FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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9月分も投稿済み。82話まで。
『第一部とはどこまでですか?』そんな声が聞こえてきそうなのでお答えします。
時系列で言えば原作第26章『ラストエンゲージ』が終了するまでです。


第10章-7:絶望、そして・その7

「よーし! 俺、完全復活! パーフェクト・グラディオ様だぜ!」

 砦の大広間に響き渡る、場違いなほど威勢のいい声。

 

 深い眠りに落ちていた仲間たちの中で、最後に起き上がったのは赤髪の兵士だった。

 あまりにも騒がしいものだから、声を抑えなければ串刺しにするぞと、相棒である緑髪の兵士が満面の笑みで咎めている。

 

 朝方まで猛吹雪が続いていたらしいが、今では風も弱まり、外には細かな雪がちらつくばかりとなっていた。高窓から差し込む日差しの角度を見る限り、どうやら正午近くまで休息を取ることができたらしい。

 

 少年と老騎士、救護班の老人も、話すことがなくなった後は椅子に腰掛けたまま、しばらく浅い眠りに落ちていた。若者たちが次々と起き出す気配で目を覚ましたものの、必要最低限の体力は取り戻せたはずだ。

 

 ほかの者たちも、極限の疲労から泥のように眠り続けたことで、青白かった顔にいくらか血色を取り戻しているように見えた。

 

「カラバッシュさんはどう? 寝ていないんじゃないかしら?」

 子爵令嬢が心配そうに尋ねた。

 

 一人で大扉の見張りを引き受けてくれた彼は、緊張のあまり、結局一睡もできなかったのではないか。そう気遣っての問いだった。

 

「いや、それが……恥ずかしい話なのだが。心を落ち着けようと瞑想していたら、気がつけばこのような時刻に……」

 

 無骨な重騎士が、ばつの悪そうな顔で視線を泳がせる。その様子を見て、子爵令嬢はくすくすと笑った。

 

 彼の人となりをよく知る赤髪の兵士も、珍しいものを見たとばかりに目を丸くしている。

 

「カラバッシュ、いつ寝て、いつ起き上がんのか分かんねえようなヤツなのに」

「それほどの大苦戦だったということだよ。グラディオが呑気に寝すぎなんだ」

「寝に入るのは、おめーが一番早かっただろうがよ、ローレル……」

 

 じゃれ合う親友同士の二人。

 

 いまだ死地の只中にいるというのに、その光景はあまりに微笑ましかった。張り詰め続けていた大広間の空気がわずかに緩み、誰もが久方ぶりに顔をほころばせる。

 

「……まだ回復しきってはいないでしょうが、これ以上、休んでいるわけにもいきません」

 その空気を引き締めるように、少年が真剣な声で告げると、仲間たちは静かに頷いた。

 

 まずは現在の状況を確かめ、今後どのように動くべきかを決めなければならない。

 

「結局、ローダンはどうなったんでしょうねええ。異形兵を召喚する様子もありませんし、雪山で凍死したんじゃないでしょうかあ?」

 青髪の天馬兵が、楽観的な推測を笑いながら口にする。

 

 だが、無骨な重騎士は「いや」と即座に否定した。

 

「それで死ぬのなら、ゼラ殿が森へ火を放ち、連中が山へ逃げ込んだ時点で事切れているはずだ。奴はまだ生きている。我々の出方を窺(うかが)っていると考えるべきだろう」

 

 ネルーケは言っていた。辺りに潜む七百の異形兵すべてを戦力として召喚するには、ローダンの身体はすでに限界を迎えている。ヴェイルから魔力を与えられ、力を取り戻さない限り、呼び出せるのは五十体ほどが限度だろう、と。

 

 しかし、それがどこまで真実なのかは分からない。敵の言葉を、そのまま鵜呑みにするわけにはいかなかった。

 

 あるいは、こちらが休息していた六刻近くの間に、ローダンもいくらか体力を回復させているかもしれない。砦を出た瞬間、奴が命を懸けた最後の咆哮を上げ、呼び出せる限りの異形兵を差し向けてくる。そんな最悪の展開も、十分に考えられるのだ。

 

「困ったものだね。どこから砦を出ても、あの山からなら、こちらの動きは丸見えだろうし」

「そこのハンマーで偽装壁をぶち破って、死角から逃げるってのはどうよ?」

 

 緑髪の兵士が冷静に懸念を口にすると、赤髪の兵士は、壁に飾られた巨大な戦鎚(せんつい)へ手を伸ばした。

 

 だが、ほかの全員が慌ててそれを制止する。外に何が待ち構えているのか分からないまま、壁へ不用意に穴を開けるのは危険すぎる。再び籠城を強いられた時、自ら砦の守りを捨てるような真似をするべきではなかった。

 

「しかし、そろそろ学園へ向けて出発した方がいいのも確かでしょうな。ペラルゴ様の軍勢のことを考えても」

「……それなんだけど」

 

 老騎士が父の名を口にしたところで、吟遊詩人が静かに手を挙げた。

 

 いつになく真剣な表情を浮かべ、その頬には冷たい汗が一筋、伝っている。

 

「ローダンは、山に潜み続けているんじゃなく、父たちとの合流を目指している最中かもしれない。そうなると……少しばかり厄介なことになる」

 

 そこまで聞いたところで、少年たちも最悪の可能性に思い至った。

 

 吟遊詩人が上げた合図によって呼び寄せられる辺境伯軍は、本来、『ジーヴル港へ現れた神竜軍を迎撃するため』に、こちらへ向かってくる手はずだった。

 

 だが当然、港に神竜軍などいない。辺境伯軍が異変に気づき、足を止め、やがて引き返す。その停滞と往復に費やす時間が、少年たちへ逃亡の猶予を与えてくれる算段だった。

 

 しかし、辺境伯と繋がっているローダンが先に合流し、すべての真相を報告してしまったなら。

 

「まっすぐ、私たちの背後を突いてくるというわけね」

 子爵令嬢の言葉に、吟遊詩人は重々しく頷いた。

 

 その可能性がある以上、むやみに砦を離れることは、かえって危険かもしれない。

 

 少年の胸に、苦い後悔が浮かぶ。やはり、あの極限状態にあっても、無理を承知でローダンを始末させるべきだったのではないか。

 

 いや、違う。あの時、そんな無茶を命じていれば、若き騎兵たちは命を落としていたかもしれない。結果だけを見て、過去の判断を誤りだったと決めつけることなどできない。

 

 現在のローダンの沈黙は、あくまで結果論にすぎないのだ。全員で生き延びると掲げた以上、たとえ消極的に見えようとも、仲間の命を最優先に守る選択をするほかなかった。皆も、そのことは分かってくれている。

 

「僕、屋上から辺りの様子を見てきますよ」

「おれも行こう。上空に飛行兵が待ち構えていた、では笑えんからな」

 

 目のいい薄緑髪の弓使いが名乗り出ると、その護衛を買って出た男装の麗人も立ち上がった。

 

 少年にとっては、非常にありがたい申し出だった。周囲の状況が分からなければ、次の策を考えることもできない。

 

 くれぐれも気をつけるよう声をかけると、二人は大広間の扉を静かに開け、近くの階段から屋上へ向かっていった。

 

 

「……実際、フィレネへ向かった軍の戦争は、どんな結果になったんだろうな」

 

 

 静寂の戻った大広間で、赤髪の兵士がぽつりと呟いた。

 

 セピアによる大仰な演説。そして、王城のバルコニーへ姿を現した邪竜ソンブル。あの出来事から、すでに数日が経過している。

 

 邪竜の軍勢は、目論見どおりフィレネを蹂躙(じゅうりん)しているのだろうか。それとも、セピアが僅かな可能性として危惧していたように、神竜軍へ敗北を喫し、イルシオンへ敗走してきているのだろうか。

 

 少年は、後者であってほしいと心から願った。大義のない侵略によってフィレネの無辜(むこ)の民が殺されれば、その罪と汚名は、今も生きているアイビー王女と、愛するオルテンシア王女が背負うことになってしまう。

 

 邪竜側は、それさえ承知の上で虐殺を命じたのだろう。だからこそ、その企みが失敗に終わっていれば、二人の王女が抱える苦しみを、僅かでも減らすことができるはずだった。

 

 他国へ攻め込み、邪竜を復活させ、その上、自国の民まで手にかけている現在のイルシオン。

 

 これ以上、国が罪を重ねれば、二人の王女が背負わされるものは、どれほど大きくなるのか。そう考えるだけで、少年の胸は強く締めつけられた。

 

 自分は侍従として。そして、第二王女の伴侶となる者として、彼女たちを力強く支えたい。そのためにも、必ずここから生きて脱出しなければならない。

 

 

 ……だが、そんな少年の切なる願いを踏みにじるように。

 

 

 ほどなくして、屋上へ向かった二人の弓兵が、階段を駆け下りてきた。どちらも血相を変え、激しく息を切らしている。

 

 

「か、囲まれています……! 騎兵ばかり、三(・)百(・)ほどですっ!」

 

 

 もたらされた絶望的な報告に、大広間にいる誰もが青ざめた。辺境伯の軍勢が、もう到着したというのか。

 

 いや、それにしては、あまりにも早すぎる。たとえ馬を全速力で走らせたとしても、ここへ到着するまでには二日ほどかかる計算だと、吟遊詩人は話していたはずだ。

 

 無論、馬にも体力の限界がある。一日中、休ませることなく走らせ続けるなど不可能だった。

 

 仮に、そのような無謀な強行軍を敢行したのなら、疲れ切ったところにつけ入る隙もあるだろう。だが、薄緑髪の弓使いによれば、眼下に見えた馬はどれも疲弊しておらず、元気そうだったという。

 

「でしたら、異形兵ではありませんこと? ローダンが命懸けで吼えて、三百体を呼び出したということでは?」

「いや、アザレア。少なくとも、おれが見た限りでは、人間も馬も死体ではなかった」

 薄赤髪の剣士の問いに、周囲をともに確認した男装の麗人が首を横に振る。

 

 そもそも、明確な意志を持つ異形兵が三百体も存在するとは考えにくい。邪竜の娘ヴェイルだけが生み出せるという特異な兵を、それほど容易に量産できるはずがないのだ。

 

 それとも、その前提からして、自分たちの読み違いだったのだろうか。

 

「ほかに、何か特徴は? 例えば、鎧の形状……とか」

 無骨な重騎士が鋭く尋ねた。

 

「鎧か……すまん。ガランサス殿が身につけているものと似ていた、としか、おれには分からなかった」

 

 老騎士が着用しているのは、王城から逃げ延びる際、中庭で息絶えていた正規兵から拝借したイルシオン軍の鎧である。

 

 外を囲む三百の騎兵も、イルシオンに属する兵であることだけは間違いない。しかし、それだけでは味方か敵かを見極めるには、情報が足りなかった。

 

「あ……ええと、旗を持っていました。軍旗、でしたよね、あれは」

 薄緑髪の弓使いが、思い出したように付け加えた。

 

 軍旗を掲げていたのなら、統率者のいない異形兵の群れではない。少なくとも、指揮系統を持った正規軍である。

 

 それならば、自分たちの味方である可能性も残されているのだろうか。

 

「獅子の顔に……あれは、そう。タ(・)ン(・)ポ(・)ポ(・)だな。タンポポが描かれていた」

 

 その特徴を耳にした瞬間、吟遊詩人の顔が引き攣(つ)った。

 

 老騎士と救護班の老人もまた、酷く苦い表情を浮かべている。

 

「ダンデライ伯……ですな」

 

 老騎士の話によれば、それは辺境伯領の東端を守護する伯爵家の軍旗だという。辺境伯家に並ぶ武門であり、その当主は王家への忠誠心よりも、辺境伯個人への深い恩義によって動く人物であるらしい。

 

 

──味方だと考えるのは、あまりにも甘い。敵と見なすべきだ。

 

 

 これから始まるであろう、さらなる過酷な戦い。その予感に、少年は乾いた喉を鳴らした。

 

「なるほど。父は、ボクの裏切りに備えて予防線を張っていたというわけか」

 得心がいったとばかりに、吟遊詩人が苦笑を漏らす。

 

 もし合図の『花火』が虚偽であったなら、辺境伯本軍は無駄足を踏まされることになる。

 

 父はその可能性を考慮し、より港に近い場所へ領地を持つ伯爵を、先遣隊として向かわせる手はずを整えていたのだろう。吟遊詩人は、そのように推測した。

 

 当然ながら、実の息子である彼自身も知らされていなかった話である。異形と化した辺境伯は、もはや息子のことさえ心から信頼してはいなかったのだろうか。

 

「ダンデライはボクの顔を知っている。となれば、少々危険だけど、ボクが説得を試みるしかないねえ」

「ゼラ……!」

 

 子爵令嬢が驚き、彼の顔を見つめた。

 

 吟遊詩人は、いつものようなおどけた笑顔を無理に作っている。だが、その瞳の奥には、隠しきれない悲壮な覚悟が湛(たた)えられていた。

 

「大丈夫、大丈夫。ダンデライに仕える兵には、女性も少なくないんだ。ボクがクレマチス辺境伯の息子という威光を盾に口説き落とせば、みんな喜んで結婚してくれるさ。生まれたままの姿になって、雪原での乱痴気騒ぎが開幕することだろうねえ。戦闘そっちのけでさ」

 仰々しく両手を広げ、いつものように道化を演じながら、到底叶いそうもない妄言を並べ立てる。

 

 しかし、その場にいる誰もが分かっていた。こちらを必要以上に心配させまいとして、あえてふざけた態度を見せているのだと。

 

 その痛々しい気遣いを見透かすような、皆の冷ややかな視線を一身に受け、吟遊詩人は観念したように息を吐いた。やがて、口元に浮かべていた笑みを、自嘲へと変える。

 

「……ボクが一人で出ていけば、向こうも、いきなり殺しにはかからない。それは事実だよ。腐っても、ボクは辺境伯の息子だからね。ボクが連中を引きつけておく。その間に、キミたちは逃げるといい」

 

「逃げるといい……と言われても、砦は囲まれているんですよ?」

「そうです。それに、そんなことをすれば、貴方はどうなるんですか」

 

 薄緑髪の弓使いと少年が、矢継ぎ早に現実的な懸念を突きつける。

 

 だが、吟遊詩人は、それさえ軽やかな笑みで受け流した。

 

「ボクが炎の壁を作って、敵を分断しよう。学園へ続く街道を塞いでいる連中は、ボクが焼き尽くす。キミたちは、開いた道をまっすぐ逃げるんだ。ボク一人がしんがりに残って、後はなんとかしてみせるから」

「なんとかなるわけないじゃないの! ふざけるのも大概にしなさいよ!」

 

 それは、普段の彼らしからぬ、自暴自棄としか思えない自己犠牲だった。

 

 真っ先に怒りを露わにしたのは、子爵令嬢である。だが、激しい怒りを覚えたのは少年も同じだった。

 

 それでは、まるで──。

 

「死にに行くようなものだろう」

 少年の胸中を代弁するように、男装の麗人が低く、凄みの利いた声で言い放った。

 

 彼女の静かな怒りに気づきながらも、吟遊詩人は笑顔を崩そうとはしなかった。

 

「ボクの父があんなことになっていなければ、キミたちが、こんな籠城戦を強いられることもなかった。学園まで、まっすぐ逃げられたんだ。……いいや。そもそも、ヴェイルたちが王城を乗っ取ることすらなかったかもしれない。だから、責任を取ろうと言っているんだよ。ボクの命をもってね」

「そうか……よく分かった……」

 

 男装の麗人の拳が、怒りのあまり、わなわなと震え始めた。

 

 次の瞬間。

 

 彼女は初対面の時にも見せた恐るべき速さで踏み込み、吟遊詩人の胸ぐらを乱暴に掴み上げた。

 

 

「貴様が、まだ寝ぼけているということがな!!」

 

 

 もし彼女が先に動いていなければ、少年がまったく同じことをしていたかもしれない。

 

 何しろ、ほかでもないこの吟遊詩人は、妖精の村で、命を投げ出そうとした男装の麗人へ、こう言い放ったのだから。

 

 

『命を捨てることを美徳としているヤツだけは、どれだけ可愛い女の子だろうが、幼子だろうが、絶対に許せないんだよッ』

『カッコつけるのも大概にしろよ。醜く足掻けよ。それが生きるってことだろ。自分から死んで、残されたヤツがどれだけ悲しむか……その気持ちくらい考えろ』

 

 

 今や、その立場は完全に逆転していた。

 

 一体、どうしたというのか。

 父が無謀な戦いを挑んだ末に異形兵となった。その事実と向き合ってきたからこそ、吟遊詩人は、命を軽んじる行為を心の底から嫌悪していたはずだ。

 この絶望的な状況を前に、とうとう彼の信念まで折れてしまったのだろうか。

 

「……アデルファ、離してあげて。気持ちは痛いほど分かるけど」

 子爵令嬢もまた、酷く心配そうな目で吟遊詩人を見つめていた。

 

 その言葉を受け、男装の麗人は舌打ちをすると、突き放すように胸ぐらから手を離した。

 

「……貴様も死なせはしないと、軍師の少年は言っているはずだ。それを否定するのか? そもそも、おれの命を粗末にするなと、数日前に怒鳴りつけたのは誰だ。己の言葉すら無碍(むげ)にして、どうしようというのだ。貴様は」

 

 今にも再び掴みかかりそうな剣幕だった。

 

 吟遊詩人は乱れた襟元を正し、小さく息を整えてから、「すまない」と短く詫びた。

 

 

「……本音を言うよ。実際のところ、ダンデライに説得は通用しない」

 

 

 ようやく吟遊詩人の口から語られた真実は、絶望的なものだった。

 

 伯爵は彼の父へ従い、確かに深い恩義を抱いている。しかし、『武力ではなく対話で解決すべきだ』という辺境伯の穏健な思想にだけは、一切賛同していなかったという。

 

 ブロディアとの国境で、誰よりも大きな戦功を挙げることこそ誉れとする野心家。必要とあらば、自領の民を犠牲にすることさえ厭(いと)わない悪辣な人物。

 

 そして何より、異形兵の素体を求める辺境伯へ領民を差し出し、その非道な『ノルマ』に加担していた中心人物こそ、この伯爵だった。

 

 一応、伯爵には若い娘がいる。父とは異なり、彼女なら話の通じる気性らしいが、いまだ従騎士の身分にすぎない。

 

 軍の実権を握っているとは考えにくく、彼女一人を説得したところで、三百の騎兵を止めることは不可能に近いだろうとのことだった。

 

「私たちが知っているとおりの性格です。ダンデライ伯とは、私も何度か戦列をともにいたしましたが……正直に申せば、酷く苦手なお方でした」

 老騎士の苦々しい言葉が、吟遊詩人の語る人物像を裏づけた。

 

 ならば、こうして砦を包囲された時点で、もはや一滴の血も流さずに逃げる道は残されていないのかもしれない。

 

 そもそも、敵が『包囲』という行動を選んでいることから、導き出せる答えは一つしかなかった。

 

 

──ローダンはすでに伯爵軍と合流し、協力関係を築いている。

 

 

 砦の中に少年たちがいると把握していなければ、伯爵軍がジーヴル港へ直行せず、この場所を取り囲むはずがないのだ。

 

「ナスタ君たちが見たものが正しければ、相手は異形兵じゃない。今度は、人間同士の殺し合いになる。しかも、同じ国に生きる者同士で、だ。そんな恐ろしい罪を、ここにいる誰にも背負わせたくはなかったんだけどね……」

 

 その血塗られた罪のすべてを、吟遊詩人は自分一人の命で背負い込もうとしていたのだ。あまりに不器用な優しさを前に、それまで怒りを露わにしていた男装の麗人も、返す言葉を失った。

 

 異形兵とはいえ、かつて人間として生き、今も明確な意志を持っていたネルーケを討った。その事実だけでも、少年の胸には消えない痛みが残っている。

 

 では、外にいる三百の兵たちは、果たして事情をどこまで知らされているのだろう。すべてを知った上で、同じイルシオンの民をなぶり殺しにしても構わないと考え、この砦を包囲しているのだろうか。

 

 そうであるのなら、彼らはもはや、人の皮を被った異形兵と変わらない。今後のイルシオンのためにも、この場で討ち果たす必要があるのかもしれない。

 

 しかし、どれほどの大義を掲げたとしても、仲間たちへ人を殺させることに変わりはない。

 

 その命令を下すのは自分だ。戦えない自分が安全な場所から策を告げ、その結果として、仲間たちの手を同胞の血で染めることになる。

 

 その重みを思えば、胸の奥が冷たく沈んでいった。

 

 できることなら、戦いにならないでほしい。

 そんな祈りにも似た願いを抱きながら、少年は、それでも今取るべき行動を口にした。

 

「……呼びかけるだけ、呼びかけてみましょう。まずは、それだけでも試すべきです。もちろん、安全を確保した上で。屋上から伯爵軍へ、こちらの言葉を届けるしかありません」

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