FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第7章外伝-2:その頃のオルテンシア・中編

 ゼルコバ。

 

 それはアイビー直属の家臣だ。金色の瞳を除いて、髪も装束も肌も、その身に纏う空気さえも深い闇に染め上げたような男。

 特定の単語を意味深に強調する独特の語り口は、常に周囲に底知れぬ威圧感を与えていた。

 

 かつて家族を皆殺しにした賊への復讐を果たすため、その身を暗殺の技に浸し、ついに本懐を遂げたという(くら)い経歴の持ち主。

 

 ハイアシンス王がその腕を見込んで取り立て、アイビーの盾として宛がった、毒を以て毒を制するような存在。

 

 今回の戦いにもついてきてくれているが、正直、アイビーは彼が苦手だった。

 

 父が一方的に押し付けた臣下であることも理由の一つだが、何より他者に心を開けないアイビーにとって、彼の底の見えない無機質さは、鏡の向こうの自分を見せられているようで居心地が悪かった。

 

 ゼルコバの瞳にもまた、仕事は全うしつつも、(あるじ)であるアイビーへの冷ややかな拒絶の光が常に宿っているように感じられたからだ。

 実際に、つい最近、ゼルコバ本人からハッキリ「好意的な感情はない」と告げられている。

 

 ……そんな無関係のはずの男。

 それがなぜ、妹の彼氏の話に絡んでくるのか。

 

 アイビーが困惑する中、オルテンシアは(すが)るような視線を姉に向けた。

 

「あの……お姉様。隠し事をしててごめんなさい。でもあたしね、ほんとのほんっとうに、あの子が大好きなの。だから、今から言う話を聞いても……その、怒ったり、あの子を城から追い出そうとしたりしないでね?」

 

 その必死な様子に、アイビーはただ事ではない予感を抱き、無言で頷いた。

 

 そして語られたのは、凍てつくような真実だった。

 

──あの少年は、当初、オルテンシアやアイビーへの暗殺を企てていたというのだ。

 

「……っ!」

 アイビーの背筋に、冷たい氷の刃が這ったような戦慄が走る。

 

 あの城門で、泥にまみれた雪に額を擦りつけ、死にゆく小動物のように震えていた、あの、か弱き少年。

 その懐に、王族殺しの研ぎ澄まされた牙が隠されていたなどと、誰が想像できただろうか。

 

 人を信用しないと言い張り、壁を築いて孤独を気取っていた自分。

 その実、震える子供の姿を見れば一瞬で絆され、毒蛇を懐に招き入れていた自分の甘さと節穴の目に、アイビーは激しい羞恥と恐怖を覚えた。

 

「ま、待ってお姉様! あたし、むしろお姉様には感謝してるの。あの子をあたしの侍従にしてくれたこと、心から感謝してるのよ!」

「けれど……彼、内心では、貴方や私を殺す機会を窺っていたのでしょう? 気づけなくてごめんなさい……貴方を、死の隣に置いてしまったわ」

 

 悔恨(かいこん)に声を震わせるアイビーに、ふと、一つの疑問が過ぎった。

 

「……待って。貴方、どうやってそれに気づいたの? 私にすら見抜けなかった、彼の殺意に」

「ええとね……。そこで、ゼルコバが出てくるの」

 

 

*****

 

 

──それは、少年が侍従として奉公を始めてから、一年が経とうとしていた頃の出来事だ。

 

 雪のちらつく中庭。

 石造りのベンチで一人、本を読んでいたオルテンシアに、影のようにゼルコバが寄り添った。

 

『あの少年は常に「短剣」を隠し持っています。不慣れな「目線」は誤魔化せません。「笑顔」の裏に隠された強烈な「殺意」……。「同じ」道を歩んできた俺にはわかる。「同類」の匂いです』

 

 元暗殺者、そして復讐者。

 ゼルコバは自身の血塗られた過去という鏡をもって、少年の正体を断言したのだ。

 

 オルテンシアは最初、お気に入りの彼がそんな野心を抱いていることを否定しようとした。

 

 けれど、彼女もまた気づいていた。

 時折、彼の目に宿る、すべてを焼き尽くすような悲しく仄暗(ほのぐら)い炎。

 

 吸い込まれそうになるほど美しいその暗闇の正体が、剥き出しの殺意であったことに。

 

『「芽」は摘んでおかなければなりません。秘密裏に「始末」いたしますか。誰にも知られず、「死体」も処理しましょう。「汚れ仕事」は俺の役目です』

 

 アイビーの知る限り、ゼルコバは子供への接し方に不器用な情愛を持つ男だ。

 

 かつて、幼き双子の侍従に『「お菓子」を上げよう。「こちら」においで』と意味深に手招きし、その威圧感で彼女らを号泣させた際、アイビーは彼を厳しく叱責したことがある。

 

 そしてその不器用な関心は、確かに少年にも向けられていたはずだった。隙あらば彼に近づき、何やら気に懸けるような仕草をしていたことを、アイビーは覚えている。

 

 そんな彼が、自らの手で同類である少年を断罪すると言い放った時、どれほどの葛藤を抱えていたか。

 

 アイビーは彼を苦手としているが、その人となりは正当に評価している。

 きっと、身を切り裂かれるような思いで、その『仕事』を志願したに違いない。

 

 そんなゼルコバの冷徹な進言に、オルテンシアはこう答えたのだという。

 

『嫌。殺そうと思えば、あの子、今までにあたしをいくらでも殺せてるはずなの。それにね、みんなに受け入れられて、あんなに優しい笑顔をしながら、誰よりも早く起きて誰よりも遅く寝ているのよ。ただの刺客だなんて、あたしには思えない』

『しかし……ただ「機会」を窺っているだけかもしれません。衆人の「目」があるから、「行動」に移せていないだけでしょう。「本当」に動かれては、手遅れになります』

 

 ゼルコバの懸念は、騎士として、そして守護者としてあまりに正論だった。

 もしアイビーがその場にいたなら、一秒の猶予もなく彼の提案を呑んでいただろう。

 

 けれど、オルテンシアは少年に執着していた。

 それはもはや依存に等しく、姉の忠告さえ遮るほどに強固なものだった。

 

『一年も? そんな理由で一年も手を出さなかったと言うの? 刺客なのに?』

『「それ」は……その。ですが……』

『ゼルコバ、何もしないで。あたしは今の話、聞かなかったことにする。……たとえ、ほんとに、あの子があたしを殺そうとしてたんだとしても。あたしの愛嬌で、心変わりさせてみせるわ。責任は、あたし自身の命で持つから。──お姉様にも、絶対に内緒よ』

『……オルテンシア様、「危険」です……!』

『いい? これはイルシオン第二王女としての命令よ。もう一度言うわ、何もしないで』

 

 

*****

 

 

──語り終えて、オルテンシアは深く(うつむ)いた。

「……今考えたら、確かに危険だったわね。でも、自覚はなかったけどね。きっともうあの頃には、あたし、彼氏くんが大好きになっちゃってたんだと思うの」

 

 かつての殺意を打ち明け、姉を不安にさせてしまった。

 

 言わなきゃよかったかも──そんな後悔が彼女の胸を(かす)める。

 

 けれど、彼はずっと傍にいると約束してくれた。

 それが、たとえ偽りの姿から始まった関係だったとしても、オルテンシアはその『今』を信じたかった。

 

 そして、いずれイルシオンの王となるべき姉に、愛する人の影を隠し続けることは、出来なかったのだ。

 

 長い、沈黙が降りた。

 

 アイビーは深く、深く考え込んだ後。

 ふっと憑き物が落ちたような微かな笑みを(こぼ)した。

 

「……安心して、オルテンシア。私は彼に何もしないわ。もちろん、律儀に貴方との約束を守ってくれたゼルコバにもね」

「え……?」

「結局、手を下せなかった者を咎めるのは恥よ。それに、殺人者であることが罪だと言うのなら、私は今すぐゼルコバを解雇し、自分自身も裁かなければならないわ。大事なのは過去ではない、現在、そして未来。……そうでしょう?」

 

 アイビーのその言葉は、妹への、そして彼女が選んだ少年への『許し』であった。

 

 かの侍従の少年が隠し持っていた毒。

 妹が語る話に、どこか深く腑に落ちるものがあった。

 

 彼が暗殺の企てを抱いて城に潜入したという事実に、今まで一度として疑念を抱かなかった自分に大きな衝撃を受けたのは確かだ。

 

 しかし同時に、それは彼女の中にあった欠片だらけの『答え合わせ』が完了した瞬間でもある。

 

 あの日、城門で泥を舐めていた彼を気まぐれに拾い上げ、侍従として取り立てた自分の直感。

 それは、彼が(まと)っていた、か弱き小動物のような外装の裏側に、抜き身のナイフのような邪悪な光を本能的に見抜き、そこに抗いがたい魅力を感じてしまったからではないか。

 

 実際、先程のオルテンシアの独白──というにはあまりに激しい妄想だったが──を振り返るに、彼の、小動物的な愛らしさに偽りはなさそうだ。

 だが、それと並行して彼が示した『邪悪なまでの知略』こそが、今のイルシオンの命運を繋いでいる。

 

 妹の友人たちの証言によれば、彼は「第二王女の責務を果たすべきだ」と言って四狗(しく)から紋章士の指輪を簒奪(さんだつ)する作戦を単独で立案したという。

 

 さらには、それを咎めに現れた最凶の魔女セピアを前にしても一歩も引かず、その弁舌のみで彼女の殺意を霧散させた。

 きっと最初から、神竜を幇助(ほうじょ)するための策だったに違いない──と、ロサードもゴルドマリーも感嘆の溜息を()いていた。

 

『……これからもよろしくね。イルシオンのために』

 

 一年半前、妹の門出の日。アイビーが彼に向けた言葉。

 

 それは優秀な下僕に向けた儀礼的なものであったはずだが、彼はそれをあまりに(いびつ)で、けれど実直なやり方で果たし続けている。

 

 危うく、頼もしく、そして見目麗しい猛毒を含んだ美少年。

 

 ……そんな稀有(けう)な存在が、今は妹の手の中……。

 

「……羨ましいわ……」

「へっ?」

 

 無意識のうちに喉を滑り落ちた本音に、オルテンシアが(ほう)けた声を上げた。

 アイビー自身、自分の口から出た言葉の熱量に驚き、即座に動揺を押し隠す。

 

──何を言ってるのかしら。どういう感情なの、これは。

 

 否定すれば、かえって怪しまれる。

 彼女は思考を加速させ、王女としての仮面を貼り直した。

 

「あ、ええと……そう、彼、学園に通ったことがないのでしょう? それなのに、オルテンシアの力になれるほどの知略を振るった。その聡明さは、きっと天性のものだわ。その才が羨ましいと思っただけよ」

 

 しどろもどろな釈明。

 

 内心では、己の秘めたる感情に勘づかれたのではないかと戦々恐々としていたが、幸いにもオルテンシアは姉の言葉を字面通りに受け取ってくれた。

 

「そうよねー! 彼氏くんと話してると、自分がどんどん磨かれていく感じがするの。あの子、魔道理論も軍略も正規の教育は受けてないはずなのに、本質を突く能力は人一倍なんだから。学園に行ったら絶対注目されるし、あたしと同じように飛び級して、初級クラスから最上級まで一気に駆け上がっちゃうと思うわ。……あー、もったいない! お姉様、この戦いが終わったら、あの子を通わせてみない? お金、()そうよ、ね?」

 

 オルテンシアの屈託のない提案に、アイビーは安堵の溜息を飲み込み、肯定するように頷いた。

 

 アイビー自身、かつては、かの学園を優秀な成績で卒業した身だ。

 少年が現れた日には、もう既に学園を卒業していた。

 友人が多くできたわけではないが、あの学び舎で過ごした日々は、今の彼女を支える大切な記憶の柱となっている。

 

 王族だから、と(おもね)ることなく、公平な冷徹さで実力を評価する実直な教師たち。

 城内で甘い言葉を吐き散らす王侯貴族や官吏(かんり)たちとは違うその態度に、彼女はどれほど救われただろうか。

 

 彼らなら、名もなき平民である少年の才を正しく見抜き、磨き上げてくれるに違いない。

 

 口先が回る彼は、学園でも注目の的になるだろう。

 たとえ偏屈な教師に目をつけられても、彼はのらりくらりと(かわ)し、巧みな弁舌で翻弄してしまうはずだ。

 

──巧みな弁舌。

 

 そこでアイビーの脳裏に、ある違和感が(よぎ)った。




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