「バニラ!? 貴女、戻ってくるのが早すぎじゃない!?」
青髪の天馬兵の姿を認め、真っ先に驚きの声を上げたのは子爵令嬢だった。
彼女は、第一陣の出発から二日後を目途に砦へ戻る手筈になっていた。
学園までの道程の半ばで引き返させ、その帰還と同時に残る民と妖精たちを第二陣として出発させる。天馬兵自身は砦へ留まり、ほかの精鋭と共に異形兵を食い止める──それが少年の立てた策である。
ところが、第一陣が出発してから、まだ一日と三刻ほどしか経っていない。なぜ、これほど早く戻ってこられたのか。
「はわわ、詳しく説明している時間はありませんよねえええ! まずはここにいる異形兵を殲滅しましょう、殲滅!」
一方的に言い放つと、天馬兵は前方で戦う三騎のもとへ向けて、愛馬を駆った。
飛びかかろうとする異形兵の歩兵を、賢い天馬が翼を打って軽々と
「おらァッ! 遊びはナシだぜ、異形兵ちゃんよお!」
地上の者には届かぬ上空で、少女は本性を剥き出しにし、愛用の長槍を両手で構えた。
普段の彼女は、生死の境を渡る刺激すら楽しんでいる。だが今は、仲間の命を守るため、一切の遊びを捨てていた。
「……美少年にっ、伝令を……!」
毒を受けた吟遊詩人は、天馬兵を見上げるのをやめ、その場へ片膝をついた。
雪の勢いが増し、頬の傷が焼けつくように痛む。咄嗟に押さえようとした手を、傍らの薄赤髪の剣士が、毒が回るからと制した。
「リフレクサさん! レストの杖は持っていまして!?」
「もちろんです! さあ、ゼラ殿!」
砦門の内側で待機していた救護班の老人は、呼ばれるより早く杖を掲げていた。
レストの杖は傷そのものを癒やせないが、毒をはじめとする身体の異常を取り除く力を持つ。敵の群れへ近づかずとも届く距離であることも、今は幸いした。
淡い黄色の光が吟遊詩人を包み、体内へ回った猛毒を浄化していく。紫色に変じていた肌へ血色が戻り、荒かった呼吸も瞬く間に整った。
「ありがとう、リフレクサ殿! 伝令をお願いしても!?」
「あの少年へ、バニラさんの帰還を伝えればよろしいのですな!? 承知しました、ゼラ殿! そのまま防衛線の維持を!」
老人はそう叫ぶと、背後の扉を身体が通れるだけ開き、砦内へ滑り込んだ。敵の侵入を許さぬよう、扉はすぐさま閉ざされる。
その間にも、異形兵たちは破れかぶれの突撃を続けていた。立ち直ったばかりの吟遊詩人へ狙いを定め、各々の武器を振りかざしながら一直線に密集する。
僅かな瞬間を、彼は見逃さなかった。左手を突き出し、収束させた魔力を、上級雷魔法『トロン』として解き放つ。
迸る雷光が一条の槍となり、並んだ異形兵をまとめて貫いた。怪声を残した亡者たちが、次々と雪上へ崩れ落ちる。
魔法を放った直後の隙を狙う敵には、子爵令嬢と薄赤髪の剣士が立ちはだかった。それぞれの武器で攻撃を受け止め、弾き返し、吟遊詩人へ一歩も近づけさせない。
「まったく! 無茶な真似をするな! ジェラニウムッ!!」
「僕たちが援護します! 下がってっ!」
砦の屋上から、男装の麗人と薄緑髪の弓使いが叫んだ。
意図を察した三人は、重騎士たちが守る砦門まで一気に後退する。
男装の麗人が合図を送ると、屋上へ展開した妖精の弓兵隊が一斉に弦を鳴らした。
つい先ほどまで三人が立っていた前線へ、容赦のない矢の雨が降り注ぐ。逃れようとする異形兵も、吟遊詩人が放つ追撃の魔法によって、次々と地へ縫い止められていった。
「大方、片づきました! 残り僅かです!」
白馬を駆る老騎士が、矢を凌ぐことに気を取られた敵を背後から斬り伏せる。
低空飛行へ移った天馬兵も、老騎士の死角へ回ろうとする者を槍で貫き、その猛攻を支えた。
「もうおかわりはいらねえぞ、ローダン! 俺らは眠いんだからよ!」
「そろそろ飽きたんでね! 終わりにしてほしいものだ!」
赤髪と緑髪の兵士も、剣と槍を連携させて敵陣を切り崩していく。屋上から降り注ぐ矢。そして、馬と天馬を駆る四人の猛撃。
互いの隙を補い合う攻勢を前に、あれほどの数を誇った異形兵も、今や数えるほどしか残っていなかった。
それでも、死を恐れぬ亡者たちは退かない。勝敗が決していることさえ理解せず、ただ生者を道連れにするため突撃を繰り返す。
だが、彼らの前に道はなかった。互いの命を繋ぎ、幾度もの死線を越えてきた人間たち。その結束と刃を前に、異形兵はただの一歩すら進めぬまま、最後の一体まで雪原へ沈んでいった。
*****
三百体を超える異形兵を撃滅してから、半刻。戦場は、不気味な静寂に支配されていた。
山から新たな『叫び』が響く気配はない。無謀な大量召喚の反動により、異形と化した重騎士は、次の軍勢を呼べないほど消耗しているのだろう。
この
天馬兵が早く戻れたのは、第一陣が道程の半ばへ達するより前に、妖精たちの村長から強く帰還を促されたためだという。
そこまでの道中に異形兵の影が一切なかったため、『安全が確認できた以上、残りは自分たちだけで進める。どうか砦に残る者たちの救援へ戻ってほしい』と懇願されたらしい。
イルシオン全土に異形兵が溢れているという情報は、間違いではないはずだった。それなのに、なぜ学園へ続く道に一体も現れなかったのか。今の少年には、推し量りようのない謎である。
だが、理由が何であろうと、絶望の只中で天が与えた
第二陣を乗せた荷馬車が、雪道へ滑り出していく。
異形の重騎士が既に回復しているなら、無防備な背中へ全軍を差し向けるはずだ。
しんがりを務める戦闘員たちは、いつでも迎撃できるよう砦の前で武器を構えた。少年もまた、荷馬車の列を
青髪の天馬兵は当初の策どおり、砦の戦力として残した。
これで民はすべて逃がした。残る問題は、第三陣となる少年たち自身が、いつ、どのように離脱するかである。
第一陣の出発に際し、少年は村長へ伝言を託していた。学園にいる老練な騎士の教師たちへ、砦に残る者たちの救援を要請してほしい、と。
同国の民を見殺しにはしないと信じたい。だが、学園との間には物理的な距離がある。第一陣が到着し、事情を説明し、援軍が出立するまでを考えれば、救援には少なくとも二日。準備次第では、三日を要するだろう。
対して、吟遊詩人の『花火』に呼び寄せられた辺境伯の大軍は、二日と経たず到着する。もし学園の援軍より先に敵軍が現れれば、砦に残った者たちは全滅する。その前に異形の重騎士を討ち、自力でこの地を離れなければならなかった。
「我々も、今のうちに離脱した方がよいのではないでしょうか?」
重苦しい沈黙を破ったのは、老騎士だった。
「ゼラ殿の合図を受け、ペラルゴ様の大部隊が迫っていることでしょう。ローダンが消耗している今こそ、最大の逃走の好機かと」
「ガランサス殿の意見に賛成だ。徒歩ゆえ時間はかかるが、追手が少数ならば、我々だけでも凌げるはず」
男装の麗人も頷く。
守るべき民は、もう砦にいない。今や足手まといとなり得るのは、戦う力を持たない少年だけだった。
自分が強ければと悔やんでも意味はない。今の自分にできるのは、頭を回し、全員が生き延びるための道を探すことだ。
「……死んだんじゃねえの、ローダン」
赤髪の兵士が笑い飛ばすと、緑髪の兵士は表情を曇らせた。
「いや、傍にいるはずのネルーケが現れていない」
「あいつは盗賊上がりの将だぜ。威張るばかりの自分勝手なクズだ。ローダンが吹っ飛んだから、とっとと逃げたんじゃねえのか?」
「生前なら、あり得たかもね。だけど、今の奴は異形兵だ。主君を裏切り、そう簡単に逃げ出すものか……」
死してなおヴェイルへ従う忠誠心が、精神の在り方まで歪めているとすれば、その懸念は少年にも否定できなかった。
「はわわ……それなら、わたしがディートバと一緒に山まで行って、死体があるか確かめてきましょうか? 生きていたら、ちょーっと頑張って灰にしてきますけどお」
寒冷地での飛行にも慣れた天馬兵なら、偵察は可能かもしれない。
一瞬心が揺れたが、少年はすぐに首を横へ振った。
山中に残る敵の数は分からない。単騎で踏み込ませるには危険が大きすぎる。全員の生還を掲げた以上、彼女を失いかねない策など選べなかった。
最初の奇襲と同じく、吟遊詩人を天馬へ同乗させる案もある。しかし、二人乗りのままでは少女が満足に戦えず、狙われれば二人とも失うことになる。かといって、このまま待ち続けることも危険だった。
少年が老騎士の提案を受け入れ、離脱を決断しかけた、そのとき。
「ごめん。もう、限界よ……」
子爵令嬢が槍を杖代わりにしながら、雪上にへたり込んだ。
「武器を振るうだけなら、血の
ほかの仲間たちも、苦い笑みと共に同意した。
二日近く、誰もまともな睡眠を取っていない。強固な砦を背にしているからこそ、どうにか陣形を保って戦えている。今の状態で平野を逃走し、追撃を受ければ、疲労困憊の一行は瞬く間に分断されるだろう。
せめて朝まで眠りたい。それが、誰も口にできずにいた、全員の痛切な本音だった。
「──待ってください! 向こうから、誰かが来ます!」
薄緑髪の弓使いが、鋭い声を上げた。並外れた視力が、吹雪の向こうから近づく人影を捉えている。
両手を高く掲げ、無防備な姿でこちらへ歩いてくる男。深緑色の髪。わずかに茶色く染まった前髪。そして、特徴的な曲線を描く口髭。
「間違いない……ネルーケだ」
弓使いが読み上げた特徴に、赤髪と緑髪の兵士が顔を見合わせた。
降伏の意思を示すように近づいてくる敵将。その場にいる全員の身体へ、先ほどまでの疲労さえ吹き飛ばすほどの緊張が走った。
「……ローダンの姿は!?」
少年が叫ぶ。
弓使いは目を細め、吹雪の向こうを隈なく探ったが、すぐに首を横へ振った。ほかに人影は見当たらないらしい。
ただし、森と
「そこで止まれ! 妙な真似をすれば、この矢が貴様の眉間を貫くぞ!」
男装の麗人が愛用の弓を限界まで引き絞り、鋭く警告した。
多少身を
将を補佐しているはずの男が、なぜ単身、無防備な姿で敵陣へ現れたのか。その真意を探る必要があった。
「……まさか、停戦を提案しに来たわけではありませんよね。異形兵のくせに」
「オイオイ、驚いたなァ! 俺らをここまで苦しめた軍師様が、こんな使用人のガキだったとはよ。オルテンシア王女殿下のお気に入りだっていう、王城でも珍しい男の侍従だろ?」
少年の身なりを
「少年の質問に答えろ、ネルーケ。はっきり言わねば伝わらんか? 何しに来たのだと聞いているんだ。それに、ローダンはどうした!」
無骨な重騎士が、怒気を
巨大な盾を雪へ叩きつけ、いつでも斧を振り下ろせるよう身構える。
それでもネルーケは大袈裟に肩を
「ジェラニウムの裏切りがあったとはいえ、あれだけの数を凌ぎきるとはなァ。恐れ入ったぜ、坊主よォ」
「ボクがいなくても、美少年はこの窮地を切り抜けてみせただろうね」
「カカカ。随分と信頼されているらしい」
吟遊詩人が掌へ炎を灯してみせても、男の余裕は崩れない。
「坊主。互いに得になる提案があるんだがなァ。ちょいと距離があって、お前の声が聞こえづらいんだわ。もう少し近寄ってくんねェか」
「随分と馬鹿にしてくれるじゃない。そんな見え透いた罠に、誰が引っかかると思っているの?」
子爵令嬢が吐き捨て、いつでも投擲できるよう槍を構えた。
ネルーケは「おっと」と、両手をさらに高く掲げる。
「いいのか? 俺をここで簡単に殺しちまっても。……ローダンは生きているんだぜ?」
その一言で、場の空気が凍りついた。
明確な脅迫だった。自分へ危害を加えれば、潜伏しているローダンに死力を振り絞らせ、残る異形兵をすべて召喚させる──そういう暗黙の宣告である。
やはり、ローダンはまだ召喚能力を残しているのか。だが、それならば、なぜ本人がこの場へ姿を見せない?
何か裏がある。そう考えるのが自然だった。
「俺は話がしてェだけなんだ。頼むよ。お前らの声、マジで聞こえづれえんだわ」
近づけば、少年の命が危険に晒される。
目の前の男は、まったく信用できない。それでも、大量召喚という切り札を握られている以上、無視して交渉を打ち切ることもできなかった。
「ライラさん、カラバッシュさん。護衛をお願いします」
覚悟を決めた少年は、子爵令嬢と重騎士を伴って前へ出ようとする。
だが、その布陣を見たネルーケは、大袈裟に首を横へ振った。
「信用がねェのは仕方ないけどよ! 坊主一人で来いや! なァ、状況がわかってねェのか!?」
「わかっていないのは、そっちだ。ローダンに好きなだけ召喚させればいい。それでも、僕たちは勝つ」
ハッタリだった。
仲間たちは既に限界を迎え、妖精の防衛部隊も第二陣と共に去った。大量の異形兵に押し寄せられれば、防ぎきれないことは明白である。
それでも少年は、一歩も引かずに睨み返した。
限界を超えてなお命を預けてくれる仲間たちのために、敵の前で弱みを見せるわけにはいかなかった。
「わーった、わーった! じゃあ
本当なら、強固な盾を持つ重騎士にも同行してほしい。しかし、これ以上拒めば、交渉そのものが決裂しかねない。受け入れられるのは、ここまでだろう。
少年と子爵令嬢は顔を見合わせ、重騎士をその場に残して、二人だけで雪を踏みしめた。
「カラバッシュさんは、顔、怖くないですからね」
緊迫した空気の中、子爵令嬢がぽつりと庇う。当の重騎士は、『はあ』と困惑するほかなかった。
後方では、二人の弓使いが、敵将の指一本すら見逃すまいと狙いを定めている。異変があれば、吟遊詩人の魔法も即座に飛んでくるだろう。
背を守る仲間への絶対の信頼が、少年の足を前へ進ませた。
やがて二人は、ネルーケの前で足を止める。
白い息が混じり合う、僅か十歩ほどの距離。子爵令嬢が踏み込めば、槍の穂先が届く間合いだった。
「それで、提案というのは?」
警戒を解かぬまま、子爵令嬢が問う。
「残っている異形兵の数を知りてえだろ? 七百くらいだ。対して、お前らは十人程度。さっきの連中を逃がした以上、砦に
ネルーケは、わざとらしく曲がった口髭を弄った。
その目は、向けられた槍など見ていない。獲物へ狙いを定めた蛇のように、真っ直ぐ少年の喉元だけを捉えていた。
「残念ながら、ローダンに全軍を呼ぶ力は残ってねえ。俺の見立てじゃ、出せてもあと百……いや、五十だ。それ以上は、砕け散る覚悟でやるか、ヴェイル様から直接魔力を補充されねえ限り無理だろうぜ」
「それは、私たちには嬉しい情報ね。それで? 魔力を補い、態勢を立て直したいから見逃してほしい、とでも?」
そうはさせないと、子爵令嬢が槍の穂先を男へ向ける。
だが、ネルーケの顔からは、いつの間にか、怯えも、戸惑いも、怒りも消えていた。
残ったのは、冷酷なまでの無表情。
「俺らの願いは……ただ一つよ」
ネルーケの手が、背負っていた杖の柄を握った。
豪奢な装飾が施されたそれを見た瞬間、少年の脳裏に、幾度となく自分たちを窮地から救ってきた魔道具の名が閃く。
──レスキューの杖!
「俺らの命と引き換えに、てめえを確実に殺すんだよ、クソ坊主!!」
狂気の絶叫と共に、ネルーケが杖へ全魔力を叩き込んだ。
装飾が青白く発光し、その眩い光が杖全体と、ネルーケのすぐ隣の空間を包み込む。
直後。
「オオオオオオオオオッ!!」
光の
全身を重装甲で覆い、死への渇望を漲らせた異形の将、ローダン。出現した瞬間には、既に特攻のための助走を終えている。
唸りを上げる長槍が、距離ゼロから少年の心臓へ、真っ直ぐに突き出された。
間に合わない。
絶対の盾となる重騎士を遠ざけられ、完全に虚を突かれた二人には、防御の姿勢を取る僅かな猶予すら残されていなかった。
突然ですが第1回オリキャラ人気投票・主要キャラのみ。投票期間は2026年8月中。1位のキャラは朱鷺夜が絵にしてくれるぞ!
-
少年:主人公
-
子爵令嬢:ライラ
-
吟遊詩人:ジェラニウム
-
赤髪の兵士:グラディオ
-
緑髪の兵士:ローレル
-
無骨な重騎士:カラバッシュ
-
青髪の天馬兵:バニラ
-
老騎士:ガランサス
-
薄緑髪の弓使い:ナスタ
-
救護班の老人:リフレクサ
-
男装の麗人:アデルファ
-
薄赤髪の剣士:アザレア
-
幼き侍従・双子の姉:スズ
-
幼き侍従・双子の姉:ラン