FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第9章外伝-4:砕かれた平和の後で・その4

 襲われかけていたところを救われた安心感からか、オルテンシアはその場に力なくへたり込んだ。

 

 男の子の件も相まって、気を抜けばそのまま泣き崩れてしまいそうだった。だが、自分と年齢がさほど変わらぬクランと、最年少のアンナが気丈に振る舞っているのに、泣き顔を見せるわけにはいかないと(こら)えた。

 

 それでも、すっかり沈んでしまっている表情に、いつもの笑顔を張り付けるのは今は難しかった。

 

「オルテンシア王女、あの、お怪我をされているのですか……?」

「たいへん! 傷薬をもってきているのよ。タダでいいわ。軍の()()()だしね」

 

 二人が慌てて駆け寄ってくる。クランは黒馬から下り、アンナは懐から取り出した傷薬を、オルテンシアに差し出した。

 

──あたしはなんて無様なのだろう。

 

 そう、苦笑いしてしまう他なかった。

 

「あ……大丈夫よ。ケガなんてしてないわ。安心しちゃって、疲れが出ちゃったのかも」

「でも……」

 

 クランの顔が(かげ)る。別の場所で生き残りの民を探していたため、直接その現場を見ていなかったが、主君であるリュールから何が起こったかは聞かされていたのだ。

 

 まだ年端も行かぬ男の子に強烈な憎悪を向けられたオルテンシアの気持ちは、想像以上に辛いものだろう。

 

 喧騒を聞きつけ、なんとかしなければと彼女の捜索を真っ先に申し出たが、どうにもうまく慰められる気はしなかった。それほどまでに、彼女が受けている精神的なダメージは大きなものだ。

 

「ここで少し休んでいきましょう? 敵がきても、わたしとクランがやっつけてあげるわ。ね、オルテンシア王女」

 と言って、アンナは切り株を指差した。先程までオルテンシアが腰をかけていた場所だ。

 

 アンナもまた、クランと同じだった。オルテンシアがあまりに心配で、クランと共に捜索することを表明したのだ。

 

 馬と徒歩では足並みが揃わないため、機動力のあるクランを先行させ、彼女が森に駆け込んだのではと推測したアンナが後から急いで追いかけてきたというわけだ。

 

「……ありがと。少しだけ、言葉に甘えてもいい?」

 

 先程まで、あの男の子に胸の内を伝えようと意気込んでいたオルテンシアだったが、急に怖くなってしまった。今の異形兵との戦闘が、気を削いでしまったのだろう。

 

 他にも敵が潜んでいる可能性があるが、今は二人に任せてしまおう。

 あまりに多いようなら、港にいる神竜サマに急いで伝えなければ。

 

 そう思考を回しながら、再び切り株に腰をかけるのだった。

 

 そこから、少しの間を置いて。

 重い沈黙を引き裂くように、最初に切り出したのはクランだった。

 

 

「実は、埠頭でしていた話を聞いていたんです。オルテンシア王女には、故郷に残した恋人がいらっしゃるそうですね」

 

 

 セリーヌたちと会話していたとき、クランたちはたまたま近くに居たのだという。

 

「おどろいたわ。かれしがいるのに、わたしからあれだけ買って、魔法の香水まで借りたの?」

 初耳だったアンナは目を見開いて、口元に手を当てている。

 

 ソラネルにおいて、オルテンシアが「軍に美男美女が多すぎて自分が埋もれる」と嘆いたところ、アンナは彼女の期待に応えられそうな商品を紹介したのだ。

 

 誰よりもモテたいなどと言うものだから、恋人が欲しいのかと思っていたが、既に相手がいたとは驚きだった。

 

 結局、「努力をしないでモテたら楽しくない」と言って香水を使わないと宣言していたのだが。そのひたむきな姿を魅力的だと思ったのは、つい最近の話だった。

 

「そりゃあ……彼女がモテモテな方が、彼氏くんとしては鼻高々だと思うし……」

 しょげながら答える姿。

 

 アンナも、横で聞いていたクランもなんだかおかしくて、ふっと噴き出した。

 

「なによぅ……。なにか変なこと言った?」

 

 少しむくれて頬を膨らませるオルテンシアに、アンナは悪戯っぽく笑って首を横に振った。

 

「ううん。かれしへの愛情がすごいなと思っただけよ」

 

 その言葉には一切の嫌味はなく、純粋にオルテンシアの一途さを微笑ましく思っていることが伝わってくる。隣にいるクランも、うんうんと深く頷きながら言葉を継いだ。

 

「ええ。セリーヌ王女も仰っていましたが、僕も会ってみたくなりますね」

 

 神竜リュールを誰よりも熱心に慕っている彼から見ても、これほどまでに深く愛されている人物というのは、純粋な好奇心をそそられるのだろう。

 

 目を輝かせるクランの横で、アンナはちゃっかりといつもの行商人としての顔を覗かせた。

 

「わたしもよ。オルテンシア王女のかれしにふさわしい、おすすめの商品を紹介しなくちゃ」

 

 こんな時でも決して変わらない彼女の商魂の(たくま)しさに、張り詰めていたオルテンシアの心も思わず毒気を抜かれてしまう。

 

 それほどまでに、自分が醸し出す『彼氏愛』は大きなものなのだろう。なんだか恥ずかしくなると同時に、今すぐにでもみんなとあの子を会わせたい気持ちが大きくなる。

 

 彼が軍に来たら、恐らくソラネルで誰もが目を見張るほどの精密さで掃除をこなし、馬や家畜の面倒を見て、美味しい料理も作ってみせるだろう。その合間に軍略を立て、邪竜の軍勢に一泡吹かせるような策すら立ててしまうかもしれない。

 

「……はぁ」

 

 戦闘能力と縁がないこと以外、完璧と言ってもいい、あの可愛い少年。

 それに対して、なんとも不甲斐ない自分に、オルテンシアは溜息をつくことしか出来なかった。

 

「あたしね。戦争がどういうものなのか、ちゃんと理解していなかったかもって思うと恥ずかしいのよ」

 

 膝をかかえて、オルテンシアは重々しい雰囲気を(まと)いながら言った。

 クランもアンナも彼女を茶化さずに、その言葉に静かに耳を傾け続けている。

 

「悪いヤツと良いヤツが戦って、良いヤツが勝つ。そういう単純なものだって思っていたの。実際、あたしがこれまでに戦った相手はね、領土侵犯のことをなんとも思ってないブロディア兵に、神竜サマの軍に入ってからは異形兵が大半で、後はヴェイルとか四狗(しく)とか、人を殺したがってるイルシオンの兵士とかそんなのばっかり。自分のやってることに、間違いなんてないって思ってたわ」

 

 そんな彼女の言葉に、二人も静かに頷いて同意した。

 

「そうですね。僕も異形兵とイルシオン兵と……あとは盗賊くらいです。僕らが倒さなければ、誰かが悲しむ。そういう思いで戦ってきました」

「いっぱい、いのちを摘み取ってきたわ。わたし達が何かをころすたびに、きっと世界がへいわになるんだって信じて……」

 

 まだ幼い二人は、その重みを十分に理解しているようだった。

 

 盗賊にしてもイルシオンの兵にしても、ただ暴虐の限りを尽くそうとする者もいれば、何かを守ろうとして必死に戦っている者もいて、事情は様々なはずなのだ。

 

 自分たちに降りかかる火の粉とあらば、それらを処断することこそが正義なのだと信じて、戦ってきた。その亡霊がまとわりつく夢を見たことは、誰しもがある。

 

「あたしね、今している戦いが間違いだとは思ってないの。でも、戦争が起こると、それだけ理不尽に奪われる者もいるのよ。あの男の子みたいに」

 

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 その残酷な事実を、実際に今回痛感してしまったのだ。人を守っている気になっていて、結果的に戦火を広げているのだとしたら、自分たちもまた何かを奪う側なのではないかと。

 

「あたし、あの男の子に言おうとしてたの。イルシオンの現状と、本当の敵が何なのかを。でも……」

 

 きっと真っ向から向かい合えるであろう彼氏くんとは違って、あたしにはそれが出来そうにない。そう彼女は語った。

 

 自分には、その資格は存在しない……そう言ってオルテンシアは深く俯いてしまった。

 

 クランとアンナには、かけてあげる言葉が見つからなかった。軽々しく何かを言うには、二人には人生経験が決定的に欠けている気がしたからだ。

 

「資格がないだなんて、ご自分を責めないでください。……誰かを傷つけてしまうことを恐れ、人の痛みに寄り添って涙を流せるオルテンシア王女のお心は、まるで、御伽噺(おとぎばなし)に出てくる心優しい姫君のようです。王女の真摯な言葉なら、あの男の子の凍りついた心も、きっと溶かせるはずですよ」

 そのとき。背後から不意に優しい声色と共に、一人の女性が現れた。

 

 セリーヌ王女の近衛である、クロエだった。

 

 彼女が乗ってきたグリフォンは、クロエの後方で静かに羽根を休め、(あるじ)を待つように大人しく喉を鳴らしていた。

 

「クロエ……。あの、男の子はどうなったの……?」

「なんとか瓦礫を撤去して、救出には成功しました。ですが──」

 

 言葉を区切り、クロエは伏し目がちに視線を落とした。オルテンシアにこれ以上過酷な現実を告げてはいけないかもしれないと、一瞬ためらったのだろう。

 

 しかし、優しい嘘で誤魔化してもすぐにわかることだと思い直し、彼女は静かに事実を紡いだ。

 

「……長時間、重い瓦礫の下で圧迫されていて。その……足はもう、動かないだろう、って」

 

 セリーヌや神官たちをはじめとする杖使いの尽力をもってしても、命の危機となる外傷を癒すのが精いっぱいで、すでに壊死の始まっていた両足をどうにか出来そうにはなかったようだ。

 

 死んだ母が薬師(くすし)だったゼルコバを始めとする医療に精通した者たちですら、「薬や魔道による治療も絶望的」と判断を下したという。

 

「そんな……あたしの、せい……?」

「! オルテンシア王女、悲惨な現実を悪い風に歪めて、ご自身で全てを抱え込もうとしてはなりません! 悪いのは、平穏なフィレネに理不尽に攻め込んできたイルシオン王国軍であり、彼らを指揮した四狗(しく)たちなのです。今のオルテンシア王女は、何も悪いことをしていないではありませんか!」

 

 いつも母性溢れる柔らかな物腰で、オルテンシアの話し相手になってくれているクロエ。

 

 大人の女性としての魅力たっぷりの彼女に憧れ、自分にないものすべてを持っている完璧な人だとして、無意識に少しばかり避けていた時期もある。

 

 そんなクロエが、今の言葉に込めた感情。それは、理不尽に傷つくオルテンシアを案じる深い悲しみと、悪意に対しての静かな怒りなのだと、オルテンシアは悟った。

 

 ずっと笑顔の絶えない彼女が、こんなにも真っ直ぐな怒りを向けることもあるのだと驚きつつ、彼女にそんな顔をさせてしまったことを自省した。

 

「ご、ごめんなさい……そんなつもりじゃ……」

「オルテンシア王女。他者の痛みを自分のことのように悲しめるその優しさは、王女の立派な魅力です。以前、王女に、『わたしにないものだってたくさんあります』と言いましたね。それが、そのひとつです」

 

 クロエは幼子をあやすように、オルテンシアの頭を優しく撫でた。

 

 その温もりに触れると、オルテンシアの強張っていた心が不思議なほどに安心していく。お姉様や彼氏くんに頭を撫でられるのとは、また違う感覚。

 

 そうだ。彼女と接していると、幼い頃に、今は亡き母へ甘えていた時の空気に、とても近しいものを覚えるのだ。

 

 顔立ちも、物腰も、言葉遣いも全然違うのに、クロエはどこか母に似ている気がすると、今になってオルテンシアは気づいた。

 

「だからこそ、自分のせいだと理不尽に断じてはいけませんよ。それは本当の優しさではなく、ただの逃げです。……って、ああ、ごめんなさい。わたしとしたことが、こんなお説教じみた真似を」

 

 他国の王女に対してなんという無礼をしているのかと我に返り、慌てて手を引っ込めようとしたクロエだったが、オルテンシアはそれを拒絶しなかった。

 

「ううん。クロエの言葉は、すっと心に入ってくるわ。……お願い、続けてくれる?」

 

 そう。なんだか本当に、母に優しく注意を受けているような心地がするのだ。

 

 母と比べればずっと若いはずのクロエが、何故ここまで頼れるのか。数日前に、お互い学び合って高め合おうと約束したばかりだが、今の未熟な自分が彼女に与えられているものなど本当にあるとは思えない程、クロエは大人に感じた。

 

「では……遠慮なく。あの男の子も、本当はわかってくれていますよ。セリーヌ様が、一生懸命伝えておられましたから。オルテンシア王女はフィレネを救うため、自分の心を殺して、父君と戦われたのだと。あの子、泣きながら黙って聞いていましたよ。……それなのに、オルテンシア王女がそうやってご自分のせいにして俯いていては、あまりにも悲しすぎます」

 

 そう言われて、オルテンシアは確かにな、と思った。

 

 自分がフルルを焼き払ったわけではない。焼き払ったのは異形と化したハイアシンスと、暴虐の限りを尽くしたイルシオン兵だ。

 

 ヴェイルのことを「悲劇のヒロインに酔っている」と心の中で激しく非難していたが、これでは自分も同じではないかと、自嘲の念を禁じ得ない。

 

 自分が悪くないものを自分が悪いと断じて悲劇に浸るのは、必死に戦う周囲への侮辱であり、ただの逃げなのだと、幼い頃に姉のアイビーからも怒られたことがあるのを今になって思い出した。

 

「それに、オルテンシア王女の大切な殿方も、そんな弱気なことを口にする王女のお姿を望まれてはいないはずです」

「……え。あたしの彼氏くんの話、セリーヌ王女から聞いたの?」

「ええ。戦闘終了時に王女が酷く塞ぎ込んでおられたのは、ハイアシンス王の悲劇だけではなく、国に残してきた恋人へのご心配も原因なのだと」

 

 オルテンシア王女の愛する男性が、城の侍従であることまでセリーヌは話したのだそうだ。

 

 一途な他国の王女と、彼女に(かしず)く美しき侍従──とても絵になるロマンチックな男女の組み合わせに違いない、ぜひお二人が並んで立っているところを拝見したい、とクロエはいつものように目を輝かせて微笑んだ。

 

 この極限状態にあっても変わらぬ彼女のブレない趣味に、張り詰めていたオルテンシアの心は思わずほぐれ、少しだけ吹き出して笑ってしまった。

 

「みんなして、会いたい会いたいって……。わかった、絶対に会わせてあげるわよ。あの子の可愛さと凄さを、みんな直接見てびっくりすればいいんだわ……」

 強がって言いながら、とめどなくオルテンシアの目から大粒の涙が溢れ出していた。

 

 ポロポロと泣き出した彼女を見て、クランとアンナはどうしていいか分からずオロオロしてしまうが、クロエは優しく両手を広げ、自分の胸に飛び込むようにと促す。

 

 その深い包容力に応じて、オルテンシアは子供のように大泣きしながら、クロエの胸にすがった。

 

 

「あの男の子、わかってくれるかなあ……⁉︎ あたしやお姉様に死ねって、もう言わないかなあ……⁉︎」

 

 

 幼い瞳から向けられた剥き出しの殺意と憎悪が、彼女にはひどく辛かった。

 彼自身の発言そのものが辛かったというよりは、それが『今後のイルシオンの立場』を象徴する、呪いのようにも思えたのだ。

 

 オルテンシアは、いずれ戴冠する姉を一生かけて支える気でいる。だが、イルシオンはもう「ブロディアから常に侵略されている被害国です」などと主張できる立場ではなくなった。

 

 覇王モリオンの無惨な殺害。美しき港町の理不尽な崩壊。そして、実害はほぼなかったとはいえ、熱砂の国ソルムへも不当に攻め込んでいる。

 

 世界中から憎悪の対象となるであろうイルシオンを、今後どうやって立て直せるのかと思うと、ただ絶望しかなくて身体が震えあがってしまうのだ。

 

「ごめんなさい、イルシオンが……ごめんなさい……!」

 

 王女たるもの、こうやって子供みたいに泣くのはやめようと決めていたのに。一度決壊した涙腺からは、織り交ざった感情が次々と溢れ出し、どんどん膨れ上がっていく。

 

 仲間たちに温かく支えてもらっている、救いのような喜び。

 元凶である邪竜ソンブルとその娘ヴェイルに対する、激しく黒い怒り。

 国同士に決して消えない大きな亀裂が入ってしまった現実への、深い哀しさ。

 そして、愛する彼氏くんをみんなに会わせたらどんな顔をするだろうという、楽しい空想。

 

 あらゆる感情が胸の中でぐちゃぐちゃになって、ただ大声で涙を流す以外のことを、今のオルテンシアには出来なかった。

 

 そんな彼女の慟哭を、クランとアンナは心配そうに黙って見つめ、クロエは母のように「よしよし」と背中を撫でて、その小さな身体が背負う痛みを静かに受け止め続けた。

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  • 少年:主人公
  • 子爵令嬢:ライラ
  • 吟遊詩人:ジェラニウム
  • 赤髪の兵士:グラディオ
  • 緑髪の兵士:ローレル
  • 無骨な重騎士:カラバッシュ
  • 青髪の天馬兵:バニラ
  • 老騎士:ガランサス
  • 薄緑髪の弓使い:ナスタ
  • 救護班の老人:リフレクサ
  • 男装の麗人:アデルファ
  • 薄赤髪の剣士:アザレア
  • 幼き侍従・双子の姉:スズ
  • 幼き侍従・双子の姉:ラン
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