方向を向く。顔を向ける時の動作でさえも、あまりにゆっくりとしている。
しかし、放たれた矢そのものは、まるで分厚い鉄板にでも当たったかのように、あっけなく弾き返されてしまっていた。事前に吟遊詩人から聞いていた通りだ。まともに物理攻撃が通る気配はない。
「でも、やっぱり口の中だったら……」
「唯一の弱点なのではないか。何度も射れば刺さるかもしれんが──」
別々の場所から、二人の射手は同時に同じことを思った。そして、ここまで来る道中にも少年にその案を提案している。
だが、それは少年によって即座に却下された。
口の中が柔らかいという、通常の動物の原則を当てはめられるような相手ではないこと。そして何より、口を開くということは『炎を吐く兆候』に他ならないからだ。そこで急所を射抜いて倒し切れなければ、射手が確実に焼き殺される。
それよりも、確実に倒す方法を伝授されている。
少年の盤面を信じ、二人の射手はもう一度矢を放つ。
今度はどちらも顔の付近に向けて飛んで行ったが、やはり同じように弾き落とされる。
そして──異形竜は、その矢を放った射手を執拗に追いかけようとも、火炎の塊を吐き出して焼き殺そうともしてこない。まるで、ちょっとした水滴がかかった程度にしか思っていないのだろう。
実を言うと、この時点で矢に激しく反応し、射手への本格的な攻撃を開始してくれるのであれば、少年としてはその方が都合が良かった。そうなれば、子爵令嬢と薄赤髪の使用人──ここでは剣士、と呼称するべきか──は、これ以上の危険を冒す必要がなくなるからだ。
しかし、やはり少年の想定通りであった。
矢程度の刺激では、あの巨体はまともに動いてくれない。
であるならば、当初の策どおり、近接戦闘員たちに前に出てもらうしかない。二人は意を決して、それぞれ巨大な異形竜の顔の前へと肉薄していった。
……子爵令嬢の役割は、先頭を歩く異形竜を、村側から見て左手へとおびき寄せることだ。しかし、実際に接近してみて、彼女は危うく足が
遠巻きに湖畔から見ていた時からわかってはいたが、いざ眼前に立つとあまりにも巨大すぎるのだ。顔の大きさだけでも、自分の背丈の倍以上はある。大きく口を開いて噛み付かれれば、一瞬で即死だろう。
だが、怯むわけにはいかない。自分がここで
「ガチガチに着込んだ重騎士でも、目の前に凶暴な蜂が飛び回っていたら怖がると聞いたわ。さあ、貴方はどうなのかしら、異形竜さん?」
不敵な挑発の言葉をぶつけながら、子爵令嬢は手にした槍を構え、勢いをつけて真っ直ぐに突き放つ。
鋭い切っ先が、わずかに鱗の隙間へと突き刺さった。だが、それ以上はまるで分厚い岩盤にでも阻まれているかのように、少しも奥へ進まない。やはり、通常の武器で致命傷を与えることは不可能に近い。
しかし、今はこれで十分だった。
人間に
竜にとって、子爵令嬢の一撃はまさに『蚊の刺突』そのものだった。煩わしそうに低い呻き声を上げると、巨大な身体ごと、ゆっくりとこちらへ向き直ってくる。
極めて鈍重な動きだが、ひとまず村への侵攻を食い止めることには成功した。
第一関門は突破だ。
そして。真に重要なのはここからである。
「ッ! やっぱり、そうくるのね……!」
事前に少年の口から語られていた懸念通りだった。
異形竜は大きく口を開き、邪魔な『蚊』を迎撃しようと狙いを定めてくる。
炎の塊か、薙ぎ払うようなブレスか。どちらにしても炎の攻撃であることには変わりない。子爵令嬢は即座に身を翻し、大きく距離を取ることにした。
可能な限り、遠距離攻撃である『炎の塊』を誘発させたかったのだ。
もし、幼い頃に読んだ
物理的な障害が生まれれば、異形竜はこちらを追うのを諦め、再び村への侵攻を再開してしまうかもしれない。そんな最悪の未来があり得るからだ。
もちろん、距離を離したからといって、必ずしも炎の塊を撃ってくるとは限らない。これは一種の賭けだった。
やがて、大きく開かれた異形竜の
大きく息を吸い込んでいる様子はない。薙ぎ払うブレスではないと判断していいはずだ。
その予想は当たっていた。異形竜は高密度の炎の塊を生成し、軍船の大砲の弾のごとき猛烈な速度で撃ち出してきた。
「……くッ!」
ただ、想定以上に弾速が速く、そして何より巨大すぎた。先程まで自分の立っていた場所を目掛けて、轟音と共に飛来する火の弾。一瞬でも横へ跳ぶのが遅れていれば、間違いなく直撃していただろう。
「あ……ぐっ……!」
完全に
塊が
ここが木々の密集した森の中ではなく、大きく開けた湖畔の空間で助かった。この地形の広さが味方してくれているからこそ、少年の立てた作戦が成り立っている。
だが、余波を食らった子爵令嬢の服には火が燃え移っていた。対処法は事前に叩き込まれている。
彼女は迷わず地面を転がり、酸素を断つことで無理やり鎮火させた。しかし、火は消えても、肉を焼かれた激痛まで消え去るわけではない……。
「ライラ殿!」
その瞬間、彼女の身体が優しい緑の光に包まれた。火傷による焼け付くような痛みが、みるみるうちに引いていく。
少し離れた安全な場所で、救護班の老人が杖を天に掲げているのが見えた。
この貴重な魔法の杖がなければ、老人は異形竜の射線上に飛び込んで治癒術を行使しなければならなかっただろう。
「ありがとうございます、リフレクサさん!」
「そのまま異形竜の注意を引きつけてくだされ! そちらへ向かっておりますぞ!」
痛みが消えた子爵令嬢は素早く体勢を立て直し、槍を両手に構えて再び異形竜を見据えた。
小癪な蚊に刺されたことと、自慢の炎を避けられたことへの怒りか。確かに異形竜は、こちらへ向かってじりじりと歩を進めてきているところだった。