砦の周りに群がっていた第一陣の異形兵は、城からずっと同行している戦闘員たちと、妖精の村の数百人にも上る新戦力により、瞬く間に一掃された。
しかし、これはあくまでも前哨戦。まずは腹ごしらえをして体力を回復させなければならない。
妖精の民と、砦に残っていた元気のある男手が協力し、荷馬車に積んである大量の食糧のうち、今食べる分を計算して砦の中へと運び入れた。その間も異形兵が時折湧いて出たが、数はこちらの方が圧倒的に多い。余計な被害を出させることなく、確実な撃滅に成功。
食糧が砦の中に運び込まれると、空腹が極限状態になっていた者から順に食事にありついた。十日間生き延びるために保存性を優先した食べ物であったが、妖精の民の徹夜の献身により、しっかりと味がついている。二日ぶりにまともに腹を満たせる感覚に、人々は感涙した。
また、妖精の民たちは自分たちの村にある湖の水を汲んできていた。ロビュスト砦付近の川とは違って飲み水として適したそれは、一切の病の心配もなく、人々の乾ききった喉を確かに潤した。
……食事を取りながら、少年は異形兵が現れた際の状況について、重騎士と老騎士、そして天馬兵から詳しい話を聞いていた。
先のフィレネ遠征にて死亡したはずの重騎士団の末端、ローダン。
彼が『意志を持つ異形兵』として現れ、その金切り声で大量の異形兵を呼び寄せたこと。ローダンは直後に姿を眩ませており、この防衛戦でまだ彼を討ち取れていないこと。そして彼が、邪竜ソンブルではなく『ヴェイル』を
ヴェイルはソンブルの娘だが、その事実を多くの者が知っているとも考えにくい。では、何故ローダンはヴェイルを
そこから少年は推察する。
(邪竜の娘は、生前の意志を持たせたまま異形兵を創り出せるのか?)
確証はない。
しかし、重騎士たち三人が見た、明らかに即死するほどの重度の魔法傷を負っているのに無事である、という状態。更には、人ならざる絶叫を上げて異形兵を統率している様子から、彼が『意志を持っているが人間ではない』ということは事実として捉えなければならない。
そして、少年は二日前に城へ逃げ込んで来た避難民の女性が語っていた証言を思い出す。
『おかしな奴らもいたわ。異形兵と一緒に、イルシオンの兵士たちが同じように皆を殺し回っていたの。まるで与えられた仕事だとでも言うように、淡々と……無表情で……』
あの時は分からなかったが、あれがヴェイル製の異形兵のことなのだとすれば、全ての辻褄が合う。
(もし意志持ちの異形兵を量産できるのなら、人間同士を疑心暗鬼にさせるために、全ての異形兵を『元人間』の姿と意志を持った状態でけしかけた方が戦術としてはるかに有効だ。少なくとも僕ならそうする)
だが、実際に現れるのは意志を持たぬ化け物ばかり。これはつまり、意志を持つ異形兵を創り出すのは手間がかかるか、あるいは極めて限定的な能力であるという証拠だ。
(そして、これは一つの重大な事実を意味する)
邪竜ソンブルやセピアには、ヴェイルのように『意志を持つ異形兵』を創り出すことはできないのだ、と。
少年はローダンに関する情報がどこまで知られているのかを重騎士に聞いた。
「遭遇したのは私とガランサス殿、そしてバニラだけだったが……まあ、これで城からの戦闘員は全員聞いたことになるな」
彼ら三名に加え、赤髪と緑髪の兵士、子爵令嬢、薄緑髪の弓使いに救護班の老人。
そして──吟遊詩人。
これが、この情報を知る全ての者となる。
他の避難民たちは傷の手当てを受けたり、食事にありついたりするのに夢中で、聞き耳を立てている心配はなさそうだ。
「この話は、最低限の範囲に留めておきましょう。公になれば大変なことになってしまいます」
「ええ、そうね。お互いの信頼が崩れ去ってしまうわ」
今、隣で話している者が、実は異形兵かもしれない。
そんな疑念を避難民全員に植え付けてしまえば、十日間の逃亡どころか、疑心暗鬼による仲間割れでここで終わりだ。それを分かっていてローダンをけしかけたというのであれば、邪竜陣営というのもなかなかの策士である。
「……しかし、あの男、城とは逆方向から来ました。近隣の村々のある方角からです。これはどう見るべきでしょうか」
険しい顔で老騎士が少年に問う。
確かに、ソンブルが異形兵をけしかけたのであれば、城の方角から来ていなければおかしい。
しかし、この答えを導き出す材料は全くなかった。
推論で答えるしかないのだが。
「ローダンは、近隣の村に陣取っている……のかもしれません」
「はわわ……いつから、なんでしょう? わたしたちが砦に来た時に居た……とは思えません。だって、ゼラさんが村から食糧を盗んで……えー、拝借していたんですもん、ね?」
天馬兵が吟遊詩人の顔を覗き込んだ。
当の吟遊詩人は、いつものふざけた態度を崩し、珍しく冷や汗をかきながら何かを考え込んでいる様子だった。
「……吟遊詩人殿? 何か思い当たる節でも?」
「ああいや! そういうわけじゃないんだけどねえ」
緑髪の兵士の問いかけに、吟遊詩人は慌てて手を振ってみせた。
いつもと様子が違う。そう不審に思ったのは、きっと少年だけではないはずだ。
「その男が異形兵の指揮を握っているというのなら、彼を探し出して討てば、今湧き出ている援軍は止まるかもしれないねえ。ボクは大魔道士だ。分厚い装甲なんか紙切れ同然さ、いい感じに燃やしてあげよう」
しかし、吟遊詩人の言葉には何の保証もない。
ヴェイルが蘇らせたにせよ、今この瞬間に自分たちを皆殺しにしようとしているのは、間違いなく邪竜ソンブルの意志だ。
となれば、ローダン一人を殺したところで、結局は異形兵を無限にけしかけられ続けるのではないか。
……だとするならば、いつまでもこの砦に籠城し続けるわけにもいかないだろう。
少年がそう判断した、その時だった。
「少年! まずいぞ!」
砦の外で湧き上がる異形兵を次々に討ち倒しているはずの男装の麗人と、薄赤髪の剣士が、血相を変えて砦の中へ駆け込んできた。魔道で敵を足止めしている村長の命を受け、伝令に来たのだという。
「数がどんどん増えている! 倒しても倒しても、次から次へと際限なく湧いてくるのだ!」
「このままでは、いくらわたくしたち妖精と言えど限界が来ますわ! ただでさえ寝ていない者が多いんですもの。どういたしますの!?」
聞けば、戦列から遥か後方に離れた場所で、何者かが金切り声を上げるたびに、どす黒い瘴気と共に異形兵が目の前に湧いて現れるという。
間違いない、ローダンだ。
その場にいる誰もがそう確信した。
「やっぱゼラの言う通り、そいつをぶちのめせば、一旦は止まるんじゃねえか?」
張り詰めた空気の中、赤髪の兵士が至極単純な、だが最も確実な結論を口にした。
少なくとも一時的な停止にはなるかもしれない──妖精たちの戦況を鑑みるに、そう判断するには十分な情報であった。
このまま学園へ向けて出発するにしても、ローダンを残したままでは安全を確保できない。重装兵の装甲を無視して攻撃できる吟遊詩人を前線に出し、後続の者たちと妖精の民で異形兵の行動を抑えながら確実に撃破するしかないだろう。
「ゼラ殿。危険な任務だが、お任せできるだろうか」
重騎士が切実な顔で彼に言う。
しかし、吟遊詩人は何か別のことを考えているのか、話を聞いている様子はない。床に目を落とし、親指を顎に、人差し指を口元に当てたまま、ずっと何かを考え込んでいる。
「どうした! ジェラニウム!」
そんな彼の態度に業を煮やしたのか、男装の麗人が声を張り上げた。周囲で食事をとっていた民たちまで驚かせるほどの声量に、当の吟遊詩人本人が一際大きなリアクションで飛び上がる。
「え、ええっ、なに、アデルファちゃん? ボクとの結婚が──」
「誤魔化しなどはいらん。なんだ貴様、様子がおかしいぞ」
確かに彼はよくふざける。
真面目な話をしながらでも求婚はするし、接吻を求めるような男だ。
しかし、話を聞いていないという状態は、いくらなんでも異常だった。何か隠し事をしているのだと、そう考えられてもおかしくはない。
「ジェラニウム……そうですか。特徴的な金髪と翡翠の瞳から、もしやと思っていましたが……あの時の幼子がこれほど立派に成長されたとは」
「ええ。クレマチス辺境伯のご子息です」
かつて老騎士は、辺境伯の幼い息子と顔を合わせたことがあった。
病弱で滅多に外へ出られなかったという、金髪で翡翠の瞳をした幼子の姿を、今もよく覚えている。弱々しかった男の子が、これほど立派に成長し、戦場を駆け回るまでになったのかと、老騎士は深い感慨を覚えていた。
その名を聞き、漠然とそうではないかと思っていた推測が確定し、更に子爵令嬢が補足したことで、それを聞いていた赤髪や緑髪の兵士たちが驚愕する。
「辺境伯の? ならば、学園よりもそっちに駆け込んだ方が確実じゃないか。吟遊詩人殿は何故、それを提案してくれない?」
緑髪の兵士が当然の疑問をぶつける。彼の正体を男装の麗人から聞いたときから、子爵令嬢も怒りながら何度も問うた質問だ。
だが、吟遊詩人は、妖精の村でこのように発言している。
『ボクの父に──クレマチス辺境伯に。イルシオン王家と、その威光にすがる城下や港の人間を助ける気は、まるでない』
その理由はどうしても話せないとの一点張りだった。だが同時に、辺境伯の息子としてではなく、ただの流浪の詩人としてこの状況をどうにかしたいとも言ってくれていたのだ。
少年は、彼の言葉を信じたかった。
それに、今は詳しく説明している時間もない。
「色々と事情があるらしいです。きっとお父上と喧嘩でもなさっているのかも」
少年は苦し紛れにそうフォローを入れた。
「たーしかに。いいトコの坊ちゃんが楽器弾いて女口説いてフラフラしてるんじゃあなあ」
笑いながら赤髪の兵士はあっさりと納得した。
緑髪の兵士や重騎士は、果たしてその程度の理由で自国の危機に背を向けるものだろうか、と釈然としない様子だった。だが、今の緊急事態にあってそれ以上追及することはしなかった。
彼が裏で何を抱えていようと、今は彼の魔法という特大の戦力にすがるしかないという切実な現実があるからだ。
しかし、当の吟遊詩人は、赤髪の冗談めかした言葉にも一切乗ってこなかった。依然として口元に手を当てたまま、焦点の合わない瞳で床の石畳をじっと見つめている。
本当に彼らしくない。まるで、今この軍議の場で『触れてはならない決定的な何か』に気づいてしまい、それを必死に隠そうとしているかのような、痛々しいほどの沈黙。
一体、何を考えているというのか。
「……敵のほとんどは正面から攻めてきている。裏口は、それに比べると少ない。この認識であってますか?」
少年の確認に、実際に表と裏の戦力差を目の当たりにしている老騎士と男装の麗人、薄赤髪の剣士は頷いた。兵種に差はないが、やはり正門側の方が足場が広く、敵も展開しやすいのだろう。
対して裏側は整備されていない山道で、入口も狭い。
実際、妖精の民たちが戦力を分散して防衛に当たってくれている現在も、正面の方に多くの人員を割いている。村長やロサードの両親、そして男装の麗人と薄赤髪の剣士も正面で戦っていた。
「金切り声を上げている者は、具体的にはどの位置にいます?」
「それなりの距離は離しているな。声の反響からして、村を拠点にしてこちらへ送り込んできているという見立てに間違いはなさそうだ」
「重騎士さんの言う通りですわ。徒歩で近づいている隙に、安全圏から異形兵を呼ばれてしまいますわね」
無骨な重騎士と薄赤髪の剣士は、とても耳が良い。そんな二人からの情報は、十分に信が置けるものだった。
少年も「自分がローダンならそうするだろう」と考えた。
村の建物は、万が一こちらが反撃に出た際に、強固な防御壁代わりとなり得る。自分は率先して前に出ず、異形兵の波状攻撃でこちらの戦力を削り切る──なんとも理にかなった戦術だ。
であれば、速攻をかけるしかない。
「では──こうしましょう」
少年はその情報を元に、ローダンを討つための作戦を即座に練り上げる。