FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第7章外伝-1:その頃のオルテンシア・前編

 事の始まりは、前日の昼下がり。

 

 フィレネとの戦争に赴く海上において、オルテンシアの臣下であるロサードとゴルドマリーは、『碧き風空の指輪』を強奪するという大任を見事に果たしていた。

 

 敵の幹部である四狗(しく)の油断を突き、自ら指輪を運ぶ軍船の護衛に志願して掠め取るという、彼ら自身が密かに立案した大胆な作戦の成果である。

 

 自慢の出で立ちが痛々しい傷だらけになるほどの死線を越え、ソルム沿岸部で無事に主君オルテンシアとの合流を果たした二人は、そのまま神竜の軍勢へと身を寄せ、追跡者であるイルシオン王国軍の一部と四狗(しく)二名の撃退に成功。

 

 

 

 そして現在──9の月、3の日。

 夜明けにはまだ遠い、静かな未明。

 

 少年たちが妖精の村での死線を越え、ようやく深い眠りへと落ちていた頃のことである。

 

 新たな戦力と紋章士の指輪を得た神竜の軍勢は、海岸を渡るイルシオンの軍船を追って、フィレネ王国の玄関口、フルルの港へと向かっている。

 

 神竜リュールがもたらす奇跡──聖地リトスの上空に浮かぶ浮遊島「ソラネル」との行き来は、リュール自身が戦闘状態でなければ、現在地を基準として自由に行使できる。

 

 これは、実際に地上を行軍する人数を最小限に抑えられることを意味していた。

 神竜本人と、不測の事態に備えた戦力が地上に立てば、他の仲間たちはソラネルの自室で安全に英気を養うことができるのだ。

 

 ソルム王城から、紋章士の指輪を手に入れるために北の廃墟へ進軍した際も、そうして数日をかけて移動した。

 夜襲の心配がなく、野営の必要もない安息の地。

 

 だが、姉アイビーと折半しているその平和な個室で、オルテンシアは独り、身を焦がしていた。

 

 ロサードとゴルドマリーから聞かされた、愛すべき『彼氏くん』の奮闘。

 

 宿敵セピアを前に啖呵(たんか)を切ったという彼の勇姿。

 見られなかった口惜しさと同時に、二人を守り抜いたその勇気が誇らしく、早くイルシオンへ戻ってその体温を確かめたいという衝動が(つの)る。

 

「あは。ホントに……どこまでも素敵な、あたしの彼氏くん」

 

 愛らしい少年の面影を脳裏に描き、オルテンシアは胸の奥が締め付けられるような(うず)きを感じた。

 

 彼が今、地獄のような王城で耐えている。

 自分を守るために泥を(すす)ってでも生き延びようとしている。

 その献身を想うたび、彼女の身体には逃げ場のない熱が溜まり、指先が微かに震えるほどに彼を求めてしまうのだ。

 

 これ以上は、自分の心すら焼き切れてしまいそうだった。

 オルテンシアは、ベッドの脇に隠していた小さな革袋へ手を伸ばす。

 中にある『それ』は、彼と離れる寂しさに耐えかねて用意した、あまりに秘めやかな代償行為のための道具。

 

 彼女は、ソラネルの静寂を恐れるように深く呼吸を整えると、彼への独占欲を吐き出すための儀式を始めた……。

 

 

*****

 

 

 それから、どれほどの時が経っただろうか。

 

 オルテンシアは、乱れた吐息を整えながら、熱を帯びた身体をベッドに投げ出していた。

 室内には、彼女が一人で抱えるにはあまりに重すぎる、甘く生々しい愛執の残り香が僅かに漂っている。

 

 満足感はある。

 けれど、それ以上に襲いかかるのは、彼本人には決して触れられないという絶望的なまでの虚脱感だった。

 

 (かたわ)らに置いた『彼氏くんの分身』を、見られないように革袋にしまって、彼女は重い(まぶた)を閉じる。

 

 今、彼も同じ月を見ているだろうか。

 そんな感傷に浸っていた──その直後。

 

「……お、お、おお、お。終わっ……た……の、かしら?」

 

 背後から聞こえてきた聞き慣れた声に、オルテンシアは心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃に襲われた。

 

 今頃、神竜の護衛として共にフィレネへ渡っているはずの姉──アイビーが、そこに立っていた。

 

 戦場で見せるあの絢爛(けんらん)なドレス姿ではなく、ソラネルでの普段着。

 頭上に黒いヴェールを戴き、落ち着いた漆黒のロングドレスに身を包んだ、ミステリアスな佇まい。

 

 けれど、彼女の表情は、普段の冷静沈着なものとは程遠かった。

 アイビーは両手を口元に当て、信じられないものを見たかのように目を見開いている。

 

 その顔は耳の根元まで真っ赤に染まり、妹のあまりに濃厚でサディスティックな独白と行為の一部始終を見届け、あまりの衝撃に言葉を失っていたのだ。

 

 彼女自身、自分の心臓が早鐘のように打つのを感じていた。

 妹の歪んだ、けれどあまりに純粋な愛の奔流(ほんりゅう)に、図らずも当てられてしまったかのように。

 

 

「お、お、お姉様ぁっ!? ど、どこから見てたの!? どこまで見てたのよぉ!」

 

 

 オルテンシアは顔を真っ赤に茹で上げ、布団を被ってジタバタと身悶えした。

 音量を殺そうとして漏れ出す悲鳴が、かえって室内の気まずさを増幅させていく。

 

 対するアイビーは、立ち尽くしたまま、なおも収まらぬ自身の動悸に戸惑っていた。

 

『お姉様が聞いたら腰を抜かしちゃうかも♡』

 

 と言っていたが。まったくであった。

 

(……あの侍従の少年と、とても仲が良いのは知っていたけれど。ああ……まさか、そこまで進んでいたなんて)

 

 しかも、先程の睦み言──の体裁をとった独白──から推察するに、主導権を握っているのは完全にオルテンシアの方だ。

 

 だが、それは当然の帰結か、とアイビーは納得した。

 

 第二王女相手に手綱を握る侍従など、それ相応の度胸が必要だ。

 出会いの日、城門で泥を舐めていた彼にそんな器量があるとは思えない。

 

 きっと、妹の愛らしい我儘(わがまま)に振り回され、付き合わされているのだろう。

 

 アイビーは喉の渇きを覚えるほどに緊張しながら、妹の問いに正直に答えた。

 

「ええと……最初から最後まで、全部よ」

「……ウソでしょ……。なんで声かけてくれなかったのよ、お姉様あっ!」

 

 オルテンシアは布団から涙目の顔を出し、姉を恨めしそうに睨みつけた。

 それから再び潜り込み、はずかしさに「いやあああ!」と手足を振り回している。

 

 普段は高飛車に振る舞う妹の、あまりに隙だらけで無防備な姿。

 アイビーはそこに、言いようのない愛おしさを覚えた。

 

「その……。ええと。今、袋に入れられたのが……あの侍従の彼?……そんな状態にして、連れてきたの?」

 アイビーは性愛の機微にはあまりに疎く、彼女が愛していた代物の正体もよくわからなかった。

 

「はあ!? そんなわけないじゃん、馬鹿じゃないのお姉様! これはオモチャ! あたしが魔道実験でこっそり作ってたやつ!」

 そんな姉の天然な問いかけに、オルテンシアは羞恥を誤魔化すように、鋭い言葉で反論をぶつけた。

 

 そしてまた、ベッド上でジタバタする。

 

「うあああああん! 誰か時間を戻して! そうだ、ベレト! 『天刻の拍動』ってやつを使ってよぉ! 今、どこ!? 戻ってきてー紋章士サマあ! エムブレム・エンゲージ! エムブレム・エンゲージだってばあ!!」

「……オ、オルテンシア? 落ち着いて。大丈夫よ、誰にも話したりはしないわ……」

「そういう問題じゃないの! お姉様に恥ずかしいトコ見られたのが、もう、死ぬほどアレなの! 土に埋まりたい! そのまま土と一体化して消えたい!」

 

 

 

 ……そうやって喚き続け、しばらく経った。

 

 長きに渡り、騒ぎ立てたことで精神が落ち着いたのか、ようやくオルテンシアは寝台から這い出した。

 

 彼女が改めて身に(まと)ったのは、ソラネルでの普段着。黒地に水色の格子模様が踊るフリルスカート、真紅のダブルジャケット、そして腰に咲き誇る深紅のバラ。

 あられもない姿を見られた後でも、彼女は彼女らしく、完璧な『可愛い』を武装していた。

 

 しばらくの沈黙が流れた後、先に口を開いたのはアイビーだった。

 

「……私にとっての神竜様のようなものなのよね、貴方にとっての、彼氏くんは」

 

 それは、姉から妹への、最大限の理解の表明だった。

 

 権力闘争に明け暮れる王侯貴族に囲まれた幼少期。

 唯一優しかった叔父さえ去り、誰も信じられなくなった彼女は、周囲が邪竜を盲信する反動のように、密かな神竜信仰に身を寄せていた。

 

 当時、神竜がどのような存在かは知る由もなかったが、あの国において誰もが背を向けるものに生を託すことに、彼女は微かな希望を見出していた。

 

 だからこそ、イルシオン王国軍──実際のところ、直接手を下したのは邪竜の娘ヴェイルだったようだが──が、神竜王ルミエルを討ったと聞いた時の絶望は、筆舌に尽くしがたいものだった。

 

 父ハイアシンスの凶行を嘆きながらも、戦場にてルミエルの子であるリュールと対面し、アイビーはそこに光を見たのだ。

 

 国境での戦いで命を救われたあの日、アイビーは神竜の力になりたいと願った。

 

 それまで敵対していたにもかかわらず、父王がデスタン大教会へ撤退したという情報を神竜軍に伝えたのも、そのためだ。

 

 そして大教会での決戦の末、神竜たちが邪竜軍に敗走を余儀なくされた絶望の最中。

 彼女は臣下二名と共に、奪われた指輪二つと『時水晶』なる宝を敵陣からかすめ取り、彼らの窮地に駆けつけてみせた。

 

──そうした激動の諸々を経て、彼女は今に至る。

 

 彼女が持つ神竜への執着じみた信仰心はずっと妹にも秘められていたが、現在は明け透けとなっていた。

 

「お姉様は……神竜サマの、恋人になりたいの?」

「あ……そういうわけではないわ。敬愛しているのは事実だけれど、あくまで崇め、お守りしたいだけ」

 

 それは紛れもない本音だった。神竜リュールは慈愛に満ちた素晴らしい人物だが、アイビーにとって性愛の対象ではない。

 

「……貴方と彼との関係とは、少し……いいえ、全然違うわね。ごめんなさい」

 

 恋人──そんな言葉を、アイビーは自分自身に当てはめたことなどなかった。

 

 亡き父の後を継ぎ、国を背負う以上、いつかは王配を求められる日が来るだろう。

 けれど、その時隣に誰がいるべきかなど、想像の及ぶところではなかった。

 

「そうだ。私の秘密、オルテンシアには全部話したはずよね。貴方も教えてくれなきゃ、不公平だわ」

「……さっき見たでしょ」

「そうじゃなくて」

「可愛いあたしにあれ以上の秘密なんかないわよ。あ、この服の秘密とか? 実はお姉様が今着ているものと同じ素材で……」

「知ってるわ。それよりも、『彼氏くん』について教えて頂戴。彼の過去についても、詳しく聞いているのでしょう?」

 

 アイビーの口から漏れたのは、純粋な好奇心だった。

 

 三年以上前。城門で額を擦りつけ、這いつくばっていたあの少年が、まさか城内の人々の心を掴み、オルテンシアをあらゆる意味で支配し、支える存在になるとは。

 

 あの日、彼を侍従としてオルテンシアの側に置くよう采配したのは、他ならぬアイビー自身。

 

 一体、彼の奥底に何があったのか。

 自分自身が、彼の中に何を見たのか。

 妹が情熱的にその名を呼ぶほどに愛されている、その本性の答え合わせがしたくなったのだ。

 

 オルテンシアはしばらく、切り出しにくそうに口をもごもごさせていたが、アイビーは急かすことなく、妹の言葉を静かに待った。

 

 少しして、意を決したオルテンシアが、震える指先でスカートの(すそ)を握りしめながら口を開く。

 

「……本当にゼルコバ、お姉様に何も言わなかったんだ。そうよね、もし耳に入ってたら、あの子、今頃この世にいなかったと思うもの」

「ゼ、ゼルコバ……?」

 

 その意外な名前に、アイビーは思考を止めた。




このとき、オルテンシアが何をしていたのか。R-18版に記載してあります。
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