「元々五日は寝ずに戦うつもりだったとはいえ……こんな不規則な召喚をされては、三日と持たないわ。早いところ手を打たないと」
子爵令嬢の言う通り、このままでは心身共に戦闘員たちが持たない。
今はまだ半数の妖精たちが砦の防衛に残ってくれているが、最終的には自分を除けば、城からついてきている者たちと、吟遊詩人、男装の麗人、薄赤髪の剣士のみとなってしまう。
妖精たちは第二陣の護衛として、いずれ学園へ向かって出発する。そのタイミングで、第一陣についている青髪の天馬兵が帰還して合流する算段にはなっているが、少年の見立てでは、彼女が戻るのは早くても二日後になるだろう。
二日もこの神経をすり減らす防衛戦を続けるわけにはいかない。五日戦い抜く、と宣言したのは、あくまで敵将が魔力切れを起こし、意思なき異形兵だけになった状態を想定してのことだったが、敵が遅滞戦術を取ってきた以上、そうなるのは絶望的だ。
こちらから森へ襲撃をかけ、ローダンを討ち取るか。
いや、やはりそれは危険すぎる。突入したタイミングで大量の異形兵に包囲されれば、向かった者が無事では済まない。
そもそも主戦力を砦から割くこと自体が下策だ。
ローダンの指示によるものだろう、現れてくる異形兵の中には、砦の防衛線を無視して学園側へ走り抜けようとする飛行兵や騎兵が一定数混ざっている。
かといって、砦自体の守りを薄めるわけにもいかない。避難民として残っているのは男性や元気な女性ばかりとはいえ、あくまで戦う術を持たぬ民たちなのだ。
妖精たちの配置もギリギリだ。
弓と魔道の使い手を正面側と砦の屋上に集中させ、村に近しいところでも飛行兵が飛び立たぬよう待機させて、残りで裏口を固めさせている。裏口での交戦数は少ないが、決してゼロではない。第二陣が出発するまで、この防衛の要を動かすわけにもいかない。
柔軟に隊形を変えられるという点で、敵側の方が圧倒的に有利だった。
なんとかして、ローダンの方から表へ誘い出す方法はないだろうか。
──思いつくといえば思いつく、が……。
少年が考えついたその策は、数日前に城の
もし自分が心を持たぬ異形兵であったなら、どんなに楽だっただろうか。ならず者どもと同じように、後先も考えず手当たり次第に辺りを燃やし尽くしたところで、良心が痛むことも、事後の被害に困ることも一切ないのだろう。
だが、自分たちは明日を生きる人間だ。
それに、自分はいずれ王族の伴侶となる身。ここで不必要に悪名を残すような非道を働けば、将来、愛するオルテンシアの顔に泥を塗ることになりかねない。
それでも、敵を森から引きずり出す手軽な方法が、これ以外に思いつかない。
──
「そーんな険しい顔をしなくていいんだよー、麗しき美少年。奴らが遅延戦術を取るというなら、ボクらがやるべきことはひとつだ」
その時、少年の背後からひどく軽薄な声が響いた。
振り返ると、ニコニコと笑みを浮かべる吟遊詩人が立っていた。飛行兵が現れないため、上空の警戒を弓兵部隊に任せて屋上から降りてきたのだろう。
「美少年とライラちゃん、アザレア君、そしてボク。四人で愛し合い、子供をたくさんもうけよう。そう、結婚するんだ。一身に男三人の愛を受けるのだから、ちょっとライラちゃんの負担が大きすぎるかな? でも問題ない。ローダンはのんびりしすぎているからね、三人の子を
「……良かった。すっかりいつもの調子を取り戻した……のねッ!」
子爵令嬢が笑顔のまま、ワナワナと身体を震わせたかと思うと。
容赦なく膝に力を込め、吟遊詩人の
「お゙……」
いつもなら変な悲鳴を上げて吹っ飛ぶ吟遊詩人だが、この渾身の
「きゃーっ! 大丈夫ですの、ジェラニウム!?」
薄赤髪の剣士にも、男性の象徴がついている。
故に、その強烈な痛みがどれほどのものか痛いほど分かるのだ。慌てて倒れ込む吟遊詩人に駆け寄った。
もちろん少年にもはっきりと理解できる痛みであり、過去に事故で受けた激痛を思い出して、思わず顔を青ざめさせた。
「ちょっとライラさん! いくら彼が悪いとは言え、今のはだめですわ、デリケートな場所ですのよ! ジェラニウム、大丈夫? さすってあげた方がよろしくて?」
「こら! やめなさい、アザレアさん。いくら男の子でも、はしたないでしょうが!」
本当にさすりかねない薄赤髪の剣士の迫力に、子爵令嬢も慌てて制止に入った。吟遊詩人は未だに「うぅ……」と唸りながら地面で悶え転がっている。
「何事ですかな!? 異形兵が砦内に現れたのですかな!?」
救護班の老人が血相を変えて走ってきた。
収拾がつかなくなりそうな気配を感じ、少年は「はあ」と深い溜め息をついた。
しかし、極限状態の中で肩の力を抜くには、ちょうどいい茶番であった。
吟遊詩人が未だに塞ぎ込んでいるのではないかと心配もしていたが、僅かなりとも吹っ切れて元に戻ったのならいいと、少年は密かに胸をなでおろした。
「……美少年は、こう考えているはずだね。あの森に火をつけ、奴らを
よろよろと立ち上がりながら、しかし、吟遊詩人は酷く真面目な表情で言った。こちらの腹の底を完全に見透かしているような発言に、少年は息を呑む。
いや、軍事のセオリーからすれば当然の結論ではあるか。誰もがそう考える、ということなのだ。であるならば、ローダン側も同じように火攻めを警戒し、何らかの対策はされていると見るべきなのか。
「ボクがやろう。実際の火付け役は、大魔道士であるこのボクが適任のはずだね?」
「ですが……」
森に火を放てば間違いなく延焼し、無人となったあの村まで丸ごと焼き払ってしまうことになるだろう。
やがて事態が収束し、村人たちが帰還した時に、自分というよりは、自分と連なるオルテンシアが、そして義姉となるであろうアイビーまでもが民から深く恨まれてしまうことを少年は恐れていたのだ。
「異形兵の仕業にすればいい。……それにね、ここで連中を確実に始末しなければ、いずれ逃亡した村人たちも殺されるかもしれないんだ。文句なんか言わせないさ」
フッ、と大袈裟にカッコつけながら言う吟遊詩人。
その言葉の裏にある『この非道の責任はボクが被る』という決意の通り、彼の眼差しは真剣そのものであった。
「ただ……普通に焼くのでは面白くないし、敵にも想定されているはずだ。では、奴らの想定を遥かに上回る、甚大な被害を出してやろう」
「言うのは簡単ですが……一体どうやって?」
少年が首を傾げると、吟遊詩人は視線を後ろへと向けた。
「リフレクサ殿。貴方の力を、お貸しいただきたい」
救護班の老人に対し、吟遊詩人は深々と頭を下げた。
*****
「カカカカ。連中、どうするんだろうな? ネルーケ様の華麗なる作戦に連中はタジタジ! もうおしまいだぜ! なァ!?」
村付近で困惑している様子の兵士たちを遠目で見ながら、ネルーケは腹を抱えて笑っていた。
いつ出てくるか分からない異形兵を常に警戒し続けなければならないのは、異様に精神をすり減らすに違いない。
連中の中には王国の精鋭もいるのだから、真っ向から戦い続ける方がよほど慣れているだろう。だが、精神攻撃に近いこの遅滞戦術を耐え抜く術はないのではないかと考えると、彼は込み上げる笑みを抑えきれないのだった。
対照的に、実際に異形兵を操らなければならないローダンは慎重に立ち回ろうとしていた。
ネルーケはいちいち癪に障る男だ。やはり、このような男がイルシオンの将校だったなどどうかしている。しかし、盗賊時代に培ったであろう生き汚い知恵は、確かに極めて優秀な軍略となって顕現していた。
これが、正規兵を率いることを許され、一度はフィレネを落とすことに成功した秘訣なのだ。末端でしかなかった自分との明確な差を痛感せざるを得ない、とローダンは思い知らされた。
今回の遅延作戦を提案してくれた点には感謝しているが、彼は調子に乗りすぎるきらいがある。自分も焦りすぎずに、冷静な目で戦況を見極めなければならないと、改めて思い直させられた。
「……気を抜くなよ。軍師とやらはだいぶ優秀のようだ。我々を優勢のままで居させてくれるとは思えん」
「カカカカ、お堅いこって。まあ……でも、そうだな」
ネルーケは顎に手を当てて考え込み始めた。
自慢の口髭を弄りながら、うーんうーんと大袈裟に唸っている。
「少数ずつだと負担が少ないとはいえ、完全に負担がないわけじゃねェよな。時間をかけすぎると不利だ。夜明け前になったら、一気に総力戦を仕掛けてやろうぜ」
「夜明け前だと? もう深夜だ。このまま奴らは交代で就寝するはず。仕掛けるとして、今ではないのか?」
「そう考えるのが素人の浅はかなとこなんだよなァ」
この状況において、人が最も油断するタイミング。
それは寝る瞬間でも、起きる瞬間でもないとネルーケは語る。
「このまま異形兵の召喚数を更に落とせ。出しても一体か二体、間隔も落とした方がいいだろうぜ」
「何を馬鹿な。今減らしているだけでも私にとっては賭けだったのだぞ。その間に奴らが逃げ出すかもしれないだろう」
「カカカカーッ! ローダン、いい加減『自分は異形兵だ』っていう現実を受け入れようや、なァ」
ローダンの返答に、ネルーケは嘲り笑うように大袈裟に身体をひねってみせた。そんな所作を見ていると、やはり喉元に槍を突き刺してやりたい衝動に駆られる。
「俺らはな、寝なくても耐えられんの。もう人間じゃねェんだ。アイツらとは違うのさ」
「寝なくても、耐えられる……」
確かに、眠気というものや倦怠感が一切ないようには感じられていた。叫びすぎによる魔力の枯渇を感じるのみで、人間らしい体力的な限界みたいなものは確かになさそうだった。
人間ではない。
その事実は、ローダンの胸を少しばかり締め付ける。
今、城で待機中のはずの妹分のアビュームもまた、自分と同じ異形兵なのだろう。彼女はそのことに自覚があるのだろうか。
いや、余計なことを考えている場合ではない──ローダンはそう頭を振り、ネルーケの言わんとしていることを理解した。
「永遠に寝ずとも連中の動きを監視できる、こちらのほうが依然として有利なわけだ」
「カカカ、そういうことだ。妙な動きを確認したら、すぐさま数多く召喚して、ぶち込めばいいぜ。まだ砦には民が残ってるみてえだが、そいつらが逃げられることはねえよ」
勝ち誇って高笑いをするネルーケ。
彼が調子に乗るほど、ローダンは気を引き締めていった。
この性質を理解した上で、
「なかなか面白い悪だくみだねえ」
その時だ。
ローダンとネルーケ以外に喋れる者がいないはずの空間に、軽薄そうな声が響いた。
「だが、その悪だくみが実ることはない。キミたちはここで死ぬからだ」
──
いつの間に現れたのかと、ローダンとネルーケは戦慄した。
一人なのか、集団で来たのか。音もなく、他に道もないはずの森にどうやって。
その疑問への答えを示すように、周囲の木々がざわざわと不気味に鳴り始めた。
刺客は複数いる、と二人は判断した。
「なるほど、やはりキミが一緒だったか。いつぞやはどうも、ネルーケ君」
「オイオイ! まさか森にやってくるとはな! やけくそになっちまったのかよ!」
ネルーケが高笑いし、ローダンに目配せを送った。
それに呼応するかのように、ローダンは首を縦に振り……。
「キアアアアアアアアアッ!!」
自身の身体にひびが入っていくのも
大量の異形兵──数にして
まさか、どう考えても下策であろう『森へ戦力を割く』という強硬手段で来るとは思わなかった。あの砦の軍師は優秀な人物だと思っていたが、所詮は素人の思い違いだったのだろうか。
しかし、こちらにとっては好都合な状況だ。逃す手はない。ここで迎撃して森にやってきた戦力を全て滅ぼし、そのままこの百の軍勢をもって砦へ
ローダンたちにはまだ、千を超える異形兵を呼び出すだけの余力が残されている。意志を込めた叫びひとつで、何の兵種を出すかも出現位置もある程度自在に操り、瘴気と共にこの辺りへ喚び出すことができるのだ。
ひとまず、森へ侵入してきたこの軍勢を素早く仕留めるためには、機動力のある歩兵部隊と魔道部隊を中心に呼び出せばいい。一気に百以上というのは多すぎる気もするが、砦への総攻撃まで見据えるなら、むしろ少ないくらいだ。
ローダンとネルーケを囲むように現れた無数の異形兵たち。彼らをけしかけるため、ローダンは開いた手を前方へ力強く差し出した。
「皆殺しにしろ! ヴェイル様を裏切った者と、ソンブル様の意志に従わぬ逃亡者どもを惨殺するのだ!」
その号令と共に、異形兵たちは鼓膜を
そんな絶体絶命の状況。
しかし、吟遊詩人は微塵も怯えることなく、ただ
「バカだねえ。だからキミたちは、利用されて死体なんかにされるんだよ」
吟遊詩人は悠々と両手を広げてみせた。
その手と手の間から、強烈な熱を伴う炎が渦を巻いて噴き上がっていく。
「カカカーッ! バカはてめえだぜ! チェインガード、さっき村で見たんじゃねえのかよ!」
村での奇襲の際、ローダンを庇った異形兵が見せた気功術。同じ
ネルーケは、重装であるローダンを盾にしつつこの気功術で魔法の威力を一度でも殺してしまえば、あとは襲い来る大量の異形兵の波に対処しきれず、吟遊詩人は確実に死ぬだろうと目論んだのだ。
「そうだねえ。気功は厄介だ。正直にキミたちへ魔法を放ったんじゃ、ボクに勝ち目は薄いね」
しかし、吟遊詩人が見据えていたのは、討つべき敵将の二人でも、押し寄せる大量の異形兵でもなく。
周囲を取り囲む、森の木々そのものだった。
「特別に見せてあげよう。大魔道士の神髄! 本来ならば莫大なお金をもらうところだが、貧乏な死体からはふんだくれそうにないからね! 今日は無料でいいよ!」
初級魔法ファイアー。中級魔法エルファイアー。上級魔法ボルガノン。その三つの術式を同時に掌から生み出し、暴れる熱を無理やり融合させると、極大の爆炎が練り上がった。
それを勢いよく上空へと打ち上げ、ある程度高く浮かび上がったところで、吟遊詩人は掲げた手をグッと握り締めた。
「これがボクのオリジナル大魔法! ご照覧あれ!
その瞬間。
上空に打ち上がった巨大な火球が限界を迎え、鼓膜が破れるほどの轟音と共に炸裂した。凄まじい熱波と強力な炎の雨となって、森の広範囲へと降り注ぐ。強力な魔力の炎を直接浴びて焼かれていく異形兵もいたが、大半の者はその降り注ぐ炎を避けてみせた。
もちろん、ローダンとネルーケも周囲の異形兵を盾にし、直撃は免れている。
だが。
「おいおい、まずいぞ!!」
その極大の炎は、周囲の木々を一瞬にして激しく炎上させた。吟遊詩人の背後にある唯一の森の出入り口も、爆発的に燃え広がった炎の壁によって完全に塞がってしまっている。
「なんつーヤツだ! 退路を断っての自爆特攻かよ!?」
狂気の沙汰に焦り散らすネルーケ。
しかし、当の吟遊詩人の表情は、燃え盛る炎の中にあってあまりにも涼し気だった。
「そんなわけないだろ? 本当にバカだねえ」
舌をべーっと出して子供っぽく挑発した後。
吟遊詩人の身体が唐突に青白い光に包まれ、瞬時にその場から掻き消えてしまった。
レスキューの杖によって救出されたのだとローダンたちが理解するのに、そう時間はかからなかった。