FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第7章-5:異形竜との戦い・その5

 その頃、薄赤髪の剣士もまた、子爵令嬢と同じように、後方にいた異形竜の動きを完璧にコントロールしていた。

 鱗の隙間を剣の切っ先で貫いて苛立たせ、こちらへ──村から見て右側へと誘導できている。

 

 少年の最初の作戦では、この右側への誘導の役割は二人の射手が担うはずだったそうだ。遠くから何度も矢を放ち、少しずつ注意を引いて歩かせるしかなかった、とのこと。

 それではあまりにも分が悪い賭けすぎる。見かねてこの作戦への参加を表明したのは、やはり大正解だったと言えるだろう。

 距離を大きく離し、火炎の塊を誘発する。薙ぎ払うブレスであれば、作戦そのものが破綻しかねないからだ。

 

 そこまでは、うまくいっていた。

 

 だが。

 

「ぁ……っ!」

 

 なんたる不運。

 後退する足元にあった、小さな石に(つまづ)いてしまったのだ。

 すぐに起き上がることは出来たが、その僅かな隙が命取りとなった。

 

 異形竜は、こちらに向けて巨大な口を大きく開けている。

 超高温の火炎弾が、間もなく発射されてしまうところだった。

 

「そんな……!」

 

 痛恨のミス。

 薄赤髪の剣士は、迫りくる死の熱を前に覚悟を決めた。

 

 そのときだ。

 何者かが一陣の風のように駆け抜け、剣士の身体を軽々と抱き上げてくれたのだった。

 

 金髪に翡翠の目。

 黙ってさえいれば王子のような顔立ちの、吟遊詩人であった。

 

「ちょっと怖いかもだけど、我慢してね」

 

 吟遊詩人は、人間とは思えぬほどの高さへと跳躍した。

 身体の周囲に強烈な風を(まと)わせている。

 風魔法の応用で、空中に浮遊しているようだ。

 

 異形竜は、頭上へ飛び上がった吟遊詩人を目掛けて火炎弾を発射した。

 大砲のように高速で飛んで行ったそれは、しかし、空中をふわりと不規則に漂う対象にまともに当たるはずもなく。

 

 風に煽られたせいか、途中で纏っていた炎も消え失せ、硬い塊がドスッと地面に落下する音が背後から聞こえた。

 

 吟遊詩人は、抱きかかえたままゆっくりと地面に降り立つ。

 

「危なかったねえ。アザレア()

「え、ええ……あ、ありがとうございますわ……」

 

 男に抱きかかえられた状態のまま、薄赤髪の剣士は顔を真っ赤にしていた。

 吸い込まれそうな翡翠の目を至近距離で見つめていると、胸の鼓動が高鳴ってくるのを感じ、思わず視線をそらした。

 

 すると、吟遊詩人はさらに顔を近づけてきた。そのまま口づけをしようとしているようだ。

 

「ちょ、ちょっと……やだ! 離して! どういうつもりなんですの!?」

「んんんー、キミが()()()だとかボクには関係ないよ。可愛い。そして()()()()()。ついている分、むしろお得だね。決めたんだ。ボクらは運命の赤い糸で結ばれていた。愛し合わなければならないひょおおっ!?

 

 吟遊詩人の顔の真横を、一本の矢が鋭い風切り音と共に掠めて飛んで行った。

 カクカクとした人形のような動きで後ろを振り返ると、男装の麗人が心底呆れ果てた顔で、弓を放った後の構えを維持している。

 

「見境なしか、この色ボケ。状況を弁えろ、状況を」

「……すみましぇん……」

 

 しぶしぶと言った様子で、吟遊詩人は薄赤髪の剣士を下ろした。

 降ろされた剣士の方は、まだ心臓がドキドキと鳴っている。

 

「アザレア。貴様はもう少し、強く突っぱねることを覚えろ。まったく……村長様の家ではあんなに勇ましかったのにな」

「ご、ごめんなさい、アデルファ……わたくし、こういうことには慣れていなくて……。次からはそういたしますわ……」

 

 そんな緊張感のない甘ったるい空気を、再び異形竜が近寄ってくる重い地鳴りが切り裂いた。

 これ以上、冗談をやっている場合ではない。三人は気を引き締め、異形竜へと向き直った。

 

 

「さて、美少年の案では、ある程度距離を離した後、方向を真逆に転換させ、湖の方へ誘導しなければならない。だが、水に足をつけて戦うには──」

 

 

 ただでさえ巨大な化け物の注意を絶えず引きつけながら、泥濘(でいねい)や水が行く手を阻む方向へと後退し続けなければならないのだ。

 先程のように小さな石に(つまづ)くだけでも命取りになるというのに、水場となれば一歩の遅れが文字通りの死を招く。

 

「先程、おれが説明した通りだ。しばらく浅瀬で戦う必要がある。アザレアは、足場の悪いところで戦うのは慣れているな?」

 

 男装の麗人は、村を守る戦士としての厳しい顔つきで確認する。

 妖精の村は、森に囲まれ、巨大な湖に面した環境だ。当然、水辺での立ち回りも日常の修練に組み込まれている。とはいえ、この規格外の化け物を相手にした実戦となれば、勝手は全く違うはずだ。

 

「ええ。平地で戦うよりもお手の物ですわ。……逆側の、あの不遜な槍の者は大丈夫かしら?」

 

 薄赤髪の剣士の脳裏に、村長の家で自分に憎まれ口を叩いてきた子爵令嬢の顔が浮かんだ。

 互いに反発し合ってばかりの相手だが、少年の描いたこの『盤面』は、左右両翼の近接戦闘員が完璧に機能し、同時に湖へ誘導できなければ成立しない。

 

 自分がどれだけ上手く立ち回ろうと、水辺での戦闘に慣れていない彼女が足を取られ、炎の餌食になってしまえば、作戦はその瞬間に瓦解してしまうのだ。

 

「ま、心配してあげてる余裕はないね。アザレア君、このまま戦えるかな?」

 

 吟遊詩人の確認に、薄赤髪の剣士は首を縦に振る。

 そして、怖れを殺して再び異形竜へと近づくのだった。

 

 だが今後は至近距離まで近づく必要はない。遠く離れすぎず、近づきすぎず。同じ失態を繰り返さぬよう、少しずつ、二匹の竜を引き剝がしていく。

 

 

*****

 

 

 一方、戦場の中央後方。

 湖畔の波打ち際では、少年がただ一人、静かに佇んでいた。

 

 彼の周りには護衛の姿すらない。

 

 左翼では子爵令嬢と薄緑髪の弓使いが、右翼では薄赤髪の剣士たちが、それぞれ命懸けで巨体の注意を引きつけ、徐々に(こちら)へと誘導してきている。

 すべての戦力を盤面の機能として割り振った結果、必然的に彼は単独でこの場に取り残される形となった。

 

 一歩間違えれば、二匹の異形竜に踏み潰されるか、炎で跡形もなく消し炭にされる特等席。

 

 しかし、少年は逃げるそぶりすら見せない。迫り来る二つの巨大な絶望を恐れることなく、ただ冷徹に戦場の全体を掌握していた。

 

「……両翼とも、ペースは完璧だ」

 

 風に髪を揺らされながら、少年は誰に聞こえるわけでもない声で独りごちる。

 盤面は、完全に彼の描いた通りに動いていた。

 

 次なる関門は、「巨体を反転させ、湖へと誘導できるかどうか」だ。

 そもそも異形竜が水場を嫌って、手前で足を進めるのをやめてしまうという可能性もある。

 

 たった一つ不測の事態が起これば、何もかもが破綻しかねない。

 そんな極限の重圧の中。

 

 少年は、笑っていた。

 

 面白いのだ。

 

 幼い時分から、趣味として頭の中で繰り返していた「自分ならどうするのか」という戦術シミュレーション。それが今、自分の描いた盤面の上で動いてくれる仲間たちのおかげで、現実感を伴って行われている。

 ただの妄想とは違う、命を懸けた本物の戦い。

 

 自分に、本職の軍師のような才があるとは思えない。

 刻一刻と状況が巡る中で、的確な指示を出し続けられる確固たる自信などあるはずもなかった。

 

 それでも、こうしている時だけは、不思議と強気に酔っていられた。

 皆が自分を信じ、自分が皆を信じている。これに勝る高揚感は、きっと他にないのではないか、と。

 

 愛するオルテンシアがこの無謀な状況を目の当たりにしたら、やはり彼女は怒るだろうか。

『心配をかけないでよね!』……そんな彼女の幻聴が聞こえてきそうなほどだ。

 

 

「聞こえますか! そっちに向かってます!」

「こっちもだ! このまま真っ直ぐ来てくれれば上手くいくぞ!」

 

 

 左右から、薄緑髪の弓使いと男装の麗人の声が響いた。

 

 どうやら水場を嫌がる様子はないらしい。第二関門は無事に突破したのだ。

 少年は、内心でほっと胸を撫で下ろした。

 

 だが、ここからが本番だ。

 子爵令嬢と薄赤髪の剣士は、湖のぬかるんだ浅瀬へと足を踏み入れ、極めて不安定な足場で戦わなければならない。

 

 そこに(はら)む危険はあまりにも未知数だ。

 一歩の遅れが、二人の命を無為に失ってしまう最悪の結果を招く可能性すらある。

 

(バニラさんが、この場に居てくれればな……)

 

 デスタン大教会の地下道へ逃れる過酷な撤退戦で、城下町を飛び回り、見事な陽動を果たしてくれた青髪の天馬兵。

 空を駆ける彼女がいれば、この作戦の危険性は大きく減っていただろうに。

 

 しかし、ないものはない。

 今持っている手札だけで、いかに最善の盤面を描くかを求められるのが軍師というものなのだ。

 

 そろそろ合図を出さなければ、竜たちがこちらの意図に気づき、立ち止まりかねない。そう判断した少年は、肺の底から大声で合図を送った。

 

「ゼラさん! お願いします!!」

「オッケーイ! 任せたまえ、美少年!!」

 

 吟遊詩人は既に持ち場に待機していた。

 少年の遥か上空に、風を(まと)ってフワフワと浮き上がっている。

 待ってましたと言わんばかりに反応した彼は、両手を大きく広げ、どちらの掌からも尋常ではない熱量の炎の魔力を出現させた。

 

「立ち(のぼ)れ! エルファイアー!!」

 

 吟遊詩人の放った極大の炎は、湖畔の浅瀬に向かって着弾し、巨大な火柱となって噴き上がった後、すぐに消失した。

 一瞬で沸騰した大量の湖水が、濃密な水蒸気となって空中に爆散する。

 

 それは風によって一気に拡散され、二匹の竜と囮たちの周囲を、真っ白な霧で完全に覆い尽くした。

 

「ライラちゃん! アザレア君! ボクからは異形竜の影がどちらも見えている! 合図があるまで、そのまま下がって引きつけておいてくれ!」

「もちろん! そのときは頼むわよ!」

「わかりましたわ! 信じますわよ、ジェラニウム!」

 

 霧の底から、二人の力強い返事があった。

 間違っても異形竜の攻撃に巻き込まれてはいけないと、少年は一旦その場から下がり、後方の救護班の老人と合流した。

 

 見上げると、吟遊詩人は風魔法を使って上がったり下がったりを繰り返している。

 ペガサスのように、ずっと安定して滞空していられるわけではない、と彼は言っていた。繊細な魔力コントロールが必要で、高威力の魔法を放つよりずっと精神をすり減らすらしく、いつまでも出来る芸当ではない、とも。

 

 実際、彼は額からべっとりと脂汗を垂らしながら、上空から必死に異形竜の正確な位置を確認し続けていた。自慢の魔力を、一気に枯渇させかねない勢いだ。

 

 この目眩ましの霧は、長いこと続くわけではない。完全に晴れてしまう前に、決着をつけなければならない。

 

 しかし、焦りは失敗を生む。少年は確実な成功のタイミングまで、息を呑んで見守った。濃霧の向こう側で死と隣り合わせの綱渡りをしている、二人の無事を祈りながら。

 

 と、そのとき。

 吟遊詩人が、少年と救護班の老人がいる後方へ向かって、喉が裂けんばかりの声で叫んだ。

 

 

「今だーッ! 二人とも、異形竜に突っ込めッ!!」

 

 

 その合図を受けて、霧の向こうから、己の恐怖を力でねじ伏せるような鋭い声が二つ響いた。死の熱に向かって踏み込む怖れを振り払うため、そして、視界の悪い竜に対し「自分はここにいるぞ」と正確な位置を教えるためだ。

 

 少年は事前に、子爵令嬢と薄赤髪の剣士にこう伝えてある。

 

──深く突き刺すのではなく、鱗に向かって全力で武器を打ち付けて、音を鳴らしてほしい。

 

 視界を完全に塞がれたこの濃霧の中で、その『打撃音』だけが、彼らの命を繋ぐ唯一の生命線だったからだ。

 

 そして、そのオーダーは完璧に果たされた。

 霧の向こうから、硬い鱗を叩く『ガキンッ』という鋭い金属音が二回、鳴り響く。

 

「ライラ殿ッ!!」

 救護班の老人が、掲げた杖に祈りを込めた。

 

 それは昨日、城下町で陽動を行っていた天馬兵を死地から救い出すために使われた、奇跡の魔法。

 

──遠隔転送、レスキューの杖。

 

 光が弾け、直前まで巨大な(あぎと)の下で戦っていた子爵令嬢が、肩で激しく息をしながら老人のすぐ傍へと転送されてきた。

 少年が安堵したのも束の間、矢継ぎ早にその杖を上空から降りてきた吟遊詩人がひったくるように奪い、同じように天へ振り上げた。

 

「アザレア君! 今助けるからね!」

 

 直後、同じように薄赤髪の剣士も吟遊詩人の腕の中へと飛び込んできた。

 今まさに目の前で極大の死が迫りつつあったのだろう。普段の余裕は消え失せ、ひどくおびえた表情で息を呑んでいる。

 

 そして、風が吹き抜け、目眩ましの霧が晴れた。

 少年の描いた作戦がうまくいっているかどうか、すぐに答え合わせがなされるはずだ。

 

──これ以外に方法は思いつかない。なんとか、なっていてくれ。

 

 二匹の異形竜は。

 目の前にいたはずの標的を見失ったまま、互いに向かい合わせとなり、すでに大きく息を吸い込んでいた。

 

 極めて至近距離に『敵』がいると判断した両者が選択したのは、遠距離用の炎の塊ではない。

 対象を確実に焼き尽くす、広範囲への薙ぎ払い──極大の『ブレス』だ。

 

 限界まで吸い込まれたそのエネルギーの奔流を、途中で止めることなど物理的に不可能。

 両者は同時に、規格外のブレスを真正面へと吐き出し。

 

 轟音。

 

 互いの放った絶大なる業火が真正面から激突し──決して傷つけることのできなかった分厚い鱗を、木端微塵に砕き割った。

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