FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第7章外伝-3:その頃のオルテンシア・後編

 少年はかつて、指輪を奪ってオルテンシアを送り出す際、こう告げたという。

 

『十二の指輪を集めれば、亡きハイアシンス王を蘇らせられるかもしれない』

 

 しかし、紋章士の指輪により、死者を蘇生させる奇跡があった逸話は過去にはない。

 博識な彼のこと、そんな根拠のない伝説を本気で信じていたとは考えにくい。

 

 ならば、その言葉は絶望の淵にいたオルテンシアを動かすための方便──あまりに切実で『優しい嘘』だったということなのだろうか。

 

 父の蘇生という、王女が最も(すが)り付きたいと願う光を敢えて演出し、彼女を絶望から救い出して戦地へと送り出した。

 それは冷徹な策略などではなく、彼女を生かすために彼が選んだ、狂おしいまでの献身の形に違いない。

 

 アイビーは、愛おしげに『彼氏くん』を語る妹の横顔を見つめながら、自身の胸の奥に灯った小さな温もりに気づいていた。

 

 かつて死を望み、王族の首を求めていたはずの復讐者が、今はこうして妹を深く愛し、その命を繋ぐために言葉を尽くしている。

 

 その奇跡のような変化をもたらしたものが何だったのか、アイビーは知りたかった。

 

 それは、人を信じられぬまま生きてきた彼女にとって、何よりも尊い希望のように思えたからだ。アイビーは、彼という人間が歩んできた毒と愛の道程を慈しむように、静かに問いかける。 

 

「……どうして、彼は私たちを殺そうと考えたのかしら」

 

 それは、過去の棘を抜くためではなく、今の彼をより深く理解するための、柔らかな問いだった。

 

「私も貴方も、それまで彼との交流はなかったはず。彼は学園に通っていないし、血縁らしき人物が私の周囲にいた記憶もないわ。一体、どこでそれほどの恨みを買ってしまったの?」

 

 そんなアイビーの問いの答えを、オルテンシアは既に持っていた。

 四ヶ月前、5の月のあの夜。少年の理性を焼き切った、あの慟哭(どうこく)の中で知らされた真実。

 

 愛する彼女を死なせたくない一心で、王女としての意志を無視し、性暴力に訴えた彼。

 一時は恐怖に震えたが、その狂気の理由を知った時、オルテンシアは彼への愛おしさを抑えられなくなった。

 

 あのときに知った、少年の評価を致命的に落としかねない、彼の秘密。

 けれど、ここまで隠し事をしないと決めた以上、すべてを曝け出すのが今のオルテンシアにできる唯一の誠実だった。

 

「……お父様に、復讐する気だったんだって」

 オルテンシアは絞り出すような声で、禁忌に触れた。

「彼氏くん、お父様のせいで村を焼き払われて……家族も友達も、全部失ったの。だから……これはあたしの予想だけど。お父様に、自分と同じ地獄を見せたかったんだと思う」

 

「お父様が……彼の村を、焼き払った……?」

 

 アイビーは、オルテンシアから投じられたその凄絶な事実を噛み締めるように、ゆっくりと反芻(はんすう)した。

 

 オルテンシアの表情が瞬時に(かげ)る。

 やはり、言ってはならなかっただろうか──そんな後悔が彼女の瞳を揺らした。

 

 亡き父ハイアシンスを、オルテンシアは愛していた。

 ならば、それ以上に長い時間を共に過ごしたアイビーにとって、父はどんな存在であったか。

 

 アイビーの実母が、その冷徹な策謀で後宮を支配し、幼いアイビーがその煽りを受けて苦労していた頃。

 

 若きハイアシンス王、そしてアイビーとオルテンシアの三人でささやかな茶会を開き、束の間の安らぎを得た記憶。それはアイビーにとっても、決して消えることのない、温かな(よすが)であったはずだ。

 

 そんな慈愛に満ちた父の姿を知るアイビーにとって、少年の憎悪は、根も葉もない誤解として一蹴されるべきものだ。

 かつて少年が父を『あんな王』呼ばわりした際、不快感を(あらわ)にしたオルテンシアの記憶も新しい。

 

 愛する姉が、敬愛する父へのあまりの侮辱に、今この場で激昂するのではないか。オルテンシアは不安に押し潰されそうになっていた。

 

 ……しかし、現実は違った。

 

 少年が復讐心という呪いによって過去を上書きしているように、アイビーの心にもまた、自身の身を守るために封印してきた記憶があった。

 

 それが今、オルテンシアから聞かされた、少年の絶望によって、わずかに蘇ってしまったのだ。

 

 

*****

 

 

『さすがは我らが賢王! 神竜を崇める異教徒どもを、御身自らが殲滅なさるとは!』

 

 アイビーが学園へ上がる、さらに以前のこと。オルテンシアの母が亡くなるより前だった。彼女は、アイビーの在学中に死亡したのだから。

 

 脳裏に響くのは、王侯貴族たちの耳障りな追従だ。

 だが、その声の裏側には、ある種の恐怖が色濃く(にじ)んでいたことをアイビーは捉えていた。

 

 当時のイルシオンは、国教である邪竜信仰にあまりに深く傾倒し、狂気へと足を踏み入れていた。

 神竜を崇める者は(すなわ)ち大罪人であり、処断も辞さぬという極端な思想。そんな、人を人とも思わぬ冷酷な連中に嫌気がさし、アイビーは密かに神竜信仰を始めたのだ。

 

 いつしか城内から姿を消していった人々。けれど、アイビーのトラウマの中では、彼らはいまだに不気味な高笑いを上げ続けていた。

 

 その中心には、いつも実母がいた。

 

 ……母はハイアシンスを愛していたのではない。彼が有する絶大な権力を愛していたのだ。

 

 情など欠片(かけら)もなく、他者への風当たりは刃のように鋭い。彼女はまさに、イルシオンの闇を具現化したような女性であった。だからこそ、血縁者たちはオルテンシアらを除き、実母と共に城を去ってしまったのだ。

 

 オルテンシアの母は、己の心を殺してその闇に取り入り、幼い娘を守る盾となって精神を削り、疲弊していき、力尽きるように死んでいった。

 

 その後──アイビーの母まで、なぜ、死んだのか。真相は、今も霧の中にある。

 

 公的には病死とされているが、アイビーは信じていない。ただ、彼女が世を去った頃から、父の様子は決定的に変わってしまったように思えた。あれほど誇り高かった王が、抜け殻のように邪竜の狂気へと堕ちていった。

 

 ……さて。これは、その母がまだ生きていたときの出来事だ。

 

『やはり、異教徒は火炙(ひあぶ)りにするに限りますな。千年前の恩義も忘れた大罪人にふさわしい末路です』

 

 別の貴族の声。

 

 千年前の何を知っているというのか。

 陰でそれを聞きながら、アイビーは連中に魔法を叩き込みたい衝動を必死に抑えていた。

 

 その時、父は。

 最愛の父ハイアシンスは、果たしてどんな顔でそれを聞いていたか。

 

 ずっと、忘れていたが。

 

 

 

『……そうだな』

 蘇った記憶の中の父はとても、とても悲しそうな瞳をしていた。

 

 

 

 忌まわしい母への記憶と共に、あまりの苦痛ゆえに消え去っていた光景。

 

 各地の村が焼き払われているという情報は、確かに城内にあった。

 

 特にブロディアとの国境付近──その中でも、クレマチス領の村々。()の地の凄惨な焦土は、すべて父の所業であり、国策として有益だと、誰かが(うそぶ)いていた。

 

 村を焼いたのはブロディアの仕業とし、攻め込む大義名分としよう。

 別の貴族が、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 ブロディアが幾度となくイルシオンへ攻め込んでいるのは事実だ。

 

 だが、いくらなんでも無辜(むこ)の民の村を焼くような真似を、あの質実剛健な国が、覇王と慕われるというモリオン王がするものだろうか。

 

 それを、自国の王侯貴族がでっち上げようとしているという、あまりに醜く、信じがたい現実。

 アイビーが人を信用できなくなったのは、もはや必然であった。

 

 

*****

 

 

「……ありえない」

 

 現実へ引き戻されたアイビーが、ぽつりと零した呟きに、オルテンシアは青ざめた。

 少年への、あるいはその過去への強い否定だと思ったからだ。

 

「お父様が、自ら村を焼き払うわけがないわ」

「お……お姉様! ごめんなさい、怒らないで、彼氏くんは、その……!」

 

 しかし、アイビーの憤怒の矛先は、少年には向いていなかった。

 あの日の王宮で、父を褒めそやし、狂気へと追い込んでいった亡者たちへの、消えぬ怒り。

 

「……貴方の彼氏くんが見たものには、きっと、本人が知り得ぬ裏があるはずよ」

「え……お、お姉様?」

 

 全否定どころか、少年の目撃した惨劇の『真相』を認めようとする姉の言葉に、オルテンシアは目を丸くした。

 

 少年が人生を賭して抱き続けてきた復讐心。

 聡明な彼が、確たる証拠もなく王族殺しの刺客になるはずがない。彼が見たのは、紛れもなく『ハイアシンスによる虐殺』だったのだろう。

 

 だが──アイビーが知る父は、あの悲しげな瞳をしていた。

 

 その決定的な矛盾。

 今はまだ、答えは出ない。けれど、この釈然としない(おり)を抱えたままにすることは、アイビーの流儀が許さなかった。

 

「心配しないで、オルテンシア。私は、貴方の彼氏くんに怒っているわけではないわ。これは、本当よ」

「お姉様……っ」

 

 パッと顔を明るくする妹。

 けれど、アイビーの険しい表情の意味を完全には掴みかね、戸惑いを隠せない様子だ。

 

「ごめんなさい、不安にさせて。でも、気になることがあるのも確かなのよ。この戦いが終わって、真の意味で私たちがイルシオンへ帰還できたら。……彼も交えて、調べてみたいことができたわ」

「調べてみたいこと……?」

 

 不安げなオルテンシアの頭を、アイビーは慈しむように優しく撫でた。

「……とにかく、今は安心して。私も、彼という人間への信頼は揺らいでいないのだから。……さあ、そろそろ寝ましょう。目先の戦いに集中しなければ、ね」

 

 ロサードたちの話によれば、イルシオンの軍勢は、フィレネ国民の殲滅を掲げて全軍を投入し、海を渡っているという。実際に、ソルムの海岸から目の当たりにした光景だ。

 

 そんな惨劇を阻むため、現在も尚、神竜は地上において不眠不休に近い強行軍でフィレネの陸路を駆け抜けているはずだ。

 

 この『ソラネル』という聖域が、神竜のいる座標へと転移するための起点(ベース)である以上、彼自身が足を止めることは許されない。

 随伴する仲間たちは交代でソラネルに戻り、束の間の休息を得ることができるが、転移の基準点となる神竜だけは、目的地に着くまで一歩たりとも休むことはできないのだ。

 

 自分たちがこうして安らかな眠りにつこうとしている間も、敬愛する神竜は冷たい夜風に吹かれ、フィレネの陸路をひた走っている。その身を削るような行軍を想い、アイビーは胸の奥を締め付けられるような痛みを覚えた。

 

 二日──いや、一日も経たぬうちに、四狗(しく)、そしてイルシオン全軍との決戦が始まるだろう。

 

 そんな大規模な衝突を前に、余計な不安を植え付けてしまったのではないか。

 アイビーの自省を察したかのように、オルテンシアは重苦しい話を吹き飛ばすような満面の笑みを作ってみせた。

 

「そうね! 美少女にとって夜更かしは最大の天敵。ぐっすり寝られる環境を作ってくれている神竜サマに、心から感謝しないと。あたしも、お姉様みたいに神竜サマを崇めてみようかしら。あっ、崇めると言えば、クランがね、神竜サマファンクラブの会長らしいのよ。あたしのファンクラブも」

 

 まくしたてるように語る妹の頭を、アイビーはぽんと叩いて、早く寝るよう促した。

 

 

 

──間もなく、血塗られた戦いに身を投じなければならない。

 

 せめて今この時だけは、過酷な現実から逃避していたい。

 それは、姉妹が等しく抱いた、ささやかな願いだった。




ここで一区切り。次回以降が第一部の中盤戦。
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