「魔道はまずい……魔道はまずいッ!」
上空から降り立ってくる者が
自分の策により分断したはずの、やけに糸目な重騎士と、口を開けば
『わたしに、力を……!』
彼女はそんな叫びと共に紋章士の力で背後に転移し、強烈な魔法の力でローダン自身を消し炭にしたのだ。手槍に持ち替えて反撃する暇すらなく、火炎地獄の中に身を預けねばならなかった最期の時に味わった死の恐怖と屈辱を、また繰り返さなければならないのか。
迫りくる死の重圧の中、ローダンは対抗策を必死に練り上げた。
「あの時とは違うぞ! 今の私には、盾となる異形兵がいるのだアアアアッ!」
短く叫び、己のすぐ隣に一体の異形兵を召喚する。
気功を極めた
異形の骸と化しても、生前の修練の記憶を完全に忘れているわけではない。
気功を持つ者のみが操れる絶対の守護術『チェインガード』。いかなる強力な攻撃であろうと、一度だけ肩代わりし、威力の大部分を殺し切るという特殊な防壁だ。
「私を守れ! これはヴェイル様のご意志である!」
呼び出された異形兵が跳ね上がり、吟遊詩人の射線上へと割り込む。吟遊詩人はすでに極大の炎を放っており、今から魔法の軌道を変えることは不可能だった。
「おや。小賢しいね」
強力な魔道を操る吟遊詩人と言えど、気功術の絶対原則には逆らえない。確実にローダンを焼き尽くすはずだった上級火炎魔法『ボルガノン』は、盾となった異形兵の腕を少し焦がしたのみで掻き消えてしまった。
「だが! 追撃は防げまい!」
地上に足をつけ、続けざまに吟遊詩人は二発目の炎を放つ。
詠唱を破棄し、魔導書による威力補正も切り捨てた高速の射出。上空で溜めていた一撃より威力は格段に落ち、致命傷には至らないだろうが、重装であるローダンの足を止めるには十分な熱量のはずだった。
対して『チェインガード』は、完全無傷の者以外が行使することはできない。ローダンは、先ほど少し腕を焦がした異形兵の身体をぐいと引き寄せ、強引に自らの肉の盾とした。
絶叫を上げて消し炭にされていく異形兵をよそに、当の討伐対象であるローダンは、熱の余波をわずかに受けたのみで無傷のまま生き残った。
その攻防の間に、騎兵たちが村の奥へと詰め寄ってくる。残った重装兵をはじめとする歩兵の中には騎兵を追いかけようとする者もいたが、当然、馬の機動力に追いつけるわけもない。
「次はどうするんだい? もうキミは詰みさ。ボクに大人しく焼かれるしかないんだ」
吟遊詩人は、両腕に再び炎を纏っていく。
次は高速の牽制ではなく、相手を確実に仕留めるために。
その時だった。
はじめて、ローダンは奇襲をかけてきた男の顔を正面から見た。
金髪に翡翠の瞳。どこか王子のような顔立ち。旅人を装うためにみすぼらしい格好をしていても、その身から
「そうか……そういうことか……!」
ローダンは、全ての状況に納得してしまった。
実は今、ローダンがこの村から起こしている砦への波状攻撃は、邪竜陣営からすれば『不測の事態』なのである。
本来ならば、城から逃げ出した避難民どもは、砦へ辿り着いた二日前の時点で内側から襲撃を受け、全滅している手はずだったのだ。自分は、その撃ち漏らしを処断するだけの簡単な役割を与えられていたに過ぎない。
砦で無骨な重騎士の姿を確認した際に覚えた違和感。
有り得るはずのない『彼らの生存』という事態が起きている、その原因とは。
「貴様が我らを
……怒り任せのその叫び声を、老騎士も、赤髪も、緑髪の兵士も、聞き逃さなかった。
言われた当の吟遊詩人は、普段の軽薄な冗談を言う様子など微塵も見せず、冷たく表情を殺したまま、腕に炎を溜め続けている。
「……裏切った、だって?」
ローダンの言葉を最初に
「おいローレル! ゼラのヤツ、最初から異形兵の仲間だったのか!?」
「そう……とは思えないが。でも、確かに怪しいとは思っていたんだ。あの砦に、彼が一人で
彼はロビュスト砦で、たった一人で待機していた。曲作りのために数日滞在していたなどと言っていたが、よく考えればおかしい。
イルシオン王国は今やどこもかしこも異形兵に襲われているという話であり、まともに一人旅などできる状況ではない。付近の村から住民が避難している現状で、身を守るすべのない砦での数日滞在など、自殺行為に等しいのだ。
だが、ある一つの仮説を立てれば、全てに辻褄が合ってしまう。
──吟遊詩人は、邪竜の軍勢が先んじて砦に放っていた刺客。
避難民たちを待ち伏せて、内側から皆殺しにするつもりだった。
つまり邪竜の軍勢は、自分たちが城から逃げ出すことも、何らかの経路を用いて北西側へ逃れ、ロビュスト砦に駆け込むことも、全て予期して網を張っていたということだ。
「ざけんなよ……」
「お待ちください、グラディオさん!」
今にも吟遊詩人に飛び掛かろうとする赤髪を制止したのは、老騎士だった。最初から敵だったと考えるには、彼の行動は不自然すぎると説明したのだ。
彼は少年たちと共に妖精の村へ赴き、そこで妖精の民の説得に確かな貢献をしている。先ほども、風魔法を受けて墜落死しかけていた天馬兵を自らの身を呈して救い出した。
避難民と城の関係者を皆殺しにし、異形兵にすべく邪竜に捧げるつもりだったのなら。これほどまでに命懸けで防衛に協力しているのは、あまりにおかしいのではないか、と。
「……そりゃあそうか」
現に今も彼は、確かな殺意をもってローダンを討とうとしてくれている。
「クレマチス辺境伯の意志か? 邪竜との盟約を破るおつもりなのだな?」
「……いいや。父はセピア様との約束を破るつもりはないよ。だからこれは──」
溜め込んでいた極大の炎を一気に解き放ち、ローダンに向けて射出する。
「
地獄の業火と言ってもいい、強烈な炎の
後ろへ下がろうとも、横へ逃れようとも。重装という鈍重な鎧が、その逃避範囲を大幅に狭めてしまっている。
「あが──」
吟遊詩人の放った極大の炎がローダンに直撃。
このまま消し炭に──
「な!?」
──なる、直前。
ローダンの鈍重な身体を、淡く青い光が包み込んだ。
かつて妖精の村での異形竜との戦いで、救護班の老人と自分が近接戦闘の囮を安全圏へ救い上げるために使用した杖の効力と全く同じもの。
──
異形兵側も、指揮官の緊急避難用の手段を備えていたというわけだ。
これは、天才を自称する吟遊詩人も予想していなかった。
「……クソッ!」
術者の姿は見えない。
杖の射程距離からしてそう遠くない範囲にいるはずだが、どこか死角になる建物の裏から使ったと考えるべきだろうか。
ひとまず、ローダンにはかなりの火傷を負わせた。
しばらくは金切り声を上げることは封印できるかもしれない、が。
確実に仕留められているのと、生かして逃がしたのとでは、今後の戦局が大きく変わってしまう。
作戦は失敗した。
吟遊詩人は顔を青ざめさせ、悔しげにその場に膝をついた。
「何やってるんですかあ、ゼラさん! 早く離脱しますよっ、離脱!」
上空で待機していた青髪の天馬兵が急降下してきて、有無を言わさずゼラを抱き上げ、自分の後ろに乗せる。いつもならこのタイミングで軽薄な求婚でもしそうな彼が、ただ悔しさに唇を震わせているだけだった。
「ガランサスさんたちも! 後ろから異形兵が追ってきてます!」
天馬兵もまた、ローダンの『ゼラは裏切り者』という発言を空から耳にしていた。だが、今はそれには触れないように、声を張り上げて騎兵たちを急かした。ハッとして背後を振り返った三人の後ろには、無数の異形兵たちが武器を手に迫ってきていた。
老騎士の背には、まだ魔法を放った反動から回復しきれていない双子の妹が必死にしがみついている。敵への応戦はほどほどにしながら、まずは無事に正面の仲間たちと合流を果たさなければならない。
「……アイツに話を聞くのは、砦に戻ってからだな」
「ああ。まずは、この邪魔者たちを片付けなければ」
老騎士へと攻撃を逸らさせぬよう、赤髪と緑髪が先頭を駆ける。
硬い重装兵は相手にせず、孤立している軽装の異形兵から的確に倒し、砦への帰還ルートを切り開いていくのだった。
*****
「黙っていないで、ちゃんと説明しろジェラニウム!」
……すっかり夕方になっていた。
ひとまず、砦の周囲に群がっていた異形兵は概ね片付けた。妖精の民にはわずかに怪我人も出たが、重篤な傷を負った者はなく、死者を一切出さずに乗り切ることができた。
だが、異形兵を指揮するローダンを撃破できなかった以上、奴の火傷が治れば再びあの波状攻撃が始まるということだ。今は嵐の前の静けさに過ぎない……。
騎兵たちから作戦失敗の顛末を聞かされた戦闘員たちと少年は、避難民たちを無闇に動揺させないよう一室を借り、そこで吟遊詩人から直接話を聞き出そうとしていた。彼を部屋の中央の椅子に座らせ、その周囲をぐるりと囲んでいる。しかし、当の吟遊詩人はこの一分一秒が惜しい局面においても、うつむいて沈黙したままだった。
ついに痺れを切らした男装の麗人が、彼の胸ぐらを乱暴に掴み上げたのだ。
この直前に、妖精の二名にも『広まれば疑心暗鬼を生ずる』として伏せてある情報のいくつかを共有してある。
「お、落ち着きましょうアデルファさん! 怒鳴り散らしたら、余計話しづらくなるだけ──」
「これが落ち着いていられるか、ナスタ!」
慌てて仲裁に入ろうとする薄緑髪の弓使いをよそに、男装の麗人はなおも吟遊詩人に食ってかかる。
「ジェラニウム! 話さないのなら、今回の事態は全て貴様のせいだったということにするぞ。迷いの森にあの異形竜を放ったのも、貴様だったのだとな!」
妖精の村を襲撃した二体の異形竜の出処については、いまだ判然としていなかった。しかし、もしこの吟遊詩人が邪竜の軍勢に与する刺客であるならば、あの異形竜もまた、妖精たちを焼き払うために、彼自身が手引きしたものなのではないか。
「いいえ……それは、ありえませんわ!」
だが、その推論を真っ向から否定したのは、男装の麗人と同じく妖精の村の住人である薄赤髪の剣士だった。
異形竜が森を
彼のそれらの行動は、全てを滅ぼさんとする敵であるならば不自然極まりないという事実を、薄赤髪の剣士は早口で
「思い込みが激しいのが、アデルファの悪いところですわ。異形兵ローダンの言葉は、わたくしたちを惑わす妄言と考えた方が自然ですわよね。どうしても彼を敵と考えたいんですの、あなたは」
「……だが、ジェラニウムに不審な点があるのも確かなのだ」
『異形竜がいる』とわざわざ注意喚起をしに来たことそのものが怪しいのだと、男装の麗人は反論する。
妖精の村までは、ここから東に徒歩で四刻以上。人里からは遠く離れた、深い森の奥にある。
彼はどこで、異形竜が村の近くにいるという情報を知ったのか。そもそも、何故、ほとんど人を寄せ付けたことのない妖精の村へピンポイントで足を踏み入れたのか。
その納得のいく理由を説明できるのかと問われると、薄赤髪の剣士も言葉を詰まらせるしかなかった。
「
堂々巡りになりかけた議論を切り裂いたのは、今や軍師としてこの集団をまとめている少年であった。少年は前に歩み出ると、吟遊詩人の両肩を正面からパシッと掴み、そのうつむいた顔を真っ直ぐに見据えた。
「僕個人は、貴方を信じています。ですが……貴方を今後も特大の戦力として重用するには、皆の疑念を晴らし、完全な信頼を勝ち得なければなりません」
吟遊詩人は無言で目線を下に向けたまま、少年の言葉にじっと耳を傾け続けている。
「……貴方は、味方なんですか。それとも、敵なんですか」
室内の空気が、凍りつくように張り詰める。
男装の麗人は弓使いや剣士の制止を振り切り、狭い室内であるにもかかわらず弓を引き絞り、いつでも至近距離から吟遊詩人の頭を射抜ける態勢をとっていた。
沈黙の中、少年は出会ってからの三日間の、吟遊詩人の言動全てを脳内で高速で思い返していた。
見目麗しい女性たちに対し──男も一部混じってはいるが──片っ端から求婚し、軽薄に口説きまわっていた姿。
初対面の時、三属性の魔法を同時に操って暗い広間を明るく照らしてみせた、自称大魔道士としての圧倒的な実力。
そして、ふざけた態度の裏で、時折その瞳の奥に覗かせていた『研ぎ澄まされた殺意』。
『ボクの父に──クレマチス辺境伯に。イルシオン王家と、その威光にすがる城下や港の人間を助ける気は、まるでない』
『──アイビーのような下衆を選んでいるのなら、キミを殺さなきゃいけなかったところだ』
少なくとも少年には、この二つの発言こそが、彼の奥底にある人間性の象徴であるように感じられた。ここから
少年はアイビーの本質を知っているからこそ、彼の『下衆』という発言には内心で憤りすら覚えている。
しかし、主観を排して俯瞰してみれば、吟遊詩人は王女アイビーに対して、確かな怒りを向けている。それと全く同じ性質の怒りなのだ。実の父であるはずの、クレマチス辺境伯へ向けていた感情は。
『命を捨てることを美徳としているヤツだけは、どれだけ可愛い女の子だろうが、幼子だろうが、絶対に許せないんだよッ』
異形竜の襲撃時、失った三人の仲間に殉じようとして、一人で死地に向かおうとした男装の麗人へ向けた激昂。あの、実に彼らしからぬ、剥き出しの刃のような怒りも。
確たる根拠はない。ただ、少年はハイアシンス王に復讐を誓ったあの日から今日にいたるまで、常に人の行動や発言の裏を読み取り、先を行くことだけを信条として生き抜いてきた。
だからこそ、論理を超えた直感が告げている。
一見無関係に見えるこれら三つの怒りは、全て、一つの真実に繋がっているのではないか、と。
「ボクは──」
それまで黙り込んでいた吟遊詩人が、ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに少年の目を見た。
その翡翠の
「キミたちの……味方だ」