「総員! 軍師の少年が帰還するまで砦を防衛しなさい! 蟻の子一匹通してはならない! 必ず全員が生き延びるのです!」
老騎士が砦内で号令をかけた。
その場にいる全ての者が、先ほどのローダンの金切り声を耳にしており、敵襲であると予測はできていた。
しかし、少年が食糧を持って帰ってくる前に襲撃を受けるとは。
もはや終わりなのではないか……?
民衆の胸に募る絶望と不安を断ち切るような老騎士の力強い叫びに、人々は失いかけた希望の
「むしろ長くもった方です。我々の逃走経路を知っていた割には、邪竜の軍勢は悠長だ。少年は必ず帰ってくる! 妖精の村民を、新たな戦力として迎え入れて!」
妖精の民が新たな戦力になるという確証は、この時点の老騎士にとっても、砦に残る者たちにとっても、根拠のない憶測でしかなかった。吟遊詩人がただ一言「戦力が欲しい」と言い残したきりで、食糧の確保と違って具体的な計画として語られたわけではないからだ。
だが、あの賢い少年が、その僅かな言葉の意図を聞き逃しているとは思えない。仮に吟遊詩人がそう言っていなかったとしても、彼ならば村民を戦力として引き込むための交渉に、頭が回らないはずがない。
何故そんな不確かなことを言い切れるのか、などと老騎士を問い詰める空気の読めぬ輩はここにはいなかった。かの侯爵ですら。
全員が死の恐怖に打ち克つべく、各々を鼓舞する。この三日間、何度も何度も繰り返してきたように。
必ず生き延びるぞ、と。
……間もなく、ロビュスト砦は異形兵たちによって完全に包囲された。歩兵部隊が先行して、正門と裏口から雪崩れ込もうと迫り来る。
「うげえ、数が多いな。ローレル、いけるか?」
裏口に迫ってくる先行部隊の数は、目視で十から二十といったところだ。
重騎士らが防衛する正門は更に多いことが予想されるし、背後にまだ騎馬部隊や飛行部隊が控えていると考えると気が滅入ってくる。
「まだ寝ていたいね。グラディオが全て片付けてくれるかい?」
「冗談だろ。いいから競争するぞ。どっちがより多くの異形兵をぶっ飛ばせるか……なあッ!」
先制攻撃。
赤髪の兵士は器用に自身の愛馬を走らせ、敵陣に瞬時に肉薄したかと思うと、最前に居た斧を持つ異形兵を脳天から両断した。
「やれやれ、持ち場を離れて突っ込んだら駄目じゃないか。私の負担ばかり大きくなってしまう……からねッ!」
突出した赤髪の兵士目掛けて、中距離から弓を射掛けようとする異形兵二匹へ、軽口を叩きながら、緑髪の兵士は抜群のコントロールをもって手槍を一本、そして休みなくもう一本と連続で投げつけた。
弓を引き絞る動作に入っていた異形兵たちは回避態勢に移行することも叶わず、一体、そして少し遅れてもう一体が、正確に胸を串刺しにされて崩れ落ちる。
「へっ。ずりーぞ、ローレル! 飛び道具がある分、そっちの方が有利じゃねえか!」
「きみが先に持ちかけた勝負だろ。負けないよ。悔しかったら魔法剣でも持ってくるべきだったね」
「そりゃあ名案。異形兵が持ってたら
緑髪の兵士も馬を前へと進め、次なる敵を迎え撃つ態勢を整える。
足場は悪いが、条件は異形兵も同じ。ならば、悪路の走破に慣れさせている軍馬を駆る二人の方が、地の利を活かして防衛に徹すれば有利なはずだ。
赤髪にも緑髪にも、敗北の予感など微塵もなかった。
赤髪はさらに馬に鞭を打ち、敵の懐深くへと躍り出る。後方に控える魔道士の一隊を捉えたからだ。イルシオンは魔道を尊ぶ国。魔道の才覚に目覚めなかった兵士たちですら、その長所も短所も知り尽くしている。詠唱の隙に近づき、攻撃を畳み掛けられることに致命的に弱いのだ。
高速で駆ける赤髪の剣閃はまさに雷撃のようで、瞬く間に魔道を操る異形兵の首を三体分、まとめて刎ね飛ばした。
「こいつら魔法撃つ時は普通に喋れんのな! これで四体! 俺の方が優勢だぜ!」
勝ち誇る赤髪の子供っぽさは、最愛の母を失った絶望を必死に押し殺しているに過ぎない。その事実を誰よりも知っているが故に、緑髪はただ苦笑してその背中を見守るしかなかった。
*****
「あ゙ー、まだ耳がキンキンしやがるー! ローダンっつーカス、どこに消えやがったんだよ? 見つけたらタダじゃおかねえかんな、あの燃えカス野郎!」
正面入口での激戦。
先ほどのローダンによる金切り声の攻撃は凄まじかった。咄嗟に耳を塞げた天馬兵ですらダメージが大きいのだから、両手に斧と大盾を持っていた分、反応が遅れた重騎士への衝撃は相当だろう。
それを証明するように、群がってくる先行部隊を相手にしている彼の足取りは酷く覚束ない。完全に気力だけで斧を振り回して敵を薙ぎ倒し、死角から来る攻撃を大盾で受け止めている状態だ。
しかし。
天馬兵が彼に寄り添い、庇って戦うわけにはいかない理由があった。少し離れた位置に、魔道士の集団が陣取っているのを目視してしまったからだ。
魔法は重装兵にとって致命的な弱点である。気力だけでどうにかなるようなものではない。機動力のある天馬兵が、魔法を撃たれる前にさっさと叩き潰さなければならないのだ。
だが、そう考えて魔道士の集団へと強襲をかけたのは、天馬兵の意志だけによるものではない。彼女の駆るペガサス自体が自ら戦況を判断し、下から射掛けられる矢の雨を器用に掻い潜りながら、一直線に空を駆けたのだ。
「さすがアタシのディートバ! アンタも耳やられてるだろうに、よくやるわー!」
愛馬を褒め称えながら、天馬兵もまたその意図を察する。
自分を狙ってくる弓兵を一体たりとも逃さぬよう、すれ違いざまに手槍で仕留めながら、愛馬に促されるまま魔道部隊へ肉薄していく。
「そうよー、魔道士ちゃんたち♡ あんなマジメなカラバッシュさんより、美味しそーなアタシを狙うのが筋ってモンだよねえ?」
魔道を操る異形兵たちは、本能的に魔法攻撃の矛先を一斉に天馬兵へと向けていた。足元がフラついている重騎士より、頭上を飛び回る目障りなハエから叩き落とそうという魂胆か。
そんな四方八方から死が迫り来る絶望的な状況で、天馬兵の口角が吊り上がる。
二日前、城下町で陽動の任に就いていた時以上の、痺れるような高揚感。命のやり取りという極限の死のリスクと隣り合わせで踊るこの局面こそが、やはり彼女にとっての『至上の幸福』であった。
風の魔法が、見えない刃となっていくつも飛んでくる。
生来、魔法への耐性が高いペガサスであっても、風の魔法だけは弓矢に並ぶ致命的な天敵だ。矢に翼を貫かれて馬もろとも墜落死するのが飛行兵の死因第一位なら、第二位は風魔法に翼を切り裂かれることによる、やはり墜落死である。
だからこそ。
「うっひょーーーー! たまんねーーーー! さいっこおッ!! バンバン撃ってこいや魔道士ィ! アタシもディートバも、そんなモンに当たんねーぞバーカ!!」
彼女にとって、そして彼女と狂気の運命を共にする愛馬にとっても、今この死線が最高の瞬間なのだ。
ペガサスは、隙間なく襲い来る風の刃を、空高く舞い上がることで悠然と
甲高い悲鳴を上げて絶命していく異形兵たち。五体いた魔道士のうち、四体は確実に仕留めた。だが、手槍の一本が同じ標的に二度突き刺さってしまったせいで、一体だけ無傷で撃ち漏らしている。
「おー、ガランサスさん、奮闘してんねえ。救護班の姉ちゃんたち、来るの遅すぎ。よくカラバッシュさん今まで耐えたわー。──あ、ディートバ? 矢、飛んで来んぞ」
眼下の戦況を冷静に口にする。
最後の言葉を言い切る前に飛んできた死角からの矢を察知し、ペガサスは急降下してあっさりと避けた。まるで尻にも目がついているかのような人馬一体の動きだ。
その間にも、地上の老騎士は自らの白馬を操り、重騎士の周りに群がっていた異形兵を次々に撫で切りにしていく。そうして出来た僅かな隙を縫って、砦から駆けつけた二人の救護班の女性が、重騎士の耳元に左右から杖を当てて治癒魔法を施していた。
やはり耳から血が流れていたようだ。
あんな音がろくに聞こえない状態でよく防衛線を維持できたものだ、と天馬兵は心底感心した。
「さあて、アタシたちは仕留め損なったザコを──」
空中で体勢を立て直し、本気を出す際の愛用の戦槍に持ち替えた、その時。
撃ち漏らした最後の一体の魔道士が、別の魔導書を抱え、不気味な詠唱と共に全身へすさまじい突風を纏うのを見てしまった。
かつての魔道兵団との合同訓練で、天馬兵はその魔法を見たことがある。
風魔法の最高位にして、大空を往く者にとっての『絶対的な死神』とも呼べる代物。
術者の手元から風の刃が放たれるという性質は基礎魔法と同じだが、その速度と、着弾時の破壊力が桁違いなのだ。放たれた高速の緑の刃は、標的や障害物に触れた瞬間に大気を食い破り、すべてを巻き込んで天へと昇る大竜巻を発生させる。
「ディートバ! 伏せろ! 『エクスカリバー』だ!!」
天馬兵は咄嗟に体を前のめりに倒し、愛馬の首を思いっきり上から押しつけて強制的に下げさせた。
間一髪、愛馬の翼が切り刻まれることだけは防いだものの──。
「があああああああっ!?」
完全に避け切ることはできなかった。
天馬兵の身体を薄く
発生した高威力の竜巻が、見えざる暴力となって彼女の身体を切り刻み、上空へと乱暴に打ち上げる。為す術もなく、彼女はペガサスの背から空高く弾き飛ばされてしまった。
「バニラさん!!」
上空での絶叫に気づいた老騎士が、群がる敵を強引に振り払い、落下してくる彼女を受け止めようと馬を走らせる。
しかし、遠すぎる。
二人の間に何十もの異形兵という分厚い壁が立ちはだかっていなければ、持ち前の神速の馬術で間に合わせることが出来たかもしれない。だが、武器を構える異形兵を薙ぎ倒しながら進むには、時間が圧倒的に足りなすぎた。
「く……そおおおッ!!」
重騎士もまた大盾を構え、群がる異形兵を力任せに突き飛ばしながら前進する。老騎士の救出行動を阻害する敵を、僅かにでも減らそうと。
しかし、それだけで届くような距離ではない。
──あーあ。終わりか。死のリスクを楽しんでたからね、覚悟はしてたけどさ。
空高く浮き上がり、地面へと落下していく天馬兵に流れる時間は、まるで魔法にでもかかったかのようにゆっくりと遅くなっていた。
戦場の狂気を誰よりも愉しんでいた彼女が、目を閉じて最期に思い浮かべたのは、家族の穏やかな姿だった。
──ごめんなあ、お母さん。アタシ、アンタみたいな立派な天馬騎士になれなかったわ。会いに行ったらいっぱい話そうや。……ごめんなあ、お父さん。次の帰省で良い酒持って帰ろうと思ってたんだけどね。先行ってお母さんと待っとくね。
彼女の愛馬が、
そのまま。
青髪の天馬兵は、冷たい雪原へと叩きつけられる……。
「やれやれ。ボクは可愛い子を抱き留めることに恵まれているみたいだねえ」
……ことはなく。
彼女の身体は、風魔法の応用でふわりと宙に浮き上がった、軽薄な吟遊詩人の両腕の中に、しっかりと受け止められていた。